実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

一生暮らす場所  実戦教師塾通信五百五十四号

2017-06-30 11:30:12 | 福島からの報告
 一生暮らす場所
     ~母屋の解体~


 ☆☆

藤井君の快進撃! すべての新聞のトップを飾ったこのニュースに、
「もっと重大なニュースなかったのかね」
と言ったキャスターも、歓迎の表情でした。世間の雑事に振り回される私たちの傍らで、黙々と歩き続けている少年がいたのです。この驚きと感動は、周囲を行き交う目まぐるしい出来事に、いちいち目を凝らす私たちが、思わず背筋を伸ばした結果なのかも知れません。
 ☆☆
6年前は、ただひたすら福島の現場に向かう私でした。しかし、ここ数年は、行ってはいるものの、ただ癒されるばかりで、こんなことでいいのかなと、あいまいに反省する私です。「変わらぬもの」の大切さと、そこから授かっているものを確認し、感謝している私です。

     これは修学旅行のワンショット。龍安寺です。

 1 蕗(ふき)
 楢葉の渡部さん宅の離れに、この日はいわきの仮設から、奥さんとおばあちゃんが来ていた。ちょうどお昼の最中で、私も漬け物と蕗の煮物をいただいた。たっぷりのカツオ節風味がたまらない。美味しい美味しいと食べてたら、お土産にとたくさんいただいた。


テレビがかかっていた。もう読者はお忘れかも知れない、警官が容疑者となった「福岡母子殺人事件」のニュースが流れていた。
「一緒に歩いてたぐらいじゃ、夫婦は仲がいいとか悪いとかって分かるわけないよね~」
と渡部さんを覗き込む、いたずらっぽい奥さんの顔に、思わず笑ってしまう。
 いつもお二人の話を聞いてる感じでは、渡部さんがものごとの大体を決定している。この日も、牛はどこで買いつけるの?と聞く奥さんに、本宮、と私が答えそうになって慌てた私だ。また奥さんは、これ以上あれこれ仕事を引き受けて来てほしくない、みたいな「陳情」をするのだった。

 2 母屋
 姿を消したと思ったら、奥さんは下の母屋で草刈りをしていた。これが田んぼだそうだ。すっかり変わり果てている。これって水田?陸稲(おかぼ)じゃないですよね、と尋ねる私に、
「もう、この田んぼはもとに戻らねえよ」
渡部さんが言うのだった。



カラスと仲のいい奥さん。ではない。
「草を刈るとよ、なかにいた虫が飛び出すんだよ」
「そいつを食べに来るんだ」
渡部さんが講釈してくれた。
 母屋は更地になっていた。その傍(かたわ)らの牛舎。空いた地面にフレコンバッグが並んでいた。

軟らかいですね、私は足や手でバッグを押してみた。牛舎内の側溝に残っていた泥や糞を集めたものである。
「線量は高くないんだが」
「東電に持って行かせるんだよ」
と言う。牛舎の屋根瓦は汚染されている。でも「前例なし」の理由で、見ての通り、そのままだった。

 3 一生暮らす場所
 渡部さんと二人きりになると、なぜかいつもの調子になる。集会所で連絡員をやっていた、つい一年前までの話だ。仮設住宅に暮らす人たちの、いろいろな考えや気持ちを、渡部さんは聞いて回った。
◇あんな汚染された怖いところに帰れるもんか
◇これからずっと働かない。東電に養わせる
◇ここ(仮設)にずっと居られるならいい
私のようなものが聞けば、みんなもっともな言い分なのだ。しかしたとえば、避難先で生活と言っても、頼った先で傷ついた人たちも多い。余所(よそ)での定住は、簡単なものではなかった。
「少し考えれば分かる。一生仮設に居られるわけがない」
「高齢の親もいる」
「そして自分たちには、帰れる場所があるんだよ」
6年以上にわたって、渡部さんたちが考え苦しんできた重みを、私は受け止めたい、と思うのが精一杯だった。
 『図書新聞』(6月24日号)に、「『東日本大震災と<復興>の生活記録』刊行に寄せて」と特集が組まれた。その中に、大学の調査機関がヒアリングした、母親の発言がある。
「報道では震災の風化や風評などと報じられていることが多いと思います。しかし、この土地で生活している私の感じ方はちょっと異なります。風化しているのではなく、放射能汚染はすでに私たちの生活の一部になっています。除染という言葉も知らなかった私が、この環境の中で生きる術を学び、特に意識しなくとも出来るだけ被曝せずに生活できるよう、行動しています。それは子どもたちも同じです」

 渡部さんの言葉と重なった。


 ☆☆
『22年目の告白』見ましたか。初めは神戸の酒鬼薔薇事件のことかと思い、少し落胆したのですが、違ってました。酒鬼薔薇を皮肉ってるような部分もありましたが、完全なエンターテインメント。痛快、ということです。
特に痛快だったのは、「殺人犯」から、
「オマエは体を張って本を売ればいいんだよ」
と、編集者がすごまれ、すくむところでした。酒鬼薔薇をめぐるしょうもない連中の事情が分かるだけに、ざまあみろ、と思った私です。
と言っても、この映画、酒鬼薔薇事件のことを扱ったのではない。面白いですよ。

ある意味、自分の個性を殺すのがニュースキャスター。しかし、人気があるニュースキャスター……を演じるって、難しかったと思うんです。仙堂キャスター、良かったなあ。

 ☆☆
TBS『ひる帯』やっちゃいました。「白鵬の連勝『63』は、大鵬の『69』連勝に続く、歴代2位」というやつ。すぐに訂正されましたが、これは恥ずかしい。

     いつも通り手賀沼。あすなろだそうです。

 ☆☆
これがアップされる頃、石巻にいます。大川小学校に行って来ます。

怒髪(補)  実戦教師塾通信五百五十三号

2017-06-23 11:27:26 | 戦後/昭和
 怒髪(補)
    ~「凶暴VS暴力」~

   
 ☆☆

前回の記事に、多くの賛否をいただいてます。記事を続ける必要を感じました。
確かに「何をしても許される」者たちの振る舞いは、過去になかったわけではない。また、過去と今とでは大きく異なった状況もあります。次のような反応のごとく。
「すべては仕組まれている。逆らう無駄をする必要がない」
不満に向き合うのでなく、不満に向き合う者への露悪という屈折は、周囲へ「同調」して来たものたちが、培(つちか)った考えだと思われます。だから同調できるものにしか興味を示さない。ネット社会は、それに追い風を吹かせました。
今国会は、まさしくそんな危機的状況に便乗した流れだったと思えて仕方がありません。参考人招致が必要ない理由は、
「必要ないからです」
という凶暴(「共謀」ではなく)。また、国会閉会後の記者会見、
「批判の応酬ばかりで国民に迷惑をかけた」
とは、議論を封じて来た「総理」の発言です。これを「謝罪」とニュースした新聞屋には、もう最後通告を突きつけましょう。
新たな文科省の文書にも「いいがかり」だと言う。森友の時の、
「総理に無礼を働くとは度し難い!」
なる発言とともに実現した証人喚問を忘れはしまい。官邸自身が、今度こそ名誉棄損の告発をしてもいいのです。「告発」は「攻め」、しかし、「知らぬ」では「逃げ」だということぐらい周知のことです。

 ☆☆
でも、この間の出来事が省庁間の争いなのか、現場から吹き出した怒りによるのか、判断には少し時間が必要なようですね。
何度でも確認しましょう。私たち市井(しせい)の人間にとって、規制を緩和したい政府があり、政府代表の「親友」の運営する大学が選ばれたという事実だけで、もう「いかがわしさ」は充分なのです。いい加減にしろ!とはそういうことです。
今回は、そういう「現状のレポート」はしません。今回のジャンルが示す通り、ここでは「戦後・昭和」の検証をしたいと思います。「こんな勝手な振る舞いなんて、ずっとやられてきたことさ」と分かった風な顔をしたくないのです。

64東京五輪の「妖精」そしてチェコ侵入抗議の象徴チャスラフスカ

 1 日大闘争
「何十丁のライフルと爆弾で戦争が起きると思うナンセンス」
と書いたのは、赤坂真理である。連合赤軍のことを言ってる。その通りだ。しかし、対局にあった私たちの「暴力」は、おそらく現在もあんまり理解されていない。「暴力」を、私たちは「戦争の準備」とは思っていなかった。

34億円の使途不明金が発覚、その後、会計主任が自殺ということが引き金になった日大闘争は、1968年に起きる。追求しようとした学生を、塩酸や消火器で迎え撃ち、ロッカーを上から落としたのは、大学当局から潤沢な活動資金をもらっていた体育会系の学生だった。これに怒った学生が「武装」する。理由は「自衛」のため。そして当局に、
「本当のことを言わせる」
ためだった。学生のことなど、
「問答無用」
「相手にする必要なし」
日大当局の態度は、当時の全国大学の姿だった。私たちも、結局「武装」することになった。
「聞いてねえぞ」
「ホントのことを言えよ」
は、いま現在も大切な態度だ。

 2 ベトナム戦争
 何度か話題にした。時は同じく1968年、新宿での出来事は、ベトナム戦争抜きになかったことだ。連日ベトナムにもたらされる悲惨が、沖縄を発着するB52爆撃機でなく、もっと身近な場所にあることを、私たちはある日知ることになる。

新宿駅構内を、米軍のジェット燃料(通称「米タン」)が毎日運ばれていた。




新宿闘争のあと、たった三日間だったが、この米タンが止まった。この事実に対し、信じられないことだが、当時の南ベトナム解放戦線(現在のベトナム政府の前身だ)から、連帯と感謝の表明がある。
 当時、自衛隊から「反戦兵士」の名乗りをあげた小西誠三曹が、集会で私たちの「徴兵制への危惧」に、
「その心配はないと思います。それは今、革命に武器を渡すようなものだからです」
と答えたのを覚えている。確かにあの頃を思い起こすと、なるほどと思える。ゲバ棒と火炎瓶なんて、自衛隊の装備からすればオモチャみたいなものだ。
 先日、南スーダンから戻ってきた、自衛隊の部隊を見て思った。60年代後半の運動がなかったら、自衛隊は戦時下のベトナムに派兵されていた。
 私たちの小さな声は、決して無駄にならない。

 3 「暴力」
 表現行為は「暴力」にほかならない。
 小説が出される。評価もされれば、反論もされる。すべては「暴力」で、避けられない。このことに何らかの公的な規制がされる、つまり、
「暴力はやめなさいという『暴力』」
が行使されることに、表現者たちは危機を覚えている。「表現の自由」とは、そういうことだ。
 日大闘争に対して、学生たちの暴力を排する、と叫んだ大学当局。あるいは新宿闘争に対して、暴力行為を許さないと、政府/警察とともに弾劾(だんがい)した日本共産党。しかし、暴力の対局には、やはり暴力があることを、これらの主義主張は回避したのだ。

 今年の4月に、オヤと思う事件があった。
「放射能検査」で女児の家に上がり込み、わいせつ行為を働いた男が、埼玉県警に逮捕される。男は「漫画を参考にした」と自供。県警はその後、このマンガ(『漫画アクション』らしい)の作者に申し入れをする。「自粛しなさい」という感じだったか。

 さて、この場合の「暴力」は四つある。
◇漫画を描くという行為
◇想像世界を現実にした行為
◇警察が「漫画」へ介入
そして、警察が介入しなかった四番目の「暴力」がある。
◇放射能のばらまき行為
である。警察は、
「もっとも許せないのは……」
というところを回避したのだ。当然なのだが。


 ☆☆
思い出します。1968年の10月21日、私は新宿に行かなかった。たまたまです。この日も電車の中には、いつも一緒にデモするヘルメット姿の仲間たちがいました。でも、あの日は新宿から四つほど離れた駅の予備校に行ったのです。帰りの電車は大幅に遅れました。でも私は、そのまま帰宅しました。帰宅するや、母が、
「新宿が大変なのよ」
と言ったのを覚えています。

 ☆☆
都議選、いよいよ告示ですねえ。小池知事にオーラのごとく発していた「覚悟」と「潔さ」が、霞んで見えるのが残念です。選挙民は正直です。勝利はするのでしょう、でも、結果はきちんと示されるのでしょうね。

    手賀沼です。もう少しで蓮もつぼみを出すでしょう

怒髪  実戦教師塾通信五百五十二号

2017-06-16 11:50:17 | ニュースの読み方
 怒髪(どはつ)
     ~諦める前に~



 ☆バカにするのもいい加減にせいよ☆
 前回の安保法案の時に比し抗議のボルテージが低いのは、私たちの怒りを諦めが上回っているせいなのでしょう。内閣への高い支持率も変わらないと見た政権は、まさにやりたい放題でした。
 今回、ホントは「福島からの報告」だったのですが、余りにもバカにするなよ的展開が続いたもので、いつも通りおさらいします。

◆1「冷静な解説」◆
なんだかニュース解説が腹立たしい。
「ごまかしの答弁がうまい」
だ? ごまかしを批判しているのか、うまさを評価しているのか、皮肉ってるつもりだろうが、解説者の妙な客観性/冷静さが腹立たしい。冷ややかに笑ってる場合か? アメリカメディアとの差にがっかりするばかりだ。
こんな週刊新潮の見出しに気がついただろうか。
「疑惑追及『女性記者』の身辺調査を指示した官邸の強権」
女性記者の食い下がる姿が報道された。この記者のことか? 記事がホントなら問題だが、記事そのものが、記者へのプレッシャーになっていることも間違いない。

 ◆2「元ヤンキー」◆
「省内の情報を外部に出せば『機密漏洩罪』に問われる」
こう発言したのは、ここんとこ「教育勅語奨励」発言で、自分の薄くなった髪と影とに決別する気?の「元ヤンキー」である。
文科省の、おそらくは勇気ある発言をした現役役人(前川氏も入れよう)への牽制球なのか、と追求されると、
「一般論として言っただけ」
と逃げる。こんな嫌がらせをする奴が、
「いじめ撲滅」
なんて言ってる。このタイミングで言っといて何が「一般論」だ。文科省内でどんな動揺が起こるか当然分かってる。いや、それをねらってる。野党も、
「恫喝(どうかつ:おどすこと)する気か!」
と、速攻で反応しないといけないが、そんな力はない。つまり、勇気ある人たちを守れるのは、こういう連中ではないということだ。
さてここで、
「堂々とすればいい」
という考えが、「共謀罪」へのシンパシーたちのものであることを再確認しておこう。非力なものは力を恐れる。当然だ。なかなか「堂々と」出来ないのだ。「堂々とすればいい」は、力あるものの「側」の言葉だ。
ついでにもうひと言。その昔「ヤンキー」で露出したのに便乗し、こいつは客寄せとして国会議員に担(かつ)ぎだされた。そして今、「様子見/偵察」なる仕事を請け負い、球を投げたり花火をあげたりしているわけだ。
福島でも政権の「担ぎ屋」に成り下がっているものもいるが、どっこい担がれてなるものかと、自分の場所にしっかり足を踏みしめている方々も多いのだ。「元ヤン」はあの人たちの爪の垢を煎じて飲むがいい。
付け足し。そう言えばこの人の髪、なんか増えてません?

 ◆3「出前一丁!」◆
一体これほどやりたい放題のこじつけ論&会見を目の当たりにするとは。唖然呆然なのだ。

◇怪文書を相手にする暇はない→風俗店行ってる奴の発言だ
 →調べたが確認できなかった→文書と同姓同名の人物はいた
 →文科省の問題で内閣府の問題ではない→再調査するが文書の存否と文書内容は別。 等々

前に自分が何と言ったか恥じることもなく、発言は先へ進むばかりだ。しかも野党も「その先」に頭が行ってる。
「へい、モリ一丁! カケ一丁!」
って、そば屋ではないんだ。
昨日、官房長官の菅は、
「怪文書なる言葉は、信憑性が不明という意味。『怪文書』という言葉が一人歩きした」
なんて開き直った。そして、文科相の開き直りは、
「文書は確認できたが、前の調査法が間違っていたわけではない」
だった。

 4「自民党が崩壊している東京」
東京を見れば、国民が自民党を支持しているわけではないのが分かる。「解決力」「透明性」が問われている。そこに信頼が置ければ、人々はリーダーとしてその人に任せるのだ。小池知事は、立候補の時点で「ひとり」だった。しかしその後、長年の都議会自民党との共闘から、公明党が離脱、民進党がドミノで崩れた。
記者会見で全く迫力のない野党。ホントに怒ってる?と思うのは私だけではあるまい。昨日のレンホーさん、顔つきも言葉も死んでるよ。
「『結果として』隠蔽していたことになる」
だって? なにやってんだか。「恥を知りなさい」とか言えないのかね、民進党ドミノ止まらないよ、ホント。
それと、首相の安倍が再三、
「旧民主党のやったことだ」
と詭弁を弄(ろう)しているが、その反論も情けないくらい迫力を欠いている。私はそのうち、
「『原発は完全にコントロール下にある』と初めに言ったのは私ではない。民主党政権時代の野田首相だ」
と、首相が言うんではないかと興味を持っている。2011年12月16日の、
「原発事故収束宣言」
を出した当時の首相野田は、相変わらず歯切れが悪い。



 ☆☆
チャーハン食べながらニュース見てたら、美味しさも分からず食べ終わってました。まったく、あ~あですね。豊洲の折衷案も……て感じかな。「進行した公共事業がゼロに」という話は、提示されただけでも意味はあったと思いますが……夢の話だったか。
ホント、いいニュースはないのかって。

   少し気分を変えて。すっかり蓮の生い茂った手賀沼です。

パンダ? う~ん、興味ないんですよね~。マー君いまいちだし。則本負けたし。イチローが復調の兆しあり、か。そうだ! 藤井君がいました! 26連勝! いやあ、いいニュースです。

     
      じゃあ、もう一枚。久しぶりにこのアングルで。

市内陸上競技大会  実戦教師塾通信五百五十一号

2017-06-09 11:48:11 | 子ども/学校
 市内陸上競技大会
     ~8年ぶりの同窓会~

 ☆
クラス会報告を本文で書くのは初めて。理由はあります。


 ☆プロローグ☆
 幹事のいつもの気配りのおかげで、「小学校!のクラス」&52歳という高齢に関わらず、今回も20人を越える参加でした。

   集合写真。最前列の老人が私です。なにげに写ってる人も。

 40年ぶりの顔見せ、文武両道、すべてにわたってトップに君臨した天才少女は、この日のために3キロの減量をしたという。6年生当時、全世界の首都を言い当てたこの「女史」、40年後にトルクメニスタン、タジキスタンの首都を問われ、
「あの頃は全部ソビエト(現ロシア)だったのよ」
と、相変わらずの堂々。
 仙台在住のたまドンは、千葉のサンマ(魚ではなくあだ名)と仕事の取引先で、ある日遭遇。会議の後に、
「(会議で)サンマと言うな」
「そっちこそ、たまドンと言うな」
ともに不満をもらしつつも、お互い本名が定かでなかったとか。
 テロの煽りでリストラを食らったもの。またあるものは、親の病気や介護。また、ウサギとの同居あれど、未だ女性との同居を経験せずという男は、方や夫に先立たれ、子どものない美人の同級生がいることを、まさにこの日認知し心揺れ、二次会で告白……ってないなぁ。
 最近開いた40年前の卒業サイン帳。私からのメッセージを読んで、
「私、ちっとも変わってなくて」
と思ったという、そんな女子たちの間で交わされる、カロリー対策&サプリメントの数々。
 五十路のキャリアや立ち位置が、宴会場に行き交う。

 ☆エピソード 1 「30年目の時効」☆
 30年前の話だ。近所のそば屋さんでバイトをしていたやつの話。同じくバイトで来てたかわいい女子高生が、ある日店に、
「家まで出前を」
の電話。その家まで二人前のそばを持って行くと、出迎えたのは、その子と、満々と笑みをたたえた同級生の野郎。
 狐につままれたような不愉快な気持ちのまま、同じシフトの日、店で彼女に尋ねた。
「あいつとはどういう関係?」
笑って彼女は、
「仲いいですよ」
と言った。
 さあそんなわけで、52歳の仲間たちは大変だ。現在のそいつの奥さんは4歳年下。では高校生はいくつ年下だったんだ、猛烈な追求。
「彼女は昭和○○年生まれで……」
と、しどろもどろの言い訳に、
「変な言い方はいい! いくつ年下だと聞いてる!」
6つ、というそいつの回答に、飛び交う罵声。今なら52歳と46歳で人畜無害なるも、当時は22歳なら相手は16歳。許せん!
 30年後の復讐に燃える、そば屋のバイト君は、
「金を払ったのはこいつでした」
と、犯人を指さすのだった。

 ☆エピソード 2 「仕方がなかった」☆
 この話は、ここで初めてではない。二度目、いや三度目かも知れない。でも思い出すたび、私になにかを教える。
 小学校で私の担当した陸上部は、6年生最後の大会を目前にしていた。ボール遠投の選手選考。ひとりは50mを楽々と超えていたので、決まっていた。いや、もうひとりも実績は40m後半というものの、練習姿勢申し分なく、私の中で決まっていた。しかし、秋の転校生で、陸上部に入ったやつの、
「お願いですから、一度投げさしてください」
という、執念とも思える申し出を受け入れた私、そして立ち会った部員は驚愕した。そいつは軽々と60m付近までボールを飛ばしたのだ。
 二日間、迷ったあげくの選手変更。
「仕方がなかった」
そいつの2年間毎朝毎夕の努力を無にした。一体オレは何をやってるんだ。二日間、選手と決めていたそいつの表情を読み取ろうともした。何年かして、いや何十年たっても、そいつとなぜ話し合わなかったのかとか、話し合えば余計にそいつを苦しめたんではないかとか、大会での成績を、結局オレは選んだのだとか……。また、卒業間際の、
「選手発表の日、どうやって家までたどり着いたのか」
教えてくれたそいつの話。いつも同じ場所をぐるぐる回った。
 つい最近のことである。苦い思いをしたそいつが言ったのだ。先生、あれで良かったんです、と。出してもらったら、きっと余計いやな思いをしたと言う。
(1)自分は成績が評価されて選ばれていない
(2)間違いなく、大会で結果を残せていない
(3)そのことを周囲が許しても、自分は我慢できない
(4)それらが、もっと屈辱をもたらしたと思う
というものだった。
 三人目の選手で良かったんではないか、という宴会場の声に、いや、選手枠は二人だったと、そいつは即答した。覚えているのだ。そして、先生、とその声は続けた。
「あの時あの二人は、大会遠投部門でワンツーを獲ったんですよね」
覚えているのだった。

私はまた考える。
「仕方がなかった」
とはどういうことなのだろう。この場合、少なくとも私が言うセリフではなかった。
 このケースは「良かった」という形を迎えた。このように積極的な変容がなければ、おそらく「仕方がなかった」ことは、いつまでもそのままだ。そしてそれは言い訳だ。
「仕方がなかった」
ことの答は、きっとなかなか見つからない。不幸を見舞った本人に、それを繕(つくろ)う幸福が訪れる時が「解決」の機会なのだろうか。しかし、時間のかかる作業だ。焦ってはいけない、でも諦めたらだめだぞ、とそんなことを思ったのだった。

 宴会は3次会、明け方まで続いたという。「年寄りはお先に」と引き上げた私の心は、みんなの笑顔に囲まれていました。


 ☆☆
最後の運動会のことも話題に。大接戦の選抜学級対抗リレーでバトンを落としたやつも、やはりそのことを鮮明に覚えてました。不動産の会社を立ち上げたそうです。ここで問題です。この写真の中に、不動産関係者は何人いるでしょうか。

そしてありがたい、みんなからの贈り物。お酒は宮城の「浦霞」、そして千葉県流山のおかきです。




   締めに、今の時期よく見られる手賀沼の風景です。

共謀罪(下)  実戦教師塾通信五百五十号

2017-06-02 11:22:15 | 戦後/昭和
 共謀罪(下)
     ~「いざとなったら誰にでも使える」~


 ☆
政府はオウム事件を取り上げていたんですね。ずいぶんと野党の対  応が遅れたということなのでしょう。野党側に忘れて欲しくないの  は「テロへの恐怖を煽るな」ではダメだ、ということです。
  「煽るな」のついでに言いますが、総理安倍の平和憲法への言及に  対し、「北朝鮮のミサイルを利用した煽り」などという追求、まっ  たくの片手落ち、野党の無能を露呈してます。
  北朝鮮、そしてトランプも、日本は「自衛」について考えないとい  けないと促しているように、私には思えてしまいます。

 1 監視はゆるいのか
「テロリストは野放しになってる」
「現状のままでいいのか」
来たよ、という感じの前回「共謀罪(上)」へのもの申しである。野放しになどなってない。だから中核派の活動家も、動けないままに捕まる。彼らのような非合法を核心とするレベルへの取り締まりは、とてつもなく厳しい。野放しなんかじゃないぞ。
(1)尾行 肩を並べて歩くこと
(2)盗聴 話す電話口(携帯も固定もだ)に耳をつけること
(3)張り込み 部屋に一緒に寝ること
もうこうなると、公安警察も同居人である。これらの非合法活動家のもとに、トイレットペーパーに字があぶり出しで文書が届くという。読んだらトイレやお風呂に流す。緊急時は食べてしまうんだとか。
 そんな中での取り締まりが、人権侵害だと問題になることはなかったと思える。多分は、すでに存在する「爆発物等取締罰則」が対応していて、そこでは笑い事ではないようなことが起こっている。どんな状況の中でどんな非合法活動をどう継続していたのか、私は知らないし知りたいとも思わない。ただ、闇の中でこんなことがずっと今も繰り返されている。前回同様言うが、私はテロに絶対反対である。しかし、ここで考えないといけない。
「『共謀罪』がないと、防げない犯罪とはなにか」
本当はオウムも摘発できた。私はそう書いた。私たちは「共謀罪」を何も分かっていない。
 あとで繰り返すが、
「いざとなったら誰にでも使える」
今回の「共謀罪」においても、おそらくそこが大切で、問題なのだ。

 2 「共謀罪」のすそ野
「悪いことをしていない人間は『共謀罪』と関係がない」
「悪いことをしていないなら、堂々とすればいい」
こんな考えが、共謀罪を承認している。こういう連中は、世の中や身の回りに不満を持ったことがない。あるいは不満を持ったところで、それを胸にしまい込む。そして、そのことを「大人の自覚」などと言ったりする。疑問や不満を行動に移すと「不安」が発生することを、こういう連中は知らない。

たとえばデモをする。写真はシールズのデモだ。年配の方たちが多いが、ご存じの通りシールズは、若者のデモである。彼らの胸中にどんな思いが去来すると思う?
「お母さんが心配するかも知れない」
「テレビに映ったら、彼氏がなんて言うかな」
そして実際、家やデート先でケンカになる。堂々と出来ない理由は様々だ。すると、
「家族やパートナーを説得も出来ないのか」
などと無責任な追い打ちがかかる。話し合っている人もいれば、「揉(も)め事」を避けたい人もいる。それらをこの連中は分かってない。しょうもない放言が、ネットやツイートで拡散する。そして「噂」という力を持つ。なんだったらそれを、出所不明な「怪文書」と言い換えてもいい。そして私たちは、これらを「相手にする必要なし」と言えるほど余裕がない。私たちは非力だからこそ、デモに訴える。「相手にしなければ、そのうち消えるさ」というアドバンテージを、私たちは持っていないのだ。
 表に出た人々を「堂々と」非難する連中が「匿名」であること、そして「周囲に同調する」ことを本懐としてきた若者の多くが、この流れにいる。本当はこれらが「共謀罪」の広いすそ野を作っている。

 3 「破防法」
「堂々とすればいい」
で思い出します。私たち、いや我々と言った方がいいかな。我々の時代にもこの言葉が結構流通した。覆面とヘルメットのことだ。

 60年代後半~70年代前半の私たちは、別件逮捕と任意同行が日常茶飯だった。「火炎瓶立法」は72年施行だが、「破防法(破壊活動防止法)」施行は1952年。終戦直後の共産党武装闘争路線への対策である。60年代後半、この「破防法」がちらつき出した。国会でだったか、
「タオルと棒を持ったもの4、5人で逮捕」
なんていうのが議論される。私たちは、
「じゃ、草野球の帰りに銭湯へ寄ったら逮捕かよ」
みたいに笑ったものだが、実際それで逮捕された例もあった。
「いざとなったら誰にでも使える」
それが肝心なことだった。


 ☆☆
本当は、京大全共闘のドキュメント『パルチザン前史』まで言及したかったのですが、無理でした。この映画、ダイレクトメール便のカタログに載ってて、びっくりして買っちゃいました。これ、売れたんじゃないかなあ。またそのうち機会を見つけて書こうと思います。


 ☆☆
あと書かないといけないのは、茨城県取手の事件ですね。一昨日、NHKニュースウォッチ9のトップニュースでした。ご両親の、
「謝って来いと言われて出向いたのか」
と、顔で語っている姿が、切なかった。

 ☆☆
そんな話のあとに恐縮ですが、インディレースの最高峰インディ500で、佐藤琢磨優勝しました。嬉しいです。多分、琢磨を書くのは二度目かと。お父さん、喜んでいることでしょう。

     今年も手賀沼に蓮の季節がやって来ました

 ☆☆
明日は五十路になった教え子たちのクラス会です。さて、屋代課長は来るのかな。