実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

夢と目標 実戦教師塾通信九百二号

2024-03-01 11:48:29 | 子ども/学校

夢と目標

 ~育てる・育つ~

 

 ☆初めに☆

いやぁ、春が来たって感じです。オオタニさん、打ってしまう、打っちゃうんですねえ。ホームラン🥎 まだオープン戦だというのに、日本はもちろん、あちこちで気もそぞろの状態なんで……。オオタニさんを中心とする熱狂は、被災地まで元気を送っていると聞きます。みんな自分で分からないうちに、元気になってる。不思議です。

立てるな、やれ、立ててどこが悪いと、ずい分な論争となった京大の立て看も、こんな感じで復活を遂げたようです。「憧れているようでは落ちるぞ」というのか、もっと意味深なのか。WBC決勝戦前のオオタニ発言は、こんな所にも登場してるわけです。今回は、オオタニさんの言葉を取っ掛かりに、私たちの場所を考えてみようと思います。

 1 教員の言葉

 前も言ったと思うが、プロの選手が良く言う「皆さんに夢・希望を与えたい」とか、大谷選手は絶対言わない。「僕が打ったり投げたりすることで、皆さんが喜んでくれたり感動してくれるなら、それは嬉しく思います」と言うのだ。かなり遠回しとも言えるこの言い方は、相当な注意を払っている。一回ぐらい「普通の」言い方をするのではないかと耳をこらすのだが、それがない。自分が野球をするのは「人のためではない」と考えていないと、こうはならない。誤解を恐れつつ言えば、大谷選手は「好き勝手にやっている」だけなのだ。東日本大震災の時も、今回の能登半島地震でも、スポーツ選手の「被災地の皆さんに勇気と希望を与えたい」という激励をずい分聞いた。杉良太郎と伍代夏子夫婦は違ってたんだな、と報道を見て思った。東日本大震災の時からずっと見ていたが、ずい分寂しい思いもしただろうなとも思った。東日本大震災の年、田中マー君が東北の被災地を訪れて「『帰れ』って言われると思った」と人目もはばからず泣いたことや、嶋の「見せましょう、東北の力を!」も思い出す。彼らはこんなにも被災者のそばにいた。しかし、「被災地の皆さんに勇気と希望を与えたい」は違う。ここには「そばにいる」ことの「困難さ」が、微塵も感じられない。そして、自分が「与える」存在であることを全く疑ってない。元気な自分が、苦しんでいる人たちに元気を与えられたら嬉しいという。まさか、被災地に行って自分が元気をもらおうとは思わなかった、という多くの人たちの感想を噛みしめるべきだろう。こういう善意のもとに、一方的に送りこまれるものを「教員の言葉」という。相手をよく見ないうちに「与える」言葉がアドバイスだという勘違いを、多くの教員が犯すからだ。

 2 生活の言葉

 私たちは書く・読む前に、話す・聴くことをしている。人類史としてもそうだが、生活の基本・根底だ。そして、ふたつの行為の間や前後に、私たちは「考える」という行為を行っている。これが疎かになっている昨今だなぁと、オオタニさんを見ていて思う。私たちは何かを書く時は、話す時より「よそ行き」になっている。こん畜生とかクソ死ねと書くことは、そんなにないからだ。つまり、話し言葉は書き言葉より、ずっと豊富だとも言える。とっさに出て来るものはネイティブや方言であって、学んで得た「よそ行き」はそれに及ばない。国民的レベルの「〇〇させていただきます」や、政治家どもや経営者の「多大なご心配とご迷惑」等々の決まり切ったセリフに対し、「毎日」の「生活」の言葉が自信を持って進むためには、私たちの「考える」が、登場願わないといけない。しかしこれは、子どもたちの生活を見ていれば、そんなに難しいことではない。小さい子どもたちは、大人たちが語るたくさんの言葉に囲まれて漫然としているわけではない。おばあちゃんたちや、一定のお母さんによっても「この子はちゃんと分かってるのよ」などと言うのがそれである。そんなはずはないと侮(あなど)っている大人を、いつの間にこんなこと(or言葉)を覚えたものかと、子どもたちはびっくりさせる。私自身の経験でも、我が子が「字」に興味を示さないことが不安になり、入学前に少しでもと『あいうえ王様』なる絵本を買うなんぞということがあったことを、だいぶ前に書いたと思う。しかしある日、すべてを読んでいる。「たった一日で」というのが実は勘違いで、子どもにはそれを「知る」ことと、それを「使う」必要は別な場所にある。大人はその子どもの事情を知らないだけだ。よくいう「馬を水辺まで連れて行くことが出来ても、馬に水を飲ませることは出来ない。それは馬が決めることだからだ」に言い換えてもいい。

 オオタニさんが、記者から「子どもたちに夢を持って欲しいと思いますか」と聞かれた。

「僕が野球をしている姿を見て、子どもたちが野球をしたいと思ってくれたら嬉しいです」

この答えのどこにも、夢を与えたいとか目標は大事だ、というメッセージは見当たらない。子どもたちの「したいと思う」気持ちは「育つ」ものであって、強引に導き出す(育てる)ものではない、とでも言っているかのようだ。

 

 ☆後記☆

3月になりました。いよいよ新しい生活へ、秒読みです。学校に行くと、あちこちで「3年生/6年生を送る会」の練習、やってました。グレイの「卒業まで、あと少し」が、頭の中で始まります。♬~汗を吸ったグランドの上~♬

私たち「うさぎとカメ」でも、お祝いのお赤飯です。人気メニューのから揚げを添えます。おめでとう!です

我が家でも梅がほころんで来ました。春です🌺

 ☆☆

昨日から福島にいます。3ヵ月ぶりです🦢


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1 コメント

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Unknown (琴寄)
2024-03-01 12:51:17
出先なのでパソコンがなくて、スマホでコメント欄に投稿。いやぁ驚きました❢❢ オオタニさん、結婚も特大ホームラン⚾なんですね~
すごい☀️ おめでとう🎊
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