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実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

大川小学校裁判(補) 実戦教師塾通信五百二十三号

2016-11-25 11:37:38 | 子ども/学校
 大川小学校裁判(補)
     ~学校的対応は続く~


 1 『福島民友』では

 横浜の学校でのいじめが、明らかになっている。福島から自主避難してきた子どもへのいじめだ。私は初めに言いたい。「福島」を理由としたいじめが許されないのではない。おそらくこの子は、「格好(かっこう)の標的」として設定された。その部分を私たちは許せないでいる。しかし、「ひとりでいる」から、あるいは「太っている」からという理由ならいいというわけではない。当たり前だ。自身の不満/ストレスの原因らしきものを見つけ出し、誰かを餌食(えじき)にする卑劣さに、グレードなどないのだ。

 この事件の詳細が報道されるのは、朝日新聞では11月16日。しかし一週間逆上った『福島民友』の見出しには、
「本県避難生徒にいじめ」
とある。このタイムラグの原因を、言うところの「他人ごと」と、私たちは呼んでいるはずだ。
 転校した2年生の時、子どもたちが、この子を「菌」と呼んだ行為は、まだ「他愛のない」段階だったはずだ。打つ手もチャンスも、いっぱいあった。しかし、3年生で不登校になった事実が、その手やチャンスを使わなかったことを示している。5年生に始まる「ゆすり」は、二年間で総額150万円に及ぶという。10人前後のゲーム・食事代として、一回5~10万円を使った。

 2 そばにいた大人の責任
 報道されたことを、本当のこととして検証して見よう。
 加害児童らとゲームセンターに行くようになったのは、5年生の5月。この子が、何度か不登校になったあとの出来事である。その月の終わり頃に、複数の保護者が、金品のやり取りのあることを心配し、学校に連絡している。加害児童の身近にいる保護者と思われる。被害児童は孤立していたからだ。もしかしたら、加害児童の保護者かもしれない。
 学校は、加害児童に事情を聞くが、
「合意があった」
と答えたため、いじめにはあたらないと判断。信じがたいことだが、被害児童には聴取しなかったという。
 小3の時の不登校以来、被害児童はカウンセリングを受けるが、「個人情報の守秘義務」を理由に、その内容を学校に伝えなかった、とある(朝日11月19日)。カウンセラーが被害児童に、
「これは学校/親に言わないといけないよ」
と、被害児童を説得したかどうか、また、学校がカウンセラー/市教委に、
「なんと言っているか教えてくれないか」
と問い合わせたのかどうか、また第三者委員会がその部分を検証したのか、いずれも報道されていない。
 第三者委員会の結論は、
「学校との情報が共有されなかった」
ということのようだ。私に言わせれば、これは正確さを欠いた言い方だ。
「誰も『一体どうなっているのか』と、声をあげなかった」
のだ。複数の保護者以外の誰もが、だ。被害児童の保護者の対応も遅れるが、私は、これこそが「福島からの避難」が理由であるように思えて仕方がない。私たちにとって事件の唯一の救いは、

「でも、しんさいでいっぱい死んだから、いきるときめた」

という、この子の言葉だ。与えられたこの手がかりは、手放してはいけない。

 学校がたどるいつもの道筋は、
① 信じられない気持ちで、何も出来ない
② 出来れば「おおごとであって/なって欲しくない」と思う
③ その結果、必要な確認作業を怠(おこた)る
大きく言ってこんなものだ。
 大川小学校の悲惨な事件は、まさにこんな道筋で起こった。

 3 「いざという時」
 前号で言ったが、大川小学校裁判に触れたブログへの反応が、あんまりよろしくなかった。
「想定外の自然災害だったのだ」
また、宮城県知事の申すごとく、
「命をかけた教師への断罪はいかがなものか」
というものがいくつか。しかし、一番多く、かつ気になったのは、
「迂闊(うかつ)に安易なことは言えない」
というものだ。
 しかし、これこそがあの日、大川小学校の校庭を、いや、当事者を支配した気持ちだった。そして今も、あの時のように時間だけが過ぎていく。時間が過ぎた後に、とりわけ私たち当事者でないものには、
「仕方がなかった」
気持ちだけが残っていくのは、間違いないことのように思う。

 新北上川大橋近くの三角地帯まで(200mだ)走って見て来いと、さっさと誰かに指示すれば良かった。橋のたもとから海の様子を確認することは出来た。真っ黒い波の突端が、彼方に見えたはずだ。
 私が震災直後、いわきで津波を免(まぬが)れた人たちから聞いた話は、みんなそうだった。「防災無線が聞こえなかった」みんなは、ラジオと消防の人たちの呼びかけで動いた。ほとんどは「現場での判断」だった。しかし大川小学校の悲劇は起きた。

 私たち現場の人間が教訓とし、常日頃の心構えとすべきことを、大川小学校の悲劇は教える。

「普段に『いざという時』を回避するものは、ついに重要な『決断する時』を回避してしまう」

ことだ。


 ☆☆
先日録画したwixsiteのレクチャーが、アップされました。今回のブログの記事と少し重複します。また、今までの経過も振り返りました。一時間ほどですが、良かったら御視聴ください。
freejournal1.wixsite.com/kotoyorimasato

 ☆☆
楢葉の渡部さんの家から第二原発までは、一キロほどです。先日の地震で、第二原発の使用済み燃料プールの冷却が止まりました。これはニュースで知ったということでした。津波はそれほどではなかった、でも揺れがすごくて、息子の高校は休校になった、ということでした。

 ☆☆
驚きました。庭先の木蓮の葉が落ちて、こんなものが姿を現しました。

スズメバチの巣です!

 ☆☆
11月の雪は、54年ぶりだとか。私が中1の時以来ということです!

いまお邪魔している学校です。校舎の3階からの眺め、見事ですね。子どもたちが寒さも気にせず、窓全開で喜んでいました。

芋生産/牧場の明日  実戦教師塾通信五百二十二号

2016-11-18 11:25:50 | 福島からの報告
 芋生産/牧場の明日
     ~母屋の解体~


 1 出来ない部分的解体

「見てくかい?」
楢葉の渡部さんが、私に言った。
 この日は、環境省の職員が解体業者を伴って、渡部家の母屋を見に来る日だったのだ。知らずにいた私は、さっさとお暇(いとま)しようとしたが、渡部さんの意外なひと言に驚き、
「いいんですか?」
と喜んだ。建物の解体に、なぜ「環境省の職員」なのか、読者はお分かりですね。
 十人の職員と業者がひしめいていた。「書類があるかどうか」「前例があるかどうか」が大切な役所は、次々に「それは出来ない」と言った。

これは無事に解体を許可された裏手の木小屋。「解体」の黄色い張り紙が見える。立ち会い現場の様子を撮(と)るのは遠慮した。
しかし、渡部さんが、牛舎の瓦を撤去して欲しいと言ってもダメ。
「部分的な解体は前例がない」
ためだ。放射能で汚染されたものを撤去出来ないのはおかしい、と渡部さんが抗議する。再三の申し出に、
「持ち帰って検討しましょう」
となる。

柚子(ゆず)がたわわな木の向こうに見えるのは、牛舎の入り口だ。
 なぜ瓦が問題になるのか。以前、このブログで「化学雑巾」なるものを紹介したと思う。瓦の表面を拭(ふ)いて除染する雑巾だ。ところが、その作業をしたところ、本瓦(良質の土を焼いたもの)ではないコンクリートの屋根瓦が割れる、という事態があちこちで発生した。そのことがあって、屋根に登らない作業となり、瓦は軒先から手を伸ばせる五、六段しか拭かなくなった。
「それじゃ意味ないじゃないですか」
という私に、
「それでも、業者は足場まで組んでやるんだよ」
渡部さんの奥さんがあきれたように言うのだった。壁や屋根の工事で一番経費がかさむのは、足場を組むことだというのを、読者は知っているだろうか。そして今度は、撤去出来ないという話だ。
 母屋の中を見る段になる。しかし、書類がないので見ることが出来ない。出したはずだという渡部さんたちの話と、職員の話を合わせると、引き継いでいないということのようだ。業者と職員は、建物周辺を測り、基礎のコンクリートに線を引いて帰った。五台のワゴン車が引き上げる。業者のナンバーは「佐賀」だった。

 2 さつま芋の効用
 前に報告したが、渡部さんの畑で芋を作り始めることになった。茨城を拠点とするさつま芋の加工会社が、役所を通して声をかけてきた。初めは農協を通してだったが、交渉の過程で険悪になった。
「泥を落として出荷して欲しい」
という、相手側の要望がきっかけだった。(さつま)芋は、品質保全の為、泥をつけたまま出荷するのが、通常の原則なのだ。農協が、
「楢葉の土が汚れているとでも言うのか」
と怒ったのは当然と言える。
 すると今度、相手は役所を通して交渉してきた。もちろん、「泥はそのまま」で、という話だ。どうしてもさつま芋が欲しいのである。渡部さんは考えて、この話を受けることにした。読者は分かってるはずだが、楢葉では米の本格生産と販売を始めたし、きのこと山菜を除く農作物から、放射線は不検出となっている。あくまで試験段階だが、芋の生産/販売の話が始まるのだ。
 覚えているだろうか。作物は放射能のセシウムを、肥料と勘違いして吸収する。そうならないように、楢葉の畑には大量のカリウムが撒(ま)かれている。これはこれで、異常な土質と言える。そのカリウムを吸収するのは、やはり作物なのだ。しかし、さつま芋は光合成で、つまり日光で自分を作っていく。地面からの栄養を必要とするのは、初期の段階だけらしい。つまり地面のカリウムは、葉を作るために使われる。芋が出来ると地面のカリウムも減少している算段だ。
 これを何年か繰り返すと、地面が元通りのバランスを取り戻し、いよいよ牧草用に使用できる。いいこと尽くしのこの話を、私は感心するばかりだ。ようやく渡部さんが動き始める。そう言えばこのところ、昼間から酒を飲む渡部さんの姿を、私は見ていない。しかし奥さんは、まだ信用しかねるような顔で、この芋の話を聞くのだった。


 渡部さんの離れに出来たみかんと母屋のゆず。もらっちゃいました。
「覚悟して食べてくださいよ」
という奥さんの言葉に、
「なに言ってんだ、オマエ」
と、渡部さんは心外な顔をした。
「だって、ものすごい酸っぱいんですよ」
と、奥さんは笑った。

 3 トオルさんによろしく
「娘が、自分だけ(仲村トオルに)会えなかった、と残念がってました」
「虎屋の羊羹、みんなでおいしくいただきました」
奥さんが嬉しそうに、夏の「暑中見舞い」のお礼を言った。「銀座でとれた蜂蜜」は、まだ手をつけていないそうだ。
「舞台の方、頑張ってくださいとお伝えください」
と、奥さんは続ける。
「なんだ、舞台もやってんのか」
渡部さんは知らなかったらしい。
「やってんなら、東京まで観にいくか」
本気らしい二人の会話が盛り上がる。
「このレンガをピザの窯(かま)にしてよ」
「ピザ食べに来てもらうか」
母屋のレンガのお風呂、それを解体したあとの話は、
「冗談だよ」
と言う二人の顔は崩(くず)れっぱなしだった。


 ☆☆
大川小学校裁判の判決に対し、市議会が控訴を議決しました。先日の当ブログに対しての、多くの「あんまりよろしくない」反応も含め、今、流れは良くない。補足するつもりです。昨日、ウェブの録画録りがあったのですが、そこでも取り上げました。


 福島は会津の銘酒『天明』です。おろしたてですよ。嬉しい!

技術ではなく(6)  実戦教師塾通信五百二十一号

2016-11-11 11:40:50 | 子ども/学校
 技術ではなく(6)
     ~「教師」のレンジ/「大人」のレンジ~


 1 出世魚

 スーパー見学、というイベントがありました。子どもたちが暮らす、すぐ近くのスーパーです。店員の人たちから説明を受けながらメモをとり、最後は家の人から頼まれた買い物をする、というものでした。醤油やソースを買う子どもたちは、家で愛用している品々を忘れてません。真剣な眼差しに感心した次第です。
 さて、子どもたちが学校に戻り、教室でメモの整理をしていた時のことです。ある子が私に聞いて来ました。
「センセイ、出世魚のぶりの前はなんだっけ」
ハッとしました。
 魚を処理する店員さんが、子どもたちにぶりを見せて、出世魚の話をしたのです。私はぶりの出世の順を、
  ハマチ →「かんぱち」→ ぶり
とばかり思っていました。ところが、店員さんは別な名前の魚の名前を言ったのです。
「真ん中に違う魚が出てきた」
私は結構なパニックとなりました。そして、私が思うところの「かんぱち」とは違う、別の魚の名前は、頭に記憶されなかった。
 そうなんだ、この男も出世魚を聞き逃したか、そして知りたいのか、私はそう思いました。すぐに職員室に行き、パソコンで調べたのです。でもよく分からなかった。かんぱちとぶりとは違うとか、関東や関西では呼び方の違いがあるとか、私の頭は混乱していました。しかし、店員さんの語感を思い出すと、「かんぱち」の場所に来るのは「ワラサ」のような気がしました。

 2 たまたまの出来事
 私は後になって少し考えてしまった。つまり「ワラサ」の方でなく、生徒への処し方に、である。私は、
「なんだ、オマエは店員さんの話を聞いてなかったのか」
と言わなかったし、
「忘れた/聞き落としたなら自分で調べなさい」
とも言わなかった。言ってみれば、この子の過失をスルーし、自分で調べさせることもなかった。
 私がこんなどうでもいいと思えることに引っかかったのは、この子のふだんが、「不注意」を見せていたからだった。まんまと相手の策略にはまったか、とまで思った読者もいるかもしれない。でも私は、気分のよさを感じていた。おそらく、彼が「うっかり聞き逃した」顔をしていたからだ。いつもの「不注意」の顔ではなかった。「うっかり」を感知した彼の顔は、私の「かんぱちではなかった」衝撃(しょうげき)と出会った。調べて欲しい、と言われたわけでもない私の体が、勝手に動いた。
 つぼにはまるというのだろうか、私は彼との間に道が開けた、と思ったのである。

 3 もっと「自然」に
 このブログの読者の多くは、多分教員ではない。だから多くは、何をぐだぐだ言ってると思うかもしれない。しかし、私たちは常に「子ども/生徒のため」という道から、なかなか自由になれない。たとえば私たちは、
「『静かに』という注意は、子どもたちが自身ですべきだ」
と思う。実はこれが、子どもには不要な、あるいは無理な作業と思える。
愉快な時、ノってる時、子どもたちはうるさく、いや、にぎやかになる。この時もちろん「静かに!」は不要だ。しかし、このにぎやかさは、ついつい別な道を見いだし、紛(まぎ)れもないうるささにと変化する。そのポイントを指摘するのは、子どもにはなかなか難しい。子どもが注意して、教室が妙にとげとげしくなることがあるのは、その辺の事情を物語る。ついでながら言っとくと、ことが中学校ともなれば、この、
「静かにして!」
なる注意は、授業者のプライドを大きく傷つける、ことが多い。面白いものだ。
 私はよく、
「『うるさい』と言ってるやつがうるさい」
なる注意をするが、「静かさ」をめぐるややこしいメカニズムに、こんな言葉が機能するのも、同じ理由からだ。
 また、教室が荒れている時、それを子どもが沈める、というのは無理で無責任な話だ。やはり「子ども自身がコントロールする」とは、一方的な押し付けではないのかと考えるのは、大人の「責任」と思える。そんなわけで、

「子どもの成長を促すことと、大人の責任を果たすことの分かれ目」

には、結構ややこしいものが横たわっている。

 まとめよう。子どもたちの「たまたま」な出来事すべてに、私たちが気づかないといけない、とは言ってない。また、「成長の促し」と「大人の責任」を常に識別しないといけないとも言ってない。それらには必ず、私たちが「気づく」「識別する」機会が訪れる。それを私たちは「運」と言ったり「縁」と言ったりしている。そんなものなのだ。「運」も「縁」も、私たちにはどうしようもないという側面を持つ。
 もっと自然でいい、私たちはそう思った方がいい。


 ☆☆
いやあ、トランプ勝ちました。驚きですねえ、今はこれぐらいしか言えないという出来事ですね。


  前号で触れた、私の新しい愛車です。よく見えないけど、24段変速!

 ☆☆
これは、敬愛する茨城の先輩が慈しむように手がけた柿。送っていただきました。先輩が言うには、
「柿が赤くなると、医者が青くなる」
んだとか。


      最後にイチロー!  です。嬉しい。


大川小学校裁判  実戦教師塾通信五百二十号

2016-11-04 12:50:13 | 子ども/学校
 大川小学校裁判
     ~「学校的事故」の典型~


 1 「みんな被害者」?

 つい先日、学校関係者でも福島関係者でもない集まりでのことだった。たまたまなのだが、そこに東電の社員の方がいて、話が原発事故当時の話になった。すると、
「原発事故は、被災者はもちろんだが、東電の社員も被害者だ」
と、周囲がサポートするのだ。私はあわてて、現場の大変さを承認しつつ、
「事故当時の本社の在り方は問われないといけない」
そして、
「ものは必ず壊(こわ)れる。それが壊れた時、手の施(ほどこ)しようもないものを使う間違いを、原発事故は教えてくれた」
とだけ言った。原発が話題になるような集まりではないので、遠慮がちにだった。しかし、ここはスルー出来ない。
 私は、誰かが傷つくのは良くない、犯人探しのような行為はよくないという発想とは違う作業を「検証」というのだ、と改めて思った。

 2 マック訴訟
 大川小学校裁判の判決をめぐって、
「日本が訴訟(そしょう)社会になる」
そして、何かあるたびに繰り返されてきた、
「学校/自治体は、学校事故専任の弁護士を設置すべきだ」
なる声が、ネットで広がった。
 だいぶ前のことだが、
「自分が太って不健康になったのはマクドナルドのせいだ」
と訴えた裁判が、かの国で起こされた。日本も同じような状況を呈している、とこの連中が思ったのだろう。
 この連中(多くが現場の教員だと思うが)は、学校事故裁判の数々を「不当」だと思っている。
「こっちこそ被害者だ」
なる鬱憤(うっぷん)を抱えている。しかし、学校を訴えるにあたって、原告のほとんどは言いようのない「憤(いきどお)り」「無念」を抱えている。そのことを、この連中は知らない。今回の大川小学校の事故に対しても、大した追跡をしていないのは間違いないのだ。想定外の津波と「(大川小学校の)教員の頑張り」を思い、
「先生だって遺族(被害者)だ」
という「印象」を言っているだけだ。こういう連中は「検証」という作業が出来ない。

 当ブログでも大川小学校のことを取り上げた。かなりの量になると思う。改めて事件を振り返って見たが、今まで学校で起こった「いじめ事件」への学校の対応と、この事件が酷似していることに驚くばかりだ。
 当事者ではないが、言いたいことは山ほどある。しかし今は、端的に、を心がけよう。

 3 「本当のことを言って欲しい」!
 報道されて読者もすでに知っていると思われること、当ブログですでに報告したことはできる限り省略した。私が書き落としたこと、そして新たに分かったことを中心とする。

 事故直後の遺族の「驚き」の「なぜ?」は、次第に「憤(いきどお)り」の「なぜ?」変化した。

① 事故直後の学校/市当局の不誠実
・震災の4日後、生き残った教師が、校長にメールで状況報告。これを校長は削除。
・16日、校長は「引き渡し中に津波」「油断」と市教委に報告。一年以上が過ぎて公開。
・29日、生存児童だけの登校日。遺族は報道で知る。
・生存した教師の手紙が、発送(6月)から遅れて、翌年公開されるが、遅れた理由には「忘れられていた」というものも。
・第二回目の説明会で、避難開始は津波到達12分前の15時25分としている。実はその10分後だった津波到達時間は、住民のメールなどによって確認される。
・有名な市長の「自然災害による宿命」発言は、後に議会での陳謝となる。しかしなぜかそれを撤回。そして「憤りを覚えたのであればおわび」へと変化する。
・記者会見で「遺族は納得」と説明。

 多くはその場でのものではない。遺族からの追求で「ようやく」出てきたものだ。遺族の「驚き」は「憤り」になっていく。
 そして、第三者による検証が始まる。しかし、
「本当のことを言って欲しい」
遺族の「憤り」は「無念」へと変化し、裁判への道を選択することになっていく。

② 第三者委員会の不可解
・震災翌年の6月、市教委は突然、話し合いではなく第三者に委託すると発表。遺族は報道でこれを知る。委員は市教委の契約するコンサルタント会社で選び、そこに市教委/遺族は入らないと決定。石巻市議会で、市教委は「遺族はおおむね了解」と説明。

 この後、文科省も入って第三者委員会の位置づけや人選をめぐって話し合われるが、行政主導でのスタートとなる。当然それは、遺族の願いがかなうものとはほど遠いものだった。まず第一にあげていいと思うが、大川小学校の防災マニュアルは、石巻市のものを共有している。にも関わらず、検証に防災マニュアルの不備や、防災のソフト/ハードなどの面に多くが割(さ)かれたことだ。遺族がいらだったのは当然だ。石巻市全体で、
「こんな悲惨なことは起こらなかった」
からだ。遺族の願いは、
「本当のことを言って欲しい」
だった。しかし、そんな遺族に追い打ちをかけるようなことが続いた。

・被災直後に、生き残った教師が校長に送りつけ、すぐに削除された状況報告メールは、復旧可能だった。しかし、調査委員は「調査権限」を理由に復旧せず。
・児童の「山へ逃げよう」証言は「検証委とりまとめ案」に盛り込まれず、マンガの話をしていたことが盛り込まれる。
・報告会で、委員が「私は有識者ではない」「突然依頼された」「資料をよく読んでない」などの発言。

 そして、最終報告書では、
・事故直後の登校日については「遺族への連絡なし」に触れられず。
・説明会の「一時間で打ち切り」「もう説明会はない」発言は、「遺族の心情を大きく傷つけるものであった」(正しくは「世間の常識から大きく逸脱していた」だろうに)とする。
 *付け加えれば140ページに及ぶ「最終報告『案』」の方では「大きく傷つけるものであった『と推定される』」だったはず)

 どうしても書かないといけない。ノンフィクション作家の柳田邦男氏のことだ。私はてっきり第三者委員だとばかり思っていた。しかし、最終報告書にその名前はなかった。にも関わらず、氏は検証委員会でビデオによる意見開陳をしている。資料を読んだと言うが、具体的なことにはまったく言及せず、「(事実だと言うには)根拠を欠いている」と語った。これに対し遺族は、怒りではなく、
「戦慄(せんりつ)を覚えた」
と言った。
 この人のことを、私は過大に評価していたようだ。この人は、政府の原発事故調査委員もつとめた人だった。震災で馬脚を現したひとりだろう。

 4 学校当事者として
 いじめによって、自死にいたるような悲惨な事件があると、学校はなぜか被害者の気持ちを逆なでするように動いてしまう。悲しむことも忘れて、
「調査します」
と言う。そして、時としては「資料の廃棄」や、「コピーのし損(そこ)ない」などという「過失」も出てくる。こうなる理由は3つある。

① 学校の信用がなくなり混乱する
② 加害者側での二次災害が起きる心配が発生する
③ 賠償問題が起きる

からである。これが繰り返されてきた。
 大川小学校の事故原因は、校長によるトップダウンシステムの在り方だと指摘する方もいる。しかし、ずっと私は繰り返してきた。
「学校はおおごとになることを嫌う」
「そのため丸く治めることに全力を注ぐ」
これは一定程度正しい。しかしそのことが、
「おおごとになるという判断/覚悟を回避する」
原因ともなる。学校で起こる悲劇のほとんどは、このことによっている。
 大川小学校の事故は、教訓としないといけない。


 ☆☆
コンパクトにしたいと思いつつ、いつもより字数をだいぶオーバーしました。仕方がありません。でも、二回の連載にすることは避けたいと思ったのです。みんな急がないといけないと思っている。急ぐべきだと私も思ったのです。


  冬支度を急ぐ手賀沼の蓮たち

 ☆☆
チャリンコ、カッコいいのを譲り受けました。嬉しい。すっかりバイクに乗らなくなってしまったこの頃。でもチャリンコのお蔭で、体調がすこぶるよろしい。みなさんも快適なチャリライフをいかがですか。