実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

館山いじめシンポ 実戦教師塾通信六百六号

2018-06-29 11:09:34 | 子ども/学校
 館山いじめシンポ


 ☆初めに☆
雨の降る土曜の宵(よい)の口だったのですが、40人の皆さん参加のもと、シンポジウムが開かれました。道は渋滞で、ぎりぎりで駆けつけたのは、毎日新聞の中島さん。ホッとした瞬間です。

この日は勝(しょう)君も参加しました。右側の写真です。勝君が亡くなる半年前の写真。野球帽の「S」は、勝君のイニシャルだと言います。この写真の大切さは集会でも報告しました。田副(たぞえ)さん夫婦を除いて、この勝君の写真を見るのは、シンポ参加者はもちろんのこと、館山の支援メンバーもみんな初めてだったのです。かつてこの事件を取り上げた雑誌の写真は、幼少の頃の写真でした。館山の集会でも、そして法要の時さえも写真は飾られなかった。この日、私たちは田副さんの思いを感じた次第なのです。




 1 支援/公文書
 当ブログ603/604号で報告したことは省(はぶ)いて、この日新たに提示されたことを中心に書こうと思う。
館山の市議会議員・石井さんは、
「選挙を有効な手だてに出来ないか」
と考えたそうだ。いつもなら聞く耳をもたない市長でも今なら行ける、そう思った。そして遺族側は、選挙を目前にした(2014年)8月に、第三者委員会の設置を要求する。

それまで「拒絶」で通してきた市長は突然、掌(てのひら)を反(かえ)したように態度を変える。この態度が出てくる根拠を、多くのメディアの中でたった一社、毎日新聞が「選挙を目前にした市長は……」と分析して見せた。

ちなみに、2012年9月5日のスクープに対して、報道各社はあまりいい反応をしなかったようだ。「すっぱ抜かれた」思いが強いという。そうなると、その案件に関わっていくタイミングを見つけるのは、結構難しいらしい。社名もあげて言ってしまうあたりに、中島さんの「記者魂」を大いに感じた次第である。
 そして、支援の会「館山いじめ問題を考える会」の活動が、小出さんたちを中心に躍動(やくどう)し始める。

以前ここでも書いたし集会でも報告されたが、バス中での「臭い」事件を、顧問が、
「寝ていて分からなかった」ことも、
「騒いでいる保護者が要求をエスカレートしてくる」という市教委の不安に、県のスーパーバイザーが、
「下手に動けば、次のうわさが拡がる」
「時間が経てば正常な考えの保護者が意見を発してくれる」
と答えたことも、
市教委の「今後の対応」を求めた相談に、
「時間を費(つい)やさないよう、文書のやりとりをすればいい」
「相手が収まるまで文書のやりとりを続ければいい」
と応(こた)えた弁護士たちの、みっともなく醜悪(しゅうあく)な言動は、すべて「考える会」が開示請求した「公文書」に残っていた。いま世間を騒がせている「公文書」とは、かくも大切なものだった。
 もうひとつ。いつも言っていることだが、
「寝ていて分からなかった」
顧問、また学校批判のアンケート回答が未公表だったことに対し、
「全くの記載漏(も)れ」
とした市教委。この事件に限らず、ことが大きくなると学校(組織)は、残念なことに「誠意」というものを遠くに投げ出す。謝罪できない、事実と向き合えない存在となる。

 2 大人の責任
「どうして息子の気持ちに気付いてやれなかったのか」
「どうして息子を守ってやれなかったのか」
最後に言った言葉は、田副さんの上にずっと変わらずにあった。「加害者を探す気持ちはない」田副さんの言葉だ。

子どもたちの近くにいる大人は、その責任を負っている。「親という、子どもの近くにいる大人」の責任を、田副さんは引き受け続けないといけないと思っている。田副さんから、
「学校が息子を殺した!」
というストレートな言葉を、私は聞いたことがない。
 しかしこの場合、もう一方の「子どもの近くにいた大人」=学校が、責任のないはずがない。それは「いじめと自殺の関係」とは別な問題だ。

最後は涙で言葉につまった田副さんだった。
「すみません、感情を出してしまって……」

 7月の第三者委員会で区切りになる、という6月18日の大野委員長の話だった。9月の勝君の命日には報告を出したいという。



 ☆後記☆
会場では参加者の皆さんから多大なカンパをいただきました。また、私たちの口座にカンパを寄せてくださった方々にも、この場を借りて御礼申し上げます。今後、館山、そして私たちの活動に利用いたしたいと考えております。
そして、新刊本を購入してくれた方々、ありがとうございます。読んだら、ぜひ感想お聞かせくださ~い。
 ☆ ☆
「我々の世代は義理と人情の世界で生きてるんだ!」
とは、反省会での小出さん。自分のことを「我々」と言うことで、みんなを巻き込んでました。まだ四十路(よそじ)の石井さんが、不満そうな顔でした。
遠方から本当にお疲れさまでした。

 ☆ ☆
「放射能が流れる方向に私たちは避難した。国家の殺人罪にあたる」
「個人単位で東電の交渉にあたるなんて、戦車に竹ヤリで突っ込むようなものだ」
と、町のために頑張ってきた福島・浪江の馬場有町長さん、亡くなったんですねえ。私と同い年だったんですね。残念です。
 
え? サッカーW杯? すみません、興味ないんですよ。でも、自分でやるんですよ。やるのは好きなんです。

     手賀沼に夏が来ましたよ

新刊CM 実戦教師塾通信六百五号

2018-06-22 11:11:11 | 子ども/学校
 新刊CM
     ~『子ども/明日への扉』~


 ☆案内☆
すでにネット上では出ているらしいです。前書『震災/学校/子ども』の発行から、四年の年月を重ねてしまいました。でも無駄な時間ではなかった。その間の相談や出来事は、この書に様々な推敲(すいこう)を重ねるよう促(うなが)したからです。
自分で言うのも恐縮ですが、2010年に出した『さあ、ここが学校だ!』以来、二冊目の「渾身(こんしん)の書」と思っています。このブログの丹念な読者は、見たことのある文章に気付くと思います。でも、似ていても違うのです。練(ね)られた私の「型」に、気付いて欲しいと思っています。

阿修羅像(あしゅらぞう)なんです。ありがたいです。

この際ですから、ここの読者のために裏表紙をサービス。

出版社に私のわがままを聞いてもらいました。今まで乗った愛車の中で、一番お気に入りのバイク・KAWASAKIゼファー1100です。前号で紹介した、私の最後の「母校」フェンス沿いで撮ったものです。桜が見事に満開の、美しい写真です。
値段の割りにそんなに厚くない。申し訳ありません。
また、本の紹介文は、編集者が私の気持ちをくみ上げてくれて、このような文となってます。ぜひこの書、読んでください。

ただし、オンデマンド出版なので、基本的に書店には並びません。ネットでの注文になります。ehescbook.comまで、直接申し込むのがいいかと思います。アマゾンには配本しない方針だと言うのですが、そんなことは可能なのでしょうか。

 ☆連絡☆
早いもので、明日がシンポジウム当日となりました。田副さんを初めとする、四名の方々による討論形式のシンポとなります。案内役は私がいたしますが、出来るだけ事実を分かりやすく、という観点で進めたいと思っています。
ぜひお出でください。間違いなく疑問が解明され、希望が見いだされるはずです。
 ☆ ☆
当日の会場受付で、新刊を手にとって見てください。これも出版社に無理を言って、6月25日発売を23日の集会に間に合わせてもらいました。ぜひ、買って読んでくださいね~


楢葉の渡部さんの玉ねぎが、いよいよ収穫の時期となりました。確かに、ネギのような緑の葉が、地面に折り重なっていました。

立派な玉ねぎをいただきました。ソフトボールのような大きさで、丸々としているんです。キラキラした光を放って、
「ウチじゃこんな立派なのは食べないよ」
とは、奥さんの言葉です。ありがとうございます。

館山いじめ報道(下) 実戦教師塾通信六百四号

2018-06-15 11:17:22 | 子ども/学校
 館山いじめ報道(下)
     ~大人たちが問われていること~


 ☆初めに☆
「遺書はあったのですか」
「いじめと言っても、そこには被害者ばかりがいるわけではない」
「学校は加害側の生徒まで守らないといけない」
「第三者委員会の報告後は、賠償請求になるんでしょうね」
これは、事件当時の学校や館山市教委の発言ではありません。
講演会の案内で学校めぐりをする中、私が出会った質問や感想です。なるほどそうなのだな、であった。おおごとにならないと、こんな究極の発言は出て来ません。しかし、おおごとになった瞬間、証拠はあるのか、こんな事態になってしまったんだから、残されたものが第一だ等々。そんな反応をする人たちに、私は驚きを禁じ得ませんでした。
 大切なことは、近くにいる大人が、
◇事実を確かめること
◇その事実と向き合うこと
からしか始まらないことです。淡々と説明する私に、うなずく相手(先生)なのです。でも、のっぴきならない現実に対したとき、果たしてこの先生が「誠意ある対応」をしてくれるだろうか、と思う私でした。

 1 隠蔽(いんぺい)しているようにしか見えなかった
 「館山いじめ問題を考える会」の開示請求に基づいて出された、再アンケートへの回答。その中には、子どもたち(と言っても、この時は高3)が、記名式という中ではきっと決意が必要だっただろうと充分に推測される、そんな回答の数々がようやく出てきた。

私には、
◇S君が「臭い、うざい、死ね」と言われているのを聞いた
◇いじめにより破かれたカバンを見た
という新たな証言もだが、当時の3年生(勝君より一級上)の回答、
◇当時の学校のずさんな対応に今でもあきれています
◇学校側はいじめを隠蔽しているようにしか見えなかった(写真の記事ではない)
が、強く胸に響いた。この子たち(もう大人だが)の気持ちを無駄にしてはいけない、そう思った。大人たちは責任を問われいる。
 しかし、この新たな事実を前にしても、
「似たような指摘の回答はあり、結論は変わらない」(市教委担当者)
「2通とも全くの記載漏(も)れ。隠し事はない」(教育長)
という見解を見ると、今まで遺族や支援する方々は、一体どれだけ辛い思いをしてきたのだろうと憤(いきどお)るばかりだ。

 2 そして第三者委員会の発足(ほっそく)
 遺族の第三者委員会設置要求を、市教委(教育長)は「第三者の立場で取り組んで来たので」と拒絶して来た。今までの経過を認識していたら、とても言えない言葉である。市長も「市教委と見解は変わらない」として来た。これが突然変わる。

毎日新聞の記者で、ずっとこの事件を追いかけてきた中島章隆(ふみたか)氏による2015年9月26日の記事、
「(昨年9月の)市長選を前に金丸謙一市長が……第三者委員会を設置することを表明した」
は、この謎解きをするかのようである。
 しかしここからまた、第三者委員会発足までには、ひと山もふた山もあった。
 ひとつは、第三者委員会の関係規則をめぐってである。市側の事務方への根気強い取り組みの中、全国的に見ても大きな成果があった。
◇遺族同意の上で第三者委員を決める
◇審議のたびに、遺族に報告・公表する
である。どれも大切なことだ。
◇審議は「公平」ではなく「公正」に行う
この三点目だが、今までの経過から明らかなように、核心は、問題を「中立/公平」に扱うことではないという意味だ。これも大きい。
 もうひとつ。遺族側は6名の第三者委員のうち、3名を推薦。しかし、当初は受け入れる姿勢を見せていた市側は、途中から「団体推薦でないといけない」と言い出す。激しいやりとりが続いた。しかし、時間だけが過ぎていく。ついに遺族側は委員会発足に向け、市側の方針を受け入れる。

2016年3月1日、田副さんは「一区切りついた」と、記者会見で初めて名前も顔も公表した。
 ここでも何度か報告してきたが、日本教育大学院大学・大野精一教授を委員長とする第三者委員会の対応は、私たちが見ていて誠実なものだった。
 しかしその後、第三者委員会の事務責任者が、事件当時に学校の学年PTA委員長だったこと、そして勝君が所属し、まさに「臭い」事件の現場だった野球部にこの事務担当の息子がいたという「人事」が、昨年11月に判明。今年の3月に区切りの24回目を迎えるはずだった第三者委員会は、延長されているのである。



 ☆後記☆
6月23日ですが、遺族の田副義春さんのほかに、「館山いじめ問題を考える会」事務局の小出一彦さん、館山市議会議員の石井敏宏さん、そして毎日新聞記者の中島章隆さんも登壇します。きっと、あっと言う間に二時間が過ぎてしまうと思います。そして、意義深い集会になると思います。ぜひ皆さんお出でください。
 ☆ ☆
新幹線で恐ろしい事件がありました。後でこのことについて、きちんと書かないといけないと思っています。今日は少し気に止まったことだけ書きます。
会社員の方が殺されたことについて、この会社の社長が、
「彼を誇(ほこ)りに思う」
と言ったことです。覚悟を感じるコメントです。それでも社長は言わないといけないと思ったのでしょう。死んではいけない、でもオマエは偉(えら)いと言いたかったのでしょう。
 ☆ ☆
学校めぐりで、私の最後の「母校」に行ったときのショットです。懐かしくてついついシャッターを押してしまいました。玄関を出たところです。この桜がきれいなんですよねえ。

館山いじめ報道(上) 実戦教師塾通信六百三号

2018-06-08 11:34:30 | 子ども/学校
 館山いじめ報道(上)
     ~2012年からの始まり~


 ☆初めに☆
6月23日の集会案内のため、千葉県柏市内の学校を回っています。短期間でこれほど多くの先生方に会ったのは初めてですね。この事件をまったく知らない先生ばかりでなく、丹念に追跡している先生方もかなりいることに、少しホッとした私です。
 ☆ ☆
館山いじめ事件を二回にわたって振り返っておきたいと思います。
2008年9月10日、この時中2だった田副勝(たぞえしょう)君が、遺書を残して自殺したあと、報道は遅れました。大きく動くのは2012年です。今回のブログは、全国版の記事を中心に、この事件を検証したいと思います。
この経過を読んだ読者はきっと、今クローズアップされている日本の現実をかいま見ると思います。

 1 2012年9月5日
 息子の勝君の自死をめぐり、一体何があったのか知りたいと、それまでたったひとりで取り組んできたのは、お父さんの田副義春(よしはる)さんだった。
 2012年9月5日、事態は大きく動いた。

事件を伝えるこの日の毎日新聞は、全国面の8段抜きの記事だった。字が小さく読みづらいと思うので少しまとめます。
◇事件後行ったアンケート結果を、学校は
「……いじめにつながる事実はあったが、死に直接結びつく要因は分からなかった」
と結論。
◇小学校時代からあったいじめを避けるため、学区外の中学校を選ぶも……いじめを受ける。
◇「他の家族への影響を考えて黙っていたが、大津市の事例もあり」と、4回目の命日を前に、父親は再調査を求めた。
◇亡くなる二カ月前の部活動での出来事「臭い」をきっかけに学校を欠席、部活動をやめたいと申し出るいきさつ。
◇父親の「犯人探しをしたいのではない。息子の死の原因がなんだったのかを知り」たいという談話。

 そして同じくこの日、館山市議会で、議員の石井敏宏(としひろ)氏が、この事件に関する質問をした。館山事件はようやく日の目を見る。

 2 アンケート廃棄(はいき)から再アンケートへ
 そのひと月あとの10月、事件当時のアンケートが廃棄されていたことが判明。

遺族が出し続けてきた「内容を教えて欲しい」の声は、届いていなかった。4年もの間、行政は、
「説明は終わっており」
「市教委としても(学校と)見解は同じ」
を繰り返した。この場に及んでも、廃棄の連絡をしなかった理由が、
「遺族から正式な要求がなかったため」
などと言う。
 しかし、このアンケート廃棄発覚がきっかけで、再調査をすることとなった。このひと月あと、11月だ。

再調査も異例ならば、それを「記名式」で行うというのも異例だった。日大の宮川選手が記者会見を開いたことを私たちは思い出しておこうと思う。顔・名前を出すことがどんなに大変だったのか、あの時も、そしてこれからも私たちは見るはずだ。
 勝君の同級生はこの時、高3だった。彼らへの市教委の依頼文には、ご丁寧(ていねい)に、
「(廃棄したアンケートには)いじめに関する記述はなかった」
という、事件当時とは違った厚かましい説明まであった。


 3 持ち物をボロボロに
 そんな館山の「記名式」再アンケートにも、勇気を奮(ふる)い起こした子どもたちが回答した。
(写真が小さいのは、大きくすると、なぜか横向きの画面になってしまうためです。写真画面上をクリックしてください。そのまま大きくなります)

「教員見ぬふり」の見出しの記事(2012年12月)には、
◇殴る蹴るの暴力
◇親の国籍や服装についてのからかい
◇持ち物をボロボロに
◇自転車のタイヤをパンク
◇バスの中で臭いと言われていた
◇あの時起きたことを隠そうとしている(これは保護者の回答)
などの回答が多数寄せられた。しかし、市教委は、
「ほとんどが伝聞(でんぶん)であり」
「いじめと自殺との因果関係は不明」
との見解を変えなかった。

 年度が変わる。2013年の4月、地元の住民たちの手によって「館山いじめ問題を考える会」が発足(ほっそく)する。
 「考える会」は、情報公開条例に基づきアンケート原本の開示を請求する。そして、隠されていた事実が判明する。



 ☆後記☆
主催が「防災教育を考える会」なもので、いじめが「防災」になるの?とよく聞かれます。広い意味での「防災」なのでと答えると、
「そうか『危機管理』だ!」
と膝(ひざ)を打つ校長先生もいて、私もなるほどと思いました。思いがけない出会いもあって、この学校めぐり、楽しんでます。
 ☆ ☆
とうとういやな梅雨入りですね。仕方がありません。美味しいくず饅頭(まんじゅう)やカルボナーラ、そしてビールで憂(う)さをはらしましょう!

日大闘争 実戦教師塾通信六百二号

2018-06-01 11:38:06 | 戦後/昭和
 日大闘争
     ~一縷(いちる)の望み~


 1 絶望に抗して
 日大監督たちの厚かましく醜(みにく)い姿の一方、ひとり決断し登壇したフットボール選手の姿が、私たちの胸を打ちました。しかし、ようやく顔を出した学長が言ったことは「混乱への謝罪」であって、監督指導への明言ではなかった。
 方(かた)や森友問題は、廃棄(はいき)したはずの分厚い文書が出て来るという新展開を見せた。
 首相の「謝罪」は、文書改竄(かいざん)の時と同じ、
「行政全体の信頼を揺るがしかねない原因を作った」
だった。改竄と廃棄で有利を得るご本人が、何を言ってるのだろう。問題は野党が言うような、
「公文書管理が問われている」
ではないし、
「財務相が辞職すればいい」
のでもない。もう国会は品性まで問われ、ポテンシャルの劣化(れっか)は無残なほどだ。一連の事態に対し、
「対応が後手後手(ごてごて)に回っている」
なる、どっちつかずの批判?が飛び交っている。しかし、
「何としても認めたくない」
からこうなる、というのが本当のところだ。加計学園のここ数日の常軌(じょうき)を逸(いっ)した動きは、まさに、
「ウソは重ねるしかなくなる」
ことを絵に描いたように示している。
 そんな中での日大選手の会見だった。やり切れない出来事の連続に、うんざりしていた私たちだ。
「あきらめちゃいけない」
彼が必死で、私たちに言っているように見えました。

 2 50年前
 今回の事件は、日大で歴史的な闘争があってから、ちょうど50年である。
 この日大闘争を振り返ることは、意味のあることと思われる。森友問題と今回の事件をからめると、ちっとも変わっていない日本(日大も)の姿が見えてくる。
 1968年、日大で34億円の使途不明金が発覚する。事件の発端(ほったん)は、裏口入学斡旋(あっせん)による5000万円の着服。その後、芋づる式に大学の使途不明金が明らかになる。これを国税局が発表したのは1968年の5月5日。今回のフットボール事件の発生は、5月6日だ。もう偶然とは思えない。
国税局は、この金が大学理事たちに流れた「ヤミ給与」だったことを二カ月後に発表。その頃、大学の会計・経理担当が自殺をしていた。
 「ポン大」とバカにされていた日大生が立ち上がる。その時、学内で集会の自由はなく、学生大会の代議員さえ大学が指名するという中、学生たちの抗議や異議の声がかき消された。学生は校舎を封鎖して、当局の誠意ある対応を迫(せま)った。

学ランの学生がいます。でも、右翼学生ではありません。全国どこの大学でも始まりはこんな風だった。間もなく、みかけは過激なものをまとうようになるのですが、私たちのやった闘争は、どう考えても「民主化闘争」でした。軽はずみに「革命」を口にしたこともありました。でも、やったことは、学費値上げ反対、教授の横暴(今で言う「パワハラ」)告発、そして日大のような、使途不明金の解明等々、というものでした。
 各学部で、この問題を解明する「共闘委員会」が発足(ほっそく)。この学部の連合体が「全学共闘会議=全共闘」となったのです。

日大が特徴的だったのは、学生たちが占拠(せんきょ)した校舎を襲ったのが体育会系、そして応援団の学生だったこと。彼らが使ったのは消火器や塩酸、上からスチールのロッカーや砲丸を落とすという、凄惨(せいさん)なものだった。それに対し共闘系の学生が、ヘルメットと角材で「武装」する。
 両者がぶつかったところへ警察がやって来る。共闘系の学生は拍手で迎(むか)えたそうです。ところが、警察が検挙したのは体育会系・応援団ではなかった。
「東大の学生なんて、みんな坊ちゃんです」
「日大の学生には頭が下がります」
当時を振り返り、東大の助手共闘だった藤原信先生がこう言っていた。多くの東大全共闘のメンバーもそう言った。
 そして、あの9月30日(1968年)を迎える。再三無視を決め込んでいた古田会頭が、大衆団交の場所「日大講堂(旧国技館)」に、ついに姿を見せる。

似ているが、これは内田監督ではない。当時、日大の代表をつとめていた古田重二良会頭である。会頭とは「理事会のトップ」を意味する。


講堂に結集した日大生は、一万とも三万とも言われる。その場で、古田は「退陣」の約束をする。しかし、辞職はついに実現しなかった。
 翌日(よくじつ)の10月1日、
「政府の介入すべき時が来た」
と、大衆団交での確認書無効が表明されたからだ。記者会見でそれを言ったのは、当時の内閣総理大臣・佐藤栄作だった。再び、体育会系と機動隊による学生の弾圧が始まった。

 50年後の今、すでにあちこちから日大闘争に関する本が出版されている。今回のフットボール事件も含め、この時の全共闘議長である秋田明大からコメントが出るのを待ちたい。



 ☆後記☆
読者には、当時の書籍、『叛逆のバリケード』(三一書房)をお薦(すす)めします。特に、9月30日の大衆団交場面の記録は圧巻です。学生たちが声を枯らし、必死に訴(うった)えぶつかる姿は、無責任な評論を粉々にする迫力があるのです。

当時を振り返り、言うに事欠いて、
「当時の全共闘には、学生がついていけなかった」
「何も意味ない『ごっこ』をしていただけだ」
などと評論家どもがのたまっています。学生だったこいつらは、当時、
「言ってることは正しいが『方法』が間違ってる」
なんぞと言ってたのは間違いない。ではどんな『方法』があったのかを指し示すこともなく、この連中は見ていただけです。
「力のあるものは平気でウソをつく」
「力のあるものは本当のことを言わない」
ことを、確かに「民主化闘争」だったけれど、全共闘運動は示しました。それは大変な思いをして示したと思っています。
 ☆ ☆
先日、「与党」の議員さんと話す機会がありました。国会運営に不満があるというのです。たとえば、佐川の、
「刑事訴追(そつい)の恐れがありますので」
という逃げ口上(こうじょう)に対し、野党側は沈黙した。でも、
「あなたは自分の仕事への自信がないのですか」
ぐらい言えないのか、と怒るのでした。
今回の一連の出来事で一番怖いのは、力を持つ側が、
「ウソは突き通せる」
自信を持ってしまい、非力な側は、
「何をしても無駄」
という虚脱感を抱いてしまうことだと、私には思えます。
日大の宮川選手の決断を、私たちは大切にしないといけません。
 ☆ ☆
29日の新聞(千葉版)で、千葉県の読者は「館山いじめ事件」が大詰めに来ていることを知ったと思います。ぜひ、今一度の注目をお願いしたいです。