実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

コロナの混沌 実戦教師塾通信七百号

2020-04-17 11:17:05 | ニュースの読み方

コロナの混沌

 ~見失わないように~

 

 ☆初めに☆

少し目をなごませてから。今年は長い間頑張ってくれた桜。千葉県柏、増尾城址公園です。

全国に緊急事態宣言が出されました。行動の自粛と先行きの不安に、私たちは右往左往しています。日本がこんな混乱の渦に巻き込まれるのは、原発事故以来ではないでしょうか。あの時の「福島から来るな!」の勢いを思い出します。9年前の混乱は感染症が原因ではなかった。でも、あの時を思い起こさないといけません。相手が「正体不明」「対処不明」なものとしては、共通なものなのです。あの頃を思い起こしつつ、出来ることと出来ないことを識別しておきたいと思います。

 

 1 ぎすぎすと

 先週末の渋谷/銀座の様子を見たニュース解説者は、「人がまだ歩いてますね」と渋い顔をした。一方、吉祥寺はいつもと変わらない賑(にぎ)わいを見せ、巣鴨の地蔵通りは、いつもの元気な「老人天国」で注目された。また、「いつも通り」でなく「いつも以上」の困った賑(にぎ)わいも生まれてもいる。でも私たちは、「自粛」とは「禁止」ではない、と改めて気がついたのではないだろうか。しかし、それも変わる。私たちの危機意識は、日ごとに異様な高まりを見せている。

 前回お知らせした食料(弁当やパン)配布のことで動いているが、コロナのもたらしている状況の確認ともなった。配布場所は公立施設がすべて閉鎖中とあって、学校の校庭を打診したがやはりダメだった。驚いたのは、校庭の一角を打合せに使わせて欲しいという申し出が、「申し訳ありません」という謝罪にも似た校長先生のダメ出しにあったことだ(いい先生なのですが)。私たちメンバー全員が集まれば、広い場所でないとむりなので、貸し会議室もあたってはみた。どうやら思った以上に、「集めるな」「集まるな」の指示と自粛へのプレッシャーは強いと認識した。しかも、これらは先週末のことだ。今週に入り、学校の空気はさらに緊迫の度を高めた。

 一方、児童生徒の健康状態を把握することが強調されている。家庭はどこでも検温が基本的なこととなった。体温が正常で元気なら問題はない。具合が悪いときは学校(担任)に連絡する。言われなくとも大体の家庭はそうする。

 問題はそこからだ。自治体や学校によって違いのあるのが救いだが、子どもたちの様子を「毎日」知らせて欲しい(メールだ)という動きが出ている。全員なのだ。保護者に毎日、子どもの様子を報告してくださいという。それは「お願い」だと言うが………いかがわしい。つまり、報告のない家庭に、担任が「連絡ください」「大丈夫ですか」という電話連絡をしなさいという。これでは「協力のお願い」とはならない。

 

 2 私たちの「共存」作業-「陽性」ということ

 以前このブログ上で、ウィルスとの「共存」と書いたが、イタリアでこの「共存」を言い始めている。この混乱の中で、何をとんでもないことを言い出すんだ、みたいな世の中である。この拒絶反応は、私たちが「コロナを封じ込め」、人類が「コロナを絶滅する」という発想/対応が呼び込んだ。

 基本に立ち返ってみよう。私たちは病気に対し、「共存(うまく付き合う)」というスタンスで対応して来た。つまり私たちは常に、発病/発症しないよう「早く寝る」等という予防をし、重くならないよう「仕事を休む」という重篤(じゅうとく)回避をして来た。この極めて正常と思えるバイアスが、揺らいでいる。

 感染症でも結核は「細菌」であって「ウィルス」とは違うが、この結核との「共存」で考えてみよう。結核菌に感染して、またはBCG(ワクチン)を接種して「保菌状態/陽性」となった人が、さしあたって「安全」とされる。逆に、陽性/保菌状態でないと「安全」のお墨付きをもらえない。まぁこれは、あくまで幼児の結核予防の話である。大人の場合だが、大人同士で結核患者と濃厚接触を続けた場合、その半分弱が感染する。しかし、その殆どが発症しないで一生を過ごすと言われる。

 これらを「共存状態」と呼ぶと思われる。私たちは「完全滅菌」や「完全撲滅」を目指してきたわけでなかった。

 

 3 トリチウム

 しかし今回、私たちは明らかにうろたえている。相手が「正体不明」だからだ。私が「コロナ安全」を宣言してるわけでないことを、福島から考えたい。

 ニュースの片隅に追いやられているが、原発の汚染水に含まれるトリチウムを、福島の海へ放出することが問題となっている。以前にレポートしたように、福島以外の原発から、すでにトリチウムは海洋放出されている。福島のものは濃度が高いので、「薄めてから放出」と言われているのだ。当然なのだが、このことに漁業関係者が「科学的に問題ない」とはどういうことだ、と強く反対している。あえて、この議論に立ち入る必要はないだろう。漁業関係者の、そして福島の「不安」を、もう私たちは分かるはずだからだ。「正体不明」のものを放置(放流)されることが、不安でないはずがない。

 私はまたしても、福島・楢葉の野菜をもらい受ける時の、「洗ってから食べてね」という言葉を思い出してしまった。あの時、まだ安心出来ないのでしょうかという言葉を、もちろん私は口に出せなかった。切ない気持ちは、きっと福島で続いている。ここまで長かった。そしてこれからも長いのだ。

 「正体不明」ウィルスとの共存までも、きっと道のりはまだ遠い。こんな事態となった今だが、この病気が感染力の強い反面、多くが軽症であることを私たちは忘れてはならない。医者が「冷静に」と言う意味は、いつもの病気への対処を怠らないことだと考えていい。

  いつまで続くか分からない不安で、保護者に「学校には行かせない」「学力が心配」という相いれない悩みが生じている。ここでは「仕方ない」「やり過ごす」という対処/態度が必要とされているのだろう。

 そして、元気な人は元気に過ごすことだ。躊躇はいらないとは言わない。不安を抱える人に配慮しつつ過ごすことだ。「仕方なく」公園で遊んでいる子どもたちを怒る大人がいる、というのはまずいのだゾ。

 

 ☆後記☆

結局、食品配布の件は延期といたしました。あまりにも様々な方々の負担になる、と判断したからです。改めて、無理はしないようにしたいと思います。

 ☆ ☆

区切りの700号はコロナとなりました。

町中で、ジョギングするたくさんの中高生とすれ違います。頑張ろうねと思ってます。公園や校庭で元気な声を張り上げる子どもたちがいます。頑張るぞと思います。

皆さんもお身体気をつけて。

 ☆ ☆

前号でみっともない間違いをしました。「円鵬」ではありません。「炎鵬」ですね。ご指摘ありがとうございました。


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1 コメント

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Unknown ()
2020-04-24 09:55:22
琴寄さん、相変わらず低劣なブログ続けてますね。あなたは結局大言壮語なんですよ。何もできないくせにできるように見せかけてるだけ。学生時代は危うく騙されましたが今になってしょうもない教師だったなと振り返っています。
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