実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

牛の工場 実戦教師塾通信八百十四号

2022-06-24 11:46:40 | 福島からの報告

牛の工場

 ~福島・あの時とその後(下)~

 

 ☆初めに☆

今回は場所を楢葉に移します。

これは、渡部さん家でおやつに出されたタケノコ(孟宗竹?)です。これでもうお終いですかと、つまり残ってないのですかと、むき出しのおねだりをした結果、お土産にいただいたものです。美味しい。白だしとめんつゆ、みりんで味付けただけよ、とは奥さんの講釈。

これは玄関先に埋けられた菖蒲。

 

 1 フィンランド

「フィンランドの固い地盤なら安心だって? ホントかどうかみて来たよ。ひどいもんだ」

もちろん、核燃料廃棄物の処理場のことだ。小泉元首相が「フィンランドなら」と言ったことでもある。しかし日本では危ない、という意味で言ったものだ。

久しぶりに「伝言館」の宝鏡寺を訪れた。世界中を飛び回って、原子力のウソを告発している早川住職のお寺だ。フィンランドに行ったら、地盤はともかく地下水の湧き出す勢いが大変で、工事はお世辞にも順調と言えるものではなかった、今はまだ実験・試行の段階を出るものではない、というのだ。視察に行ったのがいつか聞かなかったが、フィンランドの処理施設は稼働していないのだろうか。ニュースが伝えるような安全性は、ご住職の口からは出なかった。

**読者の多くが、ブログを読んで様々な検索をしているのは承知しているので、あえて注釈をつけておきます。工事の進捗状況が、原因はともかくスムーズではない。基本的に抑えておくべきこととして、建設される場所は人口が万にも満たない「オルキルオト島」であること、建設に関してはもちろん賛否があったこと。そして、小泉元首相が視察して、「これはダメだ」と思ったことも。

ネバダ砂漠の実験場跡地も行ったぞ、最初はあそこで出た核廃棄物を近くの山に巨大なクレーターを作って埋めたんだよ、でも放射能が平気でそこを抜けて来るのさ、アメリカや日本の政府はそういうことをみんな分かっててさ、原子力の平和利用だの原発だのって言って来たわけだよ。今日や明日のことで精一杯の福島の住民が原発のことなんか考えるもんか、それを分かってて誘致したんだよ。

「私の頭なんか、一日かかっても時計の短針がひとつ(つまり一時間)くらいしか働いてくれない。だから、急ぐんだよ。でないと、今までのことが書ききれない」

 ご住職は、この日も「伝言館に遺していくんだ」と資料の整理にいとまがなかった。

 

 2 「あきらめる人もいるわな」

 先週、原発事故の避難者訴訟に判決が下った。最高裁は原発事故に国の責任がないとした。読者はどう思っただろうか。簡単に言おう。それでも原発が要るんですね、と裁判所から確認を迫られたようなものだ。「対策を講じても事故は起きた」と、はっきり言ってる。先だって、更田・原子力規制委員長が、ウクライナの原発が攻撃されたことに関連し、ミサイル攻撃までは想定していないといったことは記憶に新しい。飛行機の落下までは想定しても、ミサイル攻撃はレベルが違うということだ。更にさかのぼって、田中・前委員長が、原発は規制をクリアしたからと言って「安全とは申し上げない」と明言したことも思い出す。今回の最高裁判決は、私たちを試しているかのようだ。

 一方で3月、福島・群馬・千葉・愛媛への避難者に対し14億5千万円の賠償金を支払うよう、東電に判決が出されている。賠償の話になった。賠償交渉はまだあるんだよ、と言った。渡部さんたちのことだ。離れの家の修理である。もうすぐ終わって、請求の交渉に入る。大変ですね、私が言うと、

「いや、簡単だよ」

と、渡部さんはあっさりと言った。私は信じていない。震災当時、渡部さんから聞き書きしたメモを読み返してみた。いくつか要約すれば、牛の殺処分の賠償に課税されないように交渉している。田んぼへの賠償は農協が交渉したケースと、個人が交渉したものとがあった。経費や収入によって、計算法が変わるからだ。お金を出させるということに大変な手続きがあるのを、私は少しばかり知ることが出来たわけである。あの頃、東電からこんなに分厚い書類が送られて来んだよと言って、渡部さんは、週刊少年ジャンプを二冊重ねたような厚みを作って見せた。それは一回に留まらない。牛や家屋や、避難をめぐる苦痛や仕事を奪われたこと(失業)など、その都度少年ジャンプのような厚さの書類が舞い込む。弁護士の開催する勉強会に出向かないと分からないところも一杯ある。分厚い書類を目にしただけで、

「あきらめる人もいるんだわな」

避難先の作業であり手続きである。それは夜だったり日曜だったり。気が遠くなるようだ。(賠償の交渉が)簡単だよ、という渡部さんだが、それは「今となっては」であることは間違いない。

 

 一方、現状は大変なようだ。渡部さんが珍しく、厳しいな、と言った。エサの飼料が二倍に高騰したのは、サンフランシスコでコンテナが渋滞したためだ。コロナで従業員が不足した。そこに戦争が勃発した。さらに、円安が追い打ちをかけた。牛の値段が上がらない。そんな中、浪江の請戸(うけど)地区に、三千頭を超える牛の牧場が計画されているそうだ。浪江は海から瓢箪(ひょうたん)のように内陸に長く伸びる町だ。覚えているだろうか、南相馬・小高地区と浪江・請戸地区の間に原発が建設される予定だった。それが原発事故でボツになった。広大な敷地が残った。二百や三百の牛ではない、三千頭? 渡部さんが言う。温暖で雨が少ないアメリカ・カリフォルニアだったら、牛を放っておくことも可能なのかもしれないが……と言葉を継いで、

「でも、これは農業と言えんのかな。工場だよ」

これは渡部さんのれっきとした「牧場」。

 

 ☆後記☆

ずい分と遠くなっちまったね、おばあちゃんが言った。私は、コロナのお蔭で気兼ねするようになってしまってと言ったのですが、だからよ、ずいぶん遠くなっちまったってヨ、とおばあちゃんは同じことを言うのです。あったかい、ホントにあったかい、と思いました。

これは頂いたジャガイモ(メークイン)とおっきな玉ねぎとグリーンピースで作った煮物です。

そういえば、福島に向かう下りの高速を行く時、反対の上り車線を戦車!が走っていきました。三機! 間違いでなければ、トラック上にでなく、自分で走ってた! 時速百キロで? 何があった?

 ☆☆

オオタニさん! やりました! 二日前の二本のホームラン、ひとつはリアルタイムで、久しぶりに見ました。キモチイ~! 昨日は試合の途中からですが、目が離せなくて気持ちが良くて、降板するまで見ちゃいました。7回を終えて吠えたとこ見たいので、またスポーツ新聞買ってしまおう


のらっこ 実戦教師塾通信八百十三号

2022-06-17 11:29:59 | 福島からの報告

のらっこ

 ~福島・あの時とその後(上)~

 

 ☆初めに☆

まだボランティアに行っているのですか等と良く聞かれますが、いつの頃からか、福島行きは「格好の休養」と感じています。今回も10年越しの出会いがあって、そこでの変化や変わらないものを見出して、やっぱり「英気を養う」ことになっています。

 

 1 「ここがいいって言う人たちもいるんだよ」

 これがいつも話題にして来た、広野の二ツ沼直売所。10年間見てたはずなのに、初めて屋根の表示に気づいた。「のらっこ」です。小さな、そして元気な「のらっこ」。見かけはほとんど同じニンニクが、違う値段で置いてある。聞けば、作った人が置いてくからその人によって違うんだよね、とおばちゃんが言う。

入口を入った時すぐに言われた。読みましたよ、笑っちゃってさ、あんなこと言ったっけか。と、次々と言葉がお日様のように降り注いで来る。新刊への反応である。

特に「あたしたちは食べないよ」と、お米の販売を開始した当初のくだり、警戒区域の規制が解除になって、生産・販売を再開したお米のくだりが気になっていた。こんなことまで書いた本を、言った当人たちが読んだらどう思うか、正直不安だった。でも、別な予想が的中した。屈託がなく正直で、肝っ玉が据わっているおばちゃんたちなのだ。あの時は書いてある通りだったんだよ、と言った後、

「続きは出るんですか?」

と来る。いやあ、どうだろう、でもこうやって話したことも記録してるんですけどね、と私。店内に笑いがはじける。聞けば、楢葉で酪農を再開した蛭田さんには、たい肥を売ってもらっててさ、と言う。小売りをしていたわけじゃない(渡部さんの話)というから、噂を頼りに行ったのか。この辺に「生業(なりわい)」を感じるわけである。

 近くにイオンが出来た時、ここ「のらっこ」の役割も終わってしまうのかと思ったのだが、

「こんなに小さいけど、ここじゃないとって言う人もいるんだよ。道路から見えやすいせいか、気になって寄る人もいてさ」

それで今もずっと棚には品物が並んでいる。私もこの日、トマトとニンニク、ゴマを買った。

許可をもらって、初めてのショット。このレジの前に売り場があります。次回は撮らせてもらいます。帰り際に、頑張ってください、と。ありがたい言葉。

 

 2 ウクライナから来た人たち

 熱心な読者でも記憶が薄れたと思う。いわきの仮設住宅近くにある、自立生活支援センターに用があって訪れた。ここの中庭にあったテントで、10年前は毎日のように行っては話をした。当時避難していた人たちが、物資ばかりでない支援を、ここで受けていた。

 仮設住宅の跡地は、今や戸建て住宅の建設ラッシュだった。草が身の丈ほどまで伸びていた場所は道が新たに舗装され、トラックや職人さんたちが引きも切らず動いていた。それでなくとも方向音痴の私は、皆さんの仕事の邪魔になりながら、昔のセンターの位置をようやく定めた。センターは大きく立派に改築され、敷地も倍以上になっていた。玄関を上がると、事務室から懐かしい顔が出て来た。以前、近くのコンビニで偶然会って以来、恐らく5年ぐらいは見てない顔である。お互いマスクをしていたが、会った瞬間、お久しぶりです!の声が響いた。所長室に、勢い込んで飛び込むのだった。そんなに……と恥ずかしながらも嬉しい。

 所長さんとはさらに長い時間のブランクがある。10年と言っていい。当時、センターは「障害者の自立」をメインテーマとしていたが、東日本大震災を契機に「生活困窮者支援」に枠を広げた。今は技能実習生の、海外からの受け入れも始めたそうだ。中国の人たちが多いという。「福島のお役に立ちたい」のだそうだ。そして最近、ウクライナから避難して来た人も数名。隣国ポーランドでなく、どうして日本に?という私の疑問である。日本の文化、日本に興味のある人たちでね、という所長さんの答えだった。所長さん、元気だった。10年見てないのである。太ったかなと思ったり、髪が少なくなったかな(私もそうだが)と思ったり。

「『復興』とかね、そういうんじゃない。長く続く営みだね、そういうものとしてやって行くよ」

この日、所長さんと話して一番残った言葉である。

 その後、事務室で彼女と話す。懐かしい名前が出て来る。ここにいるだけで、その後の姿も少しは入って来るようだ。仮設住宅の人たちのその後を聞きたい。聞ける感触が十分感じられた。来年とかでなく、また来よう。

 

 ☆後記☆

先週は「今は我慢の時か」と書きました。でもオオタニさん、今度こそ復調ですかね。レッドソックスの監督が、オオタニさんを「彼は世界最高のアスリートだ」と言いました。良くある「世界最高のアスリート『のひとり』」とは言わなかった。ちゃんとした方です。そして、オオタニさんがホントに「最高」だということです。

 ☆☆

こども食堂「うさぎとカメ」明日ですよ~。天気も何とかなりそうで良かった

 


『ドンバス』 実戦教師塾通信八百十二号

2022-06-10 11:48:49 | 戦後/昭和

『ドンバス』

 ~ウクライナ侵攻・補(8)~

 

 ☆初めに☆

「ユダヤ人問題」を書く予定だったのですが、先週、公開中の映画『ドンバス』を見たら、気が変わりました。

公式ガイドブック表紙。多分「ドンバス」の表記、ウクライナ・ロシア・英語だと思う。

映画の概略を書くことが少し残念なくらい、この冊子に多くの示唆を感じました。監督・セルゲイ・ロズニツィアが、ウクライナ映画アカデミーから除名されたこともそのひとつです。

今や誰も知ることとなったドンバス(ドネツク・ルハンスク(ルガンスク))戦禍の映画。公開が2018年。つまり、ロシアがクリミア半島に侵攻した後のことです。そして、今から4年前の映画です。記録映画と考えた方がいい。

 

 1 プロパガンダ

 ウクライナを追った、あまたの映像がテレビやSNSから流れて来ている。私たちは最近、映像の中の「真実」を確かめるようになっている気がする。たとえば、だいぶ前、ロシア兵の捕虜が「行き先も告げられず、連れて来られたのは戦場だった」ことを告白する様子も、最近の、捕虜になったウクライナ兵の「無理やり戦わされている」という証言も、どっちも「作られたもの」だと思っている。しかし我が国では、ロシア兵の言っていることは「本当」ことで、ウクライナ兵が言っていることは「強制された」ものと報道される。これがプロパガンダだ。

 映画のファーストシーンは、ロケ車で「クマ」の化粧をほどこしている初老の「女優」が登場する。そばには軍服や「浮浪者」の「キャスト」も控えている。爆撃が止んだ頃合いを見計らっての「撮影」は、命がけの仕事に見える。まだ燃えている瓦礫のそばで軍服のキャストは警護役をこなし、市民キャストは恐怖を語る。映画のほとんどはロシアの占領エリアだ。ロシアがひどいフェイク映像を作っている、ということではあるまい。プロパガンダという戦略から考えて、ウクライナにも必要不可欠な、そして実際使っている技術だ。「いい悪い」ではない、必要なのだ。

そして、ラストに同じシーンが登場する。同じロケ車に同じスタッフ。しかし、同じ展開にはならない。そこで悲惨な出来事が起きる。そして今度は別なロケ車が警察や軍隊と共に現れ、出来事の処理と撮影を行うのだ。「知り過ぎた者たち」への、予定通りの行動だと思えた。

 

 2 「ファシスト」

 捕虜のウクライナ兵が「志願兵」と書かれたゼッケンをつけられ、街路樹に括りつけられる。それを見つけた若者のグループが、「ファシストだ」と絡み始める。罵りは、次第に暴力へとエスカレートする。

通りかかった婦人が、数年前に受けた被害を「ファシスト」に対して攻め始める。娘が「帰ろう」と手を引くが聞かない。さらに老婆が加わり、大戦時の恨みつらみを「ファシスト」にぶつける。町の一角は暴徒と化す。私は『罪と罰』(ドストエフスキー)の、絶望の笑いに満ちた執拗な群衆が、馬をなぶり殺す場面を思い出した。やがてロシア兵が群衆を止めにかかる。「武士の情」なのか、いや違う。収容先に戻って「明日もあんな目にあいたいか?」と言われた時、捕虜はその後の尋問に耐えられるだろうか。

 

 3 「新しい場所」

 地下の避難所に、娘がやって来る。私だよと言っても、食料・水を持ってきたと言っても、母親は「見なくても分かる」と言うだけで、見ようともしない。繰り返しの「ここから出よう」という娘の説得は、無視される。見守る周囲も、かたくなな空気を作っている。娘が「戻る場所」が許せないのだ。娘はドアマン付きの立派な車に乗り込んで、職場の「新役所」に戻るのである。

 「新組織」の話。盗難にあった車-三菱のSUVだったーが見つかったと連絡を受けたビジネスマンが、「新組織万歳だよ」と警察で感謝する。ここにサインしてと言われた書類には、車を警察に「委託する」と書いてある。意味が呑み込めないビジネスマンは、問いただし抵抗する。「僕はウクライナでもロシアの味方でもない。政治に興味はない。自分の車を返して欲しいだけだ」と、しごく真っ当なことを言う。しかし「オマエは愛国者か、ファシストか」と言われるだけ。少し考えてこいと言われて外に出ると、そこには「少し考える」多くの人がいる。

 ガイドブックで締めくくろう。

日本版制作陣から、監督・ロズニツィアのプロデューサーに質問をしている。監督名セルゲイ・ロズニツィアはロシア名の直訳なので、ウクライナ語に変更しなくていいでしょうか、というものだ。この回答が私の留飲を下げた。

「私たちはセルゲイの名前を変えるつもりはありません。彼の母国語はロシア語であり、今起きている悲劇は言語に関するものではありません。…………セルゲイは、これまでと同じように母国語を話し、自分の名前を使い続けます。彼がその生涯でソビエト政権と戦い続けてきたように」

 

 ☆後記☆

第26回「うさぎとカメ」来週となりました。

年に二回は作る「焼きそば」。今回は目玉焼きを載せます。ひとり一個焼くんです。結構な手間になると思いますが、頑張ります

裏面には、会食の様子をレポートしました。

 ☆☆

驚きましたね。マドン監督解任! あんなにオオタニさんを理解し愛したマドン監督なのに。それにしてもオオタニさんばかりでなく、エンゼルス全体が湿っぽい。オオタニさんが良く言う「今は我慢の時」かな~

昨日から福島に来てま~す。来週か分からないけど、報告しま~す


情報の磁場 実戦教師塾通信八百十一号

2022-06-03 11:47:48 | 戦後/昭和

情報の磁場

 ~ウクライナ侵攻・補(7)~

 

 ☆初めに☆

今回のプーチンによる侵略行為が、どれだけの断罪に値するかは言うまでもありません。しかし、現在流通しているニュースは、余りにも「ただロシアを叩くため」のもので満ちているとしか思えません。少し冷静に見なおす必要を感じています。

「ホントのことを言ったら、余りにもおバカさん」

とは、懐かしや新谷のり子です。吉本隆明の「固有時との対話」にもありました。言ったら損するだろなア、という気分です。現在直下「戦時の勢い」めいてて、これは問題にしないといけないナと思うものを書いていきます。

 

 1 敵に塩を送る?

 4月にプーチンが「敵対的な国々への輸出を綿密に監視しなければならない」と、穀物・肥料の禁輸に触れた。黒海からの穀物搬出入に関しても、後に同じ提案がされる。しかしこの時は、ロシアで生産された穀物の扱いについてだった。ロシアもウクライナと同様、穀物の有数な生産国であることはご存じの通りだ。すると、このロシア側の「警告」に対し「敵対的国々」が敏感に反応した。その中のひとつ日本もである。曰く、世界の食料事情をおとりに脅(おど)す気か等々。それに対してプーチンは、ロシアに対する経済制裁を解除するなら、禁輸措置を考えなおしても良いと答えた。先も言った通り、この戦争自体が不当なものだ。しかし、不当な侵略行為を行うものに対し、小麦は輸出しなさい、と言えるものなのか。しかもこちらは、ロシアの魚介類・オイル等の輸入制限、ブルトーザー・木材製品の輸出規制、そして資産凍結など幾多の制裁行為を行っている。こちらの制裁が正しくて、先方の制裁が正しくないのは、ロシアの戦争が不当だからだ、というのである。何とも頼りない。オマエたちは戦争をしているのだ分かっているのか、その覚悟はあるのかとプーチンに言われたら、二の句が継げない。

 

 2 「ウクライナ」という場所

 すっかり目論見が外れた「戦勝記念日での対ウクライナ勝利宣言」だったが、5月9日は予定通り盛大なセレモニーがモスクワで行われた。同じくウクライナでも、ゼレンスキーがこの日を祝った。共通するお祝いセレモニーなのだ。世界がドイツ(イタリア・日本も入るのだが)を打倒するために団結した証なのである。簡単にでも、この時期の歴史を振り返らないといけない。ウクライナの独立(正確にはドイツによる占領)は1918年3月、ボリシェヴィキ政権とドイツの間で合意したブレスト講和によっていることは既に書いた。続く第二次大戦の当初、ウクライナはドイツを支援する。この時のドイツとは、反ユダヤ主義の紛れもない「ナチスドイツ」だ。支援の理由は、かつてドイツが、ウクライナをソ連・共産党から解放した(と思った)からだ。しかし、ドイツはウクライナの支援を受けるも、独立を承認せず「占領」へと動く。一方ソ連は、後にイギリス・アメリカとともに連合軍を形成し、ドイツの東部戦線で勝利する。その結果ウクライナは、ソ連の衛星国として甘んじる。しかし、だ。私たちの世代にはおなじみの、ソ連を代表するフルシチョフやブレジネフは、ウクライナ出身であることも思い出しておいた方が良さそうだ。「ウクライナは、古くから私たちの友人だ」とプーチンが言っても盗人猛々しい。しかし歴代指導者もそうだが、ロシアの建国を担ったロス族が最初に打ち立てた都市はキエフ(キーウ)だった。さらに確認すれば、ボリシェヴィキ政権以前のウクライナは、帝政ロシアの「国土」であったことは言うを待たない。帝国ロシアの「ウクライナ地方」だった。

**第二次大戦でのウクライナのちぐはぐと言える態度をフォローするならば、ウクライナは、ソ連側につくものナチスドイツ側につくもの、そして自らの独立のために戦うものという三つに分裂して戦っている。

 戦勝を祝うプーチンは何を間違っているのか。ドイツを降伏させたのはソ連の力ばかりではない、連合軍との協働だったことを忘れている、いや、無視していることだ。「労働者国家」と「官僚国家」の間を揺れた戦後のソ連が、西欧との間に引いた「鉄のカーテン」を守るしもべとして、プーチンがあり続けていることだ。では、ゼレンスキーは何を間違っているのか。ウクライナが、帝国やファシズムと戦って来たわけではないのを無視していることだ。申し訳ないが、避けてはいけないこの過去を、プーチンはもちろんゼレンスキーも触れようとはしない。そして、日本における朝鮮半島の問題のように、もうひとつ東欧・西欧がうまく通過できない問題がある。

 ユダヤ人問題である。

 

 ☆後記☆

「後記」ですが、少し続けます。「同盟」やら「条約」が、すべて自国の都合にあわせて作られて来たことも覚えておきましょうネ。たとえば「独ソ不可侵条約」(1939年)は、とりわけドイツが西部戦線に戦力を集中させるため、「日ソ中立条約」(1941年)はソ連がドイツとの戦いに集中させるためでした。ちっと分け入ってしまいますが、このとき日本は満州・ノモンハンでソ連に大敗(日本は未だに「勝った」としている)してたし、あてこんだ石油が満州では出ないし、おまけにアメリカの対日禁輸政策は目白押しで、ホントに必要な「日ソ」だったんです。両条約ともに、「独ソ」はドイツが、「日ソ」はソ連が一方的に破りましたよね。長くなりました。

我が家のバラです。今年は6輪も咲いて、驚いて喜んでます。

 ☆☆

藤井君、なんと柏で叡王戦の初防衛とは! 柏でやるのは、プロ棋士・石田9段が柏出身であることが理由のようですね。きっと地元の将棋倶楽部が働きかけたのかと。

これが藤井君の勝負メシ、「もろみステーキ」だそうです。この辺の人ならみんな知ってる、野田のイタリアン「コメ・スタ」のメニュー。やっぱり大きなスポンサー、そしてお金が動いてるのだなと、少し興ざめしたのでした。

でも、先着250名で観戦(入場・3000円なり)チケット募集が、システム障害を起こしたとか。いやいや、やっぱり藤井君、いいなあと思ったのです