実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

共謀罪(上)  実戦教師塾通信五百四十九号

2017-05-26 11:50:40 | 戦後/昭和
 共謀罪(上)
     ~記憶をたどって~

 ☆
「テロ等準備罪」なる法案が、最終的な局面を迎えています。市民  運動や政府に反対する行動に、歴史上様々な「対処」がされて来ま  した。それらの検証をせずに、まったく骨抜きな議論になっている  のは、なにも政府・自民党のせいばかりではありません。「治安   維持法の復活だ」にせよ、「一般人も捜査の対象になるのか」も、  必要な質問/議論です。でも、同じ内容を繰り返す時は、切り口が  異なっていないといけない。相手はなめきっていました。「頭の悪  い」法務大臣は、議論をかみ合わせないという点で、かっこうの人  材だったと思います。少しぐらい書いておかないといけないんじゃ  ないかという私の周辺からの結構な催促もあって、久しぶりに「戦  後・昭和」で確認してみます。


 1 テロへの不安
 テロとは、武装していない不特定な住民/市民を、対象/巻き添えにするものである。私もテロに絶対反対だ。でも、この「共謀罪」を賛成するわけはない。同時に、紋切り型の質問を繰り返す、野党とそれらのシンパシーたちをかつぐことも出来ない。彼らが、テロに対する漠然とした不安に向き合おうとしないからだ。私たちは「オウム事件」という、明確な「テロの経験」を持っているのに、である。1995年の、いや、1995年を頂点とする、一連のオウム事件勃発(ぼっぱつ)で、日本は今までの「安全」に対するスタンスが問われた。テロは起こったのだ。
 私たちは、この事件を真面目に検証する、多くの発言を聞いたはずだ。テロはこれからも起こりうる、しかし大切なのは、事件を起こさないように監視を強化するということではない、という発言だった。居場所を失い、どこからも必要とされない(と考える)人々、とりわけ若者の話を、私たちが聞いていくことが大切だと言っていたと思う。真面目に主張する人たちの中に、信者から襲われた人が少なくなかったことが、発言に力を与えていた。
 ことは狭い日本のエリアではない、と反論する向きもあるかも知れない。しかしまだ記憶に新しい2014年、イスラム国に「志願」しようとした、北海道大学の男子学生もまた、「死にたい」「自殺したい」と言っていたことを、私たちは思い出した方がいいのである。

 2 刑法不備の所在
 刑法では犯罪/テロは防げないというのが、今回の「共謀罪」の柱だ。暴力団の組員は貯金も子育てもままならない、という「暴対法」のことを今は問わないが、ストーカー規制法も含め、個別に様々な領域で、現時点でも「事前の犯罪防止策」はある。
 さて、そういう「テロは未然に防げなかったのか」という点でも、オウム事件は検証しないといけない。私たちの記憶に鮮やかな出来事で振り返ってみよう。
1989年 坂本弁護士一家殺人事件
1994年 松本サリン事件
1995年 地下鉄サリン事件
これを見ただけでも、オウム事件の全面化は防げたことが分かる。坂本弁護士一家が「失踪(しっそう)」した現場にオウム教団のバッジが落ちていたことを、私たちは鮮明に覚えている。しかし、神奈川県警は「事件性なし」と結論づける。家族の遺体が発見されるのは、地下鉄サリン事件のあとだ。
 坂本弁護士が動き始めたのは、宗教団体(オウム)からの脱会が出来ないという息子のことで訪れた、母親の相談がきっかけである。この母親を坂本弁護士に紹介したのが、その後教団から殺されかけた江川紹子だ。
 その後に起きた、松本サリン事件のもともとのきっかけは、オウム教団の施設建設をめぐって起こされた民事訴訟で、松本地裁が建設を却下したことにある。犯人たちの狙いは、地裁だったのではないかという捜査員の発言や、不審なトラックの目撃情報も県警は重視せず、通報者で被害者の河野義行さんの追求に邁進する。
 警察の捜査が確実なものであったら、オウム犯罪の全面化は防げたのだ。そして、その捜査の鍵はあちこちにあった。こういう大切な「遺産」とも言える過去を、私たちは持っている。
 今回の法案に引き寄せて考えれば、「一般人」の河野さんが、捜査され「犯人」とされるいきさつがちっとも生かされていない。具体的な議論抜きに「一般的」に流れている。おそらくは痴漢も含めた「冤罪の犯人」の方たちは、忸怩(じくじ)たる思いでいるに違いない。
 マンチェスター、そしてジャカルタと、連日のように続くテロの報道に、私たちの胸の内も穏やかではない。しかし、テロの脅威が一体どこまで進行しているのか、そして、それらに対処するものがどう不足しているのか、私たちは余りにも分かっていない。そんな私に、
「印象や感情でテロを判断してはいけない」
という連中がいるとしたら、その言葉をそのまま返そう。議論が「印象」で進められていることに、私たちは戸惑いと不満を募らせているのだ。

 3 渋谷暴動事件
 三菱重工ビル爆破事件の大道寺被告が、この24日に死亡したことはあえてコメントしないが、1971年の渋谷暴動事件で、手配中だった中核派の活動家が逮捕されたことを、どうしてこのタイミングで?と思う。彼(ら)が「テロリスト」として浮かび上がることは、「共謀罪」をめぐる「印象」を強める上で、有効と思えるからだ。詳細は次号で書きます。赤軍のことも含め、この時期、新左翼の運動は分岐点にありました。


 ☆☆
その頃の敬愛する先輩から、檜原村の遅いタケノコが届きました。写真を撮る間も惜しんで、さっそく湯掻きました。今年は、イノシシのお蔭で不作だといいます。山が荒れる原因は、多分、過疎と住民の高齢化なんですねえ。
とまあそんなことは置いといて、せっかくの美味しい話です。今日は、筍ご飯と若竹煮で行きます。

     手賀沼湖畔に咲いた、かわいらしい花たちです。

 ☆☆
大川小学校の遺族であり原告の佐藤和隆さん講演会、9月23日(土)に決まりました。場所は柏の「アミュゼ柏」です。
現在、世話人会方式ということで、いろんな方と一緒に準備を進めています。詳しいことが決まればお知らせします。来月には、ビラ/ポスターなども、ここに掲載できると思います。
ぜひ関東圏の方々、予定に入れておいてください。

    以前も載せましたが、議員さんの部屋からの眺望です。

始まる  実戦教師塾通信五百四十八号

2017-05-19 11:11:11 | 福島からの報告
 始まる
     ~芋の苗床作り~


 1 「生きてる牛に餌、死んだ牛を埋める」

 当ブログの544号、仲村トオルの返信に書かれていたことを再び取り上げる。その返信にあった蛭田牧場の娘さんの手紙が、「広報ならは」の5月号に掲載されたからだ。広報のトップに掲載されていたのは、「おかえりなさい」と題される、新設され開校された楢葉町立南小/北小/中学開校式の様子である。

 続く記事「トップランナー 前を向くひと」の最初に、蛭田さんの娘さんの手紙が登場している。
「わたしの家族は137人です。お父さんとお母さんとじいじとばあばとじいちゃんとばあちゃんと130頭の牛たちです。……今、生きている牛をぜったいころさないでください。しょぶんはヤダ。……今、がんばって生きているんです。……お手つだいできる事ならなんでもしますのでほんとうにお願いします」
同級生みんなで署名し、それを国にあてて送った時の手紙だそうである。そして、蛭田さんへのインタビュー記事が続く。
 以下は記事の中からの抜粋。
「(蛭田さんは)警戒区域となり立ち入りが禁じられても、3日に一度、軽トラックで山道2時間の道を通いました。牛は蛭田さんが来るのを待っていたようにひと息に餌を食べ、そして蛭田さんを見つめたそうです。『つらかった』。
 夏になると、牛が死に始めました。『朝早く来て、生きている牛に餌をやり、穴を掘って死んだ牛を埋める。その繰り返しだった』」
508号「楢葉の涙」を思い出した人もいるのではないだろうか。同じく楢葉の渡部さんの母屋に響いた、
「もう、あんな思いは二度としたくない」
という、奥さんの悲しみの叫びだ。

 2 芋畑/遠足
 その渡部さんも、いよいよ活動開始である。

ここはついこの間まで消波用テトラポッドの置き場所だった。広さ一町というこの畑に、一万本の苗が植えられる。すでに植えられて、穴から苗が頭をのぞかせているので、2500本分だそうだ。四方は、イノシシ除けの電線が張ってあった。

「触ってみっかい?」
と、渡部さんがニヤッと笑った。
 この二日前に突然の出来事があって、渡部さんはてんてこ舞いだった。加えて、母屋にある牛舎の修理で打ち合わせがあり、渡部さんは席を空けた。そこに、苗を植えるお手伝いの人たちが来た。じゃあ渡部さんが戻るまで始めてますかということになった。畝(うね)に被せたビニールに穴を開ける作業だ。ここで出しゃばらないテはない。見よう見まねでついていく。

遠足なのだろうか、天神岬まで行って来たのだろう。おそらくは初めの写真に登場した、小学生たちの列がにぎやかに前を通りすぎて行った。


 3 「ダルマは秋かなぁ」
 芋が大変なのは、植える時と収穫のとき。あとは、雑草の管理ぐらいなものだそうだ。
「じゃないと、牛を飼うことは出来ないよ」
収穫の時、必要なら仲間を呼びますよ、と私は言ったが、
「今年は大丈夫だよ」
と言うのだった。
 渡部さんが福島県の本宮で牛を買いつけるのは、夏だ。ダルマは(仲村トオルに)頼むんでしょ、いや、頼んでくださいよ、私は渡部さんに言った。いつだったか渡部さんは、牛の買いつけで「片目」を入れ、出荷したら「残りの目」を入れると言っていたのである。
「子牛を生んだらもらおうかな」
渡部さんは嬉しそうに言うのだった。目はどうするんですか、という私に、
「おっか(奥さん)は、『目入れたら一年で燃やさなきゃなんねえ。そんなこと出来るもんか』って言ってたよ」
と言う。蛭田さんのように、みんなも同じことを言う。その奥さんは、ダルマのことが話題になった時、
「今からそんな(図々しい)こと言ってんのかい」
と、渡部さんをたしなめていたのだ。
 
 楢葉の空が晴れ渡っていた。


 ☆☆
いわきの話です。一戸建ての家を建てたおばちゃんが、この間話してました。隣の家は楢葉から越してきた家です。おばちゃんが庭の手入れをしていると、その家の子がよく話しかけてくるそうです。そこのお母さんが、
「出かけようと言っても『もっとお姉ちゃんと話す』と言って聞かないんです」
とこぼすそうです。かわいいんだよ、と言って顔をほころばす「お姉ちゃん」です。かつておばちゃんが、あの人たちは金持ちだかんねと、皮肉まじりに言っていた頃を思い出しました。こうして「新しいご近所」が始まるのかな、だったらいいなとも思いました。


     これは柏。手賀沼沿いの田んぼでくつろぐ鴨さんたち。

 ☆☆
大相撲、面白いですねえ。稀勢の里の愚直とも言える真面目さが人気なのですね。この人気は、もう「日本人びいき」のラインにない気がします。自分を信じることで開けるという事実を、私たちはみているのでしょう。それに加えて、多くの若手の躍進も見逃せません。白鵬?もちろんこれからです。私には、初日の相撲が一番良かった。千代国にヒヤッとさせられましたが、スピードと流れの絶妙な取り口が、まだまだいけるなあと思わせました。

箱根  実戦教師塾通信五百四十七号

2017-05-12 11:54:26 | 旅行
 箱根
     ~癒されました~



 
 ゴールデンウィークは、箱根によく行きます。小田急ロマンスカーは、レトロな車種でした。ラッキーだったのは、先頭の車両だったこと。電車の運転士になりたい、という人の気持ちが分かる瞬間です。



突然ですが、一枚目の写真のような景色を守らないといけない、という気持ちになるこの頃ですね。自衛隊は海外に行ってはいけないんです。たとえば、
「道路を作る目的は、平和と復興以外のなにものでもない」
なんて簡単なものではない。なんでも運ぶのが道。そこに道路を作られたら困るという「人々」(あるいは「連中」)がいる。そして、それを攻撃するのが戦争です。「自衛隊派遣の条件は、当該地域が戦闘状態にない」ことも、むちゃくちゃになってますものね。

 ☆☆
 いやあ、芦ノ湖は凄い靄(もや)っていうか、多分雲の中なんですね。箱根神社(九頭龍神社)が、かすんでました。海賊船は動いてなかったなあ。




これは湖畔の『箱根ベーカリー』。これでも視界の良くなってきた頃です。カプチーノが美味しかったです。


 ☆☆☆
 箱根湯本駅から出てすぐの景色。いつも沢山の人が弁当を食べてたり寝てたりと、ゆっくり出来る場所。
次は、ここから歩いて2、3分のところにあるお饅頭屋さんの店頭から撮った写真。カメラマンが良くないので、どってことないように見えます。でも、現場に行けば分かります。和洋の建物にはさまれた坂道の奥に、新緑が映えているのです。女の人が道を横断する姿、なんか、『アビーロード(Beatles)』のジャケットを思い出します。




 バスで乗り合わせた若者たちが、
「なんか有名っぽい!」
「立派!」
などと叫んでいた、老舗旅館『富士屋ホテル』で~す。



 ☆☆
箱根に行く時、必ず通る小田原。小田原には山本哲士ともうひとり、古くからの友人がいます。友人の家の近くだった酒匂川を電車が通る時、かつてここを散歩したことや、娘と一緒におもてなしを受けたことなど、いつも懐かしく思い出しています。

 ☆☆
ゴールデンウィークに、昨年の子どもたちと何度かすれ違いました。アレ、と言ったあと、歓声を上げて追いかけてくるのです。こんな物騒なご時世に、という気持ちが胸を熱くします。
「いま、なにしてるの?」
「もとの暮らし?」
などと群がる会話に、思わず笑ってしまいます。

   これは我が家のバラ。手入れもしないのにありがたい。

福島いじめ  実戦教師塾通信五百四十六号

2017-05-05 11:28:27 | 思想/哲学
 福島いじめ
     ~続「『共同幻想論』/山本哲士」~


 1 「巫巫見(ふげき)論」

 543号「『共同幻想論』/山本哲士」が、意外に反響があった。面食らう人たちが多いのではないか、というこちらの予想に反して、新鮮な感想を寄せてくれる人が多かった。『共同幻想論』をこんな引っ張り方でいいのかな、という躊躇はあったが、山本氏の著に刺激され、書いて良かったと思っている。多くの反応に気をよくしてまた書きます。
 ジャンルは「子ども/学校」ではないか、と迷った。昨年11月に明らかにされ、問題とされ続けている「原発避難先でのいじめ」を取り上げるからだ。しかし、吉本隆明、そして山本哲士の提起している場所に、福島の問題は浮き上がって見えた。『共同幻想論』第三章の「巫巫見論」(ホントは右側のふた文字「巫見」は、ひとつの漢字です。パソコンが表示してくれません。意味は「男の巫女」)が、そんな場所だ。

 2 「いづな解き」
 以前、横浜でのいじめ問題を取り上げた。
「私たちは福島から来たということもあり、原発いじめというくくりで大きく取り上げられましたが、今回の息子の件はどこでも起こりうる『いじめ』です」

(2月14日報道)という被害生徒の母親発言に、私たちは学ばないといけないと書いた。
「菌うつる/放射能」
と言い続けた子ども(たち)に、一体なにがあったと言うのだろう。『遠野物語』を引用する吉本の指摘は、示唆(しさ)に富んでいる。

「ここでは村落の共同幻想の伝承的な本質は、はっきりと<狐>として措定される。そして狐使いは……<狐>という共同幻想の象徴にじぶんの幻覚を集中させれば、他の村民たちの心的な伝承の痕跡をもここに集中同化させることができると信じられている」(「巫巫見論」より)

分かりやすく要約すれば、人々の心に蓄積したものがある、それを媒介するものに意識を表出できる人物は、人々の心をつかむことが出来るという。まだ続く。

「<いづな使い>が能力を発揮するには、すくなくとも村民の側にふたつの条件がいる。ひとつは<狐>が霊性のある動物であるという伝承が流布されていることである。もうひとつは、かれらの利害の願望の対象が、自分たちの意志や努力ではどうにもできない<彼岸>にあると信じられていることである」(同上)

「いづな」とは、霊力を持った狐のこと。狐は人々に憑(つ)くという伝承である。人々が入眠状態(543号参照)にある時、<いづな使い>は人々に、「予言」や「予断」をくだす力を持つ。
 子どもたちの身近にいる<いづな>とはなんだろう。それは「仲間の輪に入らない存在(目立たない存在)」であり、または「目立つ存在(リーダー)」だったりもした。最も早く最も敏感にその存在をキャッチした子は、その子をはさんで自分たちの集団を、よくも悪くも出来た。その子と自分たちがどう関与するのか、というのが分かったからだ。たとえば、転入生が「目立たない子」だったとしよう、その子が異物/異端の存在とされ、排撃の対象となる本当の理由は、
「子どもたちの中に蓄積された、自分たちではどうにも出来ないものを」
その子が持っている、と思われたことにある。
 そんな子どもたちに、すでに「伝承」と言っていい「放射能言説」が紛れ込んだ。危険なはずの放射能は、原発事故当時繰り返された、
「ただちに健康被害をもたらすものではない」
なる無責任/無能な政府の言い訳も含んでいる。その上、この言説の中には、「低線量被曝は体にいい」という「閾(しきい)値理論」まで入っている。「どこから危険かは不明」、そして「いいも悪いもある放射能」等に対し、私たちは「入眠状態」にあると言っていい。
 現状では、「変わったキャラ」「目立たない」というもので、子ども集団はまとまりにくい。しかしその点、放射能は象徴的な力を持っていた。ある子ども(たち)は「拡散された幻想(伝承)の放射能」に、自分を同化させた。排撃(「いづな解き」)に入ったのだ。
 543号に続いて繰り返す。
「共同幻想は、様々な場面で様々な形をとり、繰り返し立ち現れる。そして簡単には崩壊しない」

 3 大切なもの
「いじめは犯罪です」
なる安直な考えでは、いじめは解決しない。すでにお分かりの通り、永続的な「解決」という形があるとは思えない。どこに問題の根源があるのだろう。
 初め引用したように「利害の願望の対象が、自分たちの意志や努力ではどうにも出来ない」状態に、今の子どもたちもあることは間違いない。それが「居心地の悪さ」として、生活のあちこちにどっしりと腰を下ろしている。そしてとんでもないものが、「対処療法」とでも言うように大きな顔をしている。たとえば、
「景色や食事をないがしろにする」
「家族や友だちとの時間を気が散った状態で過ごす」
「小さな画面」に、私たちは向かっている。私たちは「楽しい」と「忙しい」の区別も出来なくなっている。子どもたちも同じだ。「どうにも出来ない」状態は、むしろ深まっている。


 ☆☆
さしあたっての解決、ぐらいは書こうと思ってたんですが、すみません、字数がもうそろそろって感じですので、次の機会にします。まあ、いつも書いてることではあるんですが。

     手賀沼の春です。若葉青葉がさわやかですねえ

 ☆☆
キネジュン柏で『ゴジラ』観て来ました。

前回BSで観た時は、福島を連想したのですが、今回は改めて「空襲」「広島/長崎」を思い起こしました。怖かった。老人や若者、親子連れで一杯だったのです。終了後の拍手には感動、でした。


   これはお馴染みの「和さび」で、旬の白魚の踊り食い!