夏休み(下)
~松江/出雲(いずも)~
1 松江城
神々を詣(もう)でる旅に行って来ました。日出ずる伊勢の国に対する、日没する出雲の国へ。これは宍道湖(しんじこ)に沈まんとする太陽。釣り舟が夕日を横切ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/cc/ca3f74093cfb5c6f1fbed91c49af209d.jpg)
松江城。石垣沿いの橋を渡ると、勇壮な姿を見せる。本当は明治の廃藩置県の折り、廃棄(はいき)されるはずだったお城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/0c/febf4cb7ea4742c519e272eeaf1214ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/64/313dcd5fd30b6bab8d5736c7b2fc4f73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/8b/e2e20dec3f49afeb6c96a23fa0b774de.jpg)
この写真は、天守閣からのもの。宍道湖が見える。
4 小泉八雲
この旅で一番印象に残った。八雲の旧居(きゅうきょ)は松江城のそばにある。写真は、書斎から見る玄関側の庭。
「これは百日紅(さるすべり)ですか」
と聞くと、
「そうです。ありがとうございます」
と、水をやっていた庭師さんが応じてくれた。
昭和七年に、高浜虚子がこの旧居を訪れている。
「くわれもす八雲旧居の秋の蚊に」
とは、その時の句。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ca/800054f8b8e6040140f714d5c09021c4.jpg)
八雲が散歩の際、必ず通ったという城山稲荷。境内(けいだい)全域にわたって、朽(く)ち果てそうな狐の石像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/32/e59e52a2ac4d926155fe597fa60be2fc.jpg)
5 出雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9e/05d387dacd0aa8021df99e86892b0b84.jpg)
八百万(やおよろず)の神、大国主命(おおくにのぬしのみこと)の神社。中には相撲の神様・野見宿禰(のみのすくね)神社もある。もちろん参拝してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/27/7800d9a4c5e0b706ce1920b09283d9e2.jpg)
天照大神(あまてらすおほかみ)の使いと、大国主命の命を受けた神との、いわば代理戦争の場所となった稲佐の浜。いい風が吹いてました。出雲大社から歩いて20分。途中には出雲阿国(いずものおくに)の墓がありました。
☆☆
じぇじぇじぇ! あの『あまちゃん』の能年さん、アニメ『この世界の片隅に』(11月公開)の主役(声優)になったというではないですか! 嬉しいですねえ。何が悪いのか知りませんが、叩かれ叩かれ、叩かれ続けた彼女です。それでも沈黙していた彼女です。良かった良かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/29/6fe3e20d2d11d910ef6f487d22a71806.jpg)
関係なくてすみません。これは深キョンです。
☆☆
今年も剛柔会空手道全国大会に、顔を出してきました。昨年と同じく、宗家の山口先生は、空手がオリンピックでの正式種目に採用されたことを喜びつつ、空手の持つ「技」と「精神」を受け継がないといけません、というあいさつをされました。改めてホッとします。
杉並道場にも知り合いが出来て、話が出来たのも嬉しい。
写真は記念Tシャツです。今年はオリンピックをあやかって、市松文様となってますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/73/d8c8d4b0b4ed3f55d5df3b67f5bd635c.jpg)
☆☆
ほとんどの人が知らないと思います。もうすぐで丸5年の、経産省前脱原発のテントが撤去されました。21日(日)は、明け方の4時頃だったそうです。当たり前ですが、ニュースは、オリンピックのマラソンや閉会式直前の記事で埋められてて、「それどころではない」状況です。甲子園決勝の翌日でもあるのです。朝日新聞は、たった一段・20行に満たない扱いでした。
以下は、テントの『テント日誌』からの抜粋です。読んでください。
「テントは形をかえて存続する、それは脱原発―再稼働反対の意志だから。
最高裁の決定をかざして経産省-國側は本日の午前3時40分過ぎに経産省前のテントは強制撤去をされた。裁判官や警察官など100余名を引き連れての撤去作業に対して僕らの側は泊り込みの5人で対応をするしかなかった。人目のつかない日曜日の朝がという警戒をしていたが、まだ暗い午前3時40分とは驚きだった。この種の強制執行はまだ暗闇の時間の執行は禁じられていると伝えられていたからだ。わざわざ、特別許可を取っての執行だったとのことだ。」
このあと、200人の支援者が、抗議に駆けつける様子がテント日誌の動画に記録されています。
とうとう一度も行かないうちに、テントが撤去されてしまった、という思いと、この5年に近いテントの取組の困難さと、そして粘りを思いました。
~松江/出雲(いずも)~
1 松江城
神々を詣(もう)でる旅に行って来ました。日出ずる伊勢の国に対する、日没する出雲の国へ。これは宍道湖(しんじこ)に沈まんとする太陽。釣り舟が夕日を横切ります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/cc/ca3f74093cfb5c6f1fbed91c49af209d.jpg)
松江城。石垣沿いの橋を渡ると、勇壮な姿を見せる。本当は明治の廃藩置県の折り、廃棄(はいき)されるはずだったお城。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/64/0c/febf4cb7ea4742c519e272eeaf1214ef.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/64/313dcd5fd30b6bab8d5736c7b2fc4f73.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/8b/e2e20dec3f49afeb6c96a23fa0b774de.jpg)
この写真は、天守閣からのもの。宍道湖が見える。
4 小泉八雲
この旅で一番印象に残った。八雲の旧居(きゅうきょ)は松江城のそばにある。写真は、書斎から見る玄関側の庭。
「これは百日紅(さるすべり)ですか」
と聞くと、
「そうです。ありがとうございます」
と、水をやっていた庭師さんが応じてくれた。
昭和七年に、高浜虚子がこの旧居を訪れている。
「くわれもす八雲旧居の秋の蚊に」
とは、その時の句。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/75/ca/800054f8b8e6040140f714d5c09021c4.jpg)
八雲が散歩の際、必ず通ったという城山稲荷。境内(けいだい)全域にわたって、朽(く)ち果てそうな狐の石像。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6f/32/e59e52a2ac4d926155fe597fa60be2fc.jpg)
5 出雲
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0d/9e/05d387dacd0aa8021df99e86892b0b84.jpg)
八百万(やおよろず)の神、大国主命(おおくにのぬしのみこと)の神社。中には相撲の神様・野見宿禰(のみのすくね)神社もある。もちろん参拝してきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/07/27/7800d9a4c5e0b706ce1920b09283d9e2.jpg)
天照大神(あまてらすおほかみ)の使いと、大国主命の命を受けた神との、いわば代理戦争の場所となった稲佐の浜。いい風が吹いてました。出雲大社から歩いて20分。途中には出雲阿国(いずものおくに)の墓がありました。
☆☆
じぇじぇじぇ! あの『あまちゃん』の能年さん、アニメ『この世界の片隅に』(11月公開)の主役(声優)になったというではないですか! 嬉しいですねえ。何が悪いのか知りませんが、叩かれ叩かれ、叩かれ続けた彼女です。それでも沈黙していた彼女です。良かった良かった。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/01/29/6fe3e20d2d11d910ef6f487d22a71806.jpg)
関係なくてすみません。これは深キョンです。
☆☆
今年も剛柔会空手道全国大会に、顔を出してきました。昨年と同じく、宗家の山口先生は、空手がオリンピックでの正式種目に採用されたことを喜びつつ、空手の持つ「技」と「精神」を受け継がないといけません、というあいさつをされました。改めてホッとします。
杉並道場にも知り合いが出来て、話が出来たのも嬉しい。
写真は記念Tシャツです。今年はオリンピックをあやかって、市松文様となってますよ。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/55/73/d8c8d4b0b4ed3f55d5df3b67f5bd635c.jpg)
☆☆
ほとんどの人が知らないと思います。もうすぐで丸5年の、経産省前脱原発のテントが撤去されました。21日(日)は、明け方の4時頃だったそうです。当たり前ですが、ニュースは、オリンピックのマラソンや閉会式直前の記事で埋められてて、「それどころではない」状況です。甲子園決勝の翌日でもあるのです。朝日新聞は、たった一段・20行に満たない扱いでした。
以下は、テントの『テント日誌』からの抜粋です。読んでください。
「テントは形をかえて存続する、それは脱原発―再稼働反対の意志だから。
最高裁の決定をかざして経産省-國側は本日の午前3時40分過ぎに経産省前のテントは強制撤去をされた。裁判官や警察官など100余名を引き連れての撤去作業に対して僕らの側は泊り込みの5人で対応をするしかなかった。人目のつかない日曜日の朝がという警戒をしていたが、まだ暗い午前3時40分とは驚きだった。この種の強制執行はまだ暗闇の時間の執行は禁じられていると伝えられていたからだ。わざわざ、特別許可を取っての執行だったとのことだ。」
このあと、200人の支援者が、抗議に駆けつける様子がテント日誌の動画に記録されています。
とうとう一度も行かないうちに、テントが撤去されてしまった、という思いと、この5年に近いテントの取組の困難さと、そして粘りを思いました。