実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

実戦教師塾通信百五十八号

2012-04-20 11:51:51 | 提言
 『脱東電』のために



 step2のⅢ

①『非電化工房』


 前号に引き続き先輩からのアドバイスで考えてみた。まずひとつ、バカバカしいくらい当たり前のことを言われた。
「東電から逃れたいのだったら、東電の管轄外に引っ越すこと」
笑ってしまった。そうだった。言われて見て、自分が「個人的に」東電の管轄外に脱け出すことを目的としているのではないことに今さら気付いた。私は、「私たちとして」東電の鎖(電線?)を断ち切るにはどうしたらいいのか、ということを考えたいらしいのだ。
 東京の先輩もそうだが、いや恐らく東京の先輩の方が、この岩手の先輩よりも自然に寄り添った生活をしている。その生活ぶりを見たり(雑誌で見た)聞いたりすると、都会的生活につかっているもの、あるいは都市的空間にいるものは、「自然」というものに、あるいは自然という姿をした自分というものに耐えられるのだろうか、と思った。「自然葬」などという流行りものがあるが、それまで近未来的・都会的生活をしていたものが、末期に及んで「森林に」「海に」還りたいと思うのは自由だが、きっといきなり「自然に」さらされた自分の骨の方ではびっくりするんではないか、と思ったりもする。
 『非電化工房』というのを聞いたことがあると思う。栃木県は西那須野に研究者(趣味者?)が立ち上げた電気に頼らない、自然エネルギーで生きる実験的場所である。耳にはしていたが、今回、先輩の勧めがあったので覗いてみた。ここに二、三紹介するが、皆さんも検索してみるといい。その発想の、素朴かつ豊かなことに「笑う」に違いない。そして思う。「面倒くさい」。私たちがいかに「文明」の中にどっぷりとつかっているか、ということも分かる。

 ○雨水トイレ
もうお分かりのことと思うが、蓄えた雨水を排泄物とともに流す「水洗トイレ」だ。

 ○バイオトイレ
となれば、それを流すのは「川」!?ってそんなバカな、である。微生物の力で無機化する。

 ○非電化除湿機
これは実際詳しく、画像も含めて確かめることをお勧めする。もちろん「しかけ」は除湿剤であるが、立派な姿にほれぼれ出来る。そして、これが大切だが「能書き」がいい。初めに来るのが「除湿機は必要なのか」である。「日本古来」の住居に対する考え、その合理性を高度成長の日本社会はブルドーザーのごとくなぎ倒してきた、と始まる。それで出来上がった「高気密・高断熱」の住居こそが、もともと不要だった「除湿」を必要とした、という。そんなことを踏まえた上での「非電化除湿機」の提案となっている。

 その他、非電化冷蔵庫は有名なので読者も知っているかも知れない。そんな沢山の「製品」が並んでいる。この工房がいいのは、やたらに気負い振りかぶることもなく、ユーモアさえ感じさせる空気のなかでやっていることだ。じゃないと続かないよ、ということなのか、「自然」体でやろうよ、ということなのかな。

 ②岩手手作り「モートンハンバーグ」
 この話題が『脱東電』をストレートに扱うものではない。しかし、原発事故のもたらしたものをどうクリアするかということを考えるうえで、この手作りハンバーグのことは考えさせられた。4月10日の『クローズアップ現代』(NHK)を見ただろうか。ニュースのあとの番組で、私はまず見ることはないが、つい画面に引きずられて見てしまった。
 岩手の手作りハンバーグの小さな会社の話だ。地元の牛を使ってハンバーグやハムを作ってきたこの会社は、セシウムが検出された肉をどうすべきか迷い、消費者にその事実を伝えて販売に踏み切ることにした。「キロ当たり6ベクレル」を表示、基準値(キロ当たり100ベクレル)をはるかに下回る数値だ。ところが、ハンバーグは4割が売れ残り、牛肉の在庫は800キロに及んだというレポートだった。元飛行士の解説者は「放射能が検出されたということでそんなに神経質になることはない」と言い、番組は「消費者側も少し学習することが必要かも知れない」というように結ぶ。
 私はそんな思いをして作るハンバーグを是非とも食べてみたいと思って、検索した。結局私は注文しなかったのだが、「原発事故の現在」を知る上でずいぶんと参考になった気がした。身も蓋もないような2チャンネル的ブログの反応に、初めは気が滅入った。

「今は簡単に輸入品買えるんだよ。誰が汚染ハンバーグ食うか」
「作る方も考えろよ。どうして放射能の肉で作るかな」
「解説者はパイロットだろ。なんで食品や放射能の専門家出さねえか」
「飛行機で放射線浴びて平気だって!? 今さら内部被曝と外部被曝違うって昔の話を蒸し返す暇ねえって」
「『クローズアップ現代』見損なった。売れ残ったハンバーグは消費者のせいですか」

どっさりあった。ついでに言うが、これらのブログの装丁やデザインが立派なんだよねえ。こんな立派な衣装を身につけながら、こんな内容で恥ずかしくないのかな、と私の貧相なブログの装丁と比べて思ったものだった。
 今や輸入牛肉の方が安全だとするこの人たちが、「潜伏期間60年」という狂牛病が話題になった時、どんな反応をしたのか、興味のあるところだった。また、政府が「どうして?」と思うくらい急いでいる原発の最稼働に、この人たちがどんな考えを持っているか、これまた興味を持ったのだった。私にはこの人たちが「国民(消費者)にはできることとできないことがあるんだから(しょうがない)」と言ってそうで…ヤダね。
 
「そんなバカなこと(セシウムが検出された肉でハンバーグ作ること)やらないで、損害賠償請求すりゃいいんだよ」
「現地人は、そんなあぶねえとこに暮らしてて怖くないのかね。避難するから金くれって言えばいいんだよ」

「暮らす」とか「働く」とかいうことで、壁にぶつかったり、考えたことのないバカどもでないと、こんなことは言えまい。「やっぱり前に居たところに帰りたい」という女の子に引きずられて南相馬に戻った家族の話など、こういう間抜けどもには伝わらない話だ。
 いいブログもあった。私はこの通りだと思う。

「単純な話ではないと思います。安全な数値だ、ということで割り切れる方とそうでない方がいらっしゃると思います。小さなお子さんがいらっしゃる家庭ではやはり割り切れないことと思いますし。購入される方でも、安全だと思っている方、また、支援というものを動機として購入される方、と色々だと思います」

番組終了直後、この番組担当に沢山の問い合わせがあったという。その多くが、
「このハンバーグ(牛肉)を購入したい」
というものだったという。購入しようとしていた私の気勢が削がれたのは確かだった。


 ☆☆
「じゃあストーブを使わなくなったら、それで沸かしたお湯を使っての洗い物は出来なくなるんじゃないですか?」と、私の「エコな生活」にチャチャを入れられました。なにを言うかです、暖かい季節は「水洗い」です。でも、しつこい脂汚れは、残念ながら少し電気!のお手伝いを願います。マグカップに水を入れて電子レンジでチン、そいつぐらいお湯があれば充分!

 ☆☆
「先生がまだ現役のときに震災があったらどうだったのかなって思うんです」
「逆に先生が退職して10年過ぎて震災があったらって思うんです」
昨日、私の家に寄った教え子がそう言うのです。彼の言う通り、そうだったら私は支援に向かえなかった気がします。
「先生のような生き方をしている人だから、こんな『絶妙なタイミング』で震災は起こった気がするんです」と、彼は続けました。
 変ですが、なんか嬉しかったです。

実戦教師塾通信百五十七号

2012-04-17 12:52:29 | 提言
 『脱東電』のために



 step2のⅡ


 step3ではない。まだ2レベルなので仕方なく2に「Ⅱ」を冠した。
 『脱東電』をお題目としたこのシリーズだが、変わらず色々な方がアドバイスやエールをくれる。この場を借りて御礼申し上げます。
 今回はその中のひとつを取り上げたい。大学時代から敬愛する先輩からのアドバイスである。前回「☆」コーナーで登場した東京山奥の先輩でなく、岩手の先輩である。二人とも林学科だった。どちらも敬愛する点で共通しているし、大学院はあの藤原先生の母校に進んだという点でも共通している。私は、島根で「地域システム」の会社を立ち上げ、岩手にその支社を作って、今は震災の復興に向けて活躍しているこの先輩に、大学時代からずっと頭があがらないでいる。
 もともと林学が専門の先輩であるわけで、福島の森林の現状もよく把握していた。予期した通り福島の木材はすべからく「移動禁止」状態だそうだ。読者はご存知なのだろうか。この木材というものが衆目を集めたのは、思えば「京都五山焼き」だ。震災で被災した陸前高田市の松を、この五山送り火に使おうという主催者のアイデアが、地元住民からの抗議で中止されたというあの出来事である。一旦は中止されたものの、全国からの多くの逆抗議で復活したかに思えた「被災松」は、結局セシウムが検出されて送り返されたという、なんとも後味の悪い出来事だった。去年の七月~八月上旬は、京都の上空でこんな生臭い舌戦が交わされていた。
 福島の業者(林業)は生死の境に追い詰められているという。そうでした。福島は、漁業や農家ばかりでない、山まで追い込まれていることを忘れてはいけない。しかし大体において、木材は放射能が濃縮する表皮を剥ぎ取って使える。そして、その表皮は燃焼してエネルギーとして使える。灰にセシウムは濃縮されるが、それは閉じ込めればいい(「それしかない」という表現の方が適切か)。空気中には「拡散しない」。そういうことをメディアの連中は地道に訴えないといけないが、今は「不安を煽る」路線が「売れる」し「責任を問われない」のだ。そこからの「脱出」をこの連中は試みようなどと考えようとしない。
 それで2月の「南相馬国際会議」の時、児玉龍彦先生と話したことを思い出した。まだこのブログで扱っていなかった。以下に報告しておく。
 1970年代、日本は大気や水の汚染が問題となり、その対処技術が飛躍的に発展する。その時の空気濾過装置が、放射線に対しても十全に威力を発揮出来ている。セシウムには様々な種類がある(二種類はご存知と思う)が、セシウムの沸点・融点は、もっとも低い種類のもので摂氏600度台の後半(700度未満)である。その他で1200度のもの等がある。さて、焼却炉の構造基準は「800度以上で廃棄物を燃焼出来るもの」となっている。つまり、一部気化されることはあるらしい。しかし、その気化されたものを濾過装置が濾過出来るし、している。
 私が住むこの柏で清掃センターが稼働を停止したことがある。焼却炉から放射能が高濃度で検出されたからだ。柏は「北部」と「南部」のふたつに清掃センターがあって(正確にはあとひとつある)、「性能のいい」南部のセンターから高濃度の放射能が検出されたからということだった。それは上記の理由によることがこれで分かるはずだ。南部のセンターではセシウムが沸点・融点に達したということだ。さて、放射能で汚染された灰とフィルターは撤去・交換し、汚染されたものについては隔離するしかない、そうすればいい、ということだ。そうしなければ枝・枯れ葉はそのままだからだ。積みあがるだけだ。低線量のものを高く積み上げておく方がいいわけがない。灰として濃縮されたものを隔離する、それしかない。忘れてはいけない。厄介なものを私たちが引き受けないといけないという事実を。福島にそれらは集中すべきだ、というのかな。百歩譲ってそうだとしたところで、そうなるまで一体あと何年、何十年かかるのか、頭を冷やした方がいい。
 さて、燃やしたあと気化されたセシウムはどうなっているのか。濾過装置は充分機能している。柏が公開している数値によれば、排気口からは現在もセシウムは検出されていない。
 先輩の地元岩手では、この汚染された木材の「表皮をはぐ・燃やす」「製材として使う」規準をもとに普及に取り組んでいるということだった。

 私の予想に違わず、キミは相も変わらずですね、のような感じが先輩のアドバイスの中に見えて、私は苦笑するばかりだった。もう少し冷静に、長いスパンで考えなさいという含みも、余所のやつから言われればけつを捲くるところだが、この先輩に言われると、もう私は退散するしかない。もともと「その時・その場で決定される人の尊厳・誇り」「その時にしか成り立たないその人の安心・安堵」が私を動かして来たのは事実だ。「あとでじゃねえよ、今しかねえだろ」という思いが私を突き動かしてきた。大学でも、教員になってもそうだった。教員時代で言えば「大人になったら分かる」「服装をなおしたら話を聞こうじゃないか」「決まりを守らなかったら社会が成り立たない」等々とあげればきりがない、あぁバカだバカだ。子どもをまったく理解(読むことが)出来ない、理解しようとしない無能で傲慢な連中(例外はいますよ、念のため)は、実に情けない学校的現実である。一方、情報・消費社会が生む新たな「怪物的子ども」は、そんな無能な連中の言い回しや行動規範をいなし・さばくではあろうが、それで積極的現実が生まれるわけではないのが難しい、というか興味のあるところではある。と、思わず熱くなってしまったが、まあ、そんなところを善し悪し含めてこの先輩は諭すのだ。今回の『脱東電』ことでは「実効性としてどうなのか」ということになるわけで、それは私としても分かってのことなのだが、とりあえず有り難く、そして勉強させてもらいます、といったまずはの感謝である。


 ☆☆
この「Ⅱ」、続編やります。やはりこの「電気」ということで、私たちが考えないといけないことがずいぶんとある、ということです。それは今回の震災のおかげで、国民的にそう思えたのではないでしょうか。人によって「豊か」と「自堕落」の線引きはずいぶん違うものでしょう。そんなことが目の前で検証されつつある、そんな気がします。

 ☆☆
橋下イズム、ますます好調ですね。もともとあの人は「地方の政治」「地方からの政治」をコンセプトに大阪・関西の政治家に転身したのです。それが「政権を倒す」勢いです。きっと皆さんも橋下氏のやり方や、やる内容によって賛否が別れていると思います。はっきりしていることは「小さな場所の政府」を看板にしてはいますが「大きな政府」を現実路線としてとっているということです。「大きな政府から小さな政府」を「目指し」ていた小泉政権と酷似している、ということです。

 ☆☆
夏、久之浜~豊間を訪れ、支援を手伝いに来た教え子から連絡がありました。市職の彼が今年度の新入職員研修会であいさつを担当したので、夏の支援のことを話したのだそうです。するとなんと、会場の新入職員(消防担当)に久之浜の家を失った人がいたというのです。その人が質問にたって分かったことらしい。嬉しい報告でした。

 ☆☆
これも別な教え子から報告がありました。今年の『千葉文学賞』を受賞するという、それも『大賞』だというのです。さらにはそれが「史上最年少」だといいます。アラアラアラ、でした。私が「大丈夫、絶対入らない(入選しない)から」と言ったくれたおかげで、今まで書けてこれた、と彼女はいうのです。面白いですね。千葉日報が楽しみです。

実戦教師塾通信百五十五号

2012-04-09 12:52:33 | 提言
 『脱東電』のために



 step2


 様々な方に私の考えを送っているが、多くの反応をいただいている。人びとのこのことへの関心の高さを改めて知った思いである。また、息の長い取組が必要になることを改めて知ることともなった。
 いただいた意見や提案のなかで、今日はふたつ紹介する。まず一つ目はT大学・工学系のM先生の真摯で丁寧な説明である。その概要をここに掲載します。
 
① 家庭用ガス使用時に発電するシステムは、不経済で外部電源がないと動かない。
② バッテリーを必要とする発電システムは、レアメタルを必要とする。
③ レアメタルを必要とすれば資源問題ですぐ行き詰まる。
④ 送電網を開放しないとPPSの発電割合が増えていかない。
⑤ 原発は燃料費割合が小さいので、動かしても停止していても莫大な費用がかさむ。
⑥ 新たな家庭用蓄電池の開発が必要だ。それはコンビニでも買えるものが可能だ。
⑦ つまり、それがあると(送電網等の)社会インフラを必要としない。
⑧ 100億の研究費があれば輸入に頼っている20兆円の化石燃料を減らせる。
⑨ これは電力業界の存亡に関わることで、この種の研究には過去に妨害が入った。

以上箇条書きであるが、先生の説明は素人の私にも分かりやすい、実に明瞭なものだった。
 次にISEPの飯田哲也所長と共に取組を進めている、この柏近辺のグループからの提案である。これも箇条書きで。

① 保育園の屋根に市民による発電所をつくるというプロジェクトを始める。
② 電気自給を意識した方針を持つ「○○土建」と共に個人住宅の施工に取り組む。
③ そんな事業に補助金制度もできる。7月ころ「固定価格買取制度」が実施される。
④ そんな変化を受け、システム価格の変動があると予想される。
⑤ 東電から独立して回路を設ける試みを、すでに一部の仮設住宅でやっている。

以上である。確かに飯田哲也は「原発なしで充分やっていける」と言っていた。そんな事実をここで知らされたような気がした。
 大飯原発の再稼働が注目される昨今である。「地元の合意」が実にいかがわしい形で進められている。待ってくれよ。「福島の検証がまったくすんでいない」のに「福島の検証を踏まえた安全対策をとった上での再稼働」が臆面もなく言われていることを私たちはしっかりチェックしておかないといけない。



 ニュースの読み方

 この号の見出しとずれるのだが、久しぶりに『ニュースの読み方』。どうしても気になるニュースがここのところふたつ。今日はそのうちのひとつを。
 「北朝鮮のミサイル」のことだ。前もって言っておくが、私は北朝鮮が大嫌いである。以前この通信で「金さん」が帰還して行く時の切ないシーンを書いた。「肥沃な大地と床暖房のある国営住宅」の誘いで「故郷」に帰った金さん。待っていたのは荒れ果てた土地とたこ部屋だったはずだ。何もない私の家に置いて行ってくれたソニーのトランジスタラジオは、金さんのその後をちっとも伝えなかった。
 その大嫌いな北朝鮮が、国民の貧窮をわき目に全国民一年分の食料費がまかなえるともいう濫費をして「人工衛星」を打ち上げるという。度し難いことだ。日本初め各国のメディアはこの「ミサイル」打ち上げに非難の声を上げた。その一方でロケットの一段目・二段目を海底から回収するというアメリカや日本の動きに「断固たる鉄槌を下す」という北朝鮮の声明を見ている。オバマ大統領はこのことで韓国を訪問している。一段目が韓国領内海域に落下する予定となっている韓国内は、2009年のテポドン一号の時とはまったく反応を異にしているようだ。確かにあの時、テポドンは日本海と日本を横断して太平洋に着水。韓国内を通過していない。
 全て私は異議をはさまないつもりである。気になるのは誰もが「人工衛星そのものが、ミサイル技術を保持していないとできないものだ」との言及をしないことだ。特に団塊世代たる私たちは日本が人工衛星を打ち上げるまで、その経過をリアルタイムでみてきた。1970年に日本が打ち上げた人工衛星「おおすみ」は、今考えると驚異的なことだが、全段ともに「無誘導」での打ち上げだった。この「誘導」システムは軍事技術につながるという、当時の社会党(今は零細になってしまった社民党の先輩である)の強力な反対によってボツになったのである。少し考えれば、一段目・二段目がどこに落ちるかという正確な把握とは、それを「どこに落とすか」ということであるぐらい分かる。人工衛星(成功)に不可欠な「軌道修正」は、そんな誘導システムの中のさらに高度な技術である。
 1993年、ペンタゴン(米国国防総省)は地球を30台の静止衛星で囲み(全方位システム)、地上のものを数㎝単位で把握できるようになった。その技術を民間に開放しているのがいわゆるGPSシステムだというのはご存知だろうか。その技術を知られるのを防ぐため、ペンタゴンは一定の誤差を加えて配給している。EUはこれを嫌い独自に開発を進めている、というところまでは知っているのだが、開発は終わったのだろうか。
 もうひとつ付け加える。1970年の「おおすみ」発射の時、一段目・二段目が落下する地点の近海漁業関係者は、衛星打ち上げに反対している。現在、使用済み衛生がどこに落ちるのか皆目見当がつかず、あたかも「落石注意」のごとく騒いでいることは多いが、人工衛星発射で騒いだのは、今回だけではなかったのだ。



 ☆☆
やはりメディアはいかがわしいものですね。ついでながら言っときましょう。「今年の花粉はセシウムどんだけ!?」と煽った週刊○○は、きちんと追跡記事を書かないといけないですよね。

 ☆☆
今日はこちらは中学校の入学式でした。先だって小学校を卒業したお向かいの子、まぶしい制服と真新しいカバンに靴、で出掛けました。卒業式は住み慣れた学校に自分だけで登校。それを親が追いかけるように出掛けるのですが、入学式は知らないところに行くからなのかな、親と一緒に出掛けるんですねえ。そういえば卒業式の受付時間は、生徒と保護者は違っていたかなあ。今更ながら、外から学校を見る、という新鮮な思いです。
 昨年の今頃、いわきの小学校の入学式に向かう二組の親子を、豊間の海岸に向かうワゴンの中から見かけたことを思い出しました。その時一緒に瓦礫処理をした高校生(新入生)は「まだ入学式がいつになるか分からないから」来ていました。その子の中学校の何人かの若い先生は「雲隠れするかのようにいなくなって」いました。逃げるように福島からいなくなる先生、その一方で、ワゴンの中から見えた子どもたちは晴れ着に身を包んで、笑顔は緊張していました。あの子たちも今は二年生。学校は楽しいですか? あの時のあの子たちの笑顔を今でも忘れられません。

実戦教師塾通信百五十四号

2012-04-06 16:03:09 | 提言
 『脱東電』のために



 step1


 前号で少し言ったが、実行に移したい。実際の行動(施工?)までには半年ぐらいはかかると思うが、その間の経過や分かったことなどは逐一この場で報告するつもりである。もちろん「断念」したときも、である。読者の皆さんも、何かよい智恵があれば教えて欲しい。
 私の考えを色々な方面に相談・打診するのはこれからなのだが、とりあえず周囲の若干名の方たちに言ってみた。何人かの方が勘違いした。私が目指すのを「脱電気」と思ったのだ。私は電気をそんなに使う方ではないが、電気を必要としている。特に冷蔵庫とパソコンは、これはもう電気がないと困る。あとのものは、そのものをなしにするとか、代替のものでなんとかするが、これだけは電気である。なにを勘違いしているのか、東電に反対=電気に依存しない、と思っている方がいるのだ。いわき四倉でもそんな看板を掲げてろうそくで暮らしている人がいた。金もかかっていることだろう。こういう人と起居を共にしたくはない。
 とりあえず私は東電とおさらばしたいのだ。供給の相手は東北電力でもいい。東北電力も原発での発電なのだが、さしあたって仕方がない。さしあたっての相手は、ちっとも人間の顔を見せようとしない(できない)東電なのである。さてご存知の通り、私(たち)は東北電力から電気の供給を受けられない。となれば自力での発電ということで、定石の太陽光やエネファームということになる。とりあえず、ガスを使っている時に発電するエネファームだが、私は石油ストーブで沸いたお湯をポットに入れ、それを使って食器を洗うというような、少しだけ「自慢」の生活を営んでいる。このような私にこのエネファームというシステムはまったく不向きで、不要ということになる。そして太陽光発電だ。以下は現場の、また電気工事関係の仲間の声である。
 太陽光発電は、工賃を除いて100~400万円の費用がかかる。これを私がやろうとすれば、ひたすら自分に不測の事故や病気がないこと、また将来、重度の介護生活がないことを希望しながらの施工になることだろう。それはおいといて、と。現在、太陽光パネルを設置するにあたっての設置基準がある。屋根の形状や耐久性などがそこに明記されていて、場合によっては設置が許可されない場合がある。さて、パネル供給先の会社とパネルを施工する会社が違うのが実際の現実だ。この施工する会社が売り上げ・実績のため、パネルを供給する会社に実際と違うデータ(書類)を送り、認可をもらう。そして、パネルを設置してしまう。これが実に多い。おかげで重さ200キロにも及ぶパネルの重量に耐えられず「雨漏り」等の被害が出ることも少なくない。しかしパネルの供給先に責任を問えずに紛糾している。という。
 PPS(電力自由化)と言っても低電圧の私たち民間住宅までの開放にはまだ間がある。しかし、調べてみれば分かるのだが、電力を供給(売却)したがっている企業が実に多い。これでまずは、
「本当に電力は不足しているのか、不足するのか」
という印象を受けることができる。そんな中でのさらなる電力「個別供給」への道は、蓄電池(バッテリー)の進化・深化だという。これが進めば、曇りの日でも夜でも蓄えた電気を使える。そうなるまで電力を売りたい多くの企業は指をくわえて見ていない。自分たちの商品(電力)を買わずにすむ市場が形成されるからだ。PPS自由化を急ぐ気運は一気に強まる。という。その蓄電池なしだと、この太陽光パネルは、まだ天気の良くない日の電気は安定して供給できず不安定な電気のため、パソコンはハード部分まで壊れることもありうる、という。
 今のところ、私がとる道は家庭電源を最低の10アンペアまで下げて、あとは太陽光に頼る、ということになるが、まだ分からない。あわてることはない。私たちは東電・原発、そして20世紀文明との100年戦争に入ったのだから。


 ☆☆
 「久しぶりに下の道でいわきへ」
高速無料化中止で仕方なく、往路は6時間、復路は道に迷ったこともあって7時間かかりました。ホント!にいい景色なんですがね。何度もいいますが、あの住民基本台帳拒絶の矢祭町の山間(矢祭そのものが山間ですが)にはまだ雪! そしてさらに奥に入ると、道を狐!が横切っていく。しかし、行程が大変なのは紛れもありません。そのことでボランティアセンターでさんざん粘り、県の災害統括センターに回って交渉したのですが、
「結局、ネクスコ(東日本高速道路株式会社)さんの財政の問題だと思うんです…」
と、気の毒そうに言われました。どちらのセンターも、どんどん言ってください、こちらもいいますので、ということです。好転する日が来るといいのですが。
 休憩もかねるおかげで、あちこちの「道の駅」に立ち寄りました。「奥久慈だいご」で山菜のふきのとうと、でっかい椎茸を買いました。失礼と知りつつ、
「大丈夫ですか?」と聞きました。
親子の店員なのかな。息子と思われる方は真顔で、母親の方は笑って、
「放射能のことですか? 大丈夫ですよ。計らないと売れないし。大丈夫でした」と答えてくれました。失礼を詫びましたが、二人とも笑ってくれました。

 ☆☆
あの「ふじ滝」のテレビ画面が鮮明になりました。とうとう東北三県も地デジとなったのです。今までのテレビにアダプターをつけてありました。テレビのチャンネル数は変わらないので『いい旅ゆめ気分』愛聴者の私として、少し物足りなくはあります。