遠い子どもたち Ⅶ
~罰と償い Ⅱ イントロ~
☆☆
「真央ちゃんおめでとう」って、言わない人たちもいるけど、この言葉は晴れ姿に対して言われるものですからね、やはり「おめでとう!」でしょ。今まで大変な思いをしたけれど、それが報(むく)われた。良かった。私はファンというほどでもないのでたいしたことは言えませんが、そんな感じの思いです。
☆☆
森元総理の「あの子は大事な時に転(ころ)ぶ」
なる発言が大きな顰蹙(ひんしゅく)をかってます。あの人こそ現役(げんえき)時代に大いに転んで野党に力をもたらしたものです。まあそんなことはどうでもよろしい。ただここで、政治家というものが「人の期待に答え」ようとするものだ、というポイントで考えてみましょう。それをみんなは「公約」と言ったり、「マニュフェスト」と言ったりしています。
☆☆
アスリートはその点少し違っています。草野球でも学校の部活でも、みんな最初は、
「うまくなりたい」「強くなりたい」
という目標は、あくまで自分と向き合うものだった。それがうまくなる・強くなるに従って、自分の周囲にそれまではなかった「期待」というものが満ち始める。それを世間は、分かりやすく「注目」と呼んでいます。
☆☆
やっかいなことに人間てやつは、多くの場合、この「期待」というものに応(こた)えようとします。すると、多くが「堕落(だらく)」します。あるいは凋落(ちょうらく)します。自分を見失うからです。あの素敵な伊達さんが、観客のため息が続くもので、
「Shall up(シャラップ)!」
と思わず叫んでしまったのは残念でした。我を忘れたのですね。政治家というものはその点、周囲の期待に応えることばかり考えている人たちですから、アスリートたちの「目標」や「自分」と向き合うスタンスなど問題にしない、というのは道理です。
☆☆
「感謝の気持ちで滑りました」
と真央ちゃんは言い、
「これからは金メダリストとして何か出来るはず」
とは羽生君が言ったことです。
この二人の言葉が出てきた場所は、「人々・ファンの期待に応える」場所とは少し違っています。でも、少し油断をすればこの場所に落ちるのは、残念ながら間違いない。二人の温かい気持ちが真っ直ぐに伸びていくことを、そして幸せに生きていくことを願います。
☆☆
結局、オリンピックをニュースでしか見なかった私です。でも良かった。負けても爽(さわ)やかな真央ちゃん、高橋大輔、上村愛子、感謝です。あと印象的だったのはスノボと女子のジャンプ。あんなに冷静で自分に厳(きび)しいサラちゃんは怖いようでした。どんな旦那(だんな)さんと結婚するんだろう。大変だろうな、旦那さんが。って、サラちゃんがカッコいいことは変わりないですけど。
☆☆
無神経で図々しいインタビューの、最後の枕詞(まくらことば)「今後の抱負(ほうふ)はどんなものを?」ってやめてくれないですかね。特に真央ちゃんは「引退」なんだから。「少しゆっくり休んでください」って言えないんですかね。まあ、このあとのニュースでは引退を保留(ほりゅう)とありましたが。でも、あの時点ではまずいですわ。
☆☆
さて、えらく長い「☆」となりました。なわけで、今回予定だった「罰と償(つぐな)いⅡ」は、イントロだけとします。
週二回、水曜と日曜発行と自分で決めた日程も、今回はばたばたして守れませんでした。さらに、先週予定していた福島行きが明日からなので、ブログ次回発行は週末となります。いつもの週半ば(水曜)発行は、今回はおやすみします。
「罰と償い」Ⅱ イントロ
~「社会で生まれ、生きる子ども」
一体あなたは子どもの味方なのですか、違うのですかとよく聞かれる。学校現場での私の姿はおそらく、まるで子どものようだったり、あるいは少しも子どもに譲(ゆず)らない厳しいものだったりするので、先生たちはずいぶん混乱したようだ。前回とその前のブログの記事を読んで、またそんな混乱をした読者がけっこういたようだ。それで「あなたは子どもの味方か否(いな)か」のような質問を受けた。誤解をおそれつつ言えば、敵対的ではあっても、敵ではない、しかし、断じて味方でもない、そんな「大人としてのけじめ」を大人は持たないといけない、とまずはっきりそう言いたい。
(市会)議員さんの呼びかけによる懇談会(こんだんかい)で少し話させてもらった。館山でのいじめ事件を中心に話したのだが、そのあとで何人かの人たちが私のもとに来てこんな感じで話すのだ。
「今回の大雪で、子どもたちの雪と遊ぶ姿に、やっぱり『子どもは変わらない』と思った次第(しだい)です。子どもは変わったという考えや世論は違うと思う」
といったものだった。申し訳ないが、こういう大人たちは現状を変える力にならない。と言ってしまう私である。このノスタルジックな見方を否定するものではないし、そんな原初的姿を子どもたちが見せることもある。しかし、こういった考えはしょせん「子どもは変わらないもの(であって欲しい)」という願いを出るものではない。
白鵬は小さいころ、馬でモンゴルの草原を自由自在に遊び戯(たわむ)れた。都会のウランバートルでは、今やほとんど馬を見かけることはない。子どもたちは馬を「臭い」と言い、彼らが熱中するのはゲーム機だという。もちろん家の中でするのだ。白鵬は「自分の足腰は草原の馬で鍛(きた)えられた」と嘆(なげ)くのだ。大平原の白鵬の姿から、まだ20年も経っていない。いや、白鵬の小さい頃からすでに「草原離れ」は始まっていたらしい。
当たり前のことだが、子どもも社会の中で生まれ育つ。私はよくそう言い、書いてきた。いま子どもたちを路上(ろじょう)で見かけなくなったのは、子どもの絶対数が減ったことばかりが原因ではないことを私たちは知っている。子どもたちは寒い日に日向ぼっこをする必要がない。そして、暑い夏の日は涼しげな木陰を探す必要もない。彼らは家の中ですべて用が足りる。「社会的存在」としての子どもは、「変わる」のだ。その子どもたちの姿をとらえることが、私たちのやるべき、そして出来ることの「初めの一歩」である。
☆☆
福島行ってきます。今回は第一仮設での支援もあります。「その日は仕事が休みなので」と、仲間がお手伝いに来るという知らせも受けました。ありがたい。
この場を借りて、今回の「お醤油」協力メンバーに御礼申し上げます。
☆☆
そういえば、今回の支援日程は図(はか)らずも「2、26」なのです。1936年のこの日、鶴見の女学校に通っていた母は、憲兵(けんぺい)に行く手を遮(さえぎ)られたそうです。そして、
「ここから先には行けません。お引き取りください」
と言われたと、この日が近づくと毎年言っていました。
今年のこの日、雪は降らないようです。
~罰と償い Ⅱ イントロ~
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「真央ちゃんおめでとう」って、言わない人たちもいるけど、この言葉は晴れ姿に対して言われるものですからね、やはり「おめでとう!」でしょ。今まで大変な思いをしたけれど、それが報(むく)われた。良かった。私はファンというほどでもないのでたいしたことは言えませんが、そんな感じの思いです。
☆☆
森元総理の「あの子は大事な時に転(ころ)ぶ」
なる発言が大きな顰蹙(ひんしゅく)をかってます。あの人こそ現役(げんえき)時代に大いに転んで野党に力をもたらしたものです。まあそんなことはどうでもよろしい。ただここで、政治家というものが「人の期待に答え」ようとするものだ、というポイントで考えてみましょう。それをみんなは「公約」と言ったり、「マニュフェスト」と言ったりしています。
☆☆
アスリートはその点少し違っています。草野球でも学校の部活でも、みんな最初は、
「うまくなりたい」「強くなりたい」
という目標は、あくまで自分と向き合うものだった。それがうまくなる・強くなるに従って、自分の周囲にそれまではなかった「期待」というものが満ち始める。それを世間は、分かりやすく「注目」と呼んでいます。
☆☆
やっかいなことに人間てやつは、多くの場合、この「期待」というものに応(こた)えようとします。すると、多くが「堕落(だらく)」します。あるいは凋落(ちょうらく)します。自分を見失うからです。あの素敵な伊達さんが、観客のため息が続くもので、
「Shall up(シャラップ)!」
と思わず叫んでしまったのは残念でした。我を忘れたのですね。政治家というものはその点、周囲の期待に応えることばかり考えている人たちですから、アスリートたちの「目標」や「自分」と向き合うスタンスなど問題にしない、というのは道理です。
☆☆
「感謝の気持ちで滑りました」
と真央ちゃんは言い、
「これからは金メダリストとして何か出来るはず」
とは羽生君が言ったことです。
この二人の言葉が出てきた場所は、「人々・ファンの期待に応える」場所とは少し違っています。でも、少し油断をすればこの場所に落ちるのは、残念ながら間違いない。二人の温かい気持ちが真っ直ぐに伸びていくことを、そして幸せに生きていくことを願います。
☆☆
結局、オリンピックをニュースでしか見なかった私です。でも良かった。負けても爽(さわ)やかな真央ちゃん、高橋大輔、上村愛子、感謝です。あと印象的だったのはスノボと女子のジャンプ。あんなに冷静で自分に厳(きび)しいサラちゃんは怖いようでした。どんな旦那(だんな)さんと結婚するんだろう。大変だろうな、旦那さんが。って、サラちゃんがカッコいいことは変わりないですけど。
☆☆
無神経で図々しいインタビューの、最後の枕詞(まくらことば)「今後の抱負(ほうふ)はどんなものを?」ってやめてくれないですかね。特に真央ちゃんは「引退」なんだから。「少しゆっくり休んでください」って言えないんですかね。まあ、このあとのニュースでは引退を保留(ほりゅう)とありましたが。でも、あの時点ではまずいですわ。
☆☆
さて、えらく長い「☆」となりました。なわけで、今回予定だった「罰と償(つぐな)いⅡ」は、イントロだけとします。
週二回、水曜と日曜発行と自分で決めた日程も、今回はばたばたして守れませんでした。さらに、先週予定していた福島行きが明日からなので、ブログ次回発行は週末となります。いつもの週半ば(水曜)発行は、今回はおやすみします。
「罰と償い」Ⅱ イントロ
~「社会で生まれ、生きる子ども」
一体あなたは子どもの味方なのですか、違うのですかとよく聞かれる。学校現場での私の姿はおそらく、まるで子どものようだったり、あるいは少しも子どもに譲(ゆず)らない厳しいものだったりするので、先生たちはずいぶん混乱したようだ。前回とその前のブログの記事を読んで、またそんな混乱をした読者がけっこういたようだ。それで「あなたは子どもの味方か否(いな)か」のような質問を受けた。誤解をおそれつつ言えば、敵対的ではあっても、敵ではない、しかし、断じて味方でもない、そんな「大人としてのけじめ」を大人は持たないといけない、とまずはっきりそう言いたい。
(市会)議員さんの呼びかけによる懇談会(こんだんかい)で少し話させてもらった。館山でのいじめ事件を中心に話したのだが、そのあとで何人かの人たちが私のもとに来てこんな感じで話すのだ。
「今回の大雪で、子どもたちの雪と遊ぶ姿に、やっぱり『子どもは変わらない』と思った次第(しだい)です。子どもは変わったという考えや世論は違うと思う」
といったものだった。申し訳ないが、こういう大人たちは現状を変える力にならない。と言ってしまう私である。このノスタルジックな見方を否定するものではないし、そんな原初的姿を子どもたちが見せることもある。しかし、こういった考えはしょせん「子どもは変わらないもの(であって欲しい)」という願いを出るものではない。
白鵬は小さいころ、馬でモンゴルの草原を自由自在に遊び戯(たわむ)れた。都会のウランバートルでは、今やほとんど馬を見かけることはない。子どもたちは馬を「臭い」と言い、彼らが熱中するのはゲーム機だという。もちろん家の中でするのだ。白鵬は「自分の足腰は草原の馬で鍛(きた)えられた」と嘆(なげ)くのだ。大平原の白鵬の姿から、まだ20年も経っていない。いや、白鵬の小さい頃からすでに「草原離れ」は始まっていたらしい。
当たり前のことだが、子どもも社会の中で生まれ育つ。私はよくそう言い、書いてきた。いま子どもたちを路上(ろじょう)で見かけなくなったのは、子どもの絶対数が減ったことばかりが原因ではないことを私たちは知っている。子どもたちは寒い日に日向ぼっこをする必要がない。そして、暑い夏の日は涼しげな木陰を探す必要もない。彼らは家の中ですべて用が足りる。「社会的存在」としての子どもは、「変わる」のだ。その子どもたちの姿をとらえることが、私たちのやるべき、そして出来ることの「初めの一歩」である。
☆☆
福島行ってきます。今回は第一仮設での支援もあります。「その日は仕事が休みなので」と、仲間がお手伝いに来るという知らせも受けました。ありがたい。
この場を借りて、今回の「お醤油」協力メンバーに御礼申し上げます。
☆☆
そういえば、今回の支援日程は図(はか)らずも「2、26」なのです。1936年のこの日、鶴見の女学校に通っていた母は、憲兵(けんぺい)に行く手を遮(さえぎ)られたそうです。そして、
「ここから先には行けません。お引き取りください」
と言われたと、この日が近づくと毎年言っていました。
今年のこの日、雪は降らないようです。