心愛(みあ)ちゃん事件(補)
~アクシデントが起こる場所~
☆初めに☆
すでに申しましたが、先生方や民間の方々にも今回の事件の細かなレポートをしています。残念ながら、仮面のような表情で聞く方々もおりました。私はずいぶん下手な話し方をしていたのでしょうか。
一方で、身を乗り出すように話を聞いてくださる方々が多かった。質疑の時間に、
「知りませんでした」
相次ぐ感想に、私は理解しました。あの仮面のような方々の表情は、
「『知りませんでした』という顔は出来ない」
というものだったのです。置かれている立場からそうなるのでしょう。
「知りませんでした」
とは、どんな場でも「言いにくい」言葉です。これが言える場所は、風通しがいい。なんて素敵な人たちなのだろうと思って、私の口もなめらかになったのです。
☆☆
皆さんと話す中で、私たちに出来ること/出来ないことは、何となく分かった、しかし、どうしてこういうことが繰り返されるのか、もう少し深いところまで入れないかという声を、たくさんいただきました。
事故/事件はいくつかの要因がからんで起こります。その要因のひとつひとつは、生活の中にどっしりと腰を下ろしています。いつも自覚していたはずなのに、そこで「うっかり」や「しまった!」が起きます。
1 「脱走」を可能にする条件
前回記事の授業中の脱走→補導を、多くの読者は「あり得ない」と思ったようです。そこから始めます。
授業中、ある女子の「脱走」を許してしまった教科担任、過失はここから始まっています。疑いなく、この女子はこの先生を嫌いか、学校生活そのものを嫌いだった。この先生はとにかく、全面的「降参状態」だったのです。この先生は、この子との険悪なやり取りを回避することでなんとかバランスを保っていた。これが過失の原因①です。
「あいつがちゃんとやってくれたら」は、
「あいつさえいなかったら」
という気持ちになる先生は多い、というか誰でも経験します。会社でも経験することでしょう。家庭でも、
「お父さんがちゃんとしてくれたら」(「お父さんさえいなかったら」という人さえいるのです)
と思うのと似ているかも知れません。ここは大変ですが、クリアしないといけません。
この子の脱走に際し、待て/うるさいのやり取りがある時もあるが、全く気付かないこともある。先生が「その子さえいなかったら」と思うことで「その子を見ないようにする」からです。
その先生に対するクラス全体の「ダメな先生」という空気が充満しています。これが原因②です。だから生徒たちは、その子が出て行ったことに気付いても、その先生に言いません。その必要を持っていない。
知らんふりをしてか、ホントに気付かずにその先生は職員室に戻り、次の先生が授業に向かう。授業者は通常、始まる前に空いた席を確認する。欠席だとか、保健室にいるとか。そんなことをいちいちやるのが、今の中学校の日常です。でも次の先生は「脱走」を確認しなかった。「そんなこともある」のです。そして、渦中の子は「行方不明」のままになった。今度もクラスの生徒は「◇◇子が脱走しました」と言わなかった。つまり、次の先生も、そのクラスから「信頼されていない」か、もっと根本的なところで、つまりこのクラスの「仲が悪い」か「学校を好きではない」という局面にあるからです。にぎやか/自由な会話のない、つまり「情報共有」が出来にくいクラス、これが原因③です。
「楽しいクラスにはいじめが起きにくい」(「起きない」ではない)
と言われるゆえんです。
そして時は流れ、交番から「補導」の連絡が入る。
お分かりでしょうか。アクシデントというものは常に、
「弱った部分が重なり蓄積した時に起こる」。
たとえば、卒業して「大変なのがやっと出て行った」という思いばかりがある担任や、煩雑(はんざつ)を極める年度末事務や栄転/左遷(させん)に目を奪われた管理職によって、重大な問題を抱えた子どもの「引き継ぎ事項」が引き継がれず、中学校(高校)でのクラス編成や担任配置にあたっての配慮がされない、などということも起こります。
2 「情報が少ない」わけ
児相(児童相談所)の職員は、ひとり当たりおよそ100件の案件(親/子どもたち)を抱えています。千葉県柏市が中核市となった2008年以降、柏にもうひとつ児童相談所設置をという声が出ているのは、そういう理由です(警察署も同じ)。
案件の中には、電話連絡を継続する場合もあれば、接触も難しい上に、やっと面談がかなったと思えば、機関銃のように「自分の正当性」と「学校や行政の不当性」を主張する親もいます。そして、ケースが重篤(じゅうとく)なほど担当者は、
「足を遠ざけたい思い」
にとらわれます。つまり「優先順位」が揺らぎ、「急ぐ」「力を注ぐ」方ではなく「楽」な方を選ぶことがあります。当然ですが、これらは職員の「力」と「やる気」でまったく違ってきます。「こんなところ、好きで来たわけじゃない」職員には、重篤なケースは十分すぎる仕事量です。
心愛ちゃんの事件をめぐって、ひとつだけ考えてみましょう。心愛ちゃんが野田市に転校する二カ月前、沖縄県児相は父親の母親に対するDVを「情報が少ないため判断留保」しました。転居を受けた野田市は、「支援が必要な家庭」というレベルでの把握(はあく)にとどまります。
「情報が少ない」とは、どういうことを指すのでしょう。父親に直接聞けたのでしょうか。聞いても「そんな事実はない」と言ったはずです。また、母親本人からの情報は得られない。そして、このことを訴えた親族の声が大きくなかった/継続しなかったと考えられます。理由は、通告によって母親への暴力がさらにエスカレートするのではないか、と恐れるからです。明らかに「不幸せな顔をした母親」を前に、児相は難しい判断を迫られたことでしょう。私は「情報が少ない」とは、このことを指しているような気がしています。
「大変な母親」が「大変そうな母親」としての認識にとどまったまま、二度にわたる家庭訪問の拒絶が続く。児相の「踏み込む」決断を妨げたのは何だったのでしょう。「もっと大変な家」があったのでしょうか。「気の重い、出来れば避けたい案件だった」からでしょうか。それとも「異動人事で迷惑な配転をされた」職員の「やる気」のボルテージが原因なのでしょうか。
☆後記☆
二月が駆け足で通りすぎて行きます。通学路ではない道を歩く中学生を、昼間見かけるようになりました。入試の帰り道、あるいは結果発表なんですね。いよいよ入試が始まったのです。問題集を開いて歩く女の子もいました。「次」に目が行っているのでしょう。
日差しは日を重ねるごとに温(ぬく)もりを届けます。「水ぬるむ」季節がやって来ます。春よ来い!
今年も我が家に春を告げてくれるお雛さま。
ついでの話で。こんなものも買いました。マツダのロードスター。
~アクシデントが起こる場所~
☆初めに☆
すでに申しましたが、先生方や民間の方々にも今回の事件の細かなレポートをしています。残念ながら、仮面のような表情で聞く方々もおりました。私はずいぶん下手な話し方をしていたのでしょうか。
一方で、身を乗り出すように話を聞いてくださる方々が多かった。質疑の時間に、
「知りませんでした」
相次ぐ感想に、私は理解しました。あの仮面のような方々の表情は、
「『知りませんでした』という顔は出来ない」
というものだったのです。置かれている立場からそうなるのでしょう。
「知りませんでした」
とは、どんな場でも「言いにくい」言葉です。これが言える場所は、風通しがいい。なんて素敵な人たちなのだろうと思って、私の口もなめらかになったのです。
☆☆
皆さんと話す中で、私たちに出来ること/出来ないことは、何となく分かった、しかし、どうしてこういうことが繰り返されるのか、もう少し深いところまで入れないかという声を、たくさんいただきました。
事故/事件はいくつかの要因がからんで起こります。その要因のひとつひとつは、生活の中にどっしりと腰を下ろしています。いつも自覚していたはずなのに、そこで「うっかり」や「しまった!」が起きます。
1 「脱走」を可能にする条件
前回記事の授業中の脱走→補導を、多くの読者は「あり得ない」と思ったようです。そこから始めます。
授業中、ある女子の「脱走」を許してしまった教科担任、過失はここから始まっています。疑いなく、この女子はこの先生を嫌いか、学校生活そのものを嫌いだった。この先生はとにかく、全面的「降参状態」だったのです。この先生は、この子との険悪なやり取りを回避することでなんとかバランスを保っていた。これが過失の原因①です。
「あいつがちゃんとやってくれたら」は、
「あいつさえいなかったら」
という気持ちになる先生は多い、というか誰でも経験します。会社でも経験することでしょう。家庭でも、
「お父さんがちゃんとしてくれたら」(「お父さんさえいなかったら」という人さえいるのです)
と思うのと似ているかも知れません。ここは大変ですが、クリアしないといけません。
この子の脱走に際し、待て/うるさいのやり取りがある時もあるが、全く気付かないこともある。先生が「その子さえいなかったら」と思うことで「その子を見ないようにする」からです。
その先生に対するクラス全体の「ダメな先生」という空気が充満しています。これが原因②です。だから生徒たちは、その子が出て行ったことに気付いても、その先生に言いません。その必要を持っていない。
知らんふりをしてか、ホントに気付かずにその先生は職員室に戻り、次の先生が授業に向かう。授業者は通常、始まる前に空いた席を確認する。欠席だとか、保健室にいるとか。そんなことをいちいちやるのが、今の中学校の日常です。でも次の先生は「脱走」を確認しなかった。「そんなこともある」のです。そして、渦中の子は「行方不明」のままになった。今度もクラスの生徒は「◇◇子が脱走しました」と言わなかった。つまり、次の先生も、そのクラスから「信頼されていない」か、もっと根本的なところで、つまりこのクラスの「仲が悪い」か「学校を好きではない」という局面にあるからです。にぎやか/自由な会話のない、つまり「情報共有」が出来にくいクラス、これが原因③です。
「楽しいクラスにはいじめが起きにくい」(「起きない」ではない)
と言われるゆえんです。
そして時は流れ、交番から「補導」の連絡が入る。
お分かりでしょうか。アクシデントというものは常に、
「弱った部分が重なり蓄積した時に起こる」。
たとえば、卒業して「大変なのがやっと出て行った」という思いばかりがある担任や、煩雑(はんざつ)を極める年度末事務や栄転/左遷(させん)に目を奪われた管理職によって、重大な問題を抱えた子どもの「引き継ぎ事項」が引き継がれず、中学校(高校)でのクラス編成や担任配置にあたっての配慮がされない、などということも起こります。
2 「情報が少ない」わけ
児相(児童相談所)の職員は、ひとり当たりおよそ100件の案件(親/子どもたち)を抱えています。千葉県柏市が中核市となった2008年以降、柏にもうひとつ児童相談所設置をという声が出ているのは、そういう理由です(警察署も同じ)。
案件の中には、電話連絡を継続する場合もあれば、接触も難しい上に、やっと面談がかなったと思えば、機関銃のように「自分の正当性」と「学校や行政の不当性」を主張する親もいます。そして、ケースが重篤(じゅうとく)なほど担当者は、
「足を遠ざけたい思い」
にとらわれます。つまり「優先順位」が揺らぎ、「急ぐ」「力を注ぐ」方ではなく「楽」な方を選ぶことがあります。当然ですが、これらは職員の「力」と「やる気」でまったく違ってきます。「こんなところ、好きで来たわけじゃない」職員には、重篤なケースは十分すぎる仕事量です。
心愛ちゃんの事件をめぐって、ひとつだけ考えてみましょう。心愛ちゃんが野田市に転校する二カ月前、沖縄県児相は父親の母親に対するDVを「情報が少ないため判断留保」しました。転居を受けた野田市は、「支援が必要な家庭」というレベルでの把握(はあく)にとどまります。
「情報が少ない」とは、どういうことを指すのでしょう。父親に直接聞けたのでしょうか。聞いても「そんな事実はない」と言ったはずです。また、母親本人からの情報は得られない。そして、このことを訴えた親族の声が大きくなかった/継続しなかったと考えられます。理由は、通告によって母親への暴力がさらにエスカレートするのではないか、と恐れるからです。明らかに「不幸せな顔をした母親」を前に、児相は難しい判断を迫られたことでしょう。私は「情報が少ない」とは、このことを指しているような気がしています。
「大変な母親」が「大変そうな母親」としての認識にとどまったまま、二度にわたる家庭訪問の拒絶が続く。児相の「踏み込む」決断を妨げたのは何だったのでしょう。「もっと大変な家」があったのでしょうか。「気の重い、出来れば避けたい案件だった」からでしょうか。それとも「異動人事で迷惑な配転をされた」職員の「やる気」のボルテージが原因なのでしょうか。
☆後記☆
二月が駆け足で通りすぎて行きます。通学路ではない道を歩く中学生を、昼間見かけるようになりました。入試の帰り道、あるいは結果発表なんですね。いよいよ入試が始まったのです。問題集を開いて歩く女の子もいました。「次」に目が行っているのでしょう。
日差しは日を重ねるごとに温(ぬく)もりを届けます。「水ぬるむ」季節がやって来ます。春よ来い!
今年も我が家に春を告げてくれるお雛さま。
ついでの話で。こんなものも買いました。マツダのロードスター。