実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

結婚会見 実戦教師塾通信七百八十号

2021-10-29 11:42:25 | 思想/哲学

結婚会見

 ~「申し上げます」~

 

 ☆初めに☆

はち切れて割れんばかりの野次馬報道の中、ついにふたりが結婚しました。この会見、結構注目してました。ふたりの現実とか相手方の親とかは、前にも触れましたが、全くどうでもいいのです。一体どんな言葉を使って会見を行うのか、その点にだけ興味がありました。いやぁ、感心しました。宮内庁の指導の賜物(たまもの)でしょうか。そんなこともどうでもいい。

 

 1 「奴隷の言葉」

 以前も言ったが「奴隷の言葉」、自らの意思を封じ込めるこの「〇〇させていただきます」を会見文に探したが、どこにもなかった。見事と言いたいくらい。そこにあったのは、多くの「申し上げます」だった。以前、女子柔道の体罰問題の最後を締めくくったさわやかな挨拶があった。それを私は思い出した。

 ふたりの言葉のどこにも「お話させていただきます」「感謝させていただきます」なんだらという、相手にへつらう言葉はどこにもなかった。ほかには、「〇〇しております」「○○してまいりました」のように、「おる」「まいる」がたくさんあった。なんて懐かしい! ひとつ挙げよう。眞子さんの、

「私のお願いした方向で進めていただきました」

だ。これで充分。「私が進めてもらった」のである。自らの意思は言葉に出る。「奴隷の言葉」は、目上の人のご機嫌を損ねないように、という思いがある。だから、そこに「喜び」はない。それが「〇〇させていただきます」である。皇室の人間だから「奴隷」になる必要がないからだろうか。いや、会見の席上で、ふたりはすでに民間人だった。ましてダンナは、ずっと民間人だ。このダンナ、

「私は眞子さんを愛しております」

と言った。自分の気持ちを語っている。「愛させていただいています」とかいう相手をおもねる、まどろっこしい言葉ではなかった。ダンナがいいと言うのではない、言葉が明確だと言っている。

 真っ当な日本語を思い出させてくれたふたりだ。お幸せに、という以外にない。

 

 2河野大臣&桜井君 

 この「申し上げます」だが、河野大臣が行革相の時である。

「ワクチンを接種すると申し上げております」

とは、ホントに久しぶりに聞いた「申し上げます」だった。しょうもない前・厚生労働大臣が何を思ったか、

「外で集まって飲んでいただいてる方々をどう止めるのか」

なんとかいう情けない話も、同時進行の時だった。外で飛沫を飛ばすのはまずい困るっていう会見なのに、「飲んでいただいてる」だって。恥ずかしくないのかね。

 さて、結婚会見のふたりが多用した「申し上げます」が、この秋、それも芸能人の口から発せられたことに、私は感動さえ覚えた。「嵐」の櫻井翔と相葉雅紀が、同時に結婚を発表した時のことだ。櫻井君は、

「結婚致しましたことをご報告申し上げます」

と言った。比べれるとよ~く分かるが、相葉君は、

「結婚させていただくことになりました」

なのである。別にこっちは、相葉君の結婚を「頼んで」も「引き止め」もしてません。アナタが自由にする自分のことなんですよ。櫻井君は「結婚致しました」である。もう相葉君、ぶっちぎられてます。後半部分もよい。櫻井君は、

「自分のやるべきこと……精一杯取り組んで参ります」

と、これも久しぶりに聞いた「参ります」。片や相葉君は、

「日々……お仕事をさせていただきます」

である。若いと言っても、キャリアと言える人たちだが、今風な紋切り型の言葉を駆使しない人がいることに、少しばかり驚いた。相葉君に渇(かつ)!ではなく、櫻井君にあっぱれ!なのだと思う。

 

 ☆後記☆

その他では、吉田類の、

「僕の原点のひとつです……。いやぁ、原点は、ひとつのものを言うわけだから……僕の原点です、というのがいいですね」

というのも良かったなぁ。オオタニさ~んも、たくさんいいこと言ってるけど、今年の最後にとっておきますね。

そして、そして本日、選手会から最優秀選手に選ばれましたね! これから続くいいニュース、楽しみです。

 一気に紅葉しました。そして、これは手賀沼のススキです。


人生を語らず 実戦教師塾通信七百七十九号

2021-10-22 11:21:51 | 福島からの報告

人生を語らず

 ~収穫の秋~

 

 ☆社員の活躍☆

一気に加速した秋は、冬の気配を容赦なく送り込んで来ました。そして、渡部牧場にはこんな日がやって来たのです。「新入社員」が、牛に所作を教えています。図々しくも、私まで感慨を覚えてしまいます。

真っ青な空に漆黒(しっこく)の木々。少しばかりですが、柿も秋を演出しています。社員がコンクリートのたたきで、牛を調教しているところです。お茶の間で彼は、調教をするので、あとで見に来てくださいね、言ったのです。「調教」と聞いて、血気盛んな私はあられもないことを思ったのですが、もちろん牛の話。牛の競(せ)りの時、牛が落ち着かなかったり暴れたりすると悪い印象を与えるそうで、こちらの思惑通りに牛を動かす練習なんだそうです。右足を出すとか止まるとか、なかなかに難しいものを感じさせました。

ひと通り終えると、毛並みのブラッシングをしてもらっている。見事なつやが出るのです。すると、それまで起きていた牛の首が、徐々に下がって、ついに鼻が地面についてしまう。目も閉じて、気持ちのいい眠りに入っている。「この間の品評会で首席を取ったんですよ」と、嬉しそうに社員が言います。書類に書く「首席」の「首」が「主」だったけどね、と奥(お母)さんが冷やかすもので、私も一緒に笑ってしまった。ですが、さて「トップ」はどっちだったか。そうか、「主席」の方は「エライ」意味か。習近平が「主席」だったな。

そうして小屋に戻る牛。跡継ぎ(新入社員)は、向こうに牛を引き連れて行くのです。十年前、彼は仮設住宅で坊主姿の小学生だったはずです。こんなに大きくなっている。

 

 ☆酪農から和牛に☆

こちらは天神岬から見える、広野の火力発電所。楢葉に来るとついつい寄ってしまい、ついつい写真を撮ってしまいます。すっかり片付いた木戸川近辺です。

渡部家は、猫が四匹増えてました。おばあちゃんが、一度ぐらいは子どもを産ませてやらないとという、たっての願いだったようです。

読者にも近日中にお知らせしますが、今年、渡部さんにお願いしていることがあります。関係する話というか、猫の話で出たのかな、新潟地震の際、山古志村は牛の避難する時の話になったのです。

「オレたちの避難は、あんなものを見せられたあとだった」

と渡辺さんがいうのは、牛が一頭、ヘリコプターのロープにぶら下げられ、悲鳴とも思える声を出していた、あの場面です。大空に高く舞う山古志村の牛が、揺れていたのを確かに覚えている。東日本大震災からさかのぼること、7年のことです。猫の避難とは、ケタが違うと言えます。

猫がじゃれ合うお茶の間で、新入社員も混じって和牛(肉牛)の話になりました。

酪農(乳牛)と和牛とでは、エサの量が桁違いだ。和牛だったら自分の畑でなんとかなるエサも、酪農となれば、輸入物も加えないと追いつかない。でも酪農でやって来た自分は、

「肉質のいい牛を作るという点で、初めは失敗もあったなあ」

跡取りは「そのサポートを出来るはずだ」と、渡部さんは続けます。その渡部牧場に新しいパイプ製の牛小屋も出来ます。

家族のような牛たちと一緒に、今や学校から家に戻った息子さんは、毎日社員をつとめている。娘さんだけ朝と夕、そして休日だけ、家での生活をしています。娘さんはどんな風に社員(息子さん)や牛とつながっているのだろう、ふと思った私です。奥さんは、え?という顔をして、朝仕事に出かける前も牛に声をかけ、休みは手伝いをしながら、娘は「ひとりひとり」の牛の名前を呼んでますよ、と答えるのでした。

巨大な巻エサを持ち上げているのは、奥さんなんです!

若い姉弟はおいとくにしても、牛の毎日を過ごす渡部夫妻も、猫や畑の面倒を見る卒寿を越えたおばあちゃんも今を生き続けており、ちっとも「人生を語ろうとしない」ことに気づきます。この日も私は、身体いっぱいにエネルギーをもらって帰るのです。

 

 ☆後記☆

今月の子ども食堂「うさぎとカメ」は「秋の炊き込みご飯」でした。キノコにそっと寄り添う鶏肉に、これが炊き込みご飯の王道だと感じました。さつま芋も、少し早めのハッピーハロウィンお菓子の詰め取りも好評でした。「いいにおい!」「美味しそう!」という、子どもたちの歓声がありがたいです。

これはセンターそばの住人の方が、この日届けてくれたお米です。10キロも! ありがとうございます。

これから容器に詰めるところで~す。さつま芋の美味しそうな色!

全食「完売」で~す、ありがとうございました! また来月もお出でください!

 ☆☆

内村君、やっぱりすごいですね。カッシーナにしても「高さ」というカテゴリーが評価に加わったら、内村君てすごい!って思いますけど。でも、そんなの関係ねぇ的オーラが、内村君なんですね。


質問と回答 実戦教師塾通信七百七十八号

2021-10-15 11:26:43 | 子ども/学校

質問と回答

~衆院と同日の千葉県柏市長選挙~

 

 ☆初めに☆

柏市長選挙に、四人の立候補が予定されています。この機会を逃す手はないと考え、立候補予定者が子どもの問題をどう考えるか、うかがいました。「子ども食堂」を入口として、立候補予定者の子ども問題の考えを聞きたいと思ったのです。全国の、とりわけ千葉県柏市の人達が、立候補予定者と子どもの現状を考える材料にしていただければと考えます。

以下の文面はそのまま、子ども食堂「うさぎとカメ」来月のチラシと一緒に、明日から配布します。

 

私たち「うさぎとカメ」(子ども食堂)が、

   柏市長選挙の立候補予定者に公開質問をしました。

   

【1】子ども食堂の意義をどのようにお考えですか。

【2】子ども食堂をサポートする具体的な政策があったら、お聞かせください。

 

 以上の質問に、三人の立候補予定者から回答がありました。受け取った順で掲載いたします。また、山下洋輔氏の回答は長文だったので、ご本人の了解を得て編集いたしました。村田章吾氏から回答はありませんでした。以下、すべて敬称は省略いたします。

 

 

【中沢ひろたか】

【1】真に必要とする子どもや世帯に対して意義があるものと思います。

【2】子どもの貧困に関する実態調査の結果をしっかりと見極めた上で検討してまいりたい。

 

【太田かずみ】

【1】

第一はこどもの貧困対策として始まったことですが、こども達がおいしいご飯を食べられるということだけではなく、こども達が地域とつながっていくことやこども達の居場所づくりという意義がこども食堂にはあると思います。

こども達が遊んだり、勉強したり、そしてこどもだけではなくあらゆる世代の人達と繋がっていける場所として、地域のお年寄りやこども達が一緒に食事をすることで、遊びを教わったり経験談を披露したりと、このネットワークは地域の皆さんを巻き込んでいく可能性も含まれています。それによって、「助けて」と声を出すことができないこども達に気づいてあげること、「相談すれば助けてもらえる」とこども達が思える地域との絆、こどもの悩みや、支援を必要としているこども達に気づいてあげられるところにもこども食堂の必要性があると感じています。

現在、地域コミュニティの希薄が社会問題となる中、こども達を温かく見守り育てるのは親だけの責任ではありません。未来のために社会全体で支えていく責任を持たなくてはいけません。それは行政も同じです。だからこそこども食堂と行政の連携を深めるべきだと思います。

私はこども食堂の意義をそのように考えています。

【2】

行政機関の具体的な対策としては現在柏市内にあるこども食堂を少なくとも全小学校区に開設していくべきだと考えています。また、こども食堂だけではなく、こどもカフェなどおやつを提供していけるような制度にも拡大し増設していくことも必要です。そして提供場所として、室内だけではなく屋外での運営もできるような柔軟な対応を検討していきたいと思います。

そのためには食品衛生協会が開催する食品衛生責任者養成講座講習会の受講料実費分を助成することも必要でしょう。

さらに年一回の運営助成金(毎月一回開催している団体には年5万円、毎週開催している団体には年10万円)を統一し、開催一回ごとの助成に分けていくことも検討していきたいと考えています。一例として開催一回ごとに2万円を助成した場合、月一回開催した場合には、2万円×12回プラス運営費5万円で29万円になります。毎週開催した場合は2万円×48回プラス運営費5万円で96万円になります。それによってこども食堂を運営する人の助けになり、こども食堂がさらに増えていく一助になればと思います。これは他の自治体での実施事例もあります。

こども達の笑顔が見たいとご尽力いただいている運営者の皆さまのその思いに行政が応えられることを精一杯考えていきたいと思っています。

  

【山下洋輔】

【1】

子どもの居場所を整えていくことは、私たち大人の責任である。「昔はもっと貧しかった」とおっしゃる方もいる。しかし、現在の貧困は、見た目だけでは分かりにくい。

ひとり親家庭など大人が一人で養育している世帯の相対的貧困率はOECD加盟国中、最悪である。このような状況において、「子ども食堂」はますます大きな意義がある。お菓子だけの食事、ひとり食事の孤食。様々な生きづらさを抱えた子どもたちが、一人でも入ることが出来る「こども食堂」で、ともに食べる喜びを味わって欲しい。子どもと社会のつながりをサポートすると考えると、学校だけではなく、地域コミュニティは子どもたちを支えていく仕組みが有効となる。これまでの事例などをお聞きしながら、積極的に進めていきたい。

【2】

1 誰もが歩いて行ける距離にある小学校に、地域とともに「こども食堂」を開設。児童生徒だけでなく、高齢者や若者など地域住民の居場所を作り、地域のつながりを生む場とする。人口減少の大きな流れの中で、学校は統廃合するのではなく、地域の拠点となる複合施設に転換し、少人数の良さを活かして小規模校として維持し、空き教室を地域の食堂に、給食調理室や家庭科室の使用も検討していきたい。

2 飲食店と協力・連携を呼びかけ、子どもを見守る地域づくりに取り組む。

3 地域通貨や時間銀行の仕組みを活用し、ボランティアに関わってくれた方には地域通貨を配り、助け合える地域コミュニティづくりに取り組む。

4 場所の確保、調理器具などのあっせん、食材の支援。農園から野菜を分けてもらったり、全国からお米やお金の寄付も集まっている「こども食堂」もあるという。まだ食べられるのに、様々な理由で処分されてしまう食品を、食べ物に困っている施設や人に届けているフードバンクと提携している「こども食堂」もある。これまでの事例などをお聞きしながら、積極的に進めていきたい。

5 子ども食堂の活動とともに、児童生徒の学習支援事業と地域住民の生活や健康の相談事業を実施し、行政としてもかかわっていく。

 

 ☆後記☆

さて、その「うさぎとカメ」です。明日ですよ~。このチラシは、「今月」のもので~す。

ハロウィンまで、あと二週間です。お菓子もいつもより少し多めに用意しようと思います。待ってま~す

ことしは何故か「二度咲き」した、庭の金木犀です。いい匂いを、つい先日まで家の中に送ってくれました。

こちらも元気な、今年のコキアです。紅葉が楽しみ。


N氏の話・下 実戦教師塾通信七百七十七号

2021-10-08 11:16:56 | 子ども/学校

N氏の話・下

 ~「戦時下」の世界~

 

 ☆初めに☆

ようやく非常事態宣言が解除されました。政府の無能を言うのは簡単ですが、今回の事態を誰も解決出来なかったことは確かです。ニュースは、感染者の急激な減少が一体なぜなのか、答えられる人が全くいないと言います。誰も解決策を明示できなかったのですから当然のことと言えますが、減少の原因が分からないという恥ずかしい現状を「言ってしまえる」ことは、健全な流れだと思えます。

今回のN氏の話は世界、そして日本での治療の在り方について、話していただいたことをまとめました。「木を見て森を見ない」ことと「森を見て木を見ない」こと、どっちが大事と言うのではない、という話です。(「 」内はN氏の発言)

 

1 コロナの国、あるいは債務不履行(デフォルト)

 日本は、中国や韓国と比し「甘い対処」なのに、欧米のような爆発的流行をしなかった。

「どうしてか分かりますか。ギリシア/スペイン/イタリア、これらは経済が破綻(はたん)した国、債務不履行(さいむふりこう)となった国です。病院と言っても名ばかりで、医者・医療器具など一切ない、いわばもぬけの殻状態だった。これじゃコロナが喜ばないわけがない。じゃあ、金持ちの国はどうだったか。これは貧富の差が激しく、貧しいものはイタリア等と同じ目に合う運命だった。また、金持ちはだらしのない食生活で重篤(じゅうとく)な疾患を抱えていた」

日本は初め、コロナ根絶や撲滅を「不可能」とする学者は、ノーベル賞の山中教授をはじめニュース上にいた。ひところ言われた「ウィズコロナ」がそうだ。今やこういった見方は「タブー視」されているかのように見える。年老いていて、それゆえ終末が穏やかだったものであっても、原因が「コロナ」とされた時、声高な「あってはいけない」とする傾向の右肩上がりに、私などは耐えられない気がしている。「人は死ぬ」のだが、まるで「死んではいけない」世の中になっている気がしている。孤独死が「あってはいけない」とされた流れは加速し、かつて「ひとりで生まれ、ひとりで死んでいく」自然だったことが、今はまるで戯言(たわごと)扱いされそうな気さえする。N氏は別な点で、つまり、コロナオンリーor偏重の日本社会に憤(いきどお)ったらしい。

「『経済の立て直し』か『治療専念』かという果てしない議論は、実は他の病気を治療から外してしまった。おかげでガンや心臓疾患、腎臓病などの重い患者の入院・手術・治療がまったくお手上げとなった」

と語るN氏の顔は怒りで震えていた。

 

 2 「治療」の考え方

 ワクチン接種直後に亡くなる方が続出した。その数は1300に迫っているとされる。しかし、これがあくまで報告されたものであることを、ニュースは語りたがらない。そしてこれらには、いつものように「因果関係は不明」という注釈がつく。福島の甲状腺ガンの異常発生の時も同じだった。いつも思う。「1300名亡くなったが、因果関係は不明」という前後を入れ替えて「因果関係は不明だが、1300名亡くなった」と発表して欲しいのだ。さて、N氏の見解はこうだ。

「『(死んだのが)ワクチンのせいかどうか』は、当事者(死者)やワクチンを利用した国が証明することではない。生産/売却した会社が証明しないといけないはずだ」

ワクチンに頼った側にボールが投げられている現状は、間違っていると言うのだ。しかし、ワクチン接種年齢の押し下げが検討されていることについて、N氏は慎重に言葉を選んだ。

「子どもでもワクチンを『打った方がいい子』はいる。逆に『決して打ってはいけない子』もいる」

今回のワクチンが「遺伝子治療」であるという批判も、一般的な遺伝子「操作」として考えれば、一概に否定することではないともN氏は言う。異なる人種間の生殖も遺伝子の交合と言えるし、種無しスイカや青いバラとやらも遺伝子操作のひとつなのだ。私は害虫を寄せ付けない植物の開発等にある「人間に都合のいい自然改造」の方を考えて質問したのだが、その辺りはN氏にとっても、今後の課題のようだった。でも、これだけは言える、と。

「今は世界中が戦争をしている。コロナとの戦いをしているんだ。日本はその濁流の中にはいないんだが、この世界の流れには何とも逆らいようがない。おとなしくしてるしかないんだ。それは『流行(はや)り』と言えるようなものだ。流行りは収まるのを待つ以外にないんだ。戦争なんだ。戦争とはそういうものだ」

50年以上前に「反戦」を掲げてきた私たちは、この言葉を一体どのように受け止めればいいのだろう、と思った。

 

 ☆後記☆

「和さび」さん、何より宣言解除、そしてリニューアルオープンおめでとう!

店内はテーブルの間隔が広くなって、小あがりがなくなってました。女将さんの腰に少しでも負担がかからないように、ということなんです。店内には嬉しそうな顔をしたお客さんが一杯。板長さんと、吉田類の話も少しできました。「どうして酒ばかりが悪者にされるのか。酒が悪いのでなく人としてのマナーが悪いから、感染に無自覚な行動をする」という文芸春秋の記事です。「縄文時代の一万年、日本人は争うことがなかった」とも。美味しい食事の席で酒、いいものです。

 ☆☆

柏高島屋で、今週の月曜から「東葛草の根フードバンク」のパネル展をやってます。合わせて家庭で不要な食品の協力を願ってます。明日と明後日がメインになります。

本館の正面入口でやってます。これはフードバンク代表の高橋さん。

見て分かりますが、ティファニーのフロア入口です。こんな感じでやってます。お近くの方、機会があったらお出でくださ~い。


N氏の話・上 実戦教師塾通信七百七十六号

2021-10-01 11:17:57 | 子ども/学校

N氏の話・上

 ~コロナ後より大切な~

 

 ☆初めに☆

残念ながらある事情で名前を伏せますが、N氏は「専門家」という呼び方も嫌います。自分が所属する「専門家」への不信感がそうさせています。従って、「超領域的見地」からの発言ということでお話願うこととしました。コロナで整理がついてない部分が、お陰でずいぶんすっきりしました。混とんとする情勢の中、ぜひ皆さんも留飲(りゅういん)を下げていただけたらと思います。

密度が濃いので、二回に分けます。今回はウィルスのこと。次回は治療、そして子どもの問題に言及します(「 」の部分がN氏の発言)。

 

 1 コロナの「コウモリ説」

 エボラもエイズも、アフリカの「風土病」だ。「風土病」とは奥地で静かに生息していた病気のことだ。それが、あるきっかけで認知される。それまでは奥地で生きていた人々が移動しなかった、あるいは人類そのものの移動がわずかだった。そこに閉ざされていた病は「風土病」として生きていた。そこに外の人間が分け入った。「開発」と呼ばれる欧米の大規模な侵出は、それまで大地や湖の底に沈んでいたものを掘り起こした。コロンブスの梅毒感染がいい例と思う。「パンドラの箱」とは、良く言ったものだ。

「ピラミッドの墓を掘り起こした時、たくさんの人が死んでいる。あれは『呪い』のせいだとでも思いますか。発掘した時、4千年以上前に閉じ込められたものが拡散したんですよ。地上の人類が経験したことのない細菌がばらまかれた。それが原因です」

コロナはコウモリが原因であるとされた時、コウモリがずっと食材として珍重されて来た中国で、今さら何を騒いでいるのだという違和感があった。しかし、このコウモリも「森林の奥の、従来なかった種」ということになれば、話は変わる。

「武漢のウィルス研究所の所員は『科学的探究』を動機として武漢の奥地に分け入り、新種のコウモリを探し当てた。そして新型のウィルスを発見するんですよ」

以前も書いたが、兵器とするには死亡率が低すぎるし、味方も感染する。N氏の言うところによれば、今回の出来事は、あくまでウィルス研究所員の探究心の「逸脱」が原因ではなかっただろうかという。

 

 2 流行するわけ

 N氏は続ける。ウィルスを運んでくるのは「鳥」だと。鳥インフルエンザのことではない。

「渡り鳥はいろんな国(島・大陸)から飛んでくる。そいつらが運ぶわけだから、まず上陸を防げない。そして、ウィルスの種類は年ごとにエリアごとに変わる」

ことだ。だから予防注射が効くかどうかは、もう「運」と言っていい。

 ところで、アフリカの風土病としてデング熱が恐れられたことは、記憶に新しい。しかし覚えていると思うが、これは日本に上陸したものの、下馬評とは全く違って被害が報告されることはなかった。わけは「ウィルスに力がなかった」こと、日本に蔓延させるような代物ではなかった。しかし、アフリカでは違ったということである。同じ類のことが、ついこの間話題になったと私は思っている。アフリカでのコロナの流行は収まる気配がない、理由は貧困があること/当該政府がコロナ対策に前向きでないこと/同じことだが、ワクチン接種に前向きでないこと等が挙げられたようだ。N氏は簡潔に言う。

「それ(コロナ)どころじゃないからだよ」

アフリカで毎年、マラリア/エイズ等で苦しむ人々が、一体どれほど死んでいるのか、報道は語ろうとしない。そして、一体どれほどの死者を「戦争」が生み出しているのかも同様だ。戦争が生み出す「貧困」「餓死者」「不健康な環境」等の切実な問題の中、コロナは関心の一角でしかないことは、当然のことだと思われる。

「考えの前提が違う。いい気なもんさ」

 

 ☆後記☆

いずれちゃんと書かないといけませんが、ニュースは東京町田の事件を「学校のずさんさ」ばかり取り上げてはこき下ろします。しかし、どんなに複雑なパスワードや管理の徹底をはかっても、事件は起きます。相手が「子どもだから」です。子どもの好奇心や技術をあなどってはいけません。「ならん」と言っても「やる」のが子どもです。

 ☆☆

今日から10月。台風もそれほどの惨禍は及ぼさないかな。緊急事態も解除されるようです。福島にも行けますよ。

こども食堂「うさぎとカメ」は、秋の炊き込みご飯です。二週間後ですよ~

 ☆☆

残念なことが続きます。さいとうたかを氏、亡くなったのですね。つい先日まで、あんなに元気そうだったのに。積みあがった本棚の『ゴルゴ13』を少し処分したところでした。

201巻買ったのに……。でも、ゴルゴは生き続けるといいます。良かった。

白鵬引退しますね。コロナで学校が休校になった時、白鵬が子どもたちに向けた言葉です。白鵬らしい、いい言葉で最後のものとなったナと思い出します。

「ライバルよりたくさん努力しなさい。そして、ライバルよりたくさん休みなさい」

返す返すも残念、残念なことです。