実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

夏休み前に(下) 実戦教師塾通信六百十号

2018-07-27 11:20:39 | 子ども/学校
 夏休み前に(下)
     ~「彼女たち」の選択~


 ☆初めに☆
今回の記事も「夏休み前に」ですが、夏休み始まりました。線香花火も夜空に開く大輪も、夏休み、です。
ところで、物議をかもした静岡県吉田町の「夏休みは16日間に!」を覚えてますか。保留になってるんですよ。「保護者の反対」が大きな理由です。
「夏休みも子どもをあずかってくれるなら助かる」
という保護者は少数だったのですね。
 ☆ ☆
教え子(中年の)から、
「子ども食堂やってみようと思うんだけど」
などという相談もあるのです。夏休み、給食が途絶えるこの時期に、切なく生きている子どもたちがいます。子どものことを気にしている人は少なくありません。何かしら声を上げることは大切ですね。

 1 援助交際
 2005年の春のことだ。卒業生が学校に来た。高校制服お披露目(おひろめ)の恒例イベントのようなものだ。中学校の制服には許可されない「ミニ」が、当然の顔して登場する。
 その二人に、私は、
「かわいいね」
と言った。すると、
「なんか『客』のオヤジみてえ」
と言う。私はこういう時、感心なくらい速攻に反応する。
「オメエには言ってねえから」
実際そうだった。もうひとりのニコニコ笑っている生徒の方に、私は言っていたのである。オヤジをなめんなよ。
 この「客としてのオヤジ」が、子どもたちの話題に堂々と上がり始めたのはこの頃だと記憶している。はやり言葉の「女子高生ほど素敵な商売はない」とは、本人たちの言葉だった。読者がびっくりしては困るので言うが、人数はそんなに多くはない。当たり前だ。しかし、居酒屋のバイトをしている子から、オヤジを連れて来る制服の女の子が必ずいる、という話もよく聞いた。女の子が注文する料理は、テーブルの上にどっさり手つかずのままだったという。そんな話に私は、もう「ブルセラショップ」に自分を売り込むような時代ではないのか、とも思ったものだった。

 2 17歳
 その前から、私の周辺でも充分な兆候(ちょうこう)は見えていた。
 細かい部分は書けないが、女子生徒が出会い系サイトを利用し家出をし、相手(若い男)の家で数日過ごした。無事に保護された女子は、幸い「何もされて」おらず、
「毎日毎夜、着せ変え人形のように服を与えられた」
のだった。この事件がいわゆる「ごく普通の家」の生徒だったもので、私たちは一様に驚いた。よくある(と言っても本人には抜き差しならないことだったのだろうが)親子の衝突を原因としていた。
 不満をためたら「我慢することはない」、善し悪しはともかく、とりあえず「行ける」、そして「ここではない」場所を確保できる社会になったのだ。
 悪いことばかりではない。自殺防止サイトなどもそのひとつだが、それに便乗した殺人も行われている。

初めに断る。このグラフの2005年の落ち込み、四角枠の説明にもあるが、調べた方々&調べられた方々にじかに聞いたところでは、
「『未経験』を『恥じ』と思う」
「からかい半分で」
などを理由とする数字の「水増し」を避けるための調査法変更らしい。
 20世紀を終わる頃、中学を卒業する女の子は、
「17歳まではしないとみっともない」
平然と言うようになった。同じ17歳でも、
「暴走族は17歳で卒業しないとみっともない」
という言葉は、この少し前に男から消えていた。男は走らなくなった。
明日の外泊ちょっぴり恐いけど
バージンじゃつまらない
おばんになっちゃう
『セーラー服を脱がさないで』(作・秋元康)が大ブレイクしたのが1985年。暴走族かげりの象徴と思える、初代「ナメ猫」登場は1980年だ。新しい時代の始まり。

 3 「彼女たち」の選択
 その後、コギャルが伝言ダイヤルやポケベルを産み落とし拡張させたのか、その逆なのか、ちまたには新しい「女の子」が続々登場する。

        ガングロ
学校にやって来る卒業生の中には、このように一体誰なのかさっぱり分からない連中も押し寄せた。けばいコスチュームとメイクは派手な自己主張のように見えて、彼女たちは自分の姿を奥へ閉じ込めていた。
 時代をはっきり区分する事態が起こっていた。
 「守られるべき」
 「自立してはいけない」
「少女」というカテゴリーが破壊されたのだ。ついでなのだが、宮崎駿の作品に出てくる女の子は、この「少女」像をまぎれもなく残している。それで一部の女子層から「保守的だ」と言われるのだと思う。そんな中で「女の子」「女子(中)高生」以外は「女子」と呼ぶようになる。
 こんな時間に、こんなにも所在なげに、こんなにもたくさんの女の子がいる、そんな情景に出会わないだろうか。警察や学校や諸機関もパトロールにいとまがない。しかし、流れはとどまるように見えない。なぜか。彼女たちはとっくの昔に家を出ているからだ。初めの頃は、お互いの部屋から画面を通して、次は深夜のビルの谷間にいる友だちと、ある時は話し込み、ある時は家に帰れないから今日泊めてくれないかと頼まれる。彼女たちは、だいぶ前に家を出ていた。
 家を出てしまう子ども(女子)の報告を、毎年受ける。出先は大学生や若いサラリーマンのアパートだったりする。どう見ても子どもたちは「仕方なく」そうしている。探し当てて「もとの家」に戻すことが、彼女たちの幸福になっていない。

 4「わけえのも年寄りもよ~」
「まだ治(なお)ってないのに、来なくなるんですよねえ」
とこぼすのはお医者さんである。わけありの家の子どもは、そんなわけで「おおごとにならない」と、やって来ないという。心配している人は多いのだ。
 学校で問題が発生した時、
「子どもと一緒に家までいかないとダメ!」
「連絡帳じゃダメ!」
「電話じゃダメ!」
と同僚に言い、そして、
「児相(児童相談所)もやる気がない!」
「役所は『自分たちの管轄(かんかつ)じゃない』だって!」
と怒る。学校/役所/児相という「現場」に対して、なんらかのアクションを起こした先生たちの言葉だ。自分たちの「責任外」のことだが、気になって仕方がないとアクションを起こした先生たちの言葉だ。
「力がねえよ~ わけえのも年寄りもよ~」
そんな言葉が、たまらなく頼もしい。



 ☆後記☆
関東では猛暑が一休み、助かります。昨夜はぐっすり眠れました。なんて言ってると罰が当たるかも知れません。西日本で続く猛暑と台風の進路、気になります。
そうだ、土曜と日曜は柏でお祭です。明日は中止になりそうですね

     恒例、手賀沼の蓮。まだ花はこれからです。
 ☆ ☆
今夏のドラマ、「ラストチャンス」と「ハゲタカ」見てます。原作は、方や江上剛、一方が真山仁だったんですねえ。それだけでも内容は軍配上がってる感じですけど。
「ラストチャンス」の初回インタビューで、劇中の奥さんのことを、
「あんな奥さんがいるわけがない」
「あれを見て、結婚したいなんて思われたら困る」
とは、仲村トオルと長谷川京子が言ってましたね。面白かった。

オウムのことも書きたいのですが、少し控えます。

夏休み前に(上) 実戦教師塾通信六百九号

2018-07-20 11:38:52 | 子ども/学校
 夏休み前に(上)
     ~「幸福」の条件~


 ☆初めに☆
一学期に寄せられた相談/報告は、やはりというべきか、line/スマホに関するものが多くありました。
「今の子どもは見えづらくて」
とこぼす校長先生も多いのです。
夏休みはいよいよです。そんな中、放置しておけないレポート(NPO法人canvas理事長)が入りました。「乳幼児にも積極的にスマホを与えよう」というのです。
「大人が寄り添えるうちに適切な使い方を教えた方がいい」
禁止するのではいけないという。
どこが間違っているのでしょうか。

 1 喪(うしな)ったもの
 この理事長が「スマホが乳幼児に必要」とする理由は、
「これからの時代に必要な能力は、情報通信技術(ICT)を使いこなす力です。これは国際社会の共通認識」
今日び流行り(はやり)の「グローバル社会」への対処/対応を言ってるにすぎない。乳幼児が「消費者」として形成されることへ不安の見当たらないのもそうだが、形成される「能力」を強調する一方、乳幼児の「幸福」という観点を置き去りにしていることに、私たちは気付いた方がいい。
 スマホのおかげで、小さい息子は、
「世界中のこんにちは」
が言えるようになったという。この流れで言えば「世界中の言語を獲得した」ということになる。それはそれで悪いことではない。しかし、そこで息子が得ているのは「能力」なのだろうか。ご飯の時間になってもスマホを離そうとせず、むずかる赤ん坊!がいるというご時世である。大切なものを置き去りにしても必要な「能力」というものがあるのだろうか。またその弊害(へいがい)は、「適切な教え方」で対処可能なのだろうか。
 人は何かを獲得すると、必ず何かを喪(うしな)う。以前、季刊iichiko(125号)で、携帯電話を持たずに出かけた生徒が帰宅できなかった「事件」をレポートした。彼は駅まで車で送ってもらっていたので、道順を知る必要がなかった。それまでは車の通る道々の「退屈」を、彼は携帯のアプリで過ごし外の様子をみることもなかった。この日は携帯を持たずいざ帰宅の途になって、自分が家にどう帰ればいいのかわからないことに気付いた。駅に電話はあったが、それまでは携帯に登録してある家を呼び出していた彼は、家の電話番号を知らなかった。以上である。
 彼が備えていたものは単なる「道具」だった。決して「能力」ではない。そして彼が喪っていたものは「ひと」だった。いざという時に「人に頼る」という方法だった。

 2 幸福の<場所>
 私があちこちで話してきたことだが……固定電話が普及率50%を越えるのは1974年。

この時を境に、人々は確認する/お礼を言う/謝(あやま)る行為を、電話で代行するようになる。出向かなくなるのだ。
 人々はそれまで「歩いて」出向いた。歩くその間、人々は「頭を冷やし」た。子どもだったら、母親はその間「事実を確認し」た。それである時は、子どもが「実は……」などと告白の結果、家に舞い戻ったなどということも起こった。相手の家(学校)に向かう行為とは、そういう意味合いがあった。
 電話は、それらを奪った。母親は興奮するのだが、その電話口はすでに「相手の家」なのだ。
 NTTの民営化は1985年。この時のイメージソング『あなたをもっと知りたくて』で薬師丸ひろ子は恋人に、
「もしもしアタシ、誰だか分かる?」
と語りかけるのだ。今となっては遠い昔の情景。

携帯電話が固定電話の契約数を越えるのは2000年。家庭から、
「オマエに電話だよ」
の声が消える。インターネットの誕生はすでに1983年である。家族がそれぞれ誰と何をしているのか、分からない状況が平気で進み始めた。これらの便利な「道具」のかたわらで、子どもといっても「うかつに立ち入れない」関係が強化される。
 
「モデルにならないかと、娘が誘われている」
「娘が彼氏にまずい写真を送っているらしい」
「ラインでいじめにあっている」
などの相談/報告が、この半年やはり後をたたなかった。しかしこれらは、家庭で「正しい使い方」をさせていた結果、明らかになった事例だ。不幸中の幸いということなのか。

 携帯電話が躍進(やくしん)した2000年だが、やはりそうか、という出来事が起こっている。
◇子どもたちが「フツー(普通)」を連呼するようになる
◇「児童虐待防止法」成立(翌年は「DV法」が成立している)
そして、
◇「女性」表記より「女子」が進出
すでに家族のダイナミックな崩壊が、目に見えている。

 あるものが構築され、あるものは解体された。私たちはあるものを獲得し、あるものを喪った。一体「幸福」というものがどんなものなのか、私たちは見失いそうな時代の真っ只中にいる。
 どうしようもないのか。そんなことはない。



 ☆後記☆
そんなわけで、次号に幸福に向けた希望を書ければと思っています。「女子」のことです。
それと、前号で書いた「ユリ」の好きなものは、ハンバーグでなく「オムライス」だったようです。読者から指摘を受けました。他にも記憶違いがあったかと思います。よろしくです。

     夏のうだる日陰の手賀沼。
 ☆ ☆
さあ、今日で一学期が終わります。体育館の演台で、きっと校長先生は、
「熱中症に気をつけて」
と言ったことでしょう。ホントに暑い。夜のビールを楽しみに生きている我慢している、そんな感じの毎日ですねえ。
さあ、でも夏休み! お祭/海/プール/山/ひまわり/夕立/絵日記、そして映画だ………ビールだ!

『万引き家族』 実戦教師塾通信六百八号

2018-07-13 11:31:38 | 子ども/学校
 『万引き家族』
     ~『誰も知らない』人たち~


 1 そしあるハイム
 私もそうだったが、是枝裕和監督の『誰も知らない』(2004年)を見た人は、あの時提示されたことが、今も変わらずにあること、そして深化したことを知らされたのではないだろうか。カンヌでこの映画を見た審査員や各国の記者が、
「日本にもこんな実態があるのか」
と驚いたという。しかし私たちも、
「現実は常に目の前にある」けれど、
「それが見えないのは、私たちがそれを見ようとしないからだ」
と思い知ったに違いない。


 この映画を見てすぐ思い出したのが、今年1月末日の深夜、札幌の生活保護受給者対象の、自立支援施設(「そしあるハイム」)が全焼したニュースだ。この施設は生活困窮者を金もうけの対象とする、いわゆる「貧困ビジネス」ではなかった。こんなことはすぐに分かったのだが、施設の運営法と運営者に対し、多くの方面から容赦ない攻撃が加えられた。
「生活保護費から支払い」
「施設にスプリンクラーなし」
「違法建築野放し」
これらのちっとも「知らない」人々の非難に対し、代表は「入居者の方々に本当に申し訳ない気持ちだ」と話した。しかしやがて、おずおずと口を開き、
「私たちは一体どうすれば良かったのでしょう」
「私たちにそんな(スプリンクラー設置)余裕はなかった」
「誰かあの人たちを助けてください」
と言ったことを思い出した。

 2 「誘拐(ゆうかい)」という「救助」
 「そしあるハイム」の時もそうだった。なんにも「知らない」人々(私たち)は、こんなことをしていたら、いつかは悲惨な事件になることが分からなかったのか、貧困な人たちは事故にあったのではない、殺されたのだ等々と「分かったようなこと」を言った。今まで「分かる必要のない」場所にいた人間は、他人事に「悪いことは悪い」とさえ言っていればいいのだ。
 映画では、逮捕された「両親」と警官との会話のシーンに、日本中の「『誰も知らない』人たち」の事件が重なって見える。「両親」の見事に反転した答は、警官の発する質問が「ひっくり返っている」ことを示すのだ。しかしそれは、決して交(まじ)わることがない。
『おばあちゃんの死体を遺棄(いき)したのはどうして?』
「あの人は、棄(す)てられてたの。私たちが拾ったのよ」

『どうして女の子を誘拐(ゆうかい)したの?』
「お金やものを要求したわけじゃない」
「私たちはあの子を助けたのよ」
『あの子の母親に悪いと思わないの?』
「子どもを産んだら母親って言えるの?」

この尋問(じんもん)は、小さい「ユリ(ホントは樹里)」に関するものだが、ユリの「兄さん」(翔太)も多分同じだ。
 上の写真はそうでないが、目のあたりが能年玲奈ソックリさんの翔太が、男の子だと分かるまで時間がかかった。この翔太も多分、まだ「乳飲み子」の時「拾われ」ている。場所は(千葉県)松戸のパチンコ屋の駐車場。その駐車場に停められていた「赤いヴィッツ」の中に、彼は「棄てられて」いた。そんな込み入った事情は、「家族」が全員補導されて一気に露出(ろしゅつ)する。

 3 「希望」の向こう
 わが子を虐待してしまう「親」が、
「しつけのためだった」
と繰り返すケースが後をたたないためか、
「しつけに体罰は必要か」
なる議論がまことしやかに見られるようになっている。こんなものを育児のスタートラインにしようというのだ。親が困惑しているときは、子どもも混乱しているのは道理だ。問題の解決を、一方的に子どもが引き受けないといけないとするのは、親の「敗北」以外の何ものでもない。親はせめて、この「敗北感」を背負わないといけない。それが子どもに対する、わずかな「償(つぐな)い」だ。
 「しつけに体罰が必要」なのではない。子に手をあげる親がどうしてわが子を「かわいい」と思えないのか、そこを解明しようとする「気持ち」が本当のスタートだ。
 映画は、様々な「絶望」と「希望」のあり方を示している。「万引き家族」に「救われた」ユリは、二カ月後「本当の」家族のもとに帰る。「無事に」戻った日、大好きなハンバーグを食べさせたという「本当の母親」のインタビューが悲しい。ユリが好きなのは「麸(ふ)」だった。
 まったく無表情に戻ってしまったかに見えるユリは、しかし前と変わった姿を見せる。「本当の母親」から、
「ごめんなさいと言いなさい」
と言われても謝(あやま)らない。
「新しい洋服を買ってあげるから」
「謝りなさい」
という引きつった声にも従わなかった。ユリはこの時「万引き家族」で生活していた時の服だった。強くなったユリが幸せになれるわけではない、という映像はたまらなく悲しいのだが、
 「愛されたという確かな記憶」は、人を強くする。
のメッセージが、スクリーンから流れて来る。
 また、「万引き家族」の「母親」は「ユリがかつて愛されたらしい痕跡(こんせき)」を見いだす。翔太は、それがどうやら「本当の祖母」が原因らしいと、ユリとの会話で気がつく。しかし翔太はそれを、
「もう忘れちゃいな」
と言い放つ。もうそこに幸せはないんだとも、幸せはここから探すしかないんだとも聞こえた。

「家族」と離ればなれになった(された)翔太は、
「もうお父さんやめて、普通のおじさんになるよ」
元気なく「父親」に言われる。そして「父親」をバス停に置き去りにする。バスをずっと追いかける「父親」。後ろを振り返るんじゃないとユリに言ったはずの翔太は、バスの中から後ろを振り返るのだ。



 ☆後記☆
「兄」と「妹」にまつわる「両親」の話ばかりになりましたが、「祖母」と「長女」にも語りたいことは盛りだくさんです。

東京の広い空の下、ビルのすき間から聞こえる(「見えない」ので)隅田川の花火は、「家族」の切ない「幸せの姿」でした。
 ☆ ☆
明日から三連休、そして夏休みは目の前ですね。子どもたちも先生たちも頑張れ~

   毎年、猛暑の中で咲いてくれるんです。かわいい

 ☆ ☆
麻原以下7名の信者が刑を執行されました。いいのでしょうか。これで麻原は、本当に未知にして永久の存在=「神」になってしまったと思えます。まずいですよ。

高倉健/カンナ屑 実戦教師塾通信六百七号

2018-07-06 11:22:00 | 福島からの報告
 高倉健/カンナ屑(くず)


 1 高倉健
 山本哲士氏が、今まで福島に来ているのは大体が南相馬だった。いわきに来るのは初めてである。いわき市立美術館で現在、高倉健の追悼(ついとう)特別展をやっている(今月16日まで)。その記念講演に、山本氏が招聘(しょうへい)された。ちょうど私も福島にいる時だった。

講演冒頭で話しているのを聞いて思い出したが、だいぶ前のことだ、山本氏が骨折(複雑)したおり、医者の勧めた手術を拒否し自力で直したという、恐るべき出来事があったのである。その自宅での安静期間中、高倉健の全作品を見たというのがきっかけで本が出来上がった。

この本に書き上げたこと(一部)を話したのである。
 開始時間より早めに行けば、少し話でも出来るかなと思って会場に行ってみて驚いた。定員40人、最上階にある小さな会場はすでに満杯で、臨時で通路に入れた椅子でも間に合わず、私はドアを開け放った入口で話を聞くことになった。分かりづらいが、スクリーン前で話しているのが山本氏。

年配の方が多かったが、若い女性の姿も見られた。みんな時折(ときおり)会場を笑いでうずめ、あるいはじっと聞き入るのだった。
 任侠(にんきょう)映画で人気を博した高倉健である。当時、仲間や先輩がこぞって見に行っては高倉建に「成りきって」いる姿を見たのだが、私はまったく興味を持てず、結局見た映画は『野性の証明』と、遺作の『あなたへ』だけだった。
 山本氏の、
「仁義を貫(つらぬ)くためには、俗悪な世界に足を踏み入れないといけない」
「踏み込んではいけない境界に行ったとき生まれる苦悩を『美』と呼ぶ」
話もそうだったが、美術館ふたつのフロアをまたいで、たくさんのスクリーンを惜しげもなく使った高倉健全作品の映写は、見応えがあった。もちろんすべてエッセンスなのだが、それらを見た私は、高倉健の任侠映画を見たいと思うようになっていた。

     講演会後、ロビーで。館長さんに撮ってもらいました。

「柏までだったら送るよ」
私がすすめるまま車に乗った山本氏は、続きを話した。
①「侠客一代」
②「昭和残侠伝 死んで貰(もら)います」
がお薦(すす)めなのだった。

 2 「握手しときゃよかった」
「部活? 終わりました」
この日は土曜日だったので、午後の部活はないのだなと私は思った。
「いや、終わったんです」
楢葉・渡部さんの息子のこの言葉に、ようやく私は察した。高校での部活、バドミントンが終わったのである。あと一回戦を勝ち抜けば県大会だったという。胸の内こそ分からないが、彼の表情はいつものようにさばさばしていた。

     ちょうど牛さんたちの食事時でした。

 かたわらで大工さんたちがかんなをかけてるところで、3mもあろうかという木材が快い音を立てていた。

もらっていいですかと私が手にしたカンナ屑は、この写真では分からないが、向こうが透けて見えるのである。良く聞いていた話ではあるが、現物を見たのは初めて。ひたすら感動した。

これは、お茶の時間に大工さんが、カンナ屑をくるくる丸めて作った「キノコ」。
「たわしに使えんだ」
渡部さんが解説した。お盆に完成予定の母屋(おもや)は、もう間仕切りまで作られている。
「(自分の)部屋で休んで来るよ」
という息子なのだ。

「(スパリゾート)ハワイアンズの直下に活断層があってよ」
「再開するかどうか検討してる間、フラガールは全国を回ったんだ」
思い出す。震災の年、私が長い間世話になった旅館「ふじ滝」の窓からは、無残に崩(くず)れ落ちたハワイアンズが見えていた。
「お忍びで来てくれた有名人は良かったね」
奥さんが言う。春菜愛、沢村一樹、そして仲村トオル。
 新しい母屋の床は、それが思ったより高くなって、
「鴨居(かもい)がその分低くなった感じでさ」
と、奥さんは続ける。
「これじゃ、仲村トオルさんの頭がつかえちゃう」
と笑う。そして、
「握手しときゃよかった」
また言ってる。



 ☆後記☆
福島第二原発廃炉(はいろ)決定のニュース。地元では号外が出たのです(『福島民報』6月14日)。

     これは『福島民友』。

東海第二原発の方も目が離せません。再稼働するための資金不足を、東電が助けようって話。基準に「合格」を出した規制委員会も、その東電に「いかがなものか」と疑義を出しましたね。茨城県水戸市議会は再稼働反対を決議しました。
 ☆ ☆
大谷君、復帰しましたね。それだけでも嬉しい。そして、さっそくのマルチ安打。すごいなあ。せっかくのマリナーズ戦なのに、イチローがいないのがなんか不思議です。クラブハウスで見てんでしょ。残念ですが、仕方ない。

藤井君も頑張れ~

明日は七夕~☆☆