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堂々巡り 実戦教師塾通信九百号

2024-02-16 11:19:30 | 子ども/学校

堂々巡り

 ~「専門家の必要」と言う前に~

 

 ☆初めに☆

節目の九百となりました。前に、千号まで生きているだろうかと書きました。このペースだと、あと2年で到達します。その時は喜寿となっていますが、行けそうです。嬉しい。内容をさらに充実させたいものです。変わらぬフォローとサポートを、よろしくお願いします。節目の今回は、学校や子どもを取り巻く「医療的包囲網」のことです。前回言及した「興奮状態」に学校も真っただ中というか、先頭切ってます。一服するためには、という話です。

 1 冗談ではないぞ

 「ちゃんとしろと言ってちゃんと出来ないなら、入院させるぞ!」とは、アメリカの精神科医の有名なジョークだそうだ。「ちゃんと出来ない」訳を、病院で診てもらえないのである。読者は笑えただろうか。学校の先生の中には「いるいる、こういうの!」と思って、複雑な気分となった方もいるのではないだろうか。以前、音や臭いや話の内容などを過度に受容してしまう子どもが、巷で問題になっていたことをレポートした(731号)。「HSC(High Sensitive Child)」である。すると今度は、別な「聴き取り困難症(LiD)」が流行していることを知った。もちろん「流行している」とは、病気が流行っているというのではない。流言飛語=戯言(ざれごと)がいい気になってる、という意味だ。先だっては「過敏」だったが、今度は「鈍感」が取り上げられたというわけだ。熱心な読者は覚えているかもしれないが、ブログで「治療」とした号(881号)は、非職業的医療者(生徒)が自分の友人を見事に治療したいきさつを書いたものである。この時の「症状」がまさに「聴き取り困難症」であって、ニュースになる前のレポートだったのが笑えた。「聞こえているのに理解できない」小中高生が1%いるというのだ。決定的に間違っているのは、「原因は自分の(聞く)側にあるのかもしれない」と洞察する態度がないことだ。常に「どうして君は/オマエは/子どもたちは」とする態度のことだ。私の体験から言っても現在の現場からでも、いっぱい報告できる。先生ね、それはアイツがあなたを嫌いだからです/あの子はお父さんと話したくないんですよ、きっと等々と、私は数多くのこういうケースに言っている。本人は本当に聞こえない様子なので、相手(教師や親)は「聴き取り困難」となった当事者を病人扱いする。しかし、出来事や相手を「拒む」身体的反応はある。「病人扱い」は、その状態を許さないことを意味する。もう少し続けていいですか。私の「あなたを嫌い」という指摘に、言われた教師が結構不満を持つ。「私が嫌いだからというのと、授業は別です。授業は聞かないといけない」(⁉)と漏らす、または言い淀む。こんなことを言ってる教師が、方や「人権教育」を生徒に!向かって語る風景は、ブラックと言えるのではないだろうか。

 2 「どうしたの?」というアプローチ

 病状の「発見」と「捏造(ねつぞう)」、そして病名の「診断」と「創作」のしょうもない堂々巡りを、すべての精神科医がやってるわけではない。また、学校教師の全員が、「ちゃんとしない」生徒を怒ったり病人扱いするわけでもない。目と耳、そして「心」を駆使して生徒に向き合う先生も、結構な数がいるのである。「ちゃんとしない」子どもを分析し、医者や別機関を処方したがる先生のいる一方、目と耳と心を持つ先生の「どうしたの?」と相手をうかがう姿勢は、近代を迎える前の名医のようだ。病状、または異変の分析は二の次なのだ。「(処方が)私たちの責任ある態度だ」と考える前者は、「ちゃんと出来ない時は……」と、子どもの不安を増幅させる。ひるがえって見渡すに、我が身の処し方に困り果てた子どもが、その先生のもとに行くと落ち着いてしまうという「達人級」のケースもある。この場合、分析や処方は不要なのだ。どうも、精神医療においても同様なことが起きているらしい。

「若い時のほうが診断がうまく、中年になると診断の切れ味が悪くなり、代わって患者の生活が見え出す。老年に近づくと、診断は全くといってよいほどつかなくなり、その代わり、患者の状況と人となりが見えて来る……人柄も状況もそう分からない(定式化出来ないという意味である)のに何となく治療が出来る」(中井久夫)

精神科医という職業集団内で、良く使われる小話だそうだ。つないで言えば、私たちが相手とする子どもたちの問題は丸ごとむきだしのようで、実は錯綜としている。それは未熟という意味での「漠然」とした子ども存在の「必然」という姿でもある。おのずから、解決も漠然とせざるを得ない。現象も解決も混沌として流動的なのは、子どもという存在において当たり前のことなのだ。だから「病気」でなく「症候(群)」と言って来た。「症候(群)」とは、様子やしぐさ、習慣が「気になる」というカテゴリーであって、「どうにかしないと大変なことになる」ものではない。

 

 ☆後記☆

子ども食堂「うさぎとカメ」、明日ですよ~❤ 天気も良さそう。さあ、子どもは雪と戯れて⛄ 美味しいトン汁とお握り🍙が待ってるよ~✋ 明日のチラシの通信・「もしもしカメよ」です。おいでくださ~い

 ☆☆

これは、私ご贔屓のコーヒー豆屋さん「豆壱」の出窓です。逆光でゴジラはしっぽしか見えませんが、映画『ゴジラ-1』を模したもの。お客さんが作ったもので、戦闘機・震電はもちろん、護衛艦も映画のものだそうですよ🦖

なんか、桐島のことが頭を離れません。


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