実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

ケーキが切れない? 実戦教師塾通信七百六十七号

2021-07-30 11:21:47 | 子ども/学校

ケーキが切れない?

 ~「頭のいい人」が書いた本~

 

 ☆初めに☆

前号記事はネガティブではありましたが、私は白鵬をいつくしむ気持ちでいっぱいでした。でも今回の記事は違います。『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮新書)が、巷(ちまた)をにぎわしています。読む気が起こらずにいたのですが、きっかけがあって読んだのです。今年の「読書特集」では、この書を組まない。推薦できないからです。

少年更生施設はともかくも精神医療の臨床現場に、この本が影響を与えているとはとても思えません。専門家相手の本と言える代物ものでは、到底ありえません。でも、学校現場や一部保護者には少なからぬ影響を与えているらしい。放置できないと思えました。

 

 1 「頭のいい人」

 『ケーキの切れない非行少年たち』というタイトルが意味することはなんだろう。「非行少年たち」と限定したのは、この本に見られるようなケーキの切り方が、少年院に入院している子どもたちに特有な現象だったからだ。正確には、著者がそう「思ったから」である。

表紙にある「ケーキの図」

内容は、精神医学や発達障害等の文献を一定読んでいれば、難しいものではない。ケーキが切れない他に、この本は、

反省や計画や計算等が出来ない/見ること聞くこと想像すること等が出来ない

という「非行少年たち」の特徴をあげる。例えば「いま我慢することでいつかいいことがある」ことが「想像できないから」簡単に手に入れる方法に走る、時としては犯罪に走る。ここにはびっくりするほど「なぜ?」がない。なぜ我慢できないのか。なぜ犯罪に走るのか、というアプローチがない。私が見てきた、また現在も見ている問題行動を起こす少年たちは、例外なく「我慢を重ねて」いる。どうしてこんなことをするのかと思えることも、よく見ていけば、ずいぶんな我慢を重ねているのを知ることが出来る。ひとつだけ例を挙げよう。トイレの床に自分の汚物を置いて放置する女子がいた。彼女は母親のしつけの厳しさと、何かにつけ弟と比較される家庭環境にあった。そしてこれは転校して間もない、自分の周辺の環境が激しく変化した頃に起こった。こう言うと、同じ環境にあっても永山則夫の兄も酒鬼薔薇聖斗の弟もちゃんとしていたという反論は、必ずと出て来る。そんなものは「頭のいい人」の言っていることだ。

 引きこもりも万引きも知的な障害、または精神的な障害を背負っているからだという。著者の言う「支援」は、それらを「矯正」する「更生」することで一貫している。例があげられている。どんな方法でもいいから一週間以内に10万円用意する、という課題を非行少年たちに与えると、親族から借りるという答えのほか、強盗するとか脅し取るという答えが出て来るという。これは「先のことを見通す計画力がない」からだそうだ。そんな少年を相手にして来た私には、どれも著者が「頭のいい人」だと思う以外なかった。著者が「頭の悪い」、あるいは「不幸な境遇にいた」ものの気持ちを分からない人だと思う以外なかった。

 

 2 「それどころじゃねえ」

 現場の目線から考えよう。教師の多く(「全員」ではない)が、子どもたちは話が聞けない/すぐ切れる、そして、自分のことしか考えない/相手を思う想像力に欠ける等々と言う。この著書に多くの教師がシンパシーを感じる所以である。現象をなぞるとも分析ともつかないこれらが、実は大人の「子どもの気持ちを考えずに断定する」態度であることは疑いがない。今では無言や無視の対応が、少し前は「普通」というものがあった。「元気?」と聞こうが「どうした?」と聞こうが、すべて「普通」と返される。これは著者がいうような「対人スキルの乏しさ」によるのではない。子どもが大人にとって「分かりにくい姿」で現れる時、間違いなく「それどころじゃねえ」、または「オメエには関係ねえ」子どもの状態がそこにはある。「あいさつ」どころじゃない、「頭髪」どころじゃない、「勉強」どころじゃない、そして「ケーキを三等分」どころじゃない。そこにあるのは「対人スキルの乏しさ」ではなく、いわば「相手を拒絶する積極的態度」だ。この書は、こんな状態の子どもをじっくり見ようとしない、怠惰な大人の在り方を追認するものとなっている。そしてもちろん、不本意で少年院に送られた少年たちが、教官と称する連中に一体どの面下げて対面するのかという胸の内を、この選び抜かれた者たちは決して分かりはしない。学校でもよくあるし、刑事ドラマでもよく見るではないか。精一杯に反省する姿を見せるかと思うと、相談室(または取調室に)の相手が言う。

「それ、さっき言ったし」「またおんなじこと言わせるのかよ?」

そしてだんだん、表情が仮面のようになっていく。口数も少なくなる。この本のタイトルの「ケーキの切れない」が、「ケーキを切らない」とならなかった理由が良く分かる気がする。

 

 3 「あなたと私」へ

 DSM(Diagnostic and Statistical Manual of Mental Disorders)は、10数年に一度改定される精神障害の診断と統計のマニュアルである。いま出回ってるのが2013年にされた「5」のバージョン。面白いのがこの「5」版の登場により、ご存じの「アスペルガー障害」や「広汎性発達障害」が消えてしまったことだ。これらは、大きな「自閉症スペクトラム」という概念に包まれてしまった。もともとが精神医療上では、病気や障害の境界線や枠づけが難しい、いや、はっきりしないものである。私は、これらのことをしっかり説明できる専門家のとても少ないことを、残念ながら存じ上げている。

 著者はDSMー5を取り上げつつも、そこで消失しているアスペルガーを何気なく使っている。おそらく今も行政や巷で使われているからなのだろう。それはいい。大切なのは、以前は障害であったものがそうでなくなるという、精神医学会において発生する、言わば「日常的な出来事」の方だ。私たちはこのことを踏まえつつ、現場・子どもに向き合うことが必要だ。障害があろうがなかろうが、当事者には悩みや苦労があることを、私たちは繰り返し思い返すことだ。

 2014年、佐世保で起こった同級生殺人事件に対して、著者は「人を殺したいという気持ちを消し去ることはそう簡単ではない」と言い、さらりと「どう対処したらいいか」という。次に「ストレスがたまらないようにする」等々の「対策」が来るのは、もうお約束と言っていい。その多くが生活スキルの育成や学力の向上なのだ。一体、あの女子高校生が「実の母を亡くす」「有名弁護士の父は別な女性と再婚する」「その前かその直後、彼女はすぐに一人暮らしを始める」「多額のお金が、父から生活費として送られる」等々の背景がどうして問題とならないのか、不思議としか言いようがない。

 信頼のおける精神科医に、この書をめぐる意見を求めた。返って来たのは「しっかりして下さい」とも思える激励だった。

 私たちは「あなたと私」という具体的な手触りの中にこそ、解決や希望があると考えるものである。

 

 ☆後記☆

内村君も大坂なおみも残念。結局、大坂なおみの2回戦しか見なかった。それもたまたま。なんせテレビ番組欄を見ないんで。知らないうちにオオタニさーん、37号打ってるし。これも見れない。ラグビーだって、話題にならないと思ったら、サッカーのフットサルみたいなミニチュア版らしいっすね。な~んか……ですね。

あんまり興味ないコロナなんですが、先日、小児科医・山田真の論文で初めて知りました。今回のワクチンて、遺伝子治療なんですって? 12歳以下に接種しないのは、子どもに感染者が少ない&副作用(副反応?)が理由だと思ってましたが、どうも表に出されてない「副作用」の方に理由があるようですよ。

大徳寺と言うのかムクゲと言うのか、毎年かわいらしく毎日のように満開。今日も頑張れよ、と言われてる気分です。道行く人がみんな見上げていきます。

明日は少し遅れたけれど、「土用のウナギ」で~す!


最新の画像もっと見る