実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

体育祭で  実戦教師塾通信五百六十五号

2017-09-15 11:23:23 | 子ども/学校
 体育祭で
     ~過去を大切にするために~

 ☆初めに☆
「◇◇中学校の応援、琴寄センセイが作ったスタイルですよ」
そう言ってくれる先生が結構いるんです。耳にすれば、その気になっている私です。そして、今も子どもたちは元気にやってるかなと、たまに「母校」に出向いている私です。今年も久しぶりに、いくつかある「母校」のひとつを見学に行きました。

   見る人が見ればわかる、どこかの中学校

 「メイン」と言われる応援は、午後のスタート種目です。

      面倒なご時世ゆえ、かなりボカしました
子どもたちの顔は、この日を待ってた、この日のためにと輝いてました。嬉しいな。まだ幼さの残る顔は、若さと喜びに満ちていました。
紅組、良かったなあ。なぜか『一世風靡セピア』でした。

 1 シャツ出し
 体育祭見参のあとは、体育祭もしくは体育へのご意見である。思わず眉間(みけん)に縦ジワが寄る感じの報告や相談が、毎年のように入ってくる。今年もあった。
 多くの方はご存じと思うが、中学生の生活指導項目の中に、
「体操服はハーフパンツ(ジャージ)の中に入れないといけない」
というのがある。小学校の先生たちと話したこともあるが、
「議論になったことがありません」
と言う。当然なのだ。シャツいれる?んなのメンドクセエ、という子どもがいない(圧倒的少数)からだ。しかしこれが、自我とかいうものが目立つようになると、
「(夏は)暑いし」「ウザイし」「カッコわりいし」
となって来る。「自分の判断」を優先させるのである。そして教師の方は、目につく「不揃(ぞろ)い感」と、シャツ出し連中の「だらしな感」、そして「言うこと聞かない感」が我慢できない、という結果にあいなる。
 これらはホントにどうでもいいことなのである。だから、
「こんなことでどうしてそんなに熱くなるんですか?」
こう「真面目な」、つまりシャツを入れてる子に言われると、大体の教師は返す言葉がない。シャツ入れの理由は一応ある。
◇転倒や器具との接触という非常時にガードになる

バイクの教習で、長袖長ズボン着用を言うのと似てる。

◇体育をする時の緊張感が必要

体育をだらだらすれば、ケガもするというのである。

◇今までみんなやって来た

「今まで」とは、一年生(入学当時)の時のことを言ってる。

 どれをとっても、人生を語るような顔して注意するものではない。本当は先生たち、三つ目のことが一番気になってる。このままじゃ先がどうなるのだ、という不安も手伝って、先生たち、ここを譲りたがらない。
「サッカーの公式試合でも、審判は(シャツ入れを)指示している」
なんて意見を真面目に言う教師もいて、私もけっこう面倒な思いをした。少し一流アスリートのコスチュームを見てみよう。

     女子体操。もちろんワンピース。

 内村君のリーシャオペン。跳馬の時いつもハーフパンツ。練習時はシャツ出てる気がします。本番はこの形です。

  柔道。上着出てます、って道着ですから。帯、実は飾りです。
 で、女子陸上なんてお腹出してます。へそピアスもありってか。



 これがサッカー。みんな出てる。確かに、シャツ出しを注意する時期もあったようだ。ラフなプレーがあった時の証拠になる、という理由が上げられてもいた。結局、うっせえな、いちいちそんなこと気にしてたらプレーに集中出来ねえよ、というまっとうな結論に行き着いたみたいだ。

 2 一人歩きする建て前
 この体育祭に出向いた時、別に懐かしくない先生を見かけている。もちろん偉くなってて、お昼のパトロールにうろついていた。ので、私はサングラスを外して、にっこりと微笑みかけた。予想に違わず、慌てて落ち着かない様子をさらけだすこの人も、服装に厳しい先生だった。
 会えば、私が改まって話したい先生は五万といる。しかし実際会っても、正面から対してくれる「男」の先生はほとんどいない。「いいことはいい、悪いことは悪い」と言い続けてきた先生の、一体どこが悪かったのか。簡単なことだ。
◇指導する(出来る)対象がすべての生徒ではないことが露呈したから
◇そんな後でも、指導できる生徒にだけは、なぜか指導するから
である。
 ひとつ目はしょうがないっていうか、我慢できる。しかし、二つ目は良くない。もうこれは如何(いかん)ともしがたい。豪華版にどうしようもない。
 校内が荒れると、こういう事情は一気に露呈する。たとえば、校内で携帯orスマホをたしなんでる生徒の横をすごすごと歩く先生が、その向かった先で、ジャージの袖をまくった生徒を見かけると、
「オイ、袖がまくれている」
と注意する。信じられないことだが、それが出来る。こんなこと、お天道様(おてんとさま)だってご覧になってる。生徒が失望するのは、当たり前である。

 3 恥ずかしさを忘れてはマズイんです
 この馬脚(ばきゃく)を表した先生たちは、恥ずかしい過去を引き受けないといけない。それが「過去から学ぶ」ということだ。
 以前、一度とり上げたことだが、もう一度。
 中学校が荒れた。3年生(の一部)がやりたい放題だった。私服で校内を闊歩(かっぽ)し、携帯で校内外との連絡を取り合った。
 卒業式が終えた後、なぜか全員校庭に整列して校舎に向かい、
「ありがとうございましたァッ!」
とか叫ぶ、ホントに甘ったれた連中だった。え?じゃあオマエ(私)はこいつらとどう渡り合ったかって? 以前、インタビューの本に(雑誌にも)書きました。ここでは止めます。
 その後、新年度になって、つまり4月、驚くべきことが起こる。
「体操シャツを中に入れなさい!」
という先生たちの声が、校舎にこだましたのだ。恥ずかしかった。天皇の敗戦を告げる玉音放送のあと、太宰が「恥ずかしい」と言って伊豆の海に飛び込んだ、とかいう話を思い出した。たまらずある日、私は朝の職員打ち合わせで言った。
「先生方、恥ずかしくないんですか。この3月まで生徒からやりたい放題やられていた私たちが、面倒な生徒がいなくなったら、いきなり堂々と注意をしている。『学校を建て直すために私たちは立ち上がった』とでも言う気ですか。生徒たち、みんな分かってますよ。ホントに恥ずかしい」
 私たちが恥ずかしい過去から学ぶことはたくさんあった。
「私たちが『出来ること』と『するべきこと』を分けないといけない」
「出来もしないことを掲げれば、生徒は私たちに失望する」
「そのために、三年間通して指導できることに項目をしぼる」等々
私はそんな風に言ってきたつもりだ。

 最後に付け足し。今年の不愉快な報告のことだ。
「先生方、生徒にシャツ入れを言っている私たちは、率先して自分のシャツを入れた方がいいと思います」
と、職員に提言をしたという教師のこと。この教師は、シャツ入れをくだらない、としているのではない。
「先生方もちゃんとしましょう」
と言っている。学校的価値観を拡張したいようなのだ。この教師が、かつて「いざという時」みっともない姿をさらしたことを知る私としては、とても恥ずかしかった。のである。


 ☆後記☆
応援を見に行った中学校で、教え子たちがたくさん声をかけてくれました。もちろん、今は保護者として体育祭の見物に来ている。サングラスに帽子の私に気がついて、声をかけてくれるんです。近況を報告し合いました。幸せでした。

 ☆ ☆
泉田元知事、新潟県補選で、自民党の推薦を受けました。推薦する連中の「なりふり構わない」姿に唖然としたのもつかのま、受諾(じゅだく)とは! いや、驚きましたね。
「原発行政は国政から変えないといけない」
とは、泉田氏が言ったって? いやあ、たけしじゃないけど、お笑い芸人負けちゃいますって。

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