実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

去るもの/戻るもの  実戦教師塾通信四百一号

2014-08-08 11:58:53 | 福島からの報告
 去るもの/戻るもの


 1 去るもの

            
            いわきNHKそばの木陰でたたずむ愛車
「この人が、ここの蕨(わらび)はダメだって言ったんだよ」
広野町二つ沼の直販所のおばちゃんが言う。首から名札をかけた、県の職員が首をすくめて笑っている。この日は県からの飛び込みで、品物にチェックが入ったらしい。
「いや、栽培したものはいいんですよ」
とあわてたように職員さんは言う。しかし、今まで野生の山菜を楽しみに摘(つ)んでいた人たちが、わざわざ栽培などするものか、と私は聞いている。おばちゃんたちは、
「私たちは『自己責任』で、勝手にとって食べてるよ」
などと言っている。
 ここで栽培すれば米も野菜も高くつきますね、たいへんですよね、と私は切り出した。
「サンプル調査で、五百グラム必ずミンチにされるしね」
「ゼオライトとカリウムを撒(ま)くしね」
そうか、畑にも撒くのだ、と私は当たり前のことに気づいた。

 コーヒーを出された私は、テーブルに腰掛けておばちゃんの話を聞く。戦争が終わり、
「ここに帰って来た父は、なんにもしてくれない国をあてにせず、自分で木を切って切り株(きりかぶ)を掘って農地にしたんだよ」
「その父の跡(あと)を継(つ)ぐのは私たちで終わり」
「私たちの子どもらが農業を出来るわけがない」
「箸(はし)より重いものを持ったことがないんだから」
「原発事故はちょうどいい機会だ、ぐらいにしか思ってないよ」
「いわきにマンション買って、あの子たち出てったよ」
これが日本の歩んできた道なのかと、私は思ってしまう。手塩にかけた農地は、ダイナミックな力の前にまったく為す術(すべ)なく、人々は離散(りさん)していく。
「でも、広野の米はおいしいよ」
またこの日もおばちゃんたちは言う。
「川の水がきれいだからね」
と言う。広野の川は浅見川だったかな。放射能は不検出だ。楢葉町が、ダムにたまるセシウムで汚(よご)された泥を片づけて欲しいと言っているが、あのダムの川は木戸川だ。そんな牧場主さんの話を思い出して、私が言った。
「東電の補償金だけで生活をしてたら人間としてダメになっちまうって言うんです」
「でも、働いた分、補償金を削(けず)られるんですよね」
私がそう言うと、ここ広野の、つまり双葉地区おばちゃんたちもうなずいて、それに付け足す。
「それにさ、働けば年末調整に給料分の税金がかかるんだよ」
そうだった。また目が覚(さ)める。


 2 戻るもの
            
            自立生活センターの「パオ」
 この間は気がつかなかったが、パオがカラフルに模様替えしていた。今年の二月の大雪で屋根が落ちてしまったという。
「早く広野に帰りてえ」
中でポータブルタイプのゲームをしながら、タカシが言う。タカシは今年、いわきの定時制高校に入学して、ここの仮設住宅から通(かよ)っている。震災当時のことを克明(こくめい)に話してくれた。
「(3月)12日(一号機が爆発)は逃げなかったんスよ。みんな逃げてましたけど」
「すごかったですよ、サイレンや人の声が。町がバスを出しました」
「でも、14日(三号機が爆発)はさすがのオヤジもこれはヤバいって」
「町のバスで逃げようとしたんだけど、そん時はもうなかったんですよね」
「あわてて(町)役場に行ったらまだ職員の人がいて」
「じゃ、町の車を手配するからって言ってくれたんです」
「そして、高専(いわき高等専門学校)に行って、避難所暮らしです」
「初めは体育館で、そのあと体育館は使うからって、次は図書館」
「図書館で飯(めし)づくりしましたよ。コンロが使えたんですよ」
「次は家庭科室だったかな。あちこち学校のなかを回(まわ)されましたね」
「そしたらある日、湯本の旅館に移れって。もう旅館は最高でしたね」
「避難所では固くなったおにぎりだったのが、次はお弁当」
「それが最後は旅館の豪華なご飯」

 タカシの父は、川俣(かわまた)で除染(じょせん)の仕事をしている。前から東電の関連会社で働いていたという。
「オヤジは富岡と浪江の検問を通って川俣の仕事場まで行くんですよ」
川俣は二つの町より北にある。第一原発は、富岡町と浪江町の間にある。だから、富岡→第一原発(の横)→浪江を縦断して初めて川俣に着くのだ。国道6号線を使ってだ、と私はまた思い出した。その高線量の区間を毎日通って、タカシの父は仕事場に向かっている。
「オヤジは家のちっこいワゴンに、もうオレたちを乗せてくれないッス」
「(放射能が)危なくて乗せられねえってことらしいです」
 まあ、Jビレッジ付近で作業員は大型バスに乗り換えるはずだが、そういう父親の気持ちは当然と思われる。その父が、それまで持っていなかったバイクの免許を、この震災後に取得(しゅとく)したという。
「カワサキのゼファー(400)ですよ」
「ハンドルをこうやって曲(ま)げてね。また音がいいんスよ」
その後、絶対あたらないと思っていた町営復興住宅の抽選(ちゅうせん)に当たった。
「早く帰りてえ。ここはもうあきた」
「前みてえに広野で遊びてえ」

 私はゆっくりバイクの身支度(みじたく)をし、もういないだろうと思って小高い場所のパオを見上げた。すると、外で立ったままタカシがまだこっちを見ている。私は手を振って走り出したが、タカシはずっとそのままだった。


 ☆☆
佐世保の高一女子殺人事件、あっと言う間に加害生徒の本名と写真が掲載(けいさい)されたといいます。そして、この近辺の教員むけ夏期研修会では、バカな講師が、
「犯行に及(およ)んだ生徒は『発達障害』である」
と、いい気な顔してしゃべくっているそうです。バカですよ。「発達障害」だったらなんだ? ということです。「発達障害」だから、「人を殺した」「人を解剖(かいぼう)」するとでも言うのですかね。「発達障害」でなければ、人殺しはしないとでも言うのでしょうか。言い出したらきりがない。大体「発達障害」そのものは、病気でもなんでもない。それは50以上に及ぶ項目、衝動(しょうどう)性/多動性/挑戦(ちょうせん)的/頑固(がんこ)/自己肯定(こうてい)の低さ等々、それらの傾向にいくつあてはまるか、という「判定」です。こんな「人の傾向/性格」に、<病気>のレッテルが貼(は)られている。私の友人など、やってみたらこれらの半分以上もあてはまった。もう立派な「発達障害」です。でも、だからなに?なんです。
 まだ続けます。私の教え子に「ウ・メ・ボ・シ」しか言わない生徒がいました。奇声(きせい)と多動で周囲を振り回していたこの生徒は、でも「みんな分かっていた」。私は、そうかこれが、
「input(受けいれる)ことが出来ても、それをうまくoutput(外に出す)ことが出来ない障害というのか」
と思ったものです。でもそこまでですよ。だからなに? なんです。この生徒は周囲を愛し、そして周囲から愛されて卒業していった。テストには暗号めいた字・答?しか書かない奴でしたが、高校に行ってしまった!のです。

「人を殺してみたかった」
「誰でもよかった」
「殺したのは仲良しだった」
「新しいお母さんが来てよかった」
などという加害生徒の発言にメディアは飛びついていますが、これらの発言が少女の心の葛藤(かっとう)を反映していることは明白だと思われます。おそらくは、だいぶ前から彼女は「仮面状態」にあったと思われます。そして母の亡くなったあと、充分に多感な少女は、独り暮らし(父親の「緊急避難」のためだとか)を始めて一体どのような思いでいたのか、そんなことは私たちが考えるにあたっての一丁目一番地です。
      
      手賀沼沿い、早朝の田んぼ。まだ春先のような緑の稲です

 ☆☆
福島原発事故検察審議会が「起訴相当(きそそうとう)」の議決を出しましたね。先日の福井地裁の判決といい、「司法の良心」が続いています。これを「当然」とは思えず、喜んでいる私です。原発事故告訴団の副団長・佐藤和良いわき市議に、「お祝い」のメッセージを送りました。
            
            2日の手賀沼花火大会。家の近くで見ました

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1 コメント

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全国空手大会 (背番号のないエース)
2014-08-15 10:43:41
今度全国空手大会があるそうで、八重山諸島から5人の小学生が出場すると
昨日の八重山毎日新聞に、掲載されておりました。
当新聞HPには掲載されませんでしたが、他のnetで情報が入り次第Address投稿しますね。




http://www.y-mainichi.co.jp/entry?tag=%E7%A9%BA%E6%89%8B




今回は先日お知らせした當銘正昭さんを始めとする
八重山でご活躍された方々の空手記事を掲載します。
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