実戦教師塾・琴寄政人の〈場所〉

震災と原発で大揺れの日本、私たちにとって不動の場所とは何か

復活? 実戦教師塾通信七百六十六号

2021-07-23 11:49:34 | 武道

復活?

 ~さようなら、白鵬~

 

 ☆初めに☆

制限時間一杯でにらみ合う両者を批判する向きもありましたが、照ノ富士が白鵬から目をそらさずに、堂々と最後の蹲踞(そんきょ)する姿は、見ごたえたっぷりでした。にらみ合いなど、問題にすることではない。後味の悪さは、その他の所にありました。

朝日新聞より。最後の小手投げ。

振り返れば、土俵下から審判に待ったをかける不作法は文句なしにひどかった。その他、万歳三唱や三本締めなど、白鵬に多くの「過失」はありました。しかし、それをカバーして余りある実績が白鵬にはあります。優勝回数だけではない、野見宿禰(のみのすくね)や双葉山に始まり髷(まげ)をめぐる歴史まで、白鵬には相撲文化を日本人以上に愛する姿があったのです。東日本大震災の後、被災者から頼まれ海に向かって土俵入りした姿は、今も記憶に鮮やかです。土俵入りのあと余震が減ったという感謝の言葉を、白鵬は受け取っています。

でも、もう違う。人は変わる。まさか白鵬に、この言葉がずっしり寄り添っているとは思わなかった。悔しくて仕方がない。

 

 1 「そんなにしてまで勝ちたいのか」

 二年前の五月場所で栃ノ心と対戦し、まさかの物言いの後で勝利した朝乃山の言葉だ。

「一生残るんじゃないか」「昨日の相撲はすみませんでしたと謝りたい」

土俵際の下手投げで、完全に栃ノ心の勝ちと見えた取り組み。自分でも負けたと思っていた朝乃山に、この後白星と優勝が転がり込んだ。自分は負けていた。それほどまでして勝ちを得たいとは思わなかった、という朝乃山の言葉だ。

 何度か書いた。朝青龍と白鵬が勝ち星を重ね、千秋楽を迎えるという状況下、朝青龍が体力を温存し、星を得る目的で変化し白星を重ねた。直後、白鵬は朝青龍に対し、変化して勝ちをもらう。「あなたがしたのは、こういうことです」、朝青龍を土俵で見下ろす白鵬は、そう語っていた。そんな自分の姿を、白鵬は忘れたのだろうか。名古屋場所13日までの立派な相撲/復帰戦は、残り二日間ですべて台無しになった。

 

 2 「技」

 繰り返し問題として取り上げられる「かち上げ」。今場所見せなかったこの技を、千秋楽の照ノ富士戦で初めて見せた。いまだに素人筋から「ダメというならルールを変えるべきだ」という声があるが、関係者は「かち上げとひじ打ちは全く違う」と繰り返し指摘している。白鵬のやっているのは「ひじ打ち」であって「かち上げ」ではない。何度も書いたが、以前、妙義龍戦で見せた「かち上げ」で、妙義龍は土俵上で痙攣を起こし立ち上がれなかった。あれは上体と上腕が一体となった「かち上げ」である。ツボに入った偶然を「技」にまで高めようと、白鵬は稽古を重ねるが失敗した。その結果が「ひじ打ち」だ。遠藤や豪栄道は、失敗作のおかげでさんざんな目にあっている。それを封印しようという白鵬の思いは、使用頻度の低さで伝わっていた。しかし、まさか復帰場所、それも大切な千秋楽での再来。

 前日の正代戦で見せた、徳俵ぎりぎりまで下がる取り口。親方衆は「弱い相手のすること」と評した。私は「相手のかく乱を誘う作戦」と見ている。以前、栃煌山戦で使った「猫だまし」と同じ目的である。相手を侮辱する取り口と言える。しかし、正代があまり動揺する様子を見せないとみるや、白鵬は激しい突っ張りに転じる。今度は怒りを誘おうとする作戦である。私に言わせれば、千秋楽でようやく勝ち越しを決めて小躍りするような「大関」相手に、どうしてあれほど警戒をするのか、理解に苦しんだ。稀勢の里がまだ大関の頃、白鵬の感情を高ぶらせようとして取ったのが、この「突っ張り」である。稀勢の里から学んだというには、白鵬はあまりに「大」の付く横綱である。この突っ張りを千秋楽でも使う。そっちが怒るまで続けるぞと言わんばかりの執拗さは、照ノ富士の逆鱗に触れる。照ノ富士がまんまと白鵬の作戦に乗った形だ。白鵬の技が勝ちを収めたのではない。下品な作戦が功を奏しただけだ。

 

 3 「相撲よ!」

 白鵬の著を何冊か読んだ。一番は最初に出した『相撲よ!』だと思う。双葉山が69で連勝が止まった時、「我いまだ木鶏(もっけい)たり得ず」と語った時のことを、当時は(!)かみしめるように言った。

「私は人から優しいとか、闘志が顔に出ないなどといわれるが、この(双葉山の)『泰然自若』の状態を目指してそうしているからなのだ」(「相撲よ!」より)

今場所13日までの取り組みの要所にも、確かに「未熟な点」(同書より)は見られた。遠藤戦では、やはり熱くなるし、隆の勝戦では完全に追い込まれた。しかし、ここでも全盛期を思わせる対応の早さを見せ、思わず土俵下の審判部を見渡す目はいたずらっぽかった。それとは対照的だったのが、大栄翔戦と高安戦。白鵬の身上としている「流れ」。土俵上では流れが目まぐるしく変化する。その変化を一瞬で見極め、新しい流れに合わせていく姿に、誰でもをうならせるものがあった。北の富士さんいうところの「これが出来ちゃうんだよなあ」だ。

 私たち格闘技・武術を学ぶ者の多くは、そのきっかけに「勝つならきれいに」というものを持っている。死に物狂いの相手に、自分は平然としていたい、という在り方だ。「泰然自若」を目指した白鵬も同じだった。勝つだけなら、闇討ちや多勢に無勢や武器使用など、方法はいくらでもある。きれいな勝負だからこそ、勝とうが負けようが相手を尊敬できる。だから「試合」を「仕合」、別読みで「つかえあう」という。白鵬の最後のガッツポーズを見て、朝青龍の再来かと思った人は少なくないはずだ。「もう執念ですね」、待ってましたと舞の海が喜ぶ。

 「食道がん」(柳生新陰流・前田英樹氏の説)に冒され苦しみ、それでも霊厳洞まで這うように通って書き上げた、武蔵の『五輪書』。

「われ三十にして跡を思ひみるに、兵法至極にして勝つにはあらず。おのづから道の器用ありて天理を離れざる故か。または他流の兵法不足なるところにや」(『五輪書』・地の巻)

一体何度引き合いに出しただろう。六十回以上戦って負けを知らないまま三十を迎え、その後三十年稽古を重ねた武蔵の言葉だ。負けなかったのは、生まれついた自分の身体や資質によるのか相手が弱すぎたのか、いやそんなはずはないという強い思いがここには記されている。その理由の解明に、武蔵は執念を燃やした。これも執念だ。しかしこれは、白鵬のような勝ち負けへの執念ではない。

 観客席の白鵬の家族「全員」の涙は、おそらくここに至るまでの白鵬の大変さ苦しさを示している。祝いねぎらう家族も、きっとつらかった。でも、もういい。家族の誰かがそう思っているような気もする。

 悔しいし寂しいけれど、そして再生する日が来る奇跡を願わないこともない。でも白鵬、さようなら。

 

 ☆後記☆

なんか、オリンピックが大変なことになってますね。「安心・安全」でないものに「万全を期す」って、「ある程度覚悟する必要があります」のようにしか聞こえません。それと、あれよあれよって感じの関係者の不祥事と、その気もない「謝罪」。今回の五輪って、相当なレベルの突貫工事だったのですねえ。

オリンピック見るかって? 内村君と大坂なおみは見たいかな。池江選手の表彰式も。あとは別に。それよりオリンピックのせいで、大リーグが見れなくなってる。そっちが悲しい。

 ☆☆

最後に先週の「うさぎとカメ」で~す。ターメリック風味のピラフ、絶賛の声をいただきました。


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