チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 470

2022年01月18日 08時43分58秒 | 日記
年一回の「竺仙」の展示会が毎年楽しみ
そこで出会う職人さんたちと話し合うのが喜び
若い時に取材をさせていただき、今は伝統工芸士として活躍なっさっている姿は尊い

昭和30年後半から40年代に、この竺仙の先代社長小川文男さんに様々な職人のところに連れて行っていただいた
伊勢には型紙を彫る人々、型紙のそのものを作る人、和紙に柿渋を塗り天日で乾かし固く固く仕上げた紙に、彫り師が自分だけの道具を手に文様を彫っていく。非常に細かいものには「紗」を裏に張り柄が動かないようにする。その「紗張り」はほとんどその家のおかみさんの仕事だ。家族総出で仕事をする

其の型紙が「染め師」に渡され、板場で染めていく。当時の東京には多くの小紋染め師がいて、それぞれの分野があった
筋もの専門、角通しや鮫小紋、文久小紋など少し大きい小紋、しゃれ小紋と呼ばれるユーモアのある野菜などの小紋、道具の用い方でその模様は決まる。突き小紋、道具小紋、桐彫り小紋など様々な彫り師がいた

型彫り職人と小紋染め職人の相性もあり、社長はそのお引き合わせをそれぞれの持ち味を生かして、決めていた

江戸小紋という名称は昭和30年代の初めに付けられたもので、国がその技術を守るということになっているが、どうだろう?いま

元々この小さな小紋は武士の裃柄として発達している。チャ子ちゃん先生はこの小紋の取材をした時から、裃小紋としゃれ小紋とに分けた呼び名をつけていて、勝手に裃小紋は礼装に着られる。という文章をあちこちで書いた

江戸時代それぞれの藩の「留め柄」として裃小紋が発達した。ご存じのように裃の柄を見るとどこの藩の者かが分かった
100石が50万石か、10万石かによってそれぞれ作法が違っていたから着るもので所属を明らかにするという知恵は日本独特かもしれない

江戸小紋に限らず、多くの人の手によって作られてきた着物の数々、途方もない旅の終着が「着る人の感性にかかっている」
「着物はお品良く着なさい」という先代の社長の声が聞こえた会場だった
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80歳以上の人とは契約できません

2022年01月17日 09時58分51秒 | 日記
こういう契約をしてほしい
という電話がしつこく
「説明だけでも聞いてほしい」
と再三再四の電話、聞いてみようかと時間を取る

つまり大手企業との提携の子会社、大手企業に支払っていた料金よりうちはこの様に安い、しかも責任は大手企業がきちんと取る、という説明、そういう詳しい説明書も見せてくれる

その提携子会社も数十軒あって、一つ一つの子会社の説明も丁寧。説明する人は20代後半のイケメン。ひざも崩さず丁寧としつこさが入り混じりながら、汗をかきかき一生懸命

「まあコーヒーでもどうぞ、甘さはこのチョコレートでね」
と小盆に整えた飲み物を渡す。しかしそれでも一息入れず延々と説明を
「わかりました契約しましょう」

色いろと書き込むところに文字を埋めていく出来上がった書類を見て
「アッ80歳以上の方とは契約できない決まりがあるのです。一時間むだにしました」
と書類をびりびりと破き
「これそちらで処分しますか?」
とコーヒーに口付ける

むかつくところをぐっと抑えて
「私は会社を経営している人間ですよ、80歳でダメというのはどういう基準ですか?」
「多くの人が認知症にかかるからです、そんな契約していなかったといいかねない」

ロボットなのだ、決められたことをひたすら守る、自分の心がないロボット
「一時間無駄にしたとおっしゃったけど、時間泥棒はあなたの方です。この国の先達に代わってお話ししましょう。80歳以上の方がいるからこそあなたたちが育ってきたのです。多くの大人は育て方を間違えたので、あなたのような無礼な若者が出来てしまった」
「破った契約書はどちらが処分ーーー」
「お黙りなさい!あなたがお持ちになりなさい、あなたの名刺も持ち帰ってください。外はお寒いからお気を付けになってね」
ふーーー
老人を尊敬できない若者は何も学ぶことが出来ない

大企業はもう自分で小回りが出来ない状態なのだなあ


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女正月

2022年01月16日 09時26分53秒 | 日記
1月15日は小正月であり女正月でもあった
まだ女たちが社会に出て働くという習慣のない時代、家庭において女たちは忙しかった。暮れから正月は大掃除の陣頭指揮から始まり、餅つき、正月飾りの用意、三が日はどこもお休みで、もちろんコンビニなどない、お節料理は必須だ。さらに家族の下着の用意、昔はお正月に新しい下着を下ろす習慣もあった。そういう下着の用意も女たちの針仕事だ。中流家庭以上は女中がいたが、暮れからお正月にかけてはそれぞれの里に帰すので主婦は一挙に仕事量が増える。そんなこんなで家族だけになっても主婦は大忙し

家族だけで過ごす元旦が終わると、初詣やあいさつ回り、年始客の接待、書き始め、稽古始め、鏡開き、どんど焼きと行事も続き、始業式、務めはじめでやや落ち着き正月行事の一切が15日までに終わる。その日を「女正月」として女たちが集まり、お互いをねぎらい一年が始まる

料理を持ち寄り、ちょっとおしゃれして、お茶席にしたり、お稽古の発表を行ったり、今でいえば女新年会。子供たちは一緒にはいかないので、主婦たちの社交場だ。この時「頼母子講」というのも開かれて、みんなでお金をお出しあい、まとまったお金を順番にくじ引きで決めていくという楽しみ会もあった

昔の女たちは「晴と褻」を心得ていて、女正月には一つ紋などの紋付で、それぞれ割烹着をもって集まる。作法にのっとった改まったご挨拶をしている姿を幼い私は違和感を感じるのだが(常日頃はざっくばらんな言葉で話し合っているのを知っているので)女たちはそれがまるで儀式のように進めていく。集まる家にも順番があり、我が家に人が集まる年は、私も綺麗なおべべを着せられているので、みんなに可愛いといわれ、有頂天になって、喜んでいた

晴れ着姿で集まっている女たちは華やかで美しい、家じゅうに明かりがともったように明るくにぎやか
女たちの年齢も様々なので、長幼の礼も身に付き、いろんな女学も教わっていたのだと思う

市谷に事務所を持っていた時は、女ばかりのスタッフだったので、女正月をしていた、みんなで短歌を詠んだり、今年の抱負を語り合い、近くの会社の氏神様にお参りをしたあと飲んだくれていた

今年は浅草ビューホテルで絶景の景色を見ながら恵子さんと女正月を楽しんだ

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補聴器

2022年01月14日 07時49分55秒 | 日記
ついに補聴器のお世話になっている
昨日はその調整の日、担当の方がわざわざ訪ねてきてくれる。これがいい

四人兄姉でチャ子ちゃん先生だけが、メガネを使い、歯も弱く、白髪も出て、補聴器も使う。93歳で亡くなった長姉は最後まで眼鏡無し、入れ歯なし、むろん補聴器など無粋なものは使わない
こういう状態を見るとやはり母親が若い時に生まれた子供は、すべての機械(笑)が整っているということかしらん

末っ子の私は母が38歳、父が42歳の時の子だ。今の時代はまだ若いといえるが、昭和の10年代では高齢出産になる。だから栄養が行き届いていなかったのっだなと適当に解釈しているがーーー何の説明にもならないがとにかく補聴器というものをつける羽目になった

友人が養老施設を経営していて、そこでは補聴器が必須、いろいろと試してパナソチックと提携、しかも動けない人も多いので担当者が一人一人を丁寧に応対するという仕組みを作った

その流れで紹介していただき、確りとカバーをしていただいている
補聴器その物の形がおしゃれでなく、友人の中には
「みっともないからやらない」
という人もいるが、人の話が理解できないというのは相手に対して失礼だ、と思いまたいろんな人に
「聞こえていますか?」
と言われたりして、使うことに決心した

まず耳の掃除、それは床屋でいつもやってもらっているのだが、担当の人は耳鼻科で掃除をしてもらってくださいという。まだ行っていないけど
「床屋さんでも結構きれいにしてくれる」
というと
「鼓膜にくっついた耳垢を取るには医者の道具が必要なのですよ」
その耳垢を取ることで、補聴器がいらなくなる人もいるそうな、耳垢はほっておくと固まって、素人ではなかなかとれないのだと教えてくれた

掃除いかんによってまた調節も変わってくるらしい。老いるということはいろんな体験も増える、老いが恥ずかしいと思う時代ではないのだ




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昼食3000円

2022年01月13日 10時21分15秒 | 日記
近くのシテ―ホテルが改築されてからこちら、コロナで客足が途絶えたかと言えばさにあらず、どこからともなく人がわき出でて毎日満員御礼。しかも若き男と女たち。おじさんたちは隣にある中華料理のお弁当500円を買っている(結構おいしそうだ)

元々は修学旅行や体育クラブの学生たちを相手の旅館風ホテルであった。食堂も1000円で煮物やサラダ、お味噌汁、ごはん食べ放題、コーヒー飲み放題、デザート付きという感じで、チャ子ちゃん先生のところでセミナーを受けた人たちのお昼ごはんの場だった。テーブルやいすも会社の食堂のようなしつらえで、庶民的。結構使わせてもらった

ところがある日から改装休業となり、出来上がってびっくり。建物の形は変わらず、間仕切りも変わらないのにすべてがおしゃれなホテルに様変わり。よく使わせていただいていた会議室は、天井を取っ払い、コンクリートの柱を丸出し、イタリアンレストラン。小さい会議室をオープン厨房にして明るい雰囲気

一階の蕎麦屋はパン屋に、食堂という感じの食事処は照明を暗くして高級レストランに様変わり、フランス料理風で大皿に盛りつけられた料理を勝手に取りに行く、厨房もオープン。前庭にもテーブルと椅子を出し、植木に囲まれたテラスを作り、外からはいる入り口を閉じた

デザイナーのセンスに驚嘆、さらなる驚きはつまり「イケメン」ばかりの接待役。清潔な黒人、きびきびしたアメリカ人、見るからに明るいイタリア人と国際色豊かな男たちが、まるで黒子の様に敏速に動き回っている

お昼は50分の滞留が定められている。ぺちゃぺちゃおしゃべりしながらランチを楽しもうという人達には向かない。それだけ人が集まるというものだろう
それにしても、どこからこれだけの若い男女が集まってくるのだろうと不思議

午後は幼い子供を連れた若いママたちの憩いの場になっているようだ
居心地がいいのだろう。デザイナーのおもてなしの心が生きたホテルになった

満員御礼でやんわりと断られたチャ子ちゃん先生たちは、昔からの行きつけの手料理屋さんに行ってぺちゃくちゃ語り合ったランチ時間。こちらはコーヒー付きで1200円

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着物が繋ぐもの 469

2022年01月12日 09時28分36秒 | 日記
「何とか役立ててほしい」
と言ってご自分の着物を送ってる方
「祖母、母の着物です。私は着ませんので何とかしてください」
「姉たちが着物の処分を考えているので見てほしい」
などなど
今や着物は断捨離の最大の対象になってしまっている

幼い記憶ではあるけど
姉たちは大島紬の着物を解きモンペに仕立て替え、上はセーラー服下は大島紬のモンペという姿で学校に通っていた。その時の柄が「竜郷柄」だったので、今でも竜郷柄を見ると姉たちの通学姿を思い出す

昔の女性は全部自分で洗い縫っていた。若い身空で偉いものだ

送られてきた着物を見てみると
未来の生活を考えた、衣装揃えをきちんとした家庭と
売り手の言うがままに買い揃えてしまったと思える家庭
持ってた方がいいかなと思って購入した着物

戦後の着物の販売は荒いとつくづく思う
高度成長期からバブルの絶頂まで、競争して着物を買っていた人たちが多い
正確には「買わされた」といった方がいいかもしれない
買うことに踊らされた
着物を買えば温泉に招待、高級料亭にご招待、はたまた外国に観光とエスカレート招待が続いていた

「パリに行きたいからとりあえず着物一式購入するわ」
という乱暴な販売に浮かれた人も多かった
地味地な着物の販売をしている呉服屋さんは、その流れに乗らず、静かな仕事をしていたが、経営は苦しかった

あの騒ぎの結果がこれらの着物のだと、送られた着物を一枚一枚手に取って、あの騒がしかった時代に翻弄された着物に「どうなりたい?」と聞いてみる

一昨日「ゆの里」ここので(和歌山県橋本)のんびり湯につかっていた時、ご一緒のご婦人が竜郷柄の大島を上手に洋服に作り替えていた。また他の方も道行コートを部屋着にしていて、お二人とも着物を何とか生き返らせたい思いで、洋服の技術を習得したのだそうだ

昭和40年50年代の絹はほとんど国産の絹。生かされて活きていた
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水で活きる

2022年01月11日 10時58分40秒 | 日記
私達の体は75%が水で出来ているといわれる
いい水を体に入れるのが健康の元であることは誰でも理解している
「水を買う」
ということがこの日本で起きるなんて夢にも思わなかった
それくらい日本の水は清かった
「木火土金水」という五行の教えがある
木は火を生みそこでできた灰が土になり、その土から金が生まれ、金から水があふれ、その水がまた木を育てる。この自然の循環がわが国土で脈々と行われていて、わが先祖は山にブナの木をたくさん植えて山の緑を育て、金山、銀山、銅山を誕生させ、おいしい水を生み出してきた

街中を流れる小川の水さえ飲むことのできた日本(今でも福井にその街がある)

水の結晶が科学的に証明され、水は私たちの気持ちも反映することもわかった現在、活きた水を求める人たちも増え、お水の商売は大いに潤ってきた
しかしそのもとである、天然の山を生き返らせなければ水は生きていけない
美しい山の水は海へと注がれる。当然死んだ水も海に行く
元を清めるという感覚を私達は取り戻さなければならないとつくづく思う
それにはわが国土の力を再認識して、農薬に頼らない土づくりの応援をしたい。それには一人一人が無農薬無肥料の食物を手に入れる工夫をすることが一番。もともとある土壌菌を生かす農業が私たち先祖の姿

近くに高野山を望む「ゆの里」「このの」の温泉につかりながら、お水の重要性を深く深く考えたチャ子ちゃん先生の休日

今ここには世界から水の研究家が訪れ水の大切さの科学的な根拠を打ち出す話し合いもなされているが、私たち日本人は「いいものを魂レベルで知ることのできる民族」であることを忘れたくないと思う

和歌山県橋本市神野々898「ゆの里」


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坊主が屏風に上手に坊主の絵を描いた

2022年01月08日 09時30分27秒 | 日記
早口言葉の練習
美しい日本語を話したい
綺麗な声で日本語を話したい
日本に生まれたからには言霊のある日本語をしっかり発音したい

九州の田舎から東京に来た時、チャ子ちゃん先生の入学した女子大は、神田にあった、しかも幼稚園からある学校だったので、神田や上野を中心に杉並や武蔵野または中野などの東京っ子が多く、性格はみんなさっぱりしていて、きびきびとし、更に言葉も早く東京弁にうろたえた

寮の設備がいい所という親の条件で、この学校に入ったのだが、寮では標準語を話すように躾られた

デパートに買い物に行って自分の話す言葉が理解されなかったショックがあり、部活動には「放送部」を選び、迷うことなく「アナウンス部」に籍を置いた。手渡された教科書は「アナウンス読本」プロのアナウンサーが使うものだ

母音、子音、鼻濁音、摩擦音などの練習から始まる。指導者は,NHkとTBSの現場のアナウンサーが来ていた。そのころはまだ「アナウンスアカデミー」などの学校は設立されていなかった

「ドラマ部」なども現職のプロジューサーが来ていて指導をしていた。ミキシングルームの技術も現場のプロの指導を受けていた
機械購入のためにダンスパーテイ―など開いて稼いでいた(発案者はチャ子ちゃん先生だったので、そのころは稼ぎ方がうまかったのだ)

摩擦音がなかなかできず(今でもだが)それはどうも生まれた土地の癖のようでもある。大分で生まれ育った人の言葉を聞いていると、摩擦音が出来ていない人がおおい。方言に問題があるのだろう。言語学者ではないのでその理由はわからないが、鼻濁音が出来ない土地の人もいる

昨年227回のライブをやってみて、正しい日本語の発音をしなければいけないと思った。それでまず滑舌をよくする勉強を始めた。そうしたら20代でしごかれたアナウンス読本の復習と相成ったのだ

目星がついたらまたライブを始めるとしよう





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温暖化?

2022年01月07日 09時21分31秒 | 日記
どこが温暖化?
今年はことのほか寒い
かなり前に気候の専門家が「地球は氷河期に進んでいる」ということをおっしゃっていて、そちらの方がうなずけるかなと思った

日本の今年は皇紀2682年になる。つまりこの年数は天皇制の年数だが、初代神武天皇から数えてこの数字
西暦はキリストの誕生から数えて2022年

だから何?
他の国も自分の国の年数があるが世界的に統一されているのが西暦だ
それは1600年間の西欧文明が世界を制覇していたので、自分たちの歴史感覚に他の国を従わせようとしたまでのこと

1995年から日本文明が世界の中心に入ってきているそうだが、実感としてどうだろう。チャ子ちゃん先生の中ではやっと自分の立ち位置が日本に落ち着いたと感じている

そして日本の歴史をいろんな角度で勉強を始めてみると、天皇の存在というのは犯しがたいものがある。天皇を国の長としていただき、その血統を繋いでいくという知恵が日本という国の根本にあるのだと思う

その歴史を紐解いていくと
平安時代に一つの氷河期が来ているようだ
飛鳥奈良から平安になると、いきなり服装の変化があり食べ物、住む家のしつらえも大きく変わっていく

出土物から見ても気候の変化がありありと出ている
同じ型の着物を重ねて着るという知恵は寒さ暑さをしのぐにもってこい
四方を海に囲まれ、真ん中に山脈の通る地形では、海の物、山の物、平野の物
あらゆる食べ物が体を作る。人が生きるのに実に恵まれた国であることも実感

温暖化温暖化と脅されているが、私達は日本の国土の強さをもっと信じたらいい。国の乱れは人々の意識の表れ、地震も台風も噴火も全て人工で起こせる科学万能の世界から、自然の営みに心を向け、自然と共に成長できる人間になっていけば、温暖化も氷河期も怖くはないと思う

久しぶりの大雪を眺めていて
自然の尊さを強く感じた次第
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ゆきやこんこ

2022年01月06日 13時15分23秒 | 日記
本降りになった新宿の雪
なんとなんと
今日はまるっきし予定がなく、しみじみと雪の舞いを見ている
「雪は空からの手紙」
雪の結晶の種類は多く、その一つ一つが麗しい、形がそれぞれに違うのでそのお話も全部別々な内容なのだろう。読んでみたい
しかし
雪国の人にとってはそんな悠長なことなど考えられない

大雪を生れて始めた見たのは越後の十日町
その頃麻雀に凝っていて、機屋のご主人たちといっちょ前に6時ごろから雀卓を囲み、10時になったので宿にもどるといって玄関の戸を開けたらなんと!一メートルも積もっていた、大騒ぎしておどっているのはチャ子ちゃん先生だけ、皆さん涼しい顔をして車に乗って帰っていった

迎えに来たタクシーの運転手さんも雪道の運転は当たり前のようでスイスイと雪道を走る。道路の真ん中にはお湯が終始出ていて、雪を溶かしていく、雪国の人たちの知恵なのだと感心する

朝目が覚めるとさらに雪は積もっていて、晴れあがった青空と雪の白さに見いってしまう。それにしても雪国の人たちは平常心で日々を送っている、その国の風土、其処に住む人たちの心構えというものを深く感じた。だからその地にしかない文化があるのだなということも、着物の取材以外の学びになる

そんな日を思い浮かべながら積もり行く雪を見ている午後



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