チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 469

2022年01月12日 09時28分36秒 | 日記
「何とか役立ててほしい」
と言ってご自分の着物を送ってる方
「祖母、母の着物です。私は着ませんので何とかしてください」
「姉たちが着物の処分を考えているので見てほしい」
などなど
今や着物は断捨離の最大の対象になってしまっている

幼い記憶ではあるけど
姉たちは大島紬の着物を解きモンペに仕立て替え、上はセーラー服下は大島紬のモンペという姿で学校に通っていた。その時の柄が「竜郷柄」だったので、今でも竜郷柄を見ると姉たちの通学姿を思い出す

昔の女性は全部自分で洗い縫っていた。若い身空で偉いものだ

送られてきた着物を見てみると
未来の生活を考えた、衣装揃えをきちんとした家庭と
売り手の言うがままに買い揃えてしまったと思える家庭
持ってた方がいいかなと思って購入した着物

戦後の着物の販売は荒いとつくづく思う
高度成長期からバブルの絶頂まで、競争して着物を買っていた人たちが多い
正確には「買わされた」といった方がいいかもしれない
買うことに踊らされた
着物を買えば温泉に招待、高級料亭にご招待、はたまた外国に観光とエスカレート招待が続いていた

「パリに行きたいからとりあえず着物一式購入するわ」
という乱暴な販売に浮かれた人も多かった
地味地な着物の販売をしている呉服屋さんは、その流れに乗らず、静かな仕事をしていたが、経営は苦しかった

あの騒ぎの結果がこれらの着物のだと、送られた着物を一枚一枚手に取って、あの騒がしかった時代に翻弄された着物に「どうなりたい?」と聞いてみる

一昨日「ゆの里」ここので(和歌山県橋本)のんびり湯につかっていた時、ご一緒のご婦人が竜郷柄の大島を上手に洋服に作り替えていた。また他の方も道行コートを部屋着にしていて、お二人とも着物を何とか生き返らせたい思いで、洋服の技術を習得したのだそうだ

昭和40年50年代の絹はほとんど国産の絹。生かされて活きていた

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