チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 86

2019年01月23日 18時11分52秒 | 日記
50年の着物との関わりの中でずいぶん壁にぶっつかった
連れ合いに
「もう着物の仕事はやめる」
「どうして?」
「だって着物を着なくても生きていけるし、着物は日本文化を代表しているって言っても誰も耳を傾けてくれないもの、それより如何に売るかにみんな必死よ、何だか自分がドンキホーテみたい」
「竺仙のおやっさんはあなたになんていったの?」
「着物が嫌いになったら全く着物と関係ないことをしてみたらいいって」

そういえば一水会という画家の集まりがあり一ヶ月ヨーロパを回ってスケッチ旅行するらしい。そのグループに潜り込んだら?
と提案され10人の画家たちに混じって生まれて初めてヨーロッパに出かけることになった

彼の親しい友人がローマにいて早速連絡をっってくれた
「着物は着ていくなよ着物のことは忘れて歩いてくるといい。ローマのOさんはバチカンの壁画の写真を撮っているのでいろいろ案内すると言ってるよ」

その旅はローマ、マドリッド、パリにそれぞれ10日ずつ滞在し、画家たちは美術館を巡ったりスケッチの小旅行をしたりと各自が自由で、朝食のときだけ顔を合わせるという旅だった。

当時はベトナム戦争の真っ只中南回りで30時間余の長旅
ベトナムの空の上を飛行するときは「日の丸」をしっかり見せるということで飛行機は低空飛行ドンパチの赤い火が肉眼で見えた
下で戦争、私は自分の生き悩みの解決に目的もなく飛行機に乗っている
自分の悩みが急に陳腐なものに思えてきた
だからこそ何かを掴んで帰ろうと固く心に誓う

ローマについて荷を解くのももどかしくO夫妻の案内で早速バチカンへ
ミケランジェロに圧倒されそれから10日の間カラカラ浴場でのオペラあちこちの美術館イタリアの食文化など
自国の文化を大事にする人々の姿に感動
また一流店でのギャルソンたちの客への応対の優雅さ、自分の国を誇りに思っている若い人たち
そしてその若い人たちから日本の神話の質問に答えられない私がいた。東京の歴史すら満足に答えられなかった

O夫妻の都合がつかない日私は一人で列車に乗ってアテネへ行った
ポンペイ遺跡をめぐり博物館で時間を過ごしていると
ターコイズ色の美しい形の大きな壷に目が釘付けのなりその場をなかなか離れられなかった
素焼き色の壷の中でひときわ際立った美しさ

「日本人が好きな色ですね、日本人は心が静まる色に反応しますね」
と片言の日本語で話しかけてきた学芸員
日本人は江戸時代は華やかな色だったのに明治に入って暗くなったねともいう
なぜそうなったかを答えられない私 
日本人として恥じ入るばかり (つづく)

#ベトナム戦争 #ローマ #バチカン #アテネ #ポンペイの遺跡 #チャコちゃん先生

比佐子つれづれは26日土曜日 13時30分から 会費無料

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