チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

春画

2020年10月09日 09時47分41秒 | 日記

昔のといっても昭和50年代までの殿方の羽織の裏や長襦袢の背には「春画」が多い

若い時は「いやらしい」との一言で済ませていたが

最近「なぜ?」と思うようになった

日本の男たちがただ好色なだけではない、根付にしても何やらいやらしいものがある

 

それは男だけではなく戦前は嫁入り支度の中に春画が混じっているのをある旧家で見つけたことが在る

その時も若かったのでドキドキしてまた元の袱紗に包んでしまい「どうして?」と追及できなかった

 

ただの好色ではなく何か意味があるのだろうと考えるようになったのは最近だ

そして分かったのは生命エネルギーの源は「性」のエネルギーが必要なのだということ

ある絵画研究家に言わせると

「春画の生命エネルギーは半端ではない、最近は科学でエネルギーの質量も図れるので、それを見ると春画の類は人に元気をもたらすものがある」

見ているだけで体全体の血流が動き始め、活力が与えられるのだと教えてもらった

「江戸時代まではこういう春画は公に氾濫していたが、明治に入ったら淫乱な絵として敬遠されてしまい今日に至るわけ」

 

浮世絵には「あぶな絵」として本当に描写の激しいのもあるが、普通に出回っている浮世絵は美しいしユーモアもある

こういう日本人だったのだ、私たちの先祖は

それが明治から、男は形にはめられ、女は貞淑、本来もつ人間のおおらかな性の悦びを遮断されてしまった。性はエネルギー交換であることを忘れた。だから性を淫靡にしてしまった。そのため男は表向きはまずいので羽裏や長襦袢に染めた春画を楽しむことになったのだろう

 

春画は日本画を志す人たちがまず手掛ける、かなり有名な日本画の春画を見たことがある。その方はのちの国宝になっているが美しい

 

ここで思い出したことが在る

まだ若い時お昼のテレビ番組でこともあろうにチャ子ちゃん先生48手の柄を赤い長襦袢に染め、それを今は有名な司会者に着てもらった、カメラマンが柄の大写しをしたら近くの警察官がすっ飛んできて、大目玉

お昼の一時間番組に出ていて、たくさんの着物や、着付けの紹介をしていたけど、それを機にその番組から降ろされたことがある

 

しかしその番組を見ていた男優が「おねえさん(彼はいつもを私をそう呼ぶ)俺に譲ってよ」というので渡した

型を彫った人、染めた人、縫った人、売った人一連托生に注意が与えられたが、今では考えられない。美しい長襦袢だった

 

日本人って本当はもっと屈託がなく、明るく、優しく、楽しいことが大好きな民族だと思う、ちょっとずるい所があってもユーモアで隠す

この息の詰まるような日本人の姿を脱ぎきる日もまじかかな

 


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