チャコちゃん先生のつれづれ日記

きものエッセイスト 中谷比佐子の私的日記

着物が繋ぐもの 432

2021年06月29日 12時00分08秒 | 日記
最近私は「こういう着方をしています」という写真をよく見る
多くが着物を着て中にセーターを着て靴を履く、または二部式にしてハイヒールを履く、スニーカーを履く
決められたこうでなくてはいけない。という着方を崩したいという気持ちよくわかる

着物で生活を始めて間もなく
髪も整えずお化粧もしない格好で表に出ると「ご加減悪いのですか?これから病院?」と聞かれた
このころまだ日本は1960年代だけど、向こう三軒両隣は親密で、更に人間の数も少なく、ほとんどの人が他人を気遣っていた
「人の目」というものがあり、その人達の正義に合わないことは厳しく注意された

毎日着物を着ようと決心して、そう「決心」が必要だった
戦前着物を着て過ごしていた人たちがまだご健在で、その人たちのお眼鏡にかなわないと注意が飛んできた
それは「着方」ではなく、着ていく場所の着物の選択の仕方、着物を着ていることへの言葉使い、特にお礼の言葉。そして所作

「お里が知れる」
という言葉でよく注意を受けた。お里は実家の親のことなので、親が責められるようなことはしてはいけないと思い、自分の身を正しくすることに注意をした

母に徹底して反抗していたにもかかわらず「お里が知れる」という言葉には強力な母への回帰があった
着物に手を通すことを嫌がっていたにもかかわらず、よもや着物を中心にした仕事をするなんて母も私も思いもよらないことだった
「ヒサちゃんが着物を着始めた」というニュースを姉が母に流したところ、姉を通じて母お手製の腰ひもや、襦袢、買いそろえていたらしい着物や帯が送られてきた

それを手に取って使ってみて母の想いが少しわかり「お里が知れる」という言葉に反応し、自分も人も心地よい着物の着方、礼儀作法を心得るようになった。

日本人が使う言葉はひとの心をいつも正常に戻すものだと感じる
着物が喜ぶという着方をしたい

コメント
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