生まれた時間に目覚めた
あの頃は家でのお産、長女の姉は女学生で
「学校から帰ったら可愛い顔してすやすや寝ていたのよ」
13才違うので私が生まれた日の記憶はあるようだった
「朝早くから女中さんたちが忙しく動いていたので妹と弟の朝ごはんを私が用意したのよ」
とも言っていた
ある時由布院に二人でいったことがある
「あんたが赤ちゃんのとき私ずっとおんぶしてこの道歩いたのよ、覚えてる?覚えてるわけないね」
「あの戦争前までは世の中平和で家族で温泉に浸かりに毎年来ていたんだけどね」
「あの戦争は何だったのかしら人の運命を急激に変えてしまってーー」
姉の独り言に付き合いながら由布院の街を散策した日も私の誕生日の日であった
「あんたは私に助けられたのよ」
「?」
「空襲で家に爆弾が落ちたときからあんたは体が弱くなってずっと寝たきり、しかもお母さんは自然療法でなおすというので、季節に関係なくスイカを探す、干し柿を探す、トウモロコシのひげを集めるなど駆けずり回ったわね」
「おかげさま今こんなに丈夫」
「そうでしょう?おかあさん根本から体を丈夫にしたから」
「目が覚めると常に母さんの顔が目の前にあった」
「そうでしょう?実は私もね結核の初期だったけど自然療法で治してもらった」
「どこでそういう勉強をしたのかしら」
「食事だってそうよ先生について勉強してこの病気にはこれということを知っていた」
「ありがたいね」
「あんたはその恩義を忘れ反抗ばっかりしていたけど、ちゃんと謝ったの?」
「最後の最後病院にお見舞いに言った時、勝手ばかりしてすみませんでした反省していますといったの」
「で?」
「笑って比佐子ちゃんは比佐ちゃんらしく生きればいいよ」
「甘いな末っ子には」
その姉とも由布院の旅が最後になった
今日は静かに両親や姉に感謝を持って偲ぼうと思う
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