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「アフリカ ゼロ年」こども兵を生んだのは誰か~モザンビーク・内戦の果て~

2005-08-07 16:16:53 | Nonsense
モザンビーク内部を流れるインポコ川のほとりで、昨年体に異変をきたしたひとりの青年の遺体が発見された。享年23歳、フラニス・チガウーケ。彼の名に、かって世界中の人々が関心を示したことがあった。それは1990年、政府がアフリカのこども兵を集め首都マットにつくられた更生施設でのことだ。フラニスは、この施設で6歳で誘拐され2年間を戦場で過ごした最年少のこども兵として、ジャーナリストたちによって世界に紹介された。それから15年、何故自分がこども兵になったのかわからないまま、たったひとりで亡くなり、その遺体は数日間誰にも発見されずに、釣りざおとともに残されたままになっていた。

なぜ、フラニスのようなこども兵が生まれたのか、そして銃をもって住民に向かっていったのか。
1976年、モザンビークはポルトガルから独立して植民地支配のくびきから自立し、マルクス・レーニン主義を教条とする黒人社会主義国家として歩きはじめた。しかし、「モザンビーク民族抵抗運動・レモナ」という反政府武装ゲリラが、鉄道や学校を破壊して国づくりそのものを破壊しようとした。そもそもレモナの構成には、植民地時代の歴史からさかのぼる。当時の植民地軍は、白人と同じ給料と食料を与えて、黒人を「シパイオ」というアフリカ人警察官組織に加え、独立をねらう村を襲撃させていた。独立後、行き場のなくなったシパイオの残党は、負の遺産としてレモナに吸収されていった。
その後、モザンビークの内戦は1992年まで続く。

しかし、本当に”内戦”だったのか。レモナの背景をレポートしていくとやがて、武器をもつ黒人兵の背後に、別の姿がつきまとう。
白人少数民族によって黒人を支配するアパルトヘイト体制をとる隣国のローデシアと南アフリカにとっては、モザンビークでの黒人の社会主義国家誕生は脅威だった。自らの体制を守るために、両国はレモナを支持していく。1980年、ローデシア白人政権が倒れてさらに黒人による社会主義国家ジンバブエが誕生すると、孤立化した南アフリカは、いっそう支援を強化していく。
その一方で、教科書的な社会主義をすすめるために農村では、強制的に人々を移住させて集団農業が推進され、伝統的な村の秩序が否定されるという政府への反発が、レモナを利することにつながった。そんな彼らに金と武器が集中しはじめる。
中部の町、クワンバでは鉱山の採掘所が国有化され、経済的な支配権を維持したい資本化たちが、共産主義と戦うという名目のためにレモナに資金援助。南アフリカの背後には、アフリカの社会主義化を警戒する西側の後だてがあり、ソ連と友好外交条約を結ぶ政府との戦いは、東西代理戦争とも呼ばれた。武装ゲリラ組織はこの間、次々にこども誘拐して、恐怖と麻薬でこどもを支配して兵士にしたてた。こどもたちは誰にも知られずに死んでいく、取り替え可能で安価な武器、戦争の道具だったからだ。

1983年、半世紀に一度の干ばつがこの地方を襲った。食料危機を訴える政府に対して、西側先進国の対応は冷たかった。彼らにとって社会主義国は、援助と救済の対象ではない。柔軟な政策をとってなんとか支援をえたい政府は関係改善にのりだし、食料を援助をえた。しかし結局時は遅し、10万人の人々が亡くなった。こうして翌年、政府と南アフリカはニコマチ条約を結び、相互不可侵条約を約束する。それによって内戦は収束されるはずだったが、南アフリカは約束を反故にする。国連で南アフリカに対する経済制裁を求める決議案が提出されるも、米国にとってはこの国は、反共、そしてアフリカへの支援と市場を守る砦だったのである。

1992年、長かった内戦は終わり、モザンビークには平和が訪れ、経済力も豊かになった。しかし内戦が終わってもかってのこども兵に、真の平和が訪れる日はまだ遠い。最年少こども兵のフラニスは、国際社会に訴える目的に利用された。何度も取材を受けるうちに、最初は誰にも言えなかった自分の恐ろしい体験を吐き出すことによって楽になった。が、やがた戦争のトラウマから逃げられなくなり、消せない記憶と”元少年兵”というレッテルが彼のこころを蝕んでいった。ものごころがついた時には、銃を手にし、村を襲って盗みを働き、射撃が下手だと殴られ飢えと恐怖で育ったフラニスは、2年遅れで入学した小学校でもなじめなかった。90年NHKの番組で報道された8歳のフラニスのとまどうような幼い表情が映像で流れる。市場で働くも3~4日しか続かなく、やがて社会から脱落してほうき草を拾って集めては、それを売るために村をさまようようになった。

冷戦後、あり余った武器は、今も紛争が続くアフリカに集中している。シエラレオネでは、ダイヤモンド資源をめぐって内戦が続いている。誘拐されたこどもは、忠誠の証として親の殺害を命じられたり、麻薬を打たれ、住民の手足の切断を強いられる。ねらいやすいのは体力のない同じこどもだからなのだろうか、そんなこども兵の被害にあった10代の少年や青年が不自由な体でこどもたちと遊んでいる。国際NGOの調査によると、兵士の8割が14歳以下のこどもである。

フラニスを思い出し、かって同じこども兵だった友人で、現在6人のこども父親となったイスラエル・アルマンドが、川のほとりで彼を思い出しながら歌う。
「神よ 私の行く道には数多くの困難があります
 神よ 私のことを覚えていてください 私のことを覚えていてください」

アフリカの内戦の行き着いた先。今夜もゲリラの襲撃を逃れるために集まったこどもたちは、地元NGOの見守るなかでつかのまの眠りにつく。

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2 コメント

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いつ読んでも (ペトロニウス@物語三昧)
2005-08-07 23:41:08
いつ読んでも、樹衣子さんのアフリカの話は、せつなくなる。でも、世界ではまだ圧倒的に、こういう世界のほうが多いのでしょうね。
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解決の糸口はみえない感じです (樹衣子)
2005-08-08 22:59:20
そうですね・・・。

過去3回、大量虐殺、ナイジェリア石油争奪戦、少年兵と続いたわけですが、その実態の悲惨さに最初は驚くばかりでした。そしてさらに経済的理由、自国の利益からかげで糸をひく国の存在がみえてきて、また驚く・・・。

けれどもコトは、そう単純ではないのです。様々な要因が複雑にからみあっています。アフリカの国々が真に経済的、政治的に自立することが、大変困難な道のりに見えてくることで、”せつなさ”という感情に落ちてしまう・・。



ゲリラ部隊の傀儡になったこども兵によって腕を切断された少年、脚を切られた青年、その姿はもし生まれ落ちた地が違っていたら、自分かもしれない、兄弟かもしれない、将来の恋人かもしれない、そのような共感性をもってアフリカだけでなく、

>世界ではまだ圧倒的に、こういう世界のほうが多いのでしょうね

こういった国のことを考えていきたいと思いました。

あどけない顔で一生懸命銃を磨いているこどもの顔が、忘れなれないのです。
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