千の天使がバスケットボールする

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漂流する若者

2008-07-26 11:47:37 | Nonsense
 2人殺害の池袋・通り魔事件、被告の上告棄却…死刑確定へ  
 
東京・池袋の繁華街で1999年9月、買い物客らが襲われた通り魔事件で、主婦2人を殺害したなどとして殺人罪などに問われ、1、2審で死刑判決を受けた。
無職A被告(31)の上告審判決が19日、最高裁第1小法廷であった。
横尾和子裁判長は「目についた通行人を手当たり次第に襲った犯行は極めて悪質。何ら落ち度のない被害者2人の命を奪った結果も重大だ」と述べ、造田被告の上告を棄却した。造田被告の死刑が確定する。(07/4/19 読売新聞)

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最近、あまりにも凶悪で、理不尽な事件が続くため、それぞれの事件の印象がたちまちのうちに希薄化していく。しかし、この事件はいつまでも記憶に残っていた。今日の読売新聞で連載中の「生活ドキュメント」では、「排除される若者」というタイトルで、1999年に起きた通称「池袋通り魔事件」の犯人が、23歳で犯行に及ぶまでの6年間に、15もの職を転々として、社会から排除される存在になっていった経緯が掲載されている。

犯人Aは、岡山県で育ち、腕のよい大工の父とミシンの内職をする母を両親にもち、比較的裕福に育った。その安定した一家が崩壊するきっかけは、同居の祖父母の死亡による。保険の外交をはじめて着飾った母と、祖父の農地を売り、2000万円ものお金を手にした父は、たちまちのうちにパチンコや競艇のギャンブルにのめりこんでいった。両親は親戚、知人、消費者金融からも借金して、取り立てが自宅に押しかけるようになると、父は仕事をやめた。平凡な成績だったが、友人と猛勉強して進学校の県立高校に進学したAは、弁当屋でのバイトもはじめて、ひとり暗い部屋で食事すらもできない暮らしに耐えていたが、授業料も払えず、電気・ガス・水道も止められて一家は離散した。最後まで親を信じ、「両親は近くで見守ってくれていると思い、相談して将来を考えようと思っていた」Aだったのだが、17歳の秋、彼に何も告げずに両親は家財道具をもちだして失踪。彼は、親に捨てられた。
大学に通う兄の元に身を寄せたのは、94年だった。

今回、はじめてこの事件のことをあらためて調べたところ、新聞には掲載されていなかったが、犯行前のAの手紙や言動を知る限りでは、弁護側の精神分裂病の妄想状態のために善悪を判断し行動を統制する力がまったくない心身喪失常態化、もしくはその力が弱っていた心神耗弱状態であったと主張したのも、よくある単なる罪逃れとも思えないのだが。

精神科医の遠山高史氏によると、近年精神病の発病の時期が若年化しているそうだ。つまり、精神構造が総じて弱くなり、精神病にまで至らずとも、精神的脆弱さが少年犯罪の特徴だと分析している。この精神の弱体化の要因としてふたつあり、ひとつは外部からの強いストレスである。逆に逆境をバネにしてたくましく人間として成長できる可能性もあるが、誰もがのりこえられるわけではないだろう。
次にもうひとつの要因としてあげられるのが、精神の内部構造の希薄化であり、実際にほとんどの精神病は何らかの希薄化、欠損が精神構造の中にもたらされたときに起こってくるそうである。そして、この希薄化は遺伝性のものではない。
私たち生き物は、自分をとりまく様々な要素の変化と流れのなかで生きている。その要素が薄まったり、弱まったりすると、私たち自身の内面も脆く崩れやすくなったりする。だからこそ、家族、友人、教師、身近な地域社会が重要な要素として、精神構造を裏打ちする存在となっていくというのが、遠山氏の意見である。

両親が不在がちと気がついた近隣住民は、民生委員に情報を届けていたが、一時的に帰宅した父親を見て、「夜は帰っている」と安心していたという。また親が借金をしていたため親戚には頼れないとAは思っていたのだが、高校中退を後から知り、せめて高校卒業までは面倒をみたのにと伯父夫婦は言う。しかし、未婚率が高く、少子化がすすむ我が国では、いずれひとりっこ同志の結婚が珍しくなく、おじもおばも、いこともいないひとりっこも増えるだろう。頼れる親戚は、やがて消えていく。自宅を何度か訪問した教師も退学の意向を確認すると、卒業までとどめることをしなかった。
私は未読だが、「ホームレス中学生」という本が大変売れていて評判もよい。家族が崩壊して一家離散、そういうこともあるのだ。社会のセーフティネットも機能せず、頼れる親戚も相談できる教師も、面倒を見てくれるご近所さんもいなかったら、そう考えると、99年の事件の後、Aの家庭事情を知る地元住民の「不遇な少年を救えなかった」後悔が集めた1834人もの減刑嘆願書の意味は重い。たとえ、今回の判決にはなんら住民の思いが届かなかったにせよ。