千の天使がバスケットボールする

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アフリカの遠い夜明け2

2005-08-19 23:57:24 | Nonsense
クラシック音楽を好むような女性にとって、アフリカ問題は関心外だ。
モーツァルト、シベリウス、バッハ、上品な音楽を奏でる舞台に、黒人の姿を見かけることは、まずない。
そんな私ではあるが、アフリカの現状を知るにつれ無関心ではいられなくなった。

というわけで前回に続き、残酷な数字の続編である。
世界銀行「2004年世界経済展望」の”展望”によれば、アフリカで「絶対貧困」の範疇に入る人々は、15年前で2億3000万人、現在は3億1000万人、10年後には3億4000万人になると予想される。その一方南アフリカでは、エイズによって毎年40万人の人が亡くなっている。地球上の最貧国の3分の2がアフリカ。寿命最短国35のうち、34がアフリカの国。

こんな現状を欧米、そして日本も見捨てていたわけではない。国際機関債務総額約400億ドルの全額返済免除、2010年までに500億ドルへと倍増。小泉首相も喜んで公約した。そんな先進諸国(旧宗主国)のアフリカへの善意と愛に満ちたお金は、戦後60年間で約1兆円ドルの資金移動に及ぶ。

さて、そのお金はどこで遣われ、どこへ消えたのか。それが謎だのだ。なにしろ、目にみえる経済効果が殆どないからだ。使途不明金でない知りえる事実は、旧ザイールの独裁者モブツとケニアの専制帝王モイ各大統領が30年から40年の長期にわたって、4億ドルもの国際援助金を横領していたことだ。結局、そういうことか。先進諸国のアフリカに対する慰謝料は、ちっとも生かされていなかったというわけだ。世界銀行、国連世界食料計画、NGOが援助の采配も効果はなかった。
こうしたアフリカへの経済援助は、死に至る病に落ちた重症患者への我々の義務だとは思う。
しかしこれまでのように、ただお金を援助するのは、いっときの日本でも流行したらしい”援助交際”に近い。そのようなこどもを、親が育ててしまったような部分もある。こうした援助は、アフリカの自立するこころをむしばむだけだ。
それでなくても、ひとたび気象現象によって食料不足に陥ると、国際的な援助機関が世界に向けて現状を訴える。すると小麦粉やトウモロコシがどーんと届けられる。一部は、飢えている人々に。残りは政治家の私物と闇市へ消えていく。元々タダなのだから、現地の農産価格よりうんと安い。従って徐々に、これらの国の農業は衰退していく。私は、寄付を疑問に思うタイプなので、たとえ冷たいと思われてもアフリカに衣料品を送ったことはない。実際次々と送られてくる衣料によって、結局現地の伝統産業だった織物・縫製工場が閉鎖に追い込まれていく。NHK「アフリカ ゼロ年」では、様々な悲惨な状況に関わらず、人々の服装が清潔で新品同様だったことを、違和感をもって眺めていた。

汗水たらしてえたわけではない、泡沫のようなお金が、権力の腐敗と更なる不平等という悪循環を生むのを、すべてアフリカ人の無教育と無責任に原因を求めて責められない。それはどこの国、何処の民族でも起こりうる人間の生々しい悪である。人的資源の育成につながる教育システムの構築、海外資本を呼び込めるライフラインやITの充実、きちんとした政府による統治の確立、治安の安定、高い資質の医師や教師の確保。ひとつひとつ課題をクリアーしていかないと、将来も未来もない。生きていくうえでお金は必要である。けれども本当に我々の税金は、いかされていたのか。かって似たような状況から復興したアジア・太平洋地域に学ぶことは多いのに。グレンイーグルズサミットG8の各国首脳の表情は沈痛だ。

ケニアの「地域間エコノミックネットワーク」を主宰するエコノミスト、J・シクワチ氏は、
「援助を多く受け取った国ほどダメになったことを、アフリカ解放後の40年間ははっきり教えた。どうか我々の自立に手出しをしないで欲しい」
そう嘆くのだが。

自然と人の美しい写真を掲載した」、「ナショナル・ジオグラフィック」誌9月号アフリカ特集の表紙は、17年ぶりに写真もイラストもない。
「アフリカはひとつではない。どんな1枚の写真もアフリカの深さを伝えられない」のが理由とのこと。

-Whatever you thought,think again.

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