8月16日からNHK戦後60年特集として、「~アウシュビッツ強制収容所 解放から60年~」(AUSCHWITZ-THE NAZIS & THE FINAL SOLUTION ~Surprising Beginning/Orders and Initiatives~)が放映された。
第2次世界大戦、ナチスによるユダヤ人絶滅計画を着実に実行し、ユダヤ人を中心に110万人以上の死者を出したポーランド・アウシュビッツ強制収容所。ここで起こった出来事を、東欧であらたに見つかった資料を含め、英国BBCと米国が製作した合計5回の番組である。ナチスの元親衛隊員や生き延びた被害者の証言を含め、CGを使いわかりやすい説明や図、当時の実写を紹介しながら編成した報道番組の、第1回め「大量虐殺への道」である。(第2回の「死の工場」は録画に失敗して残念ながら、観ることができなかった)
ポーランドの緑輝く美しい田園地帯が続く。その先に20世紀未曾有の大量虐殺が行われたアウシュビッツがあったとは、今では想像できない。1940年4月、春を迎えていっせいに鮮やかな緑に大地がそよぐ頃、ひとりの軍人がやってくる。ナチス親衛隊のルドルフ・ヘス大尉が、この収容所の新しい所長として任命されたからだ。当初、この地方は馬のほうよう地だったが荒れ果てていた。収容所の建物の外部は頑丈だったが、内部は害虫がうようよしていた。最初はポーランドの政治犯を収容するための収容所だったのだが、1万人もの収容者を入れる施設を作つのが彼の任務だった。
「ポーランド人を、奴隷のように働かせて搾取する」そんな目的を遂行するためには、多勢の人的資源が必要。おりしも41年、ドイツのソビエト連邦侵攻とともに、多数のソ連捕虜を収容するようになった。やがてナチスは、共産主義者同様、ソビエトに暮らすユダヤ人へも危険視しして、標的にするようになる。
そしてアウシュビッツ周辺は、天然資源に恵まれていることに、I・Gファルゲンが軍事用の合成ゴムの研究し、新しい工場をつくるのにうってつけの場として、着目した。新しい化学工場への労働力を供給するためにも、更なる収容者を望むようになった。親衛隊長官ヒムラーは、3万人規模の収容所を作る決意する。ここから、第三帝国最大規模の収容所へと転換していく。
「働けば自由になれる」
通称死の門に飾られたメッセージだが、この中で行われたのは世界中の誰もが知っている残虐な行為だ。或るものは後手に縛られ宙づりにされ、両腕の関節がはずれ、また働けない者は、射殺されるかガス室送り。シアン化水素が気化して猛毒になるティクロンBを使った実験を行い、効率的な大量虐殺の方法を次々に考え、実行していく。
後年、元ナチス親衛隊のオスカル・グレーニングはこの時のことをこう語っている。
「本当に必要なことなのか自問したが、すぐにこう思い出した。彼らは敵だし、今は戦争中なのだからと。」
1939年、ヒットラーは障害のあるこどもを安楽死する計画を成人にまで対象を広げた。派遣された医師が、患者を選別する施設は、6ヶ所あり、そこから7万人もの障害者が、一酸化炭素のシャワーを浴びて亡くなる。この時に使用されたトラックは、やがてユダヤ人大量虐殺への使用される。ユダヤ人を裸にし、トラックに収容して一酸化炭素を充満させ、亡くなる頃にはそのままトラックで森まで輸送して、死体を遺棄して埋める。ドイツ人的な効率性に寒気がする。
1942年1月20日、国家保安本部長官ラインヒルト・ハイドリッヒが議長、アドルフ・アイヒマンが書記を務めたヴァンゼー会議で、ナチス高官らは「ユダヤ人問題の最終解決」について確認し、議事録を作成する。すべてのユダヤ人を根絶する計画が本格化した。
同盟国スロバキアでは、聖職者であった当時の首相が、宗教的にも反ユダヤ主義だったことから、外務省は移送するユダヤ人ひとりにつき、500マルク支払う取引を高官と成立させ、4万から6万人ものユダヤ人がドイツ側に移送された。収容所の片隅に農家をガス室に改造し、「赤い家」「白い家」として選別された人々の大量虐殺をめだたずに行っていた。
戦後、戦犯として収監されたヘスは、この時の模様をこう思い出している。
「収容者を穏やかにガス室に送ることが大変だった。
美しい花が咲く中を、人生の盛りの男女がガス室へ行く。生と死というものを感慨深く感じた。
けれどもユダヤ人虐殺は、正しいと思っていた。」
第2次世界大戦、ナチスによるユダヤ人絶滅計画を着実に実行し、ユダヤ人を中心に110万人以上の死者を出したポーランド・アウシュビッツ強制収容所。ここで起こった出来事を、東欧であらたに見つかった資料を含め、英国BBCと米国が製作した合計5回の番組である。ナチスの元親衛隊員や生き延びた被害者の証言を含め、CGを使いわかりやすい説明や図、当時の実写を紹介しながら編成した報道番組の、第1回め「大量虐殺への道」である。(第2回の「死の工場」は録画に失敗して残念ながら、観ることができなかった)
ポーランドの緑輝く美しい田園地帯が続く。その先に20世紀未曾有の大量虐殺が行われたアウシュビッツがあったとは、今では想像できない。1940年4月、春を迎えていっせいに鮮やかな緑に大地がそよぐ頃、ひとりの軍人がやってくる。ナチス親衛隊のルドルフ・ヘス大尉が、この収容所の新しい所長として任命されたからだ。当初、この地方は馬のほうよう地だったが荒れ果てていた。収容所の建物の外部は頑丈だったが、内部は害虫がうようよしていた。最初はポーランドの政治犯を収容するための収容所だったのだが、1万人もの収容者を入れる施設を作つのが彼の任務だった。
「ポーランド人を、奴隷のように働かせて搾取する」そんな目的を遂行するためには、多勢の人的資源が必要。おりしも41年、ドイツのソビエト連邦侵攻とともに、多数のソ連捕虜を収容するようになった。やがてナチスは、共産主義者同様、ソビエトに暮らすユダヤ人へも危険視しして、標的にするようになる。
そしてアウシュビッツ周辺は、天然資源に恵まれていることに、I・Gファルゲンが軍事用の合成ゴムの研究し、新しい工場をつくるのにうってつけの場として、着目した。新しい化学工場への労働力を供給するためにも、更なる収容者を望むようになった。親衛隊長官ヒムラーは、3万人規模の収容所を作る決意する。ここから、第三帝国最大規模の収容所へと転換していく。
「働けば自由になれる」
通称死の門に飾られたメッセージだが、この中で行われたのは世界中の誰もが知っている残虐な行為だ。或るものは後手に縛られ宙づりにされ、両腕の関節がはずれ、また働けない者は、射殺されるかガス室送り。シアン化水素が気化して猛毒になるティクロンBを使った実験を行い、効率的な大量虐殺の方法を次々に考え、実行していく。
後年、元ナチス親衛隊のオスカル・グレーニングはこの時のことをこう語っている。
「本当に必要なことなのか自問したが、すぐにこう思い出した。彼らは敵だし、今は戦争中なのだからと。」
1939年、ヒットラーは障害のあるこどもを安楽死する計画を成人にまで対象を広げた。派遣された医師が、患者を選別する施設は、6ヶ所あり、そこから7万人もの障害者が、一酸化炭素のシャワーを浴びて亡くなる。この時に使用されたトラックは、やがてユダヤ人大量虐殺への使用される。ユダヤ人を裸にし、トラックに収容して一酸化炭素を充満させ、亡くなる頃にはそのままトラックで森まで輸送して、死体を遺棄して埋める。ドイツ人的な効率性に寒気がする。
1942年1月20日、国家保安本部長官ラインヒルト・ハイドリッヒが議長、アドルフ・アイヒマンが書記を務めたヴァンゼー会議で、ナチス高官らは「ユダヤ人問題の最終解決」について確認し、議事録を作成する。すべてのユダヤ人を根絶する計画が本格化した。
同盟国スロバキアでは、聖職者であった当時の首相が、宗教的にも反ユダヤ主義だったことから、外務省は移送するユダヤ人ひとりにつき、500マルク支払う取引を高官と成立させ、4万から6万人ものユダヤ人がドイツ側に移送された。収容所の片隅に農家をガス室に改造し、「赤い家」「白い家」として選別された人々の大量虐殺をめだたずに行っていた。
戦後、戦犯として収監されたヘスは、この時の模様をこう思い出している。
「収容者を穏やかにガス室に送ることが大変だった。
美しい花が咲く中を、人生の盛りの男女がガス室へ行く。生と死というものを感慨深く感じた。
けれどもユダヤ人虐殺は、正しいと思っていた。」
今年の8月は、毎日のように興味ある番組が続き、視聴料払っている甲斐がありました(笑)
>けれどもユダヤ人虐殺は、正しいと思っていた。
「当時のドイツに住んでいたら、誰の中にもヒトラーがいたはずだ・・」と、生き残ったユダヤ人が話したそうです。
戦争は誰の感覚をも麻痺させますね・・・
こういう資料を見せられると、とても『同じ人間』という感覚があるとは思えないです。
それにしても、腐ってもNHKですよねぇ。ほんと、組織は腐りきっても、作品はさすがと唸らせるものが、多く、民放の低レベルの番組とは比較にならない重厚さと深さを備えています。そういう意味では、全部民放にしてしまえとはとてもいえないですねぇ。この番組制作力だけは無くさないで欲しい。
ペテロニウスさま、大胆発言ですね^^・・・
>とても『同じ人間』という感覚があるとは思えないです。
アウシュビッツに関しては同じ想いです・・・
確かに人種差別する人間は、戦争を人種抹殺の大義名分にしていたに違いありません。
でもドイツ人が皆そうだとは思えませんし、そうだとは思いたくないです・・・
同盟国の日本人に対しても内心そう思ってたと思いたくないですし・・(笑)
ヒトラー個人のことに詳しくないので、思想などわかりませんが、白人の、黒人やインディアンに対する偏見とは少しニュアンスが違う気がします。
同じアングロサクソンでもイギリス人はユダヤ人に寛容でしたし・・・・
ナチスのユダヤ人に対するそれは、単に人種の違いだけではなく、宗教によるもの・・・キリスト教で禁止されていた金融業を発展させて裕福な人が多かったので、財産を没収して軍財産にする目的や、キリストを迫害した民族だとか、選民思想とかも絡んで複雑なものがあったのだと思います・・・
それらを全て戦争を大義名分にして利用したヒトラー。
戦争の原因も大恐慌だし、生活にあえいでいた国民全体がヒトラーに洗脳されて麻痺していたとしか思えません・・・
それにしてもユダヤ人は恐るべし・・・です。
大昔に国を追われ、世界中に散らばっていても(今はイスラエルを建国してますが)何度大虐殺されても人口は減らず、今も増え続けているそうですから。
後日あらためてコメントいたします。今夜はこれから火星にお買物に行かねばならないので☆
ペトロニウスさま、ご出張ではなかったのでは・・・。神出鬼没ですな。しかも貴ブログでは、長編がアップされていしたね。本当にきりかえ早くて、いつも言っておりますがエネルギッシュ。。。
このような質の高い番組は視聴率にとらわれない国営放送だから可能なのだと思います。ということは、一般視聴者は、逆にこういう番組は観ないで、バラエティ番組か月9などの恋愛ドラマに流れているということです。
ところで、「esエス」2001年製作の映画はご存知でしょうか。この映画は、実際に1971年にスタンフォード大学で行われたジンバルド教授による有名な心理実験を題材に描いております。その実験は被験者20数名(学生)を集め、「看守」役と「囚人」役のふたつのグループに分けて、監獄で当初2週間の予定で行われました。
「看守」役には、警棒、手錠などという権力者を象徴するものをもたせ、「囚人」役には、囚人服、檻、厳しい規則などを設定しました。ところが、学生の今までの人格が崩壊するような精神的に危険な状態に陥ったため、わずか6日目には急遽中止され、以後このような実験は禁止されたということです。またその他にもアドルフ・アイヒマンの「ただ上官の命令に従った」という主張を、一部裏付けるかのようなミルグラムの「アイヒマン実験」もあります。
つまり、人間は閉塞された状況におかれ時、「権力をもつもの」は、それに「服従するもの」という明白な関係に対して、人格が変容するくらいに、どこまでも残虐になりうるのです。
ヒットラー、メンゲレ医師もそうですが、美しい音楽を愛する感情と家族、恋人への情愛をもちながらも、絶大なる「権力」という魔法の杖を一度もったら、悪魔になれる・・・。
私は、このように考えていたのです。ですから、
>>「当時のドイツに住んでいたら、誰の中にもヒトラーがいたはずだ・・」と、生き残ったユダヤ人が話したそうです。
>戦争は誰の感覚をも麻痺させますね・・・
私もそう考えつつ、でも何かが違うというしこりがずっと残っておりました。
ちょうど今「夜の記憶」というアウシュビッツ生還者の記録を読んでいるのですが、自分の中のそのわだかまりを理解しました。
>彼らは敵だし、今は戦争中なのだからと
戦争という異常事態だったから、戦争だったら誰の中にも眠るヒットラーがめざめるかもしれない、こういう考えを私は、自分の中に受け入れてはいけないのではないかと思っております。
blueさまのブログで、↓「ヒロシマのあの夏」で原爆投下に関するアグニュー博士の談話、エノラゲイ乗組員のコメントが載っていましたよね。
http://onyx.blog9.fc2.com/blog-entry-43.html#more(多分、この時の模様は、blueさまのブログ以上に詳細がわかるところがないと思われ、URLを貼りました。ご迷惑だったら、削除します。)
私は、この博士や乗組員を個人的に責めるつもりはないのですが、やはりこの方達の考えを、日本人として認めるわけにはいきません。ロストロポービッチの「偉大な国は、他の国を赦す国」という言葉に、深い感銘を受けましたが、それとこれは別だと思います。戦争が悪い、人間は弱い存在、それは根本的な人類の解決にはつながらないのではないか、と考え始めております。
それからアウシュビッツから生き延びて、その後家庭をもった方は、こどもの数が多いそうです。歴史的にずっと迫害されているから、子孫はできるだけ増やすよう努力しているのでしょうか。
*長いコメントありがとうございます。^^
またblueさまの人種の違いだけでなく、キリスト教で禁止されていた金融業を発展させて・・財産を狙っていたという
そうだったのですかっ。またその辺の考察も是非、「誰もが十字架を背負っている」でアップをお願いします。
また、欧米流の奴隷制度もそうです。
日本にも家来や、小作人というヒエラルキー、出身者への差別意識はありますが、奴隷制度のようなまさに”家畜”扱いはなかったように思われます。昔、奴隷を船でアメリカに運搬する時に、監視役たちから食べ物を充分にわけられず、不衛生で劣悪な環境のもと、長い航海の途上で息絶える黒人が半分近くいたそうです。そこで奴隷商人は考えて、今までの運搬費のグロス手数料を、アメリカに無事についた黒人ひとりにつきいくら、と換算して後払いするようにしたら、7割以上の黒人が生き延びたという”経済”のお話しを読みました。
これでは、家畜と同じです。
今でも、とはさすがに思いたくないですが。
それにしても、2000年にも及ぶユダヤ人への迫害とは、いったいなんなのだろうかとも考えます。ローマ法王が、このアウシュビッツ大量虐殺に関して、正式に謝罪したのは、つい最近のことです。
>環境だけではいいきれられない民族、人種の違いを感じます。
実は、いま僕の好きなSF作家の小川一水の書評を書いていて、彼のテーマが「環境と主体」なのです。そこが興味深く、いまゆったり練っています。このテーマを意識しながら、『老ヴォールの惑星』という短編を読むと、なかなか感動しますよ。SFの思考実験の力に。
前に教育制度についての話をしましたが、人間の精神が、環境によって決まるのか、遺伝によって決まるのかという区別や、もしくは教育によってか、個人の主体によって決まるのか、という論争は、物凄く重要な思想上の対立だと思います。
『es』の実験もこの精神に支えられた社会学上の実験で、とても興味深く見ました。ただ、あれは環境が全てを決めるという「ヒトラーが悪くて、俺たちは悪くない」という逃げにもきこえ、科学的な知見云々を抜きに、僕は腹が立ちました。ましてや、キリスト教の根幹である原罪を認めないような態度は、プロテスタントの発祥の国としても、少々、どうなのか?と思います。もちろん、第一次世界大戦後のヴェルサイユ条約はそれほどまでにドイツ民族の誇りを打ち砕く政策であったのですが・・・。
>>彼らは敵だし、今は戦争中なのだからと
>戦争という異常事態だったから、戦争だったら誰の中にも眠るヒットラーがめざめるかもしれない、こういう考えを私は、自分の中に受け入れてはいけないのではないかと思っております
これには同感です。さすがに、昨日まで隣に住んでいた隣人を人種が違うから殺せといわれたり、一般市民を大量殺戮するような命令は、残念ながら国家命令に反抗できるほど強い個人はいないので、道連れになる家族には申し訳ないが、僕は自殺するかレジスタンスにはしると思います。性格的に、たぶんレジスタンスだなぁ。そのために全てを捨てても。
やはりこれは認めるのは、できない。人間が環境によってほとんど完璧に支配されてしまう生き物だということを認めても、、、、やはりイヤです。運命と遺伝などあらゆる制限から反抗できるからこそ、真の自由であり、人間存在だと思うからです。その覚悟は腹に秘めて、生きようとは思っています。
>奴隷制度のようなまさに”家畜”扱いはなかったように思われます。
他者を家畜扱いするのは、和辻哲郎などの哲学者から指摘される例で言うと、やはり牧畜遊牧民となによりも大陸に発生しやすい文明の形らしいです。そして、徹底した人種政策を見ていると、やはり大陸出身もしくは遊牧の民族は、やることが極端だなぁ、と思います。
>それらを全て戦争を大義名分にして利用したヒトラー。戦争の原因も大恐慌だし、生活にあえいでいた国民全体がヒトラーに洗脳されて麻痺していたとしか思えません・・・
いやーでもヒトラーのみのせいにするのは、どうなんでしょうか。。。もちろん、ドイツの大量虐殺を指摘するなら、イギリス、スペイン、ポルトガルによる大規模黒人奴隷や、イギリスのインド統治では記録に残っているだけで何百万も餓死している、アメリカのマニフェストディスティニーは、組織的にインディアンをアメリカ大陸から皆殺しにしました、南米もそうです。はっきりいって、アジアや中東ではありえない、サディステックかつ計画性、徹底性です。やっぱり、僕にはヨーロッパ民族の血塗られた部分を感じずにはいられない。ちょっと常軌を逸しているとおもう。
>それにしてもユダヤ人は恐るべし・・・です。
そうですねぇ、その凄まじい差別と虐殺の中にあってすらですからねぇ。すごい民族ですよ。というよりも、その宗教が凄いのかもしれないですが。
それはありえないですね。
そうはいっても、たとえば、クローン人間がとりざたされた時に、もしもヒトラーのクローン人間をつくったら、もう一度あのような行動をとるのかという一般の方からの疑問がありましたが、環境によって性質も変わるので、あのようなことは起こらないというのが科学者の回答でしたから、完璧に支配されないとはいえ、環境からの影響は大きいでしょう。
ただ以前NHKで放映していた双子の研究で、NY在住の日本人の一卵生双生児姉妹が、姉はIBMの研究者、妹はチェリストになったという例がありました。全く別の世界に進んでいることから、遺伝子よりも環境・教育がモノを言うという仮説が成り立ちそうですが、実はこの姉妹は性格がよく似ているそうです。核はそっくりだが、枝の伸び方、表現方法が違っていたというところでしょうか。このおふたりの様子を、音楽も数学も好きな私には、よく共感できました。音楽と科学分野は、全く別の世界のようですが、共通する部分があるし、また科学者や医師に音楽好きは珍しくないです。
ペトロニウスさまが”人間の精神の主体性に対する思想上の対立”でおっしゃりたいことは、社会科学のお話しで上記の私の話しとは、また別のことと理解しておりますが、ちょっとつぶやきました。
コミュニケーションで大事なことは、まず相手の話しに耳を傾けること、そして共感性をもつことだと思います。けれども、相手を尊重する気持ちがあれば、また違う考え、感想、別の意見もあり、でOKでしょう。おふたりそれぞれの感性と考えを聞くことができて、大変嬉しいです。
やせ我慢をかっこいいとするペトロニウスさまが、すべてを捨ててレジスタンスになるならば、私もちから及ばずかもしれませんが、刺客になりますか。いざ。
なんだか場を荒らしてしまった印象を持ちましたので削除依頼を出したのですが、こんなに議論が続いていたのですね・・・恐縮です(笑)
増え続ける人口の話は、実家に、概算ですが数字を書いた本がありました。(探せど見つからず)
それを見ると虐殺時はガタッと激減するのに、その後必ず右肩上がりに増えていくので不思議に思いました。
単に子沢山政策、というわけでもないようです。
ユダヤ人の背景は書かせていただきますが、後から後からいろんな別の背景が出てくるので至難のワザです。
でも少しづつやってみようかな。
>「当時のドイツに住んでいたら、誰の中にもヒトラーがいたはずだ・・」と、生き残ったユダヤ人が話したそうです。
これは、「人生は回る輪のように」のキューブラー・ロスの体験談です。
彼女もこの言葉を打ち消しながらも、でも、自分自身の実体験での極限の生活の中では、起こりうるものだと自覚するに至り、告白していました。
机上の空論・理想論と現実はやはり一致しないようです。
私たちのような何もしない一般人ではなく、あれほど身を粉にして人々に尽くしたかたが感じるのですから。
幸い、私たちは全くそんな体験をせずに済んでいますからありがたいことです。
>ペテロニウスさま。
おふたりの議論に入れるような専門知識は持ち合わせていないです。(しかも私の興味の対象はマイナー路線のものが多くて・・・)
奴隷制度は古代エジプトの昔からありますし、白人だけのものでは・・・
アジアでも中国人になると”敵は9類(9親等)にわたり子孫末裔まで虐殺、墓は暴かれ死体に鞭打つ”という風習がありますし・・・
日本人もけっこうひどいことをしていますしね。
ポルポト政権時も・・・
やはり私はその民族性、というよりも政治家・権力者の資質によるものが大きいと思います。
公開メル便のようなものです。
ペトロニウスさまの「レジスタンスになる」宣言に、私は感動しました。ここまできっぱり言い切れる方は、あまりいないでしょう。それを強さというのかもしれません。その一方で戦争における人間の弱さと残酷さを嘆くblueさま、女性らしい優しさなのでしょうか。こういう論調にしてしまうと、発展性がなくなってしまうのですが、おふたりの違いが感じられます。けれども、私も含めてこんな会話をするのもマイノリティ?だな・・・。
>でも少しづつやってみようかな
せっかくブログのタイトルにもありますように、十字架を背負っている意味を教えてくださいね。
実際、無宗教の私にはなぜあそこまでユダヤ人が迫害されるのか、理解できないのです。ヒトラー自身も実は、母方からはユダヤ人の血が少し入っているにも関わらずです。