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NHK「アウシュビッツ」第4回加速する殺戮

2005-09-19 18:07:32 | Nonsense
アウシュビッツ収容所開設から、4年。最大規模の殺戮が行われるようになる。

この人類史上凄惨な館は、ドイツにとっては連合国とのかけひきの舞台になっていく。1944年、75万人のユダヤ人が住むハンガリーでは、ユダヤ人の移送を拒否する。すると、アグルフ・アイヒマンは、ユダヤ人救援救出委員会のペレツ・レーヴェンスを相手に、「100万人のユダヤ人たちを君たちに売り渡す用意がある。我々は物資が欲しい」と商談をもちかける。
それは英軍にも及び、5月17日アイヒマンに命ぜられたブライトマンは、ソ連では使用しないという条件をつけて、ユダヤ人100万人とトラック1万台の交換の交渉をもちかけるが、連合国側はこれを拒否。このような脅しや脅迫にのれば、ドイツ軍は更にユダヤ人を押し付けてくるだろうという考えによる。ドイツ側の連合国の足並を乱し、混乱させようという策略は失敗に終わる。

やがてハンガリー政府もユダヤ人移送に協力するようになる。
こどもたちだけでも助けて欲しいという人道的な意見にも、アイヒマンが耳を貸すことはいっさいなかった。「私たちはユダヤ人を一掃する」その任務を、徹底的に遂行するアイヒマン。次々に収容所に移送されるユダヤ人を、彼らを迅速に処理をするために貨車ごとそのまま収容所に入るような設計を考え、遺体を焼却するための穴を掘らせる再任した所長のルドルス・ヘスが待っていた。選別は、わずかな時間に行われる。若く働ける体力があるか、否か。こどもを抱えた母親は、考えるまもなく一緒にガス室への道を歩かせた。

その一方で、ノアの箱舟のように中立国スイスへ向かう「カストナー列車」が、1684人のユダヤ人をのせて走る。運賃は、ひとり1000ドル。シオニスト=ユダヤ人国家をめざす委員会の副議長であるルヅルフ・カストナーが乗客名簿にリストアップしたのは、自分の親戚関係か裕福なものたちだった。ブタペストを出発し、途中リンツで停車。そしてドイツのベルゲン=ベツゼン収容所に入っていった。結局スイスにたどりつけたのは、この半年後のことだ。けれども彼らは実に幸運だった。なにしろ、このノアの箱舟のチケットを手にいれたのは、ハンガリーのユダヤ人のうちわずか0.5%の人だった。そのような大金もコネももたないハンガリーのユダヤ人は次々と移送され、春から初夏にかけて数週間で30万人の人々が虐殺された。

こうしたドイツ軍、ナチ親衛隊による恐ろしい実態が、連合国側にも徐々に知るところになる。アウシュビッツ報告書で、ユダヤ人が収容所を破壊するように依頼する。英軍や米軍により、殺害施設の爆破も検討されるが、ついに実行されることはなかった。米軍の偵察機により、収容所のガス室の鮮明な写真が残ってはいるが、ここだけを爆破することが可能だったのか、それとも無理だったのか、それも今となっては謎である。

1944年10月19日、ハンガリーでクーデターがおこると、アイヒマンはターゲットにしたブタペストの5万人ものユダヤ人を徒歩で、オーストリアの収容所に移送させる。この徒歩による移動のため、数千人が亡くなるという事態に、彼は労働力を無駄に浪費したと非難される。彼らの肉体は命でなく、労働用の物資なのだ。

しかしドイツ軍の敗色の濃くなると、終わりの近いことを予感し、親衛隊員たちは自らの身の保全に関心がいくようになる。そして大量虐殺の証拠隠滅に追われるようになる。すなわち、生き証人となる収容所にいるユダヤ人たちを、生かしてはならなかったのである。


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