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NHK「アウシュビッツ収容所」第5回解放と復讐

2005-10-08 23:28:22 | Nonsense
最終回となった「解放と復讐」は、戦後のナチス親衛隊と収容人のそれぞれの人生を追う。

1945年1月27日ソビエト軍が、ついきにアウジュビッツを解放した。しかし多くの収容者は、ナチス親衛隊員(SS)とともに、すでに西側に去っていたために、残されていたのは、射殺予備軍の衰弱している者や、医学の実験台になっていた何百人ものこどもたちだった。逃亡する前に、証拠隠滅を図って書類を焼却したり、ガス室を壊していたが、大量虐殺の痕跡は残っていた。その84日後、ソビエト軍は、ベルリンに侵攻。1945年4月30日、ヒットラーは自殺する。その後、5月5日収容所所長だったルドルフ・ヘスは、親衛隊長官ハインリヒ・ヒムラーが待っているドイツ海軍士官学校へと向かう。そこで言い渡された「緊急対策案」とは、国防軍の中に身を隠すことだった。かってヘスの尊敬の対象だったヒムラーは、まもなく連合国軍に逮捕され、その場で青酸カリを飲んで自殺する。

ヘスは、フランツ・ラングという偽名を使い、農場に潜伏する。しかし連合国は、これを許さなかった。生き残った収容者からの発言から、ヘスの残された妻ヘイトビヒを英軍諜報機関が見つけ出して、拘束する。5日間にわたる尋問に関わらず、妻は「夫は戦死した」と繰り返すだけだ。ついに6日めの朝、列車の音を聞かせ、自白するための罠をしかける。
「これから息子をシベリアに送還する。息子と別れたくなかったら、夫の偽名と居場所を教えよ、そしたら一緒に帰させる。」
息子を救いたい一心で供述した居場所で、その夜とうとうヘスは捕まり、戦争裁判の重要な証言者として収監される。ニュルン・ベルグ裁判所検察官のホイットニー・ハリスは、この時のヘスの印象を語っている。
「ヘスはごく普通の人。まるで他人事のように淡々と尋問に応えた。あれは戦争における自分の義務、その義務を果たしたまでだ。彼はとるにたらない人物であるかのようにふるまった。心ひとつ動かさず、罪悪感もなかった。むしろ自分のしたことに誇りすらもっていた。」
ヘスは、ここで回想録を書いている。気分転換に乗馬はしたが、後悔はなかった。
「絶滅計画の背後にある理由は、私には正当なものに思えた。ただひとつの後悔は、任務のことで頭がいっぱいで、家族とともに過ごす時間が短かったこと」
ヘスは3週間の裁判の後に、1947年4月16日に自ら作ったアウシュビッツの絞首台で処刑された。その姿は、終始平静でひと言も発しなかった。

その一方で、収容所から生還されたものが、ようやく我家に帰るとすでに家を別の人間が住んでいたり、捕虜になった多くのソビエト兵は、養成されたスパイという汚名をきせられて、1953年スターリンが亡くなるまで、収容所に流刑されたりと、苦難の道が続いた。
親衛隊には、逃亡のための多くの支援があった。メンゲレ医師は、こうした支援のもとイタリアの入国管理役員を買収して、南アメリカに渡る切符を手にした。(後に病死)
アヅルフ・アイヒマンのアルゼンチンにリカルド・クレメンを名乗り逃亡するが、1960年イスラエル情報機関の追跡により逮捕される。15件の犯罪行為を問われ、4ヶ月の裁判の後、死刑を宣告された。

こうした正式な裁判にかけられることもなく、英軍のユダヤ人旅団による徹底的な追跡のもと見つけ出された親衛隊員が、森の中に連れ出されて処刑されることもしばしばあった。しかし8000人の親衛隊員のうち、生き残った7000人の中で正式な裁判にかけられたのは、わずか800人。殆どのものが、戦後もドイツにとどまり、戦後復興した豊かな生活を送っているのである。当時、戦争裁判にかけられて不起訴になったオスカル・グレーニングは、
「自分たちの進むべき道の選択の自由がない時は、人間の残されている唯一の方法は、自分のおかれている状況で最善の努力をすること。それしかない。」
と語るが、彼にとっては”大きな組織の一員だっただけ”という認識なのである。その彼が祖父から本物の殺人者とののしられても、元親衛隊員であることを明かして発言するのは、ホロコースト否定論者に反論する人々のために、証言する義務があると感じているからだ。ユダヤ主義という人種差別は、今日でもある。
ホロコーストは、実際あったことなのだ。4年半に渡り、移送されたもの130万人のうち、実に110万人がここで死亡。そのうち、20万人がこどもたちだった。

ナチスが何をしたのか。人間はどこまで罪を犯しえるのか。
アウシュビッツは私たちに、後世の人たちに語りついでいくだろう。

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この番組と並行して、澤田愛子さんの「夜の記憶」という日本人が聞いたホロコースト生還者の本を読んだ。インタビューに応える生還者は、元々積極的に事実を後世に伝えるために本を書いたり、講演活動をしているほんのごくわずかな人々だ。実際は沈黙している当事者たちも多いだろう。そして彼らもまた、年々次の世界に旅立っている。番組の内容が、「夜の記憶」の証言と一致しているのは、証拠を隠滅されたために、こうした証言に頼る部分があるからだろう。一方的な被害者の記憶だけでなく、元親衛隊員の証言によって客観的な信憑性をはかってはいると思うのだが。
この番組を観た感想は、それぞれの人にゆだねるべきだろう。そしてなにが事実で、なにが正しいことかは、今後も自分で探していきたい。ただ、番組では収容者を”囚人”と翻訳していたのだが、その言葉はそぐわないと考え、できるだけ”収容者”と表現して書いた。

*ユダヤ人の成立ちに関しては全然知識がないので、blueさまの誰もが十字架を背負っているを参考にさせていただいている。

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