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え~~~っっ、、、ほんまかいな!
本書をめくると、まず飛び込んでくるのが、女子的には思わずのけぞりそうな次の文章。しかも太字だ。
驚くべきことに、
ドイツでは今日もなお、
刃渡り約90センチの切れ味鋭い真剣を用いた
「決闘」が一部の学生の間でごく普通に行われている。
”ごく普通”ってなにさ。更に、気弱な乙女が本当にのけぞってしまったのが、プロローグからはじまる著者の実際の決闘の場面!ザ・実録である。
―1982年6月26日、ドイツのハイデルベルク。・・・中世や江戸時代の話ではない。ほんの30年前の話ではないか。
「なぜ、再びここにいるのだろう?」と、右手に真剣を握りしめ、恐怖心と緊張感でふるえながら著者は考えたそうだ。当たり前だ。帰国を間近に控えた日本人留学生で、しかも二回目の決闘に挑んでしまうとは!
著者が、無謀なのか野蛮なのか、それともおおいなる勇気なのか、カラダをはって体験した決闘は、ドイツ国内に400ほど存在する学生結社からの代表者が闘う決闘で、Mensurと呼ばれるそうだ。日本の反社会的勢力やお子様達の族の抗争とははるかに次元が違うこのメンズーアは、厳格なルールというよりも掟のもとに、正装したOB紳士たちを観客に実行される。勿論、女こどもたちには見学できる資格はない。相手との距離が1メートルしかない中で直立したままで90センチ程度の真剣を上から振り回し、上体、頭部を相手の攻撃をかわすために前後左右にわずかでも動かすことが禁じられている。人間には本能というものがある。思わず、わずかにでも真剣を目の前に顔や体が後退しようものなら、「臆病で卑怯な態度Mucken」とみなされ即刻失格となる。げっ。
つまり、この決闘は剣の腕を競うこと以上に、ヨーロッパの騎士道をベースにした精神性の高さと強さ、誇りを試される、男になるための厳しい鍛錬であり、試金石でもある。それ故に、真剣勝負の本当に闘う相手は、必然的に自分自身となる。恐怖心を克服して見事に闘いぬいた者は、たとえ顔に傷が残り倒れても、学生結社の正式メンバーとして認められ、結社のハウスの鍵とともに生涯にわたる会員同士の絆を得ることができるのである。
こんなことが法律で認められているのか。驚くなかれ、ドイツ連邦最高裁判所でお互いに合意に基づく場合は処罰の対象にならないという判決がくだされている。但し、若き数学者エヴァリスト・ガロアのようにいくつも命があっても足りなくならないように、特殊なゴーグルのような鼻付き眼鏡や鎧の着用、決闘専門医の存在などで一定の安全対策はとられている。そうは言っても、頭や頬に刀傷が残ることがあるのだが、このような傷をシュミスといってエリートである男の勲章にもなる。
ドイツの文化をそれなりに知っていたつもりであるが、本書には驚かされっぱなしである。もし仮に、自分が男でドイツの大学に留学したとしても、決闘をしなければならない学生結社のメンバーになるのは無理っ!実に男の美学にこだわったマッチョな世界なのだが、学生結社なるものの成立ちと歴史、活動や日常といったドイツの社会学が本書の主眼である。新年早々のブログが血なまぐさい本の感想となってしまったが、ゲルマン騎士の「高貴なる野蛮さ」を書いた稀な本のお薦め度は★★★★★
昨年の秋、Muenchenの交差点を渡った時に、すれ違った美青年の頬に見事な切り傷が残っていてぎょっとしたのだが、もしかしたらシュミスだったのかもしれない。もしシュミスだったら、あの傷は麻酔なしで縫合されていたはずだ。それから著者の菅野氏、通称ミーチーが決闘をした場所は、Heidelbergのあの場所ではないかという心あたりがある。こっそり確かめてみたい気もするのだが。
■Archiv
・「ドイツの黒い森の現在形」
・ドイツ雑感
・ベルリン・ドイツ交響楽団
・メルケル首相が鑑賞した絵画 マネ「温室にて」
・「ヒトラーとバイロイト音楽祭」ブリギッテ・ハーマン著
・「ドイツの都市と生活文化」小塩節著
・「アルト=ハイデルベルク」マイヤー・フェルスター著
・「ドイツ病に学べ」熊谷徹著
・映画『THE WEVE ウエイヴ』
・「ナチスのキッチン」藤原辰史著
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