千の天使がバスケットボールする

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「深代惇郎の青春日記」深代惇郎著

2014-05-10 20:52:27 | Book
近頃、諸般の事情から更新が滞りがちなる我がブログ。
そんな中、4年も前の深代惇郎の「天声人語」にありがたくもコメントを寄せてくださった方がいた。返信のために久々にその記事を読み直し、彼の当代随一の名文を思い出して心が高鳴る夜を過ごした。幸福な時間だった。そうだった、生きている喜びと価値を知らせてくれる本や映画、音楽、驚きがどれほどか満ちていることだろうか。根が単純な私にとって、それらとの出会いは拙きブログを綴る原動力にもなっている。

さて、再びページをめくる深代惇郎の文章とことば。「青春日記」というタイトルだが、1949年~53年の大学時代、入社試験前後、53年に朝日新聞に入社したかけ出しのころ、59年に語学練習生としてロンドンに留学した時期、その頃の欧州旅行記、最後に60年頃の「再びロンドン」で幕を閉じる。1929年生まれの深代にとって、20歳からの30代に入る頃の10年あまりのまさに青春時代の日記である。

深代惇郎と言えば、朝日新聞の「天声人語」の最高の執筆者として知られているが、その期間はわずか3年にも満たない。その3年間のために、最高峰の山に登るため、日記とは言え人に読まれることを意識しているような文章は、将来の論説委員としての修行をはじめていたという印象もする。前半は、いかにも東大で政治学を学んだ青年らしく、20代の青年の日記とはいえ、そのまま「天声人語」につながるような記述が見つかるのに感心する。

「およそ政策とは縁のない政権争いの日本政党政治の姿」と皮肉をいい、バカヤロー解散については喜劇と表現して更に、「喜劇のギャグ・アクションは連続されると嫌気がさしてくる事は、二流喜劇を見た人の誰もが経験しているところである。国会芝居もやがてあきが来よう」と、思わずその名人芸に膝をたたきたくなった。又、海軍兵学校予科に在籍したこともある戦争体験者ということからも、ここでもヒトラーの名詞が何度も登場する。

一方で、後半の旅行記になると、アムステルダムではロンドンの女性の方が上等だなどと、けしからぬことも書いたりしているおおらかで率直な素顔も見受けられる。私の大好きなハイデルベルクは、深代も最も美しい品格のある街と、何時間も歩きまわり、かなり気に入ったようだ。ロンドンでの語学学校では、ヒヤリングは下だが英作文は優秀で、教師がよくみんなの前で披露したというエピソードがちょっと自慢げに書かれているのも微笑ましい。

そういえば、文章を書くのが大好きで小説も書いていた友人などは、深代を神様とあがめていたものだ。文才は、確かにもって生まれた才能で、深代は所謂”天才”だった。しかし、文才だけでは後世に残るような「天声人語」を書けない。反骨精神、豊かな感性、鋭い洞察力、市井の人々を思いやる心、人としての魅力と美質が多くバランスよく備わっていたのが、深代だったのではないだろうか。


■アーカイヴ
深代惇郎の「天声人語」


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8 コメント

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おひさしぶりです (イズミ)
2014-06-07 15:54:29
以前、「深代・青春日記」をご紹介した者です。とても流麗な文章をお書きになるんですね。感心いたしました。

深代惇郎が天声人語を書く前のことですが、あの三島事件の翌日、朝日新聞の社説で三島事件のことを書いたのが深代さんだったらしいです。すばらしい文章らしいので、これから図書館に行って読んでこようと思っています。

では。また。
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追記です (イズミ)
2014-06-07 20:51:27
深代さんの三島事件翌日の社説、読みました。

・・・感動という言葉とは違う、なんていのだろう、深くて重いものを感じました。

今、中韓の行動などから日本は明らかに右に傾いています。しかしどこか集団ヒステリーのような危うさも孕んでいます。

今こそ僕たちはこの深代さんの文章を読むべきではないかと思うのです。

以下、昭和45年11月26日朝日新聞社説をコピペしますね。

三島由紀夫の絶望と陶酔

 作家、三島由紀夫が東京・市谷の自衛隊で「楯の会」の会員一人とともに、割腹し、死亡した。
 あまりに唐突な事件だけに、世間は強い衝撃を受けながら、その意味することを解釈しかね、戸惑っている。ある人にとっては「精神異常者の犯罪」とみるほかないし、他の人にとっては、その死に重い意味合いを持とうとするかもしれぬ。
 彼は二年前、学生を会員とする民間防衛組織「楯の会」を結成し、その主宰者となった。反響民族主義を根幹とし「反共」「天皇制」「暴力是認」を旗印に掲げた。割腹の直前、自衛隊のバルコニーから隊員にばらまいた檄文にも「日本人の魂の腐敗」を憤り、自衛隊に「真の日本の文化的、民族的伝統」の継承を夢見た、彼の年来の信念が繰り返し書かれている。
 おそらく彼の行動を支配していたものは、政治的な思考より、その強烈で、特異な美意識だったと思われる。
 彼は、虚構の世界をこの世にあるもののようにしてみせる、たぐいまれな才能に恵まれた作家だった。しかし、その強烈な美意識はいつの間にか、虚構を現実のものにしようとする行動に、彼を駆り立てていったに違いない。自衛隊を名誉ある国軍とし、憲法を改正するためにクーデターを起こし、天皇を民族の歴史的、文化的な連続性と同一性を具現する唯一の象徴とするために、日本を作り替えようと本気になって考え始めた。
 作家三島由紀夫は、魔術師のように言葉を操りながら虚構の世界を作り上げたが、それだけでは満足できず、彼の世界をこの世のものにしようとした。それが虚構であったことは、いうまでもない。そして、その核をなしていたものが、戦前のような「天皇に帰一する日本民族」という大きな、むなしい虚構だったのだ。
 彼はそのことを知っていたかも知れぬ。自衛隊に現れ、東部方面総監を監禁し、自衛隊員に演説させることを強要したとき、そのことでクーデーターが成り立つこと思っていなかったことは、事前の彼の行動や檄文からも察せられる。彼自身がかつて「楯の会」について「私なりに体を張った芝居なのだ」と説明しているのをみても、彼自身には政治的な計算というものがあったわけではあるまい。ただ、彼の主張するような国家改造への可能性がなくなるほど、彼の絶望と自己陶酔への誘惑はますます堪えがたいものになったのだろう。
 三島由紀夫の芝居は、割腹自殺によって完結した。彼自身が、実は、彼の最後の創作だった。彼の描きたかった人間に、彼自身がなったという意味では、見事な完結ぶりだったともいえるだろう。
 彼の死がこのような結末を見ることは当然の帰結だったと思う。だが、彼の哲学がどのようなものであるかを理解できたとしても、その行動は決して許されるべきではない。彼の政治哲学には、天皇や貴族はあっても、民衆はいない。彼の暴力是認には、民主主義の理念とは到底相容れぬ傲慢な精神がある。民衆は、彼の自己顕示欲のための小道具ではない。人々は、お互いの運命を自分自身の手で作り上げるために、苦しみ、傷つきながら、民主主義を育てているのである。
 彼は、現在の経済繁栄の空虚さと道義の退廃を怒り「凡庸な平和」をののしってきた。彼の指摘してきた事実が、我々の社会に存在することを認めよう。しかし、それを解決する道が彼の実行した直接行動主義ではないことを、歴史は繰り返し、われわれに教えつづけてきたのではなかったか。民主主義とは、文士劇のもてあそぶ舞台ではない。

以上です。
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三島由紀夫 (樹衣子)
2014-06-08 17:38:42
イズミさまへ

三島由紀夫自殺の社説とあわせて、ありがとうございます。

思うに、4年前に伝説の「天声人語」を初めて読んだ時は、その名文ぶりにすっかり感嘆しました。 その後、貴殿のお薦めの「青春日記」を読みはじめると文才だけではない、深代惇郎の物事の本質を見る力、つまり人としての器に気がつきました。

私のとても大好きな作家、三島を文芸評論家でもないジャーナリストがここまで喝破したこと、いやジャーナリストだからこそ書けた三島像なのかもしれない・・・、心底、感服しました。

>今こそ僕たちはこの深代さんの文章を読むべきではないかと思うのです

同感します。この集団ヒステリーがエスカレートしたら・・・と思うと、わが国の首相をある人物になぞらえた記事もあながち誇張ではないと思いました。
そして、もっともっと長生きしていたら現代をどのようにきりとり、羅針盤を見せてくれたのか、つくづく残念です。

ところで、図書館に行かれたそうですが、それは三島由紀夫の事件当時の新聞の社説を調べたのでしょうか。
それとも社説などをまとめた他の本を借りたのでしょうか。

お手間をとらせて申し訳ございませんが、お時間のある時に教えて頂けるとありがたいです。
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とはずがたり (イズミ)
2014-06-09 01:16:28
樹衣子さま、返信ありがとうございます。

>ところで、図書館に行かれたそうですが、それは三島由紀夫の事件当時の新聞の社説を調べたのでしょうか。
それとも社説などをまとめた他の本を借りたのでしょうか。

お答えいたします。
実は、「g2」という雑誌で後藤正治という作家が「深代惇郎とその時代」という連載をされており、そこで三島事件のことを深代さんが社説を書かれていることを知りました。

そして近くの市立図書館に行って朝日新聞縮刷版を調べてきました。コピーをとって、手帳に貼り付けました(^_^;)

深代さんは僕が若き日に好きになった作家群の一人で、朝日始まって以来の秀才でもあり、将来を嘱望されていました。45歳で夭逝されたこと悔やまれます。

後藤さんの連載が早く本にならないかなと思っております。

そんな非の打ち所のない深代さんではありましたが、心に闇を抱えていました。そこがまた僕が彼に共感を寄せる所以でもあります。

では。また。
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新聞の縮小版があるとは! (樹衣子)
2014-06-09 22:20:28
イズミさんへ

お忙しい中、ご丁寧なメールをありがとうございます。重ねて感謝です。

お教えいただきました「深代惇郎とその時代」をネットで検索したところ、ほんのちょっぴりですが内容らしきものを読むことができました。
そこで思い出したのが深代惇郎は、下町育ち(府立3中出身)だということです。
育った土地、環境も影響しているような気がしてきました。
後藤正治さんの著書は「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく 」を読んだことがあります。印象に残る良い本でした。

私も早く一冊の本になることを楽しみに待ちたいです!
心の闇というのも気になります・・・。

>朝日新聞縮刷版

そんなものを調べることができるのですね。ちょっと驚きです。
情報ありがとうございました。
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そうなんですか・・・(^^♪ (イズミ)
2014-06-10 00:06:55
樹衣子さんは東京下町育ちなんですか。じゃあ、スカイツリーの近く? それに深代さんと環境が似ている・・・。
もしかして東大卒ですか?

ま、それはいいいとして、それにしても樹衣子さんは読書家なんですね♪
後藤正治さんの名前は知ってましたけど(たしか「遠いリング」とか書かれてましたよね)、「ベラ・チャスラフスカ 最も美しく 」なんて聞いたこともなかったです(^_^;)

深代さんの心の闇というのは、実は彼は亡くなる2年前に離婚されたのです。幼い子供が二人いました。
で、すぐに再婚されましたが、1年後の白血病で亡くなりました。

僕はなんていうか、すごく幼い旧弊な感覚があって、人格が優れた人というのは離婚なんてしないものだと思っているところがあって、ああ、あの深代さんだって、離婚ぐらいはするんだと思いました・・・。なんていうか・・・・ヽ(´Д`;)ノ
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ここでも問はずがたり (樹衣子)
2014-06-10 22:07:33
イズミさまへ

もしかしての学歴は全く違います。(汗)

ただ小学生時代から「週刊新潮」を読んでいたくらいの大の読書好きであることは間違いないです。
私の文章から受けられる印象と、本人像はけっこう違っているような気がします。
(何しろ、「週刊新潮」では宇能鴻一郎の連載小説を愛読しておりましたので。)

>人格が優れた人というのは離婚なんてしないものだと

当時はまだ離婚に対して社会は寛容ではなかったと思います。
その時代に深代さんが離婚にふみきったのは、よほどの葛藤があったのでしょう。
私個人は、相手もあることですし、人格と離婚暦はあまり関係がないかもと思っておりますが。

そう言えば、「青春日記」でロンドンの語学学校で、男は家事を手伝うものではないと主張したら
周囲から反発されて非難されたという正直な日記がありました。
ちょっと笑ってしまいましたが、現代だったら、家事を手伝わない亭主関白な男性は家から追い出されるかもです。^^
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余録 (イズミ)
2014-06-10 23:20:23
宇能鴻一郎といえば、「センセ♡」ですよね(^_^;) 川上宗薫と双璧です。

>その時代に深代さんが離婚にふみきったのは、よほどの葛藤があったのでしょう。

そうなんです。日記を読む限り、相当の矜持がありそうな方ですので、大きな葛藤があったと思うのです。それに時代的にいって、大会社では「離婚」というのは出世に響いたと聞いたことがあります。

ちなみに、深代さんと並んで僕が好きな作家に沢木耕太郎さんがいますが、彼の編集で「心に残る物語――
右か、左か」という日本文学秀作選があります。

その中に阿部昭の「天使が見たもの」が入っており、「自分にとっての完璧な短編」といっています。
まさにこれが深代さんが天人で書かれた「あの話」です。

・・・余録でした(^_^;)

では。また。
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