千の天使がバスケットボールする

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『ピアノマニア』

2012-02-02 22:55:23 | Movie
現代音楽を担う素晴らしいピアニスト、ピエール=ロラン・エマールが、あのバッハ晩年の未完の傑作「フーガの技法」を録音した!これは、クラシック音楽界としてはちょっとした事件にも近い。
このCDも、期待どおりの演奏に仕上がっているようだが、”作品”の評価と喝采は、永遠に芸術家であるエマールに与えられる。それは当然だ。しかし、彼が望む音、欲求する音を創りだすために、献身的に、時には奔走して支えるのが決して表舞台には登場しない調律師という職業の人、職人である。本作の主人公は、おなじみのピアノのスタィンウェイ社の技術主任を務めるドイツ人調律師、シュテファン・クニュップファー。彼は、現在、ウィーン在住でコンツェルトハウスで演奏されるピアノの調律を行っている。

エマールの一年後の録音に向けて、彼らが選んだのがスタィンウェイ社が誇るピアノの中でもとびきり優等生の”245番”。何と、一年間もかけてわずか数日録音する日のために徹底的に245番のピアノの調律を仕上げていくのだ。それは、あくなき究極の音というよりも”響き”を求める難業の探索の旅でもある。
「今回要るのは広がる音、それとも密な感じ?」と尋ねるシュテファンに、困ったような顔で
「両方とも」と答えるエラール。

・・・それは無理っ!
と私だったら即答したいところだが、、ピアニストのあらゆる要求や望みに全身全霊でこたえようとするシュテファン。そんな彼にエラールは、たった1台のピアノにオルガンのような音をだしたい、はたまたチェンバロを弾いている感じと、次々と生真面目に注文してくる。音に完璧を求めるエラールは、試し弾きをする度に「質問がある」と繰り返し、少しずつ注文のハードルがあがっていくのだった。それは、殆ど、不可能と断言したいくらいに。この芸術家と職人のふたりの会話と表情が、実に絶妙なのである。私は、何度も笑わせられた。この笑いの基は、彼らが響きを追求していく姿勢が、あまりにも真剣であるというのが根底にあるからだ。だから、そこはかとなくユーモラスさが漂うのだった。

さて、ここで表舞台に登場して展開されているのは、調律師というあまりなじみのない職種とオシゴトである。私が知っている、楽器屋さんから派遣される物静かでおだやかな調律師に比較し、シュテファンは相手が世界トップクラスのピアニストということもあり、全く別の次元にいる。兎に角、フットワークが軽い。ピアニストが練習している舞台から録音室まで、階段を何度も何度も、駆け降り、駆け昇る。ラン・ランに用意されていた最新式のスマートな椅子の使い方を説明するやいなや、使い込まれたがっしりした椅子を求めて走って探し出してくる。(確かに、このお兄ちゃんには旧式の重いがっちりした椅子の方が安心だ。)ある時は、ハンマーの太さがわずか0.7ミリ細かったために、深夜まで全部のハンマーを取り替える作業にとりかかる。タフでなければやっていけない。

コンツェルトハウスでのコンサートをひかえるラン・ランは、せっかく彼のために調律したピアノを試奏するや、一言。
「違和感がある。澄んだ音にしてくれ。」
と一刀両断でのたまう。鍵盤の向こうに一瞬固まる調律師シュテファン。そう、タフでなければやっていけない、心身ともに。

映画は調律師のオシゴトをみせながら、シュテファンの人物像にもせまっていく。彼は、創意工夫の人でもある。ピアノを弾きながら指揮をするエマールのために、透明な反響板でピアノの蓋をつくったり、フェルトを弦にはさんだり、様々な試みをしていく。せっかくのアイデアやチャレンジも、裏目にでることも多いのだが、それでも笑顔とユーモラスを忘れない。彼は学究肌というよりも根っからの職人気質である。そして、彼の姿勢は、常に目線がちょうど鍵盤の位置にある。試し弾きをするピアニストの感想を待つシュテファンの心は、どんなにどきどきしているだろうか。そして期待どおりの響きに満足するピアニストが、素晴らしい演奏をした時の喜びはどんなに大きいだろうか。本作の成功は、このシュテファンの人物像によるところもある。私は、最高にこの映画を楽しめた。

ところで、映画を観ていて気になったのは、ひとつある。
あまりにも完璧な響きを追求していくと、やがて人間は進化したコンピューターで創られた音、本物の音楽ではなく、最高の完璧な音をつなげていく音楽をつくりはじめるかもしれないということだ。”完璧”という言葉の魔力に、人は最高の芸術もうんでいくが、その言葉を求めるあまり、一部のピアノマニアは手段を選ばなくなるかもしれない。今のところ、そして近未来ではこんなことは全くの杞憂なのだが。。。

監督 :リリアン・フランク ロベルト・シビス
キャスト :シュテファン・クニュップファー ピエール=ロラン・エマール、ラン・ラン ティル・フェルナー クリストフ・コラー アルフレート・ブレンデル ジュリアス・ドレイク イアン・ボストリッジ リチャード・ヒョンギ・ジョー アレクセイ・イグデスマン クリストフ・クラーセン ロビアス・レーマン マリタ・プローマン ルドルフ・ブッフビンダー


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