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「あまりにも騒がしい孤独」ボフミル・フラバル著

2010-12-18 22:42:25 | Book
「35年間、僕は故紙に埋もれて働いている──これは、そんな僕のラブ・ストーリーだ。」

チェコを代表するボフミル・フラバルの「あまりにも騒がしい孤独」は、こんな素敵な文章ではじまる。35年間、文字にまみれ、35年間、水圧式プレスの緑のボタンを押して3トン分もの故紙と本を潰してきて、そのおかげで注)魔法の蘇りの水で溢れんばかりのピッチャー状態になってしまい、うっかりすると美しい思想が滾々と流れだしてしまいかねないハニチャ。1976年出版された本書の主人公、そんな年金生活までもう一息の夕暮れ時のおじさんのハニチャ、彼の若かりし頃の哀しくも美しいマンチンカやジプシーの恋人との恋の物語は、当時のチェコの検閲が厳しかったために地下のタイプ印刷や海外の亡命出版社でひそかに出版されたという。

1914年、チェコに生まれた著者のボフミル・フラバルはプラハ・カレル大学で法学を学び博士号を取得しながらも、大学を卒業後、様々な仕事に就いて働きながら、スターリン政権下が求める社会主義リアリズムとは全く異なる前衛的な作風で出版される望みのない作品を書き続けた。実際、ハニチャの仕事と同じように、後のベルリン国際映画祭で金熊賞を受賞した映画『つながれたヒバリ』の原作は、植字までされた後に出版中止という悲哀も味わう。フラバルの本だけでなく、次々と価値の高い貴重な本やイデオロギーに不適切だという理由で発禁処分になった本が昇天していった。本書が書かれたのは、人権擁護運動「憲章77」によって、ヴァーツラフ・ハヴェルが投獄され、哲学者のヤン・パトチカが過酷な尋問の末亡くなるという「プラハの春」が旧ソ連の軍事的介入でつぶされて、”自由”がハニチャの本と同じ運命をたどって圧殺された時代でもある。また、本書のハニチャが一番親しかったのは、犬小屋に繋がれた犬のように労働に縛り付けられた大卒の教養人で、元科学アカデミーの会員の下水清掃人だったように、この時代は大学教授のような自由派知識人たちが職を奪われて、清掃人やボイラーマンとして働かざるをえなかった。

しかし、フラバルの作品の特徴として、二年前に日本でも公開されて評判をよんだ映画『英国王給仕人に乾杯!』(原作:僕はイギリス国王に給仕した」)や『厳重に監視された列車』でも感じられるように、政治的な抑圧や不条理を理路整然とした主張で告発するのではなく、ユーモラスな語り口と滑稽な喜劇として表現して、その底にあるグロテスクさと悲劇をうきあがらせている。北杜夫が「どくとるマンボウ青春記」で自身の戦争体験から悲劇と喜劇、滑稽と悲惨がきわめて近くにあることを感じたように、本を潰す作業のきめ細やかな描写の中に、この国では知性と芸術が圧死されている悲劇も、いやらしい滑稽さとあいまってシュールなギャグのような作風ともなっている。言論の自由や表現の自由など徹底的な統制の監視下で、このような手法をとったというのではなく、それがフラバルの文学的才能であることも伝わってくる。ビールが大好きで本当はおなかが突き出たおじさんになっているはずのハニチャが、「僕」という一人称を使用してけがわらしくも奇妙なできごとを語るうちに、国や政治的体制をこえてその文章から漂ってくるのはささやかな美しさと孤独な生命が若々しくも清冽な印象もあたえる。

35年間、故紙の潰してきたそんな僕は、とうとう超巨大な圧縮機でプラハの街ごと自分自身も潰される白昼夢をみるようになるのだが。。。

なるほど、中国の劉暁波が「08憲章」を起草したことで国家政権転覆扇動罪で懲役11年の判決を言い渡されたのは悲劇だが、その彼がノーベル平和賞を受賞するや対抗して大学教授らが体制におもねるように「孔子平和賞」を創立したのは喜劇だった。しかし、この喜劇はイジー・メンツェル監督の力量をもっても、魔法の蘇りの水で景気をつけても爆笑までには届かない単なる”失笑”ものである。
注)「魔法の蘇りの水」とはビールのことである。

■これはとってもお薦めの映画
映画『英国王給仕人に乾杯!』
『厳重に監視された列車』


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