宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

これからの精神世界

2011年12月16日 | 精神世界を語る
 
早いもので、もう2011年の終わりが近い。コルマン版のマヤ暦が終了して以来、「もうすぐ、通常(・・・アグエイアス版と言うべきか?)のマヤ暦も終わるんだな」というのを実感するようになった。何年か前まではずいぶん先のように思えていたのに、あっという間にすぐそこまで来ている。やはり、時間が加速しているというのは事実のようだ。
 
すでに統合意識に加わり、意識進化のラセン階段を急上昇中の人々が登場している。まだ気がついている人は少ないものの、重大な変化だ。この先、意識進化する人は増えていくだろう。でも、全員が次のステップに進むわけではない。今までどおりの地球的な意識を続ける人も大勢いる。

大昔、魚が陸地に上がって四本の足で這うようになり、進化して恐竜になったときも、そうだった。陸に上がる者たちがいる一方では、海に残って魚を続けた者たちもいた。「お前ら、陸に上がるのか。達者でな。俺たちは、海に残って魚を続けるぜ」というわけだ。海に残った魚たちも、魚なりに洗練されていった。ついには、マグロやカツオのような、魚としての進化の極点に到達する者たちも現れた。驚くべきスピードで泳ぐ、流線型のジェット潜水艦みたいな身体。まさしく、魚としての洗練の極みだ。寿司屋でも、高級魚として別格あつかいされている。

それと同じように、次の意識段階へのステップを進む人々もいれば、今までの地球人類のような意識を続ける人々も出てくるだろう。それは良い悪いの問題ではなく、進化というのは、そういうものなのだ。全員が一斉に変身を遂げるわけではない。今までになかった新しい者たちが登場して、幅が広がるようにできている。地球的な意識も、極めればネガティブ道で大成できるのだから、捨てたものではない。人それぞれのレールに乗って、新たな意識進化の旅が始まる・・・。

それにしても、この先、ポジティブな第四密度の世界に入っていく人々にとって、「精神世界」とはどういうものになるだろう?・・・というのが、以前から気になっている。第三密度の地球においては、精神世界は風変わりな趣味だった。精神世界マニアは、世間の一般人とは、ちょっと異質だった。
 
精神世界が嫌いという人に、嫌いな理由を聞いてみると、「オレは、現実逃避するヤツが嫌いなのだ」と言ってたことがあった。こればっかりは、価値観の違いとしか言いようがない。精神世界マニアにとっては、むしろ地球の日常生活に埋没して生きている方が、よほど真の「現実」から逃避して、心のスキマを仕事で埋めてるな・・・という風に映る。お葬式で、「死んだ人がカワイソウ」と泣いている人を見て、「本当にカワイソウなのは、これからも地球の物質世界で生きてく俺たちのことだろ?」と、ひっくり返った地球人の価値観にビックリするのと同じだ。
 
でも、統合意識へと移行しつつある人にとっては、「精神世界」というものの位置づけが、今までとは大きく変わるに違いない。もちろん、誰もが精神世界マニアになって、大ブームが起きるという未来も考えられる。でも、そうなるとは限らない。
 
というのも、今までは「精神世界」として語られてきた内容が、これからは当たり前になってしまうかもしれないからだ。
 
たとえば、ヴィパッサナー瞑想だ。ヴィパッサナー瞑想をやってるときのような意識状態で、いつも生きているのが普通になれば、「もう、学ぶ必要はなさそうだな?」ということにもなるだろう。
 
実際、多くのことが必要なくなっていく可能性は十分にある。まあ、それならそれで、またそれに代わる新たな奥義が登場してくるんだろうけど・・・。