↑ボートで救助されるドイツ人 画像元
↑水没した中国・四川省の街
↑泥流に埋まるシヴァ神・・・インド 画像元
このところ、毎年そう言ってる気がするけど、今年もますます異常気象だ。年々、さらに異常さを増していく。
なんともすさまじい、ゲリラ豪雨の威力。この世の終わりのような勢いで、雷雨が頭上に降り注いでくる。ほとんど毎日そうなので、すっかり慣れっこになってしまった。ここ数日、東京では落ち着いてるけど、全国的には終わっていない。
7月27日には、山口県で「1時間あたり138.5mm」という集中豪雨が起きた。これは、半日もあれば、通常の1ヶ月分くらいの雨が降り尽くしてしまうほどのレベル。土壌が流出して、アチコチで線路が浮き上がっていた。何百棟もの住宅被害があり、死者も出ている。29日には石川県小松市、30日には新潟県長岡市でも記録的豪雨。
気象庁では去年から、「経験したことのないような大雨」という、新しい表現を使い始めた。これは、「数十年に一度」レベルの大雨になった場合にだけ使用する、最大級の警戒。今回は、山口県と島根県でこのレベルに達し、昼前に、気象庁から「記録的な大雨に関する情報」が発表された。
「経験したことのないような大雨」というのは、「その地域にずっと住んでいる人が、一生に一度しか出くわさないほどの大雨」という意味だという。「生まれたときから、ここにずっと住んでいるけど、こんな雨は初めてだ・・・!」という、空前絶後の大雨ということらしい。
これはあくまでも、それぞれの地域での話なので、これからも全国各地で「経験したことのないような大雨」の警報が出る可能性が十分にある。
それでも、東京は水不足だっていうんだから、ビックリだ。都内ではゲリラ豪雨が集中してるけど、首都圏の水ガメとなる北関東のダムには、水がないらしい。なんとも、皮肉なことだ。ゲリラ豪雨で降り注いだ水を、どこかに貯めておけないものか!?・・・と思うのが、人情というものだろう。
目を世界に転じると、大陸では、やはりスケールの違う異常さだ。ヨーロッパでは、ドナウ川流域が特にひどい。ボートで避難民が脱出する大洪水になっている。
気象庁の発表によれば、7月の中ごろから、中国の陝西省や四川省と、北朝鮮の大雨がすごいらしい。平年の3~4倍も降っているという。死者もだいぶ出ている模様だ。報道されているだけでも、四川省で68人、陝西省で27人の死者が出ている。
水枯れがしきりに伝えられる黄河も、久々に往年の姿を取り戻せるか?・・・とも思うけど、そんな生易しい話ではなさそうだ。もう少し穏やかに降ってくれさえすれば、それこそ「天の恵み」と感謝もされるとこなんだろうけど・・・。乾ききった大地に、いきなり集中豪雨が来て、何もかも流してしまう。残念ながら、きわめて荒っぽい。
陝西省といえば、黄土高原の世界。広大なユーラシア大陸から偏西風に乗って集まった細かい砂が、何百万年もかけて積もり、カチンコチンに固まってできた高原だ。
古代には森林に覆われ、東洋の農耕文明の発祥地となった。今は、木がほとんどなく、黄色い大地がむきだしになっている。カチコチに堅い泥岩を、掘って削って作ったホラ穴式の住居に、いまでも大勢の住民が暮らしている。岩といっても、もともと泥なので、集中豪雨がくると、堅いわりにはアッサリ溶けてしまうのが悩みの種。今回も、土壌流出の被害は相当に出ていることだろう。
6月から始まったインドの大雨も、すでに、ものすごい数の犠牲者を出している。インドの洪水では、1000人以上が死亡した。さらに6000人近くが行方不明で、この人たちも事実上の死者と認定されている。
「もはや、ノアの洪水だ」という声まで出ている・・・。
そして、ドロレスさんやジュリアさんは、これはまだまだ始まりに過ぎないと語っていました。
新しい地球では、これまで考えられなかった、不可能だったような、とても素晴らしい出来事が起こるようになるといいます。
従来の古い地球に留まれば、ネガティブな波動に同調するので、不安や恐れに同調してしまい、戦争や破壊的な世界に巻き込まれていきます。
この分離は自分の世界で起こる現実として、徐々に現れてくるそうです。どこかで大変な出来事が起こったとしても、自分の現実の世界では起こっていないというふうに、個人の現実としてどんどん分かれていくそうです。
ドロレスさんは、とにかく、ネガティブな情報を取り込まないことと常常話しています。ポジティブなことを考えて、自分の現実を良い方向に創造していくことで、新しい地球に向かっていくといいます。
みずがめ座の時代って?あるんですか。
汚染水は、今後、魚は食べれなくなりますか?
寂しいです。
アセンション,カムバック
地上や空中が荒れるということは、地下部も活発になっているらしいですね。
すでに一部始まりましたが、大きめの地震がこれから秋口に予想されるという話しもあります。
とくに日本人は堪え忍ぶことが美徳というのがありますね。
幸せだなんて言うと、欧米式にそれは素晴らしいとなるのか、逆に妬んだり足を引っ張るようになるのか?
そのへんの違いが実績主義やフレックスタイムが定着する土壌かどうかというのがあるのかもしれませんね。
ずっと幸せでいい、というのは、確かバシャールが今後の地球人の課題だと言っていたと記憶しています。
雨の日がずっと毎日続くわけでもないし、地球はそういうところだし。
伊藤忠がフレックス勤務をやめるそうですね。
地球というのは、そういうところです。
「私は今日もとても幸せを感じました」なんてのは、ニュースにならないのでしょうね。
そりゃ、そうでしょうな。あれだけの水が、海に流れていったんじゃ、あまりにもったいない・・・。
異常さの面ばかりを探し続けてませんかね
異常気象は、本ブログがずっと追いかけているテーマのひとつです。
異常さの面ばかりを探し続けてませんかね