宇宙のこっくり亭

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「いまに在る」という悟り ~ エックハルト・トール

2009年08月29日 | エックハルト・トール
  
エックハルト・トールによれば、「いまに在る」ことによって、すべての悩みは解消される。
 
すべての問題は、過去と未来にある。たった今、この瞬間には、何の問題もない・・・と、トールは断言する。
 
「ホントかよ・・・?」と思うところなのだが、ここは、試しにやってみるに限る。
 
過去と未来に関する、一切の思考を断ち切り、ひたすら「現在」に意識を集中。

ここは、集中力が肝心だ。集中力がないと、どうしても雑念がわいてくる。あらゆる雑念は、「あのとき、ああしておけば・・・」とか、「今夜は、何を食べようか・・・」といった、過去と未来に関するものばかり。「たった今、この瞬間」には、何の雑念もおきる要素がない。
 
別に、座禅を組んだり、瞑想しなくてもよい。道を歩いているときで十分。

ひたすら「今」だけに意識を集中していると、だんだん、意識が変化してくる。「頭の中の声」の口数が少なくなり、ついには完全に沈黙する。感受が鋭くなり、景色や音がやけに鮮明になってくることに驚く。体中の細胞に、生命力がみなぎってくるのを感じる。体が軽くなって、宙に浮かびそうな錯覚が起きるほどだ。

惜しむらくは、この状態がなかなか長続きしないということか・・・。もっとも、エックハルト・トールによれば、やってるうちに、だんだん長続きするようになるという。
 
ここで言う「今」というのは、漠然としたものではない。それは、カミソリの刃の上に立つように、先鋭な「この一瞬」。そこに、自分の全存在を賭ける。
 
悟りとは、完全に「いまに在る」ということ。悟りの世界には、時間など存在しない。そこには、「この一瞬」があるだけ。永遠に・・・。
 
 
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1 コメント

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Unknown (Unknown)
2011-04-19 16:43:55
◆今の瞬間を捕らえる事はできない◆
 
今の瞬間というものは、「向かう」ということは出来ない。

今というものへ「向かうことは出来ない」。

そして今というものを「知ることは出来ない」。

あなたの存在性が動かない時、すなわち
思考が動かず、感情が動かず、感性が動かず、知覚が動かず、
意識が動かないとき、あらゆる意味において停止した時、
その本当の無為の時が「今」なのである。

だから、
今というものを「知ろうとすることは出来ない」のであり、

今に「なろうとすることも出来ない」のであり、

今に「在ろうとすることも出来ない」。

今というものへは「向かうことが出来ない」ばかりか、
今というものは、それを「これが今だ」と知ることすら出来ない。

なぜならば、「知る」ということには距離があるからだ。

それでは「知るあなた」、そして「知られた今」というものがある。

そこには、「まだ見るものと、見られるもの」の2つがある。

しかし、今というものを知ったあなたがいて、知られた今がある、
などという、そんなことは『今そのもの』ではないからだ。
そんなものは停止でも一体化でもないからだ。
常に、『一体化の中では、知るという事は起きない』のであり、
また、見るということもそこでは起きない。

したがって、今の瞬間を見ようとすることを一切やめることだ。

今というもの、あるいは悟りという何かを
「知ろうとすること、向かおうとすること」をあなたは一切やめるのだ。
死人禅というのは、すべてを止めるための行法なのである。

・・・・・・・・・

そしてその『今』の実現があなたの意識になされたら、
絶対にそこは『 未知 』だ。
そこは『 永久に未知 』だ。

「未知」という言葉を聞くと、あなたたちは、
それは「今は分からないが、いずれは分かるようになるもの」という解釈
をしてしまう。未知というと、あなたは
「今は分からないが、そこへ行けばそれが分かるようになることだろう」、
という考え方をしている。
解明されていないが「いずれは解明されて既知になるだろうもの」である
かのように、あなたたちは未知という言葉を解釈している。

しかし、TAOにおいては、
『(それは) 永久に知られざるもの 』と定義される。

今の瞬間、とは絶対に未知であり、それを知ることは出来ない。
それは今の瞬間においてすら知ったり、確認したり、認識は
一切出来ないのである。
しかも、それは永久に、『知られる可能性すらない』、絶対の未知なのだ。

それは和尚ラジニーシが再三語ったように『知られざるもの』なのだ。
それは、「いつか知られるようになる未知」なのでは決してない。
絶対に知ることが出来ないもの・・・
それが今であり、瞬間であり、停止であり、軸であり、静止であり、
見性、大悟、光明そのものだ。

そして、その状態を最も適確に表した言葉は、
『それは永久に知られざるものである。決して知ることは出来ない』
という言葉だ。それは、認識も確認も、一瞥すらもできないものだ。


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