今回は、「精神世界を探求することには、なんのメリットがあるんだろう?」という話をしている。
もちろん、精神世界ならではの真理を知るのは、それ自体が計り知れないほど重要なことなので、その意味では考えるまでもないんだけど、それ以外に、「日常生活を送る上でも、意外なほど利点があるんじゃないか?」と思える。
精神世界を探求すると、強化される能力がある。それは、「直観力」だ。
瞑想で雑念を排除し、表面意識をクリアにすることによって、潜在意識からのインスピレーションが入りやすくなる。
その上、精神世界をやっていると、古今東西の聖賢たちの教えや、宇宙の叡智の言葉と接する機会が多いので、自然と知恵が入ってくる。それによって、直観が磨かれる。
人間、アタマで考えても、答が出ないことは多い。最終的には、直観で決まる。直観がますます冴えて、さらに深くなると、いわゆる「観自在力」となる。
そこまで行かなくても、なんとなく、「こうなるんじゃないかなあ?」と思っていたら、本当にそうなった・・・というような経験は、精神世界の探求者には多いはず。
何も考えなくても、パッと正解がアタマに浮かぶのは、日常生活においても、とても有利な特技となる。
最近の地球に生まれた子供の中には、「インディゴ・チルドレン」と呼ばれる、非常に直観が発達した人々もいる。
インディゴ・チルドレンに関しては、「算数の授業で、問題を見て、パッと正解を見抜いた。ただし、どうしてそういう答になるのか、理由を聞いても説明できない。ただ、そうなのだと言うだけ」というような事例が、多数報告されている。
筆者も、インディゴ・チルドレンと言われるような年代ではないけど、子供の頃はそうだった。
ADHD(注意欠陥・多動性障害)で、日常の生活能力はとても低く、何をやっても驚くほどヘタだったが、その代わり、何を見ても聞いてもパッと理解し、高度な概念でもすぐに把握してしまうので、小学校の成績は抜群だった。どの科目も、あまりにも簡単だった。大人が読むような難しい本も、楽々と読んでいた。
まあ、それは直観力もさることながら、もともと観念的な領域には強いせいでもあるんだけど・・・。
サラリーマンになってからも、「この取引先企業は、この先、こういうことになるでしょう」というようなご託宣(?)の威力には定評があった。若い頃の筆者は、通常の日常業務が驚くほどデキなかったが、これのおかげで、「やっぱり、賢い人ですね」とよく感心されていた。
このように、それ以外の能力が低くても、直観力が発達していれば、それだけで、人間社会では異彩を放つことが出来る。ましてや、それ以外の能力が十分に高ければ、決定的な強みになる。
直観力は、磨かなければ光らない。
それは、勉強やスポーツその他によっても、ある程度は磨かれる。でも、やっぱり、精神世界の探求にまさる効果は、他では得られない。
直観力を強化するだけでなく、維持するためにも、精神世界をやり続ける必要がある。それは、「運動をしなければ、カラダがなまってしまう」というのと一緒。
「直観力を強化したい」と思っている人は、世間の一般人にも多いだろう。それなのに、精神世界を探求する必要があることには、なかなか気づかない。残念なことだ。
これから先の地球は、ますます、直観がモノをいう時代になるだろう。
とくに、女性のスピリチュアリストには、直観が発達している人が多い。論理にしばられず、軽々と飛び越えられるのが強み。古来から、巫女さんが一目置かれてきたのも、そのせいだろう。
直観力を強化するのは、ボディビルのトレーニングで筋肉を強化するのとは、まったく異なる。
それよりも、「宝玉を磨いてピカピカに光らせる」というのに似ている。
つまり、鍛えて強くするというより、「直観が発現するのをジャマしているものを、取り除いていく作業」という感じ。
故・関英男博士みたいな、「洗心」だ。それは、心の中から、ケガレを取り除いていく作業。これは日本の神道系では、とくに好まれる。
でも最終的には、やはり、「瞑想で雑念を排除し、意識を集中する」というのに勝るものはない。それは、インド式の瞑想。
これこそ、どれほど強調しても、しすぎることはないくらい重要なポイントなのだ・・・。
(続く)
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