ほとんどの人は、「いま、この瞬間」を、「いま、起こっている出来事」と錯覚しています。でも、このふたつは別のものです。「いま、この瞬間」は、そこで起こる出来事よりも、ずっと奥深いのです。
(エックハルト・トール著 あさりみちこ訳 『世界でいちばん古くて大切なスピリチュアルの教え』より)
エックハルト・トールによれば、「いま、この瞬間」には、何も問題がない。
問題があったのは、過去のこと。未来には、また別の問題が生じるだろう。でも、「いま、この瞬間」には、何も問題がない。
「ちょっと待てよ」と言いたくなる人もいるだろう。「問題がない」なんて、トンデモない。現在の俺は、どちらかといえば問題だらけだ。というより、問題の山に押しつぶされて、ぺちゃんこの窒息状態に近い。まずは、現在の俺をなんとかしてくれ。
・・・と言いたい気持ちは、よく分かる。でも、それは誤解だというのだ。エックハルト・トールによれば、それは「いま、この瞬間」と、「いま、起こっている出来事」とを混同することから生じる錯覚だという。
それはつまり、「いま、起こっている出来事」というのは、「いま、この瞬間」を通り過ぎていく、日々の泡のようなものにすぎない。むしろ、「この瞬間」というのは、そんな「出来事」が起きる場だということ。
問題は、人々が、「起きている出来事」という形でしか、「いま」を認識できなくなっていることにある。例えば、「いま、ラーメンを食べている」というのは、「いま」そのものではない。ラーメンを食べていても、カレーライスを食べていても、車に乗っていても、「いま」に変わりはない。でも、人々は「ラーメンを食べている」という形でしか、「いま」をとらえられなくなっている。
人々にとって、「現在」とは、「現在の状況」という意味でしかない。それはやはり、過去から未来へとつながる流れの中の、通過点としての現在。あまりにも、そういう見方に慣れきっているため、それ意外の意味を考えてみようともしない。
とはいえ、まずは、そういう「現在の状況」を、まるごと受け入れることから始めるしかないだろう。「なんとかしよう」と燃えるわけでもなく、逆に「仕方がないさ」とあきらめるわけでもなく。とりあえず、現在の状況を、あるがままに受け入れる。
現在の状況がどうであろうと、「いま」が「いま」であることに変わりはない。「いま、この瞬間」というのは、それよりも、もっと、ずっと深いところにある。現状をあるがままに受け入れたとき、初めて、その深淵が姿を見せてくる・・・。
>ですから、「いま、この瞬間」を、その内容と混同してはなりません。「いま、この瞬間」は、その中で起こるどんな出来事よりも、深遠なのです。
(同上)
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