最近は、本当にアタマの中から雑念が消えてきた。意識の中心がハートチャクラのあたりまで降りてきて、そこで定着している。脳と違って、ここは、感性や感情のエリア。考えるのには、あまり適していない。だから、思考が止まる。
「なんでも知ってるけど、頭がカラッポな人」というのが、筆者の目標とする人物像なのだ。
矛盾してるようだけど、実際に、思考を止めることに取り組みつつも、一方では知識をせっせと集めてきた。特に、精神世界については、「日常生活の役に立たないことをコレだけやってれば、リアルの人生にかける時間とエネルギーが、その分だけワリを食うのも仕方ないよなあ」としみじみ思うほどに、やってきた。
先日、久しぶりに目白のカトリック大聖堂に行って、荘厳なパイプオルガンに耳を傾けて感動した。そこで思い出したのだが、そういえば筆者は、学生時代にカトリック教会に通って、高名な外国人神父の勉強会でカトリック要理を学び、信者なみの素養を身につけたのだった。そのことを、オルガンを聴くまで、すっかり忘れてた。
「信者なみ」というより、聖トマス・アクィナスの「神学大全」とかを読みふけっていて神父からも感心されたし、「修道院体験プログラム」とかにも参加してたくらいだから、並の信者以上の取り組みだったと言ってもおかしくない。
イスラム教のコーランにも、同じように慣れ親しんでいる。どちらかと言えば、聖書よりコーランの方が好きだ。世界的に有名な巨匠・井筒俊彦の名訳があるけど、文字で読むより、読誦を聴く方がさらにすばらしい。中世のイスラム思想にもハマった。あれは、神秘思想の最高峰だろう。
東洋思想についても、仏教や老荘思想だけではない。儒教のことも、たまにチョロッと書くけど、これまた、論語・大学・中庸・孟子、易経や詩経といった四書五経に慣れ親しんでいる。朱子学や陽明学の古典も読んできた。
このため、学生のときは、酒を飲んで酔っ払うと、漢文を引用し始めることが、よくあった。たとえば、金持ちのボンボンの友人から「今夜の飲み代はオゴってくれや」と言われ、「子のたまわく、我これを聞く。君子は、急を救うて富めるに継がずと・・・」(※)とかなんとか、論語をひとくさり引用し始める。まるで、江戸時代の生きる化石みたいだった。
シュメール神話のエンリル神の話も、「アンタも好きねえ」とコメントされるくらい、よく書くテーマだけど、これだって、池袋のサンシャイン・シティにある「古代オリエント美術館」に通って、古代シュメールの粘土版を何度もジックリと観察してきた成果だ。
シュメール神話に限らず、ギリシャ神話にも、中国神話やインド神話その他にも、長らく慣れ親しんでいる。
もちろん、日本の神話は、その中でも別格。小学生の頃から、日本神話が大好きで、歴代天皇の名前(神武・綏靖・安寧・懿徳・・・明治・大正・昭和)をすべて暗誦し、「日本は神の国」と唱える皇国史観少年だった。
ついでに、西洋哲学も手広くやっている。ジョン・ロックや、モンテーニュ・デカルト・パスカル・ベルクソン、スピノザ・ライプニッツ・カント・ヘーゲル・ショーペンハウアー・ニーチェ・ヴィトゲンシュタイン・・・といった、主だった西洋哲学の古典を一通り学んだ。
一方、新興宗教の各宗派についても、「なんで、ウチの宗派のことを、そんなに知ってるの!?」と信者さんからビックリされることが少なくない。実際に、信者なみに教義を知っている新興宗教が、ひとつやふたつでなく、いくつもある。ネットの掲示板で某教団の教義を批判していたところ、「アナタの教義批判のおかげで、教義の背景が深く理解できました。立場は違うけど、どうもアリガトウ」と、逆に感謝されたことすらある。
チャネリングについても、「バシャール」を20数年前に読んで以来、常に最新流行を取り入れてきた。ラー文書やハトホル書など、主だったチャネリング文献の多くをブログで取り上げてこれたのは、そのおかげ。
さらに、精神世界でよく出てくる関連の話題についても、経済とか金融はもともと専門分野だし、学習塾で理科の先生をやってたこともあるほど、科学にも詳しい。
ブログでは、ニューエイジ系の精神世界論とか、仏教と老荘思想の話になることが多いけど、その背景はこれだけ深くて厚い。
普通にやってたんじゃ、こうはならない。要は、ものごころついた頃から、こんなことばかりやっている。かつて、失業して何ヶ月か失業保険をもらってたときも、就職活動は二の次で、そんなことばかりやっていた。上記のようにメニューが多彩だから、それでも忙しいのなんの。睡眠時間や食事時間を削って、本は、和書も洋書もすべて速読。「はい、次いこ、次」っていう感じ(笑)。
そういう人が、チャネリングのメッセージをコピペして、「やはり、アセンションは進行中なのだ」と説くのだから、これは、いやが上にも発言に重みが増すというものじゃないか!?
一部の人たちからは、「なんだ、このコピペは。説得力がまるで無いぞ」というご批判を頂戴することもあるとは言うものの・・・(笑)。
何年か前に、船井会長の講演をアチコチでよく聴いていた時期があった。そこで船井会長は、「私は、精神世界については世界一くわしいんじゃないかとも言われています」とか、「私は、精神世界については、日本一くわしい人の一人とされてます」と自信満々に語っていた。
それでいて、船井会長は、「私は、聖書も仏典も読んだことがありません」とも言っていた。もちろん、聖書や仏典を読まなくたって、精神世界を探求する上では、とくに差し支えない。必要はないけど、それだと、「世界一くわしい」というようなタイプの人になるのは無理。
確かに、「30代から、忙しいビジネスマンとしての日常のかたわら、精神世界の勉強をやってきました」ということだし、それで、あれだけの人になったことには感心する。でも、2~3年前に出た、「私の長年の霊界研究の集大成です」という本を書店で見たところ、なんと、某教祖の教えそのまんま。さすがに、後書きでは、「某教祖の著書を参考にしました」とは書いてあったが・・・。新興宗教に対する免疫がなさすぎて、ちょっと危なっかしく見えた。
またまた脱線したけど、それはともかく、そんな自分が、いまや「アタマを空っぽにする瞑想」に取り組み、ちゃくちゃくと成果が上がってきているということに、人生の皮肉を感じている。
でも、それが事実なのだ・・・。「アタマを空っぽにする瞑想」には、とても高い効果がある。
(続く)
(※君子は、困ってる人を助けることはあっても、金持ちにワイロを贈ることはありません・・・という意味)
スシュムナーという語は、サンスクリット語の「異次元の空洞」という意味であって、
肉体中の脊髄にあるのではない。またチャクラとは、心の住む階層世界であり、
これも躯体の中にあるのではない。
これらが肉体の中にあるというのは、ヨーガの門外漢に対する概念理解のための
比喩として使われたものだろう。
スシュムナーを上昇する際、二つのエネルギーが必要とされる。象徴としての「イダ」、
「ビンガラ」は、イエスキリストが語った、天から下るエネルギーであり、キリストの秘儀的な
象徴では、「ミカエル」と「サマエル」に象徴される。
中国の道教では、「陰」と「陽」だ。二極のエネルギーが接触融合するとき、いわゆる
クンダリーニのエネルギーが誘発されて、上昇する。
クンダリーニが上昇する「スシュムナー」は、視覚的には、黄金の超微粒子からなる円筒状の
シャフトであり、たとえるなら、高速エレベーターのようなもの。その内部を「イダ」とビンガラ」と
「自己」の三者が霊太陽へ向かっていく。
このとき、スシュムナーやチャクラは、身体内に無いことが視認できる。なぜなら肉体は、意識の
中にあるからだ。
かつて「日浦祐次のウエーブサイト」に公開したように、ここでの公開は二度目になる。
幾度も、クンダリーニを登っているから、偽りの書き込みは、偽りだと指摘するのである。
僕自身、まだ解脱していないから、えらそうな書き込みを控えてきた、ということだ。
読書好きの私は、文献を読み漁るのもある程度は大切なんじゃないかな~と思います。
というか、読みたいです!!(笑)
それにしても、、、すごい。
憧れです!私もそれだけ読みつくしてみたいなぁ。
(新興宗教はいいですけど。(笑))
知識が深ければ深い程、それだけ精神世界の大枠が捉えられると思うので。
というか、読みたいです!!(笑)
正しい知識は、理解力を増大させ、目覚めへ誘う良薬でしょう。
間違った知識は、自他に最悪なもの。
真実の知識は、すべて内側から来るのであって、外部(人の言うこと、書籍など)は、偽りを含まざるを
得ないもの。
幾多の聖者が言われることは、総ての外部知識は、捨て去らなければならない、というもの。
意識を拡大化してみるなら、目の前に銀河宇宙が渦巻いていて、それらの物質は、光の画像に過ぎ
ないことが理解できる。また、自分は、肉体でもマインドでもないと理解できる。この時、外部知識は、
取るに足らないものと理解できる。多くの知識を仕入れることは、重荷であって、益することは少いです。
君の思考そのものが、「止まった!」と宣言したのか?そうであるなら、素晴らしい!
しかし、多弁な書き込み、うぬぼれ、それらは思考の運動そのものではないのか?
少し前、サハスラ・ラチャクラに定住した、昇った、という病気のお姉さんがいた。いや、オバさんか?
ところで、お姉さんと、オバさんの区別は、なんで決まる?
ハートチャクラ、或いは、ハートは、ブラフマンを意味している、というベーダーやウパニッシャドの教え。
ゆえに君の書き込みは、「われは、ブラフマンに突入し、ブラフマンに定住している」という宣言に等しい。
お笑をひとつ
読者:「おお!一切を知り、一切を内包し、一切に偏在する無限の力、ブラフマンよ!
我々に真理をときたまえ!」
ブラフマン:「だから、宇宙のこっくり亭を運営しているではないか。思考が止まり、ハートに定住する我は、
かのブラフマンなり。」
読者:「は?・・・・・・」
お粗末(笑)
アセンションやチャネリング、霊言を信じる人、宙人が生命体や細胞を創造する仕組みを見せてもらいました。
などという人も病気だ。多くが、心と頭の病気に侵されている。
>肉体中の脊髄にあるのではない。またチャクラとは、心の住む階層世界であり、
>これも躯体の中にあるのではない。
そりゃ、そうですよ。
肉体には、チャクラに相当するものとして、内分泌腺や神経叢があります。
>君の思考そのものが、「止まった!」と宣言したのか?そうであるなら、素晴らしい!
>しかし、多弁な書き込み、うぬぼれ、それらは思考の運動そのものではないのか?
もちろん、文章を書いているときは、思考しています。
読書好きの私は、文献を読み漁るのもある程度は大切なんじゃないかな~と思います。
というか、読みたいです!!(笑)
確かに、「知識より体験が大事」というのは、そりゃ正論なんだけど、
やっぱり精神世界の文献を読み漁るのは快感で捨てがたい!!(笑)
中にあるからだ
チャクラやスシュムナーを、肉体の器官と思ってる人なんかいないでしょ。
わざわざ、大上段に構えて「指摘」するようなことかいな(笑)
シャフトであり、たとえるなら、高速エレベーターのようなもの。その内部を「イダ」とビンガラ」と
「自己」の三者が霊太陽へ向かっていく。
要するに、「クンダリニーは、スシュムナーというカラッポな管の中を上昇するのである」ということ。
日浦さんの言ってることを要約すれば、それに尽きるとしか思えないんですけどね。
それは、まったく、ごく普通の見解。何の変哲もない話でしょう。
わざわざ、「イダとピンガラと自己が上昇するのである」・・・なんて言い方しなくったって、普通に「クンダリニーが上昇します」と言えば済む話。
こちらを煙に巻こうとしてるのか、なんだか知らないけど、それは余計な知識を見せびらかしてるだけでしょう。
要約すれば、誰でも知ってる、この分野の常識にすぎません。
まさしく、やたらに難解な精神世界用語を並べたてることを好む、左脳系スピリチュアリストそのもの。
・・・という話を、これだけクドイほど繰り返してきているというのに、
「チャクラは肉体にあるんじゃない。意識体にあるんだ」
とかなんとか主張されたところで、こちらは「その通りですよ」
としか言いようがない。
「スシュムナーは空洞なのだ。だから、存在しないのだ」
なんてのは、詭弁もいいとこ。
その論法でいくと、「青函トンネルは存在しない。津軽海峡の地下に空洞があるだけなのだ」ということになる。
ある意味、「無用の用」という、老荘哲学みたいな話で面白いけど(笑)。
こちらは、「今までの自分は、雑念が多くて、意識がアタマに偏っていた。
意識の中心を心臓のあたりに持っていくように心がけたところ、
余計な思考がなくなって、意識がクリアーになってきた」
という話をしてるのに、なんで、そういう突拍子もない話になるんですかね。
それこそ、アタマの中に余計な概念がありすぎて、それに縛られてしまっているのでは?