宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

「私」という想念はどこから出てくるのか?

2017年01月23日 | 精神世界を語る

 

ラマナ・マハルシによると、「私」という想念がどこから出てくるのか・・・それを知ることが重要だ。

といっても、マハルシはその答をすでに教えてくれている。「ハート」というのが、その答。

「ハート」というのは、胸の右側の位置にあるセンター。胸の中心よりもやや左側に寄っている心臓とは逆に、少し右側に位置している。なんと、そこに「真我」があるというのだ。

もちろん、ハートというのは英語で、もとは「フリヤダム」というのを訳した言葉。でも、普通は「ハート」で通っている。

とはいうものの、「胸の右側にあるとは知りませんでした。真我って、意外なところにあるんですね」なんて言おうもんなら、「いや、そういうことではない。誤解するな」と言われてしまう。

そりゃそうだろう。ただでさえ、「身体を自分と同一視するな」と言われてるのに、真我が自分の身体の中にあるというのは、そもそも矛盾している。

実際のところ、真我は、自分の身体よりも遥かに大きい。というより、もともと物理的な大きさがない。ラマナ・マハルシによれば、ハートの中に身体がある。いや、世界がある・・・。

とにかく、ハート・センターが重要だということは分かった。「私」という想念は、そこから出てくる。出てくるだけでなく、そこに戻って消えていく。

「私」という想念から、あらゆる想念が生まれてくる。「私」は、「ああでもない、こうでもない」という、自然にわき起こる無数の想念によって、日常生活をスミズミまで支配されている。というより、そういう無数の想念の束が「私」だと言うべきか。これは、止めようったって止まるものではない。

人は通常、それを「私の心」だと錯覚している。これこそが、真我ではない自分という錯覚、「偽我」というものだろう。

 

またまた話が脱線するけど、ここで思い出すのは、18世紀スコットランド人の哲学者、デイビット・ヒューム。

ヒュームは、「私というのは実在しない。それは、無数の想念の束なのである」と主張した。想念の束というからには、バラバラなのかと思ったら、そういうわけではない。それは、あまりにも早く生起し、無尽の噴水のようにわき出し続けるので、切れ目のない一連のカタマリのように思える。それが、「私の心」だというのだ。

というと、「ヒュームはインドの無我論を説いていたのか」という感じがするけど、そうではない。これは、インドの無我論ではなく、イギリスの経験論。  

これには、理由がある。というのも、かの近代哲学の祖、高名なる17世紀のフランス人・デカルトは、「我思う。ゆえに我あり」という名言を吐いた。

近代に入って、神の存在が疑わしくなってきた。もちろん全員じゃないけど、それまでに比べれば、神の存在を疑う人が増えた。キリスト教の世界で神を疑うのだから、何も信じられるものがない。何もかも疑わしくなってきた。

デカルトは、そこに「我あり」と異を唱えた。「どんなに何もかも疑ったところで、その疑っている自分が存在するのだけは、さすがに疑う余地がないだろう?」というのだ。他人のことはいざ知らず、自分自身をふりかえってみれば、それが存在するのは、どう考えてもまちがいない。「私はある」、どんなに疑り深くても、それだけは信じられる。

さらに、そこから先がある。話せば長いんだけど平たく言えば、その疑う余地なく存在する私には、生まれつき、完全なる神という観念が備わっている。それこそが、神が存在する証拠なのである・・・と、デカルトは考えた。ここでは、「生まれつき備わっている」というのがポイント。こういうのが、フランスの合理論。

それに対する反論がイギリスの経験論で、それを極限まで突き詰めたのがヒューム。なんと、「私があることだけは誰にも否定できないっていうけど、そんなの否定できるでしょうが」と言い出した。いわく、私という意識は、無数の想念の束にすぎない。つまり、それは錯覚であって、実在するものではない。そもそも、人には生まれつき備わっているものなど何もない。白紙の状態で生まれてきて、すべてを経験によって後から刷り込まれる。「私」という意識も、そのひとつ・・・。

てなわけで、意図するところはまるきり異なるにも関わらず、イギリスの経験論と、インドの無我論は、なんだか似た意見になってきてしまった。やはり、かつての大英帝国としての、見えないつながりだったのか。


それはともかく、「これが自分の心だ」と信じているところのものは、本当は実在しない。錯覚である可能性が高い。つまり、それは偽我。

偽我を捨てよ。真我に目覚めよう・・・。

(つづく)


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1 コメント

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興味深いブログですね(^o^) (ひゃっきー)
2018-05-19 02:12:32
こっくり亭さん、初めまして。(^o^)
『黎明』を検索していて、このブログに到達しました。

あまりもの『情報端末』ぶりに舌を巻くどころか唖然としているものの、ぜひ『2台目のスマホ📱』として持っていたい。いや、スマホを遥かに凌駕する『ハイパー・コンシェルジュ端末』なのかも、、、と感銘を受けています。

お近づきになれたら光栄です。
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