宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

宗教の次のステージへ

2021年09月22日 | 精神世界を語る
地球人類は宗教から卒業しつつある。もう宗教は必要ない時代になった。いまは現実主義者が全盛の時代。「この世は、何者かが創造したのではない。偶然にできたのだ」と、「あの世は無い。この世がすべてであり、人は死ねば終わりなのだ」というのを2大信条とする、多くの現代人が共有する信念体系が主流になっている。

アラブの国々では、ほとんどの人がイスラム教徒で、一部の例外の人たちもキリスト教とか、何か他の宗教を信仰している。世の中のほぼ全員が、「あの世はある。人は、死ねば天国か地獄に行く」と信じている社会。古代から中世を経て近世に至るまで、地球ではそれが普通だった。それに比べて、現代人は普通じゃなくなった。

どっちがいいかって言ったら、一長一短がある。「この世は偶然の積み重ねで出来たのだ」というような、いくらなんでも無理のある教えを信じているという点では、現代人は昔の人より愚かになったとも言える。でも、やっぱり、現代人の意識のほうが先に進んでいるのは事実。大昔の人は、ごく一部の覚醒者を除けば、何もわからなくて迷信深かった。知性も感性も、現代人の方がずっと鋭敏で明晰なのは間違いない。地球人類の意識は着実に進化している。

古い信仰にしがみついていたんじゃ、新しい地球文明には適応できない。やっぱり、大昔の宗教などそろそろ棄てたほうが、失うモノはあっても得られるモノがそれ以上に大きい。現代人は、サナギのようなものなのかもしれない。サナギのようにカラをかぶって、霊的世界から自分自身を切り離し、次の飛躍に備えて地力をたくわえている。もうすぐ、人類はスピリチュアルに再び目覚める。現代人の明晰さと、古代人の叡知を兼ね備えたスーパー新人類が、蝶のように羽を広げて大空に飛び立つ・・・はずだ。

例によって話は飛ぶけど、未来の人類は、平井和正の小説も読まないだろう。いや、逆に預言者あつかいで見直されるかもしれない。筆者は中学生の頃、平井和正のSF小説をよく読んだ。ハルマゲドン、光の天使、光のネットワーク・・・この作家が世に広めたスピリチュアル用語は数多い。もともと普通のSF作家だったのに、ある時期を境として突然、宗教がかった小説を書くようになった。天使や悪魔が出てきて地上の人間への影響力を競い合う、壮大なハルマゲドン小説を書き始めて読者をビックリさせた。

平井和正が入信したのは、「GLA総合本部」という宗教団体だった。昭和の新宗教界を代表するカリスマ教祖の1人、高橋信次が病に倒れて早世し、娘の佳子先生が跡を継いだ。平井和正は、佳子先生から「旧約聖書に出てくる預言者ハバククの生まれ変わり」と認定され、張り切ってハルマゲドン小説を書くようになった。カリスマ教祖が突然いなくなったGLA教団は大混乱。幹部たちが続々と分派を立ち上げて、GLA系諸宗派が乱立するようになった。「GLA総合本部」もそのうちのひとつ。平井和正の代表作「幻魔大戦」では、主人公の超能力者・東丈が突如として失踪し、残された救世の団体「GENKEN」では路線対立から分派が林立して大混乱になる。あれは、この事件がモデルだった。

平成初期に世間を騒がせた千乃裕子の「パナウェーブ研究所」も、そんな分派の1つだった。「人体に有害なスカラー電磁波を防ぐ」と称して全身に白装束をまとったり、多摩川に出現したアザラシのタマちゃんにエサを与えてたことが判明したり、とにかく奇行が多くて世間を騒がせた。そのうち、メンバーの殺人事件が起きたりしてヤバくなった。これもまた、日本の新宗教史で忘れがたい思い出のひとつだろう。幸福の科学も、初期はGLAの分派としてスタートした。初期の信者の多くはGLAの元信者で、当初は「あの世からの高橋信次先生の霊言」がキラーコンテンツだった。

こういう宗教団体の系譜ってのは、どこの宗派系統にもある。オウム真理教も、当初は阿含宗の分派だった。初期の信者の多くは阿含宗の元信者だったし、教義体系も阿含宗をベースに創られた。90年代のテレビニュースをにぎわせたオウム真理教事件。「あんな高学歴のインテリ信者たちが、なぜ凶悪犯罪者になったか?」と、テレビではいつも騒いでた。正確にいえは、上佑史浩や青山吉伸といった高学歴信者はみんな、後から入ってきた人たち。それに対して、早川紀代秀・新実智充・井上嘉洋といった凶悪犯たちの多くは初期からいた人たちで、たいてい阿含宗の元信者だった。

阿含宗といえば、昔のテレビCMでやっていた、大柴燈護摩供(だいさいとうごまぐ)の護摩木が燃え上がる赤い炎と、モクモク上がる煙を思い出す。教祖の桐山靖雄(きりやませいゆう)管長の著書も、高校生のときには読んでいた。おかげで、阿含宗の教義もたいていのことは知っている。阿含宗もGLAも、すべての新宗教に元ネタを提供した大本教も、みんな教義を信者なみによく知っている。こんなことに詳しくても、何の自慢にもならないのが残念だけど・・・(笑)

それはともかく、「どこかに究極の教えはないか?」と探し求めて、いくつもの宗教団体を遍歴する人たちがいる。なんとも、ご苦労なことだ。そんなもの、どこにもあるわけがない。どの宗教も、言ってることはバラバラだったり、似ていたりするけど、どれも参考意見にすぎない。精神世界の探求は、結局のところ、自分1人でやるもの。情報は集められるだけ集める。でも、最後は自分自身にかかっている。教祖も自分で、信者も自分。「劇団ひとり」ならぬ、「教団ひとり」だ!(それはちょっと言いすぎか)



最新の画像もっと見る

コメントを投稿