>ネット上で情報が流れているようですが、舩井幸雄が1月19日の22時01分に亡くなりました。享年81歳。大往生でした。(船井幸雄ドットコムより)
なんと、ついに巨星が逝ったとは。あの船井幸雄会長が、ついに亡くなった。
ここ数ヶ月は、ブログの更新も息子が代筆していて、ウワサもほとんど聞かなくなっていた。正月には、「体調が良いので、久々に自分でブログを更新した」と書いてあった。だから、また良くなったのかと思っていた。しかし、その翌週には、また代筆により「肺炎で、初の入院」とあった。「初の入院」というところを見ると、今までの数々の病気の話は、自宅療養だったということか。それも、すごい話だな・・・。
その、「人生で初めての入院」のまま、帰らぬ人となった。あの正月のブログ更新は、まさしく最期の言葉となった。そこには、気になることが書いてあった。
いつもの安倍政権批判をひとしきり繰り返した後、
>・・・本当のことを実感として知り、それの可否を調べることだと思います。マスメディアの発言は半分は問題外にしてください。それよりも自分の感覚でつかんで、調べ、そして本当のことを知ってほしいのです。
>現実に地に足をつけて考えてほしいのです。
>いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。そうしますと、「あっ」と、びっくりするほど、自分のしていたムダに気づくでしょう。間違いも分ると思います。
>いずれにしましても、今年こそは、地に足のついたよい仲間をつくり、仲間間で助けあい、地道に生きてほしいのです。一人ではムリだと思います。
>いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。
>ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。
>ただ、将来への夢と希望は忘れないようにしてくださいね。これらは大事です。
要するに、「スピリチュアルのような、どうでもいいことは忘れて、現実的になれ」と言うのだ。今までの、「アセンションの伝道師」としての大活躍ぶりを思えば、別人のような変貌ぶり。
これを見ると、「自身の死を目前にして、現実に目覚め、スピ系から離れたのか?」と思えなくもない。実際、そういう風に受け取った人は少なくなく、「いまさら、何なのさ?」という声もあったと聞く。
ただ、筆者が受けた印象としては、そうは思えない。
確かに、去年からすでに、船井会長の話にはスピ系の話題があまり出てこなくなっていた。代わりに・・・というわけではないが、政治の話ばかりになっていた。
特に、秋ごろは安倍晋三首相の批判ばかりで、1ヶ月間、ブログのすべての記事が安倍批判だった月もあった。
ただ、それは珍しいことではない。というのも、「政治」の話ばかりになるのは、精神世界系のブログが陥りやすい落とし穴だからだ。高島康司氏がいい例で、一見、スピ系の予言マニアに見えるけど、話の中身はスピ系というより「左翼」そのもの。いつも、口を開けば政治の話ばかりだ。
それというのも、精神世界系のジャンルとは異なり、政治や経済には、毎日のように動きがあって、新しいニュースが常に入ってくる。その上、現実の生活に影響を及ぼしているのが目に見えて明らかだから、たいていの人にとって共通の関心事でもある。しかも、いつも対立が深刻で、争いが起きやすい。だから、そちらの話題に傾きやすいのは仕方がないかもしれない。
筆者にも、「左翼・中国・韓国」という、政治的に嫌いな勢力3点セット(?)があるので、ややもすると、それらの批判に走りやすい傾向がある(笑)。そんなことより、瞑想して意識の覚醒を目指すほうが、ずっと重要だとは思うのだが、政治的に嫌いな勢力というのは、やっぱり批判したくなるものだ。
その点、船井会長の場合は、いつも安倍政権批判ばかりしていた。
それはともかく、スピリチュアル系の分野において、船井会長には偉大なる功績がある。抜群の知名度を活かして、「アセンションの伝道師」として大活躍してきた。これは、誰にでもデキることではない。好き嫌いは別にして、まさしく、この分野のオピニオン・リーダーだったのは間違いないだろう。
ただし率直に言って、船井会長自身はともかく、周囲にいる人々が、どうも気に食わなかった。左翼や新興宗教から流れてきた取り巻きの人たちがいて、いつも妙な影響を及ぼしていたから、危なっかしくて仕方なかったのも事実。
何年か前に聞いた講演では、「私は、精神世界に関しては世界一くわしいんじゃないかと言われている」とか、「精神世界については、たぶん、日本一くわしい」と何度も豪語してたけど、それ自体に周囲からの悪影響を感じた。
船井会長は確かにすごいとは思うのだが、知識という面からすれば、多忙な最前線のビジネスマンとしての生活のかたわら、30代からこの分野に入ったという人。ピアノやダンスだって、5歳や6歳から始めれば動きが歴然と違ってくるのと同じで、精神世界も、大人になってから始めたって別に遅くはないとは言うものの、やはり幼少の頃から長くやっている人ならではの蓄積というものもある。
生前によく言っていた、「仏典も聖書も読んだことがない」というのも、精神世界をやる上で特に支障はないけど、「世界一くわしい人」というようなタイプを目指しているのなら、それでは足りないというものだ。
たとえば筆者にしても、キリスト教の話は滅多にしないけど、それは話題に出さないだけで、学生時代にカトリック教会に通って神父に学び、信者並みの信仰と素養を身につけたことがある。欧米の精神世界関係者なら、好き嫌いを別にして、みんなキリスト教の素養を持っているのだから、これは共通の土台として身につけることが望ましい。
仏典もそれに同じで、仏典そのものはもちろん、解説書もどれだけ読んだか分からない。これまた、子供の頃から禅寺に通って座禅を組み、お経を暗誦していた。そうやって、意味もわからずに暗記したものが、だんだん成長するにつれて意味が分かってきた。フロイト先生によると、このようにして身についたものは、精神に深く食い込んで離れなくなるらしい。
仏典や聖書だけでなく、老荘思想や、儒教の四書五経、イスラム教のコーランなども相当に読み込んでいる。もちろん、それ以前に、日本人なら神社への参拝が欠かせない。
そういう宗教的素養の土台をもってして、さらにネット上でもチャネリング情報を追いかけるというところに、ディープなマニアならではの面白さがある(笑)。
この精神世界・スピリチュアルという分野の住人は、いい人ばかりではない。むしろ、妖怪みたいな連中が少なくない。自分の「直観」の正しさに自信を持ちすぎたり、他人を信用しすぎたりするのは、あまりにも危険。
要するに、船井会長は、「世界で一番、精神世界にくわしい」というような知識レベルにはホド遠くて、まだまだ知らないことが沢山あった。そこを、新興宗教くずれの人たちにツケ込まれていた面がある。並はずれて好奇心旺盛な人だったのは分かるけど、ちょっと無防備に地雷原を走りすぎてたかもしれない・・・。
最晩年の船井会長はどうやら、スピ系・アセンション系からやや距離を置いていたようだ。といっても、「スピリチュアル否定論者になった」というわけではない。単に、政治の話に夢中になりすぎたおかげで、関心がそこに集中してしまったのだと思われる。
これまた、本人いわく、「私は、晩年になって直観力がますます冴えてきたので、安倍首相が危険人物であることが、ますます見えてまいりました」と言うけど、客観的に見れば、これも左翼くずれの取り巻き連中の影響だろう。
早い話が、船井会長の周囲に集まってきた人たちには、大きく分けて「政治系」の人たちと「宗教系」の人たちがいて、綱引きをやってるような状態だった。最晩年には、「政治」の方の人たちにベッタリだった様子で、関心がそちらに集中することになった。
でも、政治談義に夢中になりすぎて、相対的にスピリチュアルへの関心が薄れただけで、「否定するに至った」とまでは言いすぎなように思われる。「死後の世界」や「生まれ変わり」など、考え方自体は、大きく変わるような要因がなかった。最後の著書となった「未来への言霊」も、今までどおりの船井スピリチュアル・ワールドだったし。
なんだかんだ言って、ネガティブな面もかなり大きい人だった。
それでも、やはり、タダ者ではなかった。
というより、はっきり言って、すごい人だった。これほど日本に精神世界を広めた人は、他にいないだろう。それだけでなく、発言が常に率直で、さすがと思わされることばかりだった。
「船井オープンワールド」は、とても楽しかった思い出。これからも、忘れ去られることはない・・・。
なんと、ついに巨星が逝ったとは。あの船井幸雄会長が、ついに亡くなった。
ここ数ヶ月は、ブログの更新も息子が代筆していて、ウワサもほとんど聞かなくなっていた。正月には、「体調が良いので、久々に自分でブログを更新した」と書いてあった。だから、また良くなったのかと思っていた。しかし、その翌週には、また代筆により「肺炎で、初の入院」とあった。「初の入院」というところを見ると、今までの数々の病気の話は、自宅療養だったということか。それも、すごい話だな・・・。
その、「人生で初めての入院」のまま、帰らぬ人となった。あの正月のブログ更新は、まさしく最期の言葉となった。そこには、気になることが書いてあった。
いつもの安倍政権批判をひとしきり繰り返した後、
>・・・本当のことを実感として知り、それの可否を調べることだと思います。マスメディアの発言は半分は問題外にしてください。それよりも自分の感覚でつかんで、調べ、そして本当のことを知ってほしいのです。
>現実に地に足をつけて考えてほしいのです。
>いまの世の中は、スピリチュアルなこととか食とか遊びなど、どうでもいいことに浮かれている人に、かなり焦点が当っています。一度そのようなどうでもいいことは忘れ、現実人間にもどってほしいのです。そうしますと、「あっ」と、びっくりするほど、自分のしていたムダに気づくでしょう。間違いも分ると思います。
>いずれにしましても、今年こそは、地に足のついたよい仲間をつくり、仲間間で助けあい、地道に生きてほしいのです。一人ではムリだと思います。
>いまさらスピリチュアルやおいしいものに夢中になるという時ではありません。
>ぜひ生きるのに必要なことに今年は全力投球をしてください。
>ただ、将来への夢と希望は忘れないようにしてくださいね。これらは大事です。
要するに、「スピリチュアルのような、どうでもいいことは忘れて、現実的になれ」と言うのだ。今までの、「アセンションの伝道師」としての大活躍ぶりを思えば、別人のような変貌ぶり。
これを見ると、「自身の死を目前にして、現実に目覚め、スピ系から離れたのか?」と思えなくもない。実際、そういう風に受け取った人は少なくなく、「いまさら、何なのさ?」という声もあったと聞く。
ただ、筆者が受けた印象としては、そうは思えない。
確かに、去年からすでに、船井会長の話にはスピ系の話題があまり出てこなくなっていた。代わりに・・・というわけではないが、政治の話ばかりになっていた。
特に、秋ごろは安倍晋三首相の批判ばかりで、1ヶ月間、ブログのすべての記事が安倍批判だった月もあった。
ただ、それは珍しいことではない。というのも、「政治」の話ばかりになるのは、精神世界系のブログが陥りやすい落とし穴だからだ。高島康司氏がいい例で、一見、スピ系の予言マニアに見えるけど、話の中身はスピ系というより「左翼」そのもの。いつも、口を開けば政治の話ばかりだ。
それというのも、精神世界系のジャンルとは異なり、政治や経済には、毎日のように動きがあって、新しいニュースが常に入ってくる。その上、現実の生活に影響を及ぼしているのが目に見えて明らかだから、たいていの人にとって共通の関心事でもある。しかも、いつも対立が深刻で、争いが起きやすい。だから、そちらの話題に傾きやすいのは仕方がないかもしれない。
筆者にも、「左翼・中国・韓国」という、政治的に嫌いな勢力3点セット(?)があるので、ややもすると、それらの批判に走りやすい傾向がある(笑)。そんなことより、瞑想して意識の覚醒を目指すほうが、ずっと重要だとは思うのだが、政治的に嫌いな勢力というのは、やっぱり批判したくなるものだ。
その点、船井会長の場合は、いつも安倍政権批判ばかりしていた。
それはともかく、スピリチュアル系の分野において、船井会長には偉大なる功績がある。抜群の知名度を活かして、「アセンションの伝道師」として大活躍してきた。これは、誰にでもデキることではない。好き嫌いは別にして、まさしく、この分野のオピニオン・リーダーだったのは間違いないだろう。
ただし率直に言って、船井会長自身はともかく、周囲にいる人々が、どうも気に食わなかった。左翼や新興宗教から流れてきた取り巻きの人たちがいて、いつも妙な影響を及ぼしていたから、危なっかしくて仕方なかったのも事実。
何年か前に聞いた講演では、「私は、精神世界に関しては世界一くわしいんじゃないかと言われている」とか、「精神世界については、たぶん、日本一くわしい」と何度も豪語してたけど、それ自体に周囲からの悪影響を感じた。
船井会長は確かにすごいとは思うのだが、知識という面からすれば、多忙な最前線のビジネスマンとしての生活のかたわら、30代からこの分野に入ったという人。ピアノやダンスだって、5歳や6歳から始めれば動きが歴然と違ってくるのと同じで、精神世界も、大人になってから始めたって別に遅くはないとは言うものの、やはり幼少の頃から長くやっている人ならではの蓄積というものもある。
生前によく言っていた、「仏典も聖書も読んだことがない」というのも、精神世界をやる上で特に支障はないけど、「世界一くわしい人」というようなタイプを目指しているのなら、それでは足りないというものだ。
たとえば筆者にしても、キリスト教の話は滅多にしないけど、それは話題に出さないだけで、学生時代にカトリック教会に通って神父に学び、信者並みの信仰と素養を身につけたことがある。欧米の精神世界関係者なら、好き嫌いを別にして、みんなキリスト教の素養を持っているのだから、これは共通の土台として身につけることが望ましい。
仏典もそれに同じで、仏典そのものはもちろん、解説書もどれだけ読んだか分からない。これまた、子供の頃から禅寺に通って座禅を組み、お経を暗誦していた。そうやって、意味もわからずに暗記したものが、だんだん成長するにつれて意味が分かってきた。フロイト先生によると、このようにして身についたものは、精神に深く食い込んで離れなくなるらしい。
仏典や聖書だけでなく、老荘思想や、儒教の四書五経、イスラム教のコーランなども相当に読み込んでいる。もちろん、それ以前に、日本人なら神社への参拝が欠かせない。
そういう宗教的素養の土台をもってして、さらにネット上でもチャネリング情報を追いかけるというところに、ディープなマニアならではの面白さがある(笑)。
この精神世界・スピリチュアルという分野の住人は、いい人ばかりではない。むしろ、妖怪みたいな連中が少なくない。自分の「直観」の正しさに自信を持ちすぎたり、他人を信用しすぎたりするのは、あまりにも危険。
要するに、船井会長は、「世界で一番、精神世界にくわしい」というような知識レベルにはホド遠くて、まだまだ知らないことが沢山あった。そこを、新興宗教くずれの人たちにツケ込まれていた面がある。並はずれて好奇心旺盛な人だったのは分かるけど、ちょっと無防備に地雷原を走りすぎてたかもしれない・・・。
最晩年の船井会長はどうやら、スピ系・アセンション系からやや距離を置いていたようだ。といっても、「スピリチュアル否定論者になった」というわけではない。単に、政治の話に夢中になりすぎたおかげで、関心がそこに集中してしまったのだと思われる。
これまた、本人いわく、「私は、晩年になって直観力がますます冴えてきたので、安倍首相が危険人物であることが、ますます見えてまいりました」と言うけど、客観的に見れば、これも左翼くずれの取り巻き連中の影響だろう。
早い話が、船井会長の周囲に集まってきた人たちには、大きく分けて「政治系」の人たちと「宗教系」の人たちがいて、綱引きをやってるような状態だった。最晩年には、「政治」の方の人たちにベッタリだった様子で、関心がそちらに集中することになった。
でも、政治談義に夢中になりすぎて、相対的にスピリチュアルへの関心が薄れただけで、「否定するに至った」とまでは言いすぎなように思われる。「死後の世界」や「生まれ変わり」など、考え方自体は、大きく変わるような要因がなかった。最後の著書となった「未来への言霊」も、今までどおりの船井スピリチュアル・ワールドだったし。
なんだかんだ言って、ネガティブな面もかなり大きい人だった。
それでも、やはり、タダ者ではなかった。
というより、はっきり言って、すごい人だった。これほど日本に精神世界を広めた人は、他にいないだろう。それだけでなく、発言が常に率直で、さすがと思わされることばかりだった。
「船井オープンワールド」は、とても楽しかった思い出。これからも、忘れ去られることはない・・・。
あれは、腹に蛇は飼うてるわグレイに憑依されて変な写真撮っては、そこの神社をカオスで穢しまくってきたサタンの下僕でもあったな。 まぁ、池田大作なんかとは違って漆黒の闇に真っ逆さまに行くような…ある意味エリートではなかったけど、しょうもないオッサンではあった。
有名になるまでの、アレの経緯やパクりしかない能無しぶりを知らない素人が引っ掛かっては嵌まってたんや、ヘラヘラしやがってタコ坊主め…くらいにしか見てない。
あなたが勝ちますよ
ひとり
人生っていうのは、いろいろあります。
ただ、「最後は自分が勝てる」ようにできてるんですよ。
ただ、その勝ちに気づける人と気づけない人がいるだけです。
生きていて何かを学んで、そして勝つことや負けることのむなしさを知ったとき、人に優しくなれるものです。
そういう人が、本当の勝者なんですよね。
何のために、仕事をするんですか?
それは、愛する人を助けるため!
何のために、お金をためるんですか?
それは、愛する人を助けるため!
「愛する人を困らせたくない!」-まずは、そんな単純な発想から始めてください。
その発想があなたをを成功に導く。さらには、周りの人を次々と幸せにしていくんですよ。
精神世界について、私も船井さんから大きな影響を受けました。
私の場合は、水木しげるさんが精神世界の師といえるかもしれません。自伝漫画の「のんのんばあとオレ」のなかで、アニミズムや霊魂について学びました。のんのんばあは文盲ですから書物から知識を得ることは不可能ですが、輪廻転生や因果応報など正しいことを知っていたのでしょう。のんのんばあをみていると、精神世界とは知識ではなく、氣付きというか、直観の世界だと思わされます。
「心」→「お金」
こういう認識だったのです。
しかし、21世紀になった今では、どちらかというと、「ゲゼルシャフト」が、行き詰っているように、感じます。
「心」も「お金」も、どちらも、大切なのですが、これからは、「ゲマインシャフト」、つまり、「心」の繋がりを重視する社会が、見直されてくるような気がします。
「お金」→「心」
という本来の人間らしい社会に、戻るような気がするのです。
ドラマの「あまちゃん」の中でも、主人公のアキちゃんが、過ちを犯したり、失敗を、告白しても、そこの田舎の海女さんのオバちゃんたちが、皆、笑って、許している場面が、とても印象に、残っています。
「大丈夫、大丈夫、そんなこと、気にしないで! 皆、同じように、過ちを犯したり、失敗しているんだから… それが、人生ってもんなのよ!」
こう言いながら、大きな愛で、アキちゃんのような若者を、包み込んでいるのです。
これから、日本に必要な場所は、こういう所なのです。
こうやって、皆で、許しあって、笑いあえる所を、たくさん増やすことが、大切なのです。
自分いる社会が、「ゲマインシャフト」だと思ったら、たまには、冒険して、「ゲゼルシャフト」の社会にも、挑戦してみましょう。
自分のいる社会が、「ゲゼルシャフト」だと思ったら、たまには、息抜きに、「ゲマインシャフト」の社会で、癒されましょう。
こうやって、二つの社会が、融合していくのが、21世紀の社会だと思います。
「お金」も「心」も、両方、大切です。
そして、これからは、少しづつですが、「心」に、ウエイトが、移ってきます。
「心の時代」
これが、これが、これからの時代です。
精神世界については、斎藤一人さんからも学びました。先日読んだ一人さんの本の「人とお金」には、21世紀はお金についての学びが時務とありました。
>自分いる社会が、「ゲマインシャフト」だと思ったら、たまには、冒険して、「ゲゼルシャフト」の社会にも、挑戦してみましょう。
自分のいる社会が、「ゲゼルシャフト」だと思ったら、たまには、息抜きに、「ゲマインシャフト」の社会で、癒されましょう。
こうやって、二つの社会が、融合していくのが、21世紀の社会だと思います。
お金は働くことで手に入りますから、人の心理について学ぶことが必要ですね。
一人さんの最新刊の「カンタン成功法則」には、人の修行は8対2ぐらいの割合でお金か人間関係だそうです。21世紀の今は、人間関係を主に学ぶ人が多いそうです。
同書によると、大我で生きること、つまり、自分も人も、すべての人の幸せを願って生きると、必ず成功するようです。
そうですね、結局、一緒おんなじですからね。そうすれば成功してゆくでしょうね。
カンタン成功法則には、大我とは反対の、小我についても書かれています。それには二種類あり、自分だけ良ければよいというものと、自分はいいからという自己を卑下したものです。前者は、自分のみならず、自分の属する場所(会社、地域、組織など)さえ良ければよいという考えも含まれます。
日本史を振り返ると、室町時代の義政公の時期は、我が身さえ富貴ならばという価値観が主流だったそうです。つまり、国民全体が小我で生きていたから、応仁の乱をはじめ、戦国時代に突入したのかもしれません。
戦国時代を終結させる役割を果たした織田信長は大我で生きていたから、天下統一を目指したのかも知れません。
まあ、自分の目の前を幸せにしてゆくことでしょうね。