宇宙のこっくり亭

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宗教が必要だった時代もあった

2021年09月21日 | 精神世界を語る
現代では、宗教の評判が良くない。創価学会が折伏(しゃくぶく)をやりすぎたせいかもしれない。身内に不幸があったり、悩みがある人には宗教の勧誘がすぐ来る。まあ、創価に限らず新興宗教はたいていそんなものだが。昔の筆者は、悩んでもいないのに宗教の勧誘がよく来た。まあ、それは宗教好きなマニアだから、引き寄せの法則で引き寄せていたのだろう。創価学会の折伏を受けて、何回か集会に顔を出したこともある。信者諸氏と一緒に方便品や自我偈を唱え、南無妙法蓮華経のお題目を上げていた。家に御本尊を持ち込まれたり、聖教新聞が配達されてきたときは、周囲の人々はビックリした(御本尊は丁重にお返ししたが)。まさか、筆者が創価学会と関わりがあるとは思わなかったのだろう。筆者が「じつはオウム真理教の信者でした」とでもいうのなら、周囲の人々にも「う~ん、危ないとは思ってたけど、やっぱり・・・」と納得されてしまうかもしれないが(笑)

手かざし教団にも、熱心な信者に何度も集会に連れていかれたことがある。手かざし教団といえば、「世界真光文明教団」から「崇教真光(すうきょうまひかり)」が分離独立し、その後も多数の分派が乱立したことで有名だ。「ここはどこの系統なんですか?」と質問したところ、信者は「ウチはどこの系統にも属していない。教祖が気功バワーを極めて創始したのだ」と言っていた。「ヒーリングパワーは分かるけど、どうして大勢でやる必要があるのか?」と聞いたところ、「大勢でやることで、パワーが増幅されるのだ」と言っていた。う~ん、確かに。そういう面はあるかもしれない、

そんなこんなで、宗教界のことはたいてい知っている。もちろん、全部ではない。金光教と大本教は知ってるけど天理教は知らないとか、メジャーな宗派でもカバーできてないところは当然ある。でも、もう十分に情報収集したので満腹だ。地球での人生はたった数十年か、長くても百年くらいしかないんだし、すべてを知り尽くすことなど不可能なのは当たり前。もともと、地球はそういう具合にできている。

それはともかく、信者諸氏の一途な信仰をリスペクトする思いはもちろんある。でも、「他にも宗教はたくさんあるのに、なぜ、この人たちはこの宗派を選んだのだろう?」という素朴な疑問が抜けない。信じるというのも、1つのパワーであり才能だ。「信じる力」にかけては、信者にとてもかなわない。脱帽だ。でも、1人1人の個人がどうのというより、地球人類の意識の進化段階として、もうそういう時代じゃないんじゃないかなあ?

昔の人には、宗教が必要だった。古代人や中世人の野蛮さは、現代の日本人の想像を越えている。昔の地球は、今よりももっとストレートに、血で血を洗うサバイバルゲームの戦場だった。地球で長生きするのは本当に難しかった。人生は、まさに生存競争そのものだったのだ。そんな中で、人々に世界観や倫理観をもたらしてきたのが宗教だった。

世界の文明が多くの宗教に分かれるなか、ほぼ宗教統一に成功したのは、千数百年前のイスラム教だった。無学文盲のムハンマドが預言者になり、アッラーの言葉を人々に述べ伝え始めた。文字が読めない預言者の口から、なぜか至高の詩情をたたえた宗教的な詩句が流れてくる。コーランは宗教というだけでなく、文学であり音楽でもあった。その教えは、「アッラーを信じる者は天国に往き、信じない者は地獄に堕ちる」というシンプルなものだった。

当時の世界では、シリアやエジプトはキリスト教の国で、粗衣をまとった修道士たちが修行していた。中央アジアには仏教が広がっていて、僧侶たちが修行していた。そこに登場したイスラム教は、驚くべき速さで広がり、宗教界をほぼ統一した。ヨーロッパはキリスト教だったけど、当時のヨーロッパは今とは違って、遅れた地域だった。中国とインドを別にすれば、宗教界はイスラム教によってほぼ統一された。

現代でいえば、どこかに新興宗教の教祖が現れて、その教えがたちまちヨーロッパ・アメリカ・日本に広がり、圧倒的な多数派になったようなものだ。地球人類の歴史上、これほどの奇跡は他に見当たらない。それほどの魅力がイスラム教にはあった。

美しいコーランの朗誦
https://youtu.be/eaJq5yyYlB4

コーランの響きには不思議な魅力があり、何度でも聞きたくなってしまう。これが宗教の魅力だ。この世での生き残り闘争に明け暮れていた中世の人々も、天国に憧れ、この世ならざるものに目を向けるようになった。

地球人類の意識進化のなかで、宗教は必要だった。昔の人々は、宗教を必要としていた。

(続く)

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