宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

来るべき変容 ~ ペトル・ホボット氏

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト

ペトル・ホボット氏によれば、これまで一部のシャーマンに独占されていたスピリチュアルな変容が、これから人類全体に広がるという。ホボット氏は、それを「トランスフォーム」と呼ぶ。
 
そこで、浅川嘉富氏は持論を繰り出した。ご存知、「アセンション」だ。もうすぐ、三次元の地球が次元上昇して、五次元に移行するというもの。
 
それに対して、ホボット氏は「そのようなことは、近い将来には起きません」と断言した。驚いた浅川氏は、血相を変えて詰め寄った。対談本にも、その詰め寄った様子は表れているのだが、実際にはもっと激しく問い詰めたらしい。ついには、ホボット氏から「アセンションに関する肯定的な見解」を引き出すことに成功した。

このやり取りは、精神世界関係者の間でちょっとした評判になってしまったが、実際には、ホボット氏は近い将来の変容を否定しているわけではない。むしろ、全編にわたって、それを主張していると言ってもよい。ホボット氏が否定したのは、「五次元世界に移行する」ということ。それは、地球人類にはまだまだ無理で、「あと3000年で実現すれば上出来」らしい。ホボット氏が言う「五次元世界」というのは、半霊半物質どころか、完全な非物質界そのもの。いくらなんでも、そんなとこまで一足飛びには行けないよ・・・という話なのに、ここは浅川氏が、ちょっと焦りすぎたようだ。

それから、ホボット氏は、「人は外部の力で変わるわけではなく、自分自身の力で進化しなければならない」と強調している。さらには、「地球の次元上昇に乗り遅れた魂は、別の惑星に移される」という考えを好まないようだ。そのあたりが、浅川氏の持論に違和感を覚えた原因と思われる。

とはいうものの、ホボット氏は、「近いうちに波動的な移動が行われます」と明言しているのだから、別に血相を変えて詰め寄るような場面ではなかった(笑)。ただし、大きな変化が起きるのは確実だが、その変化がどのようなものになるかは、決まっていないという。今は、分岐点にいる状況だ。

まず、銀河系コアからの波動が変わり、それが太陽の波動を変えて、さらに地球をも変える。このようにして、物質的な宇宙の変化も進んでいる。

でも、やっぱり、誰もが気づくほどの劇的な変化ではないらしい。少なくとも当初は、世間の一般人の多くが無関係なものとなりそう。

ただし、「波動の上昇に備えて準備のできている人たち」にとっては、劇的な変化が訪れる。なんと、「3次元に存在すると同時に、アストラル界(4次元)にも存在することができるまでに波動が上がります」ということだ。

それはつまり、自分の体を非物質化させたり、再び物質化させたりして、好きなときにアストラル界に出入りできるようになることを意味する。ちなみに、ホボット氏はすでにそれを3回経験しているという。いわく、

>非物質化のプロセスでは、まるで自分の肉体が溶けてしまうような感覚に襲われ、しばらくすると透明になり消えてしまいました。その状態でアストラル界に行ったのです。

「なお、非物質化したときには自分の体の形を意識で自由に変え、老人や若者になることもできます」というから、アンチエイジングは必要なくなる。松田聖子もビックリだろう。

そんなこんなで、ごく近い将来に起きる巨大な変化は、やはり少数の人々から始まることになる・・・ということに、ホボット氏の話の要点はあるようだ。

そこで、浅川氏は「わたしが聞いている情報に、こういうものがあります」と切り出した。それは、「来るべきアース・チェンジについて、宇宙にも2通りの考えがあり、穏健派と急進派に分かれている。急進派は、天変地異を起こして人口を激減させてでも、一気に地球を変えてしまうべきだと考えているが、穏健派はもうちょっと時間をかけて、ゆっくり変えていこうとしている」というもの。ご存知、坂本政道氏がヘミシンク・ワークによって得たアセンション情報だ。
 
それを聞いたホボット氏は、ビックリしていた。「その通りです。浅川さんが、それほどの情報を持っていることに驚いています」だという。

さらには、浅川氏は「このように2つの考えが分かれている原因は、『銀河系コアから流れ込む生命エネルギーが、いつまで続くか分からない』というところにある。急進派は、長く続かないのではないかと懸念している」と続けた。これまた、ホボット氏は驚くやら感心するやらで、「その通りです。浅川さんは、非常に質の良い情報を持っていますね」とコメントした。

筆者も、ヘミシンクをやってないにもかかわらず(笑)、この話に非常に興味をひきつけられて坂本政道氏の本を盛んに取り上げていたのだが、ホボット氏にとっても、これは宇宙の最高機密であるらしい。

「死後世界の信念体系領域が、高次の存在によって急速に浄化されている」という話といい、両者の間には符合する情報がとても多いことに、浅川氏もナットクしていた。
 

多次元世界の構造 ~ ペトル・ホボット×浅川嘉富

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト
  
「パラレル・ワールド」は、ペトル・ホボット氏が語る世界観のキーワード。これには、大きく分けて2つがある。ひとつは、物質世界よりも高次元な世界としての、非物質界。もうひとつは、同じ物質界だけど、似て非なる別の世界。

「バシャール」でも、「これからの地球は、多くのパラレル・ワールドに分かれる」としているのだが、ホボット氏によれば、もともと分かれている。多くの「別の地球」の中には、人類がまだ発生しておらず、鳥や獣だけの世界もあるらしい。いまだに恐竜が闊歩している地球もあるということだ。パワースポットは、そんなパラレルワールドへの出入口。南米のシャーマンたちは、そこを通って自由に出入りしてきたのだという。特に、古代においては、現代ほど世界が固まっていなかったので、もっと自由に出入りすることができた。

太陽系の惑星にも、いくつかの層があり、各層には別の世界が広がっている。地球と同じ次元における金星や木星は、とても人間が住めるような環境ではないのだが、別の層には生命体がいるという。実は、いくつかの天体は、そこへ地球人が生まれ変わるための目的で準備されているらしい。これから地球の波動が急上昇するのに伴って、高い波動を嫌った魂が生まれ変わるのも、そうした別の天体になりそうだ。木星の衛星が、そのための有力な受け皿の候補だという。

ここで、浅川嘉富氏は、「アセンション~最後の真実」の本に書いた、死後世界の構造について語った。主にモンロー研究所の「フォーカス」理論をベースにした、ロバート・モンローや坂本政道氏のファンにとってはオナジミの構造だ。筆者も、数ある死後世界観の中で、これが現在の実情に一番近いのではないかと感じている。
 
ホボット氏も、独自の死後世界観を語った。それは、おおむねモンロー研究所の世界観と一致していた。それによると、アストラル界(4次元世界)は3つの段階に分かれているという。

第1の段階は、死んだ人がまず行く領域であり、そこがどういう世界であるかは、その人の考え方による。「それはある意味で夢に似ており、人は自分で作り出す環境に囲まれる」のだという。だから、人それぞれに、天国のようにもなれば、地獄のようにもなる。基本的にはみな、生きていたときの姿にこだわっている。モンロー研でいう、フォーカス27より下の「信念体系領域」によく似た世界だ。

宗教団体の人たちなどは、集団で、その宗教の世界観に合った世界を作り出している。キリスト教なら、キリスト教の祭壇があって、みんなで礼拝しているということだ。当然のことながら、信者にとっては、自分の信念と合致した、とても居心地のよい世界で、誰もが天国だと思い込んでいる。死後生活者が、この集団的な信念体系領域に入ると、長期滞在になりやすいので危険。

でも、いまや地球は、トランスフォーミング(変容)の真っ只中にある。死後世界も例外ではない。ホボット氏によると、アストラル界は変わってきており、10年前とはずいぶん違う世界になってきているらしい。上の階層から来た光の生命体たちが、信念体系領域を破壊しており、囚われた人々を救出しているという。まったく、頼もしい限りだ。

アストラル界の第2段階に入ると、そこには重要な学びの場が待っている。上の次元から多くのアシスタントがきていて、死後生活者を指導してくれる。魂は、映画を見るようにして自分の人生を再体験したり、自分と関わった他人や動物の立場で再体験したりするのだという。魂は、ここで自分の人生を客観的に見直し、前の人生で何を学んだかを理解する。

アストラル界の第3段階は、さらに大きな学びの場だ。ここでは、魂はもはや、前の人生での姿にこだわっていない。ここには、学校のようなホールに画面がたくさんあり、魂は3D映像でさまざまな人生を見ることができる。とても広い図書館もあって、「地球の過去についての情報」がふんだんにあるという。筆者がアストラル界の第3段階に行ったら、この図書館に入り浸りになって、地球の歴史について何もかも知り尽くすまでは出てこなくなるだろう・・・。
 
この3つの段階を終えた魂は、また生まれ変わる準備に入る。ホボット氏によれば、3段階を数日で通過する人もいれば、どこかにハマッて何百年もかかる人もいるらしい。

ホボット氏は、「アストラル空間は、3次元の地球よりも断然広い領域」だという。出口王仁三郎が言っていた、「富士山を、お座敷の掛け軸の絵に写した、うつし絵の世界。それが、『うつし世』なのだ」というようなものだろう。そもそも、物質界のような空間の制約がないのだから、広く見えるのは当たり前か・・・。

昔は、生まれ変わるのには時間がかかっていたが、最近は地球の人口が増えたのに伴い、地球人の多くは「平均して15年から20年」のサイクルで生まれ変わっているらしい。ずいぶん、早いサイクルになったものだ。
  
そんなアストラル界(4次元世界)の遥か上方には、「魂の故郷」がある。12次元にいる存在である「源」が、魂を作っている。とはいっても、いきなり個々に分かれた魂を作っているわけではない。最初は、巨大なカタマリとして創造される。そんなカタマリの中で、完全に分かれる前の個々の魂が、とても速いスピードでコミュニケーションしているという。その巨大なカタマリが、分割されてクラスターとなり、そこには数千の魂が含まれている。各クラスターは、無数のパラレルワールドのどこかに送り込まれ、そこで個々の魂は、輪廻転生するかどうかを選択するらしい。

選択肢は、無数にある。あるとき、ホボット氏は、「どれくらいの数の宇宙が存在するのですか?」と、光の生命体に聞いてみた。「地球上に存在する酸素分子の数ほどに、たくさんの宇宙がある」というのが、その答だった。ほとんど無限大に近い・・・。

トランスフォーミング(変容) ~ ペトル・ホボット×浅川嘉富

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト

ペトル・ホボット氏によれば、南米ナスカなどのパワースポットは、パラレルワールドへの入り口だ。現地のシャーマンたちは、そこからフリーパスで異世界に出入りしている。ついでに、アメリカのカリフォルニア州も一種の巨大なパワースポットなのだという。宇宙人との交信が起きやすくて、チャネリングが盛んなのは、そのためだったのか?

パワースポットには2種類あるという。銀河系コアから生命エネルギーが流れ込んでくる「上からのパワースポット」と、地球コアから生命エネルギーが流れてくる「地球のパワースポット」があって、この2つが全体のバランスを取っている。

人間にも動脈と静脈があって血液が循環しているように、地球にもエネルギーのラインがあって、そこに生命エネルギーが流れている。地球も、ひとつの生き物だ。

今は、銀河系コアから地球に流れ込むエネルギーが増大している。これが今後数年間に、人類に巨大なトランスフォーミング(変容)をもたらすのだという。それは全地球で起きる、波動上昇のプロセス。

でも、ペルーのナスカや、メキシコのテオティワカンなどのパワースポットには、もともと銀河系コアからのエネルギーが大量に集まっている。ホボット氏によれば、これから起きるトランスフォーミングも、こうしたパワースポットでは、昔から実現できたらしい。古代のシャーマンたちも、パワースポットでトランスフォーミングしてた。銀河系コアからのエネルギーが流れ込み、ビリビリしびれて気持ちよくなっていたのだ。なんとも、うらやましい話だ。しかも、超感覚的な認識力が開発され、知覚が拡大するのだという。

ここからがホボット氏らしい奇想天外な話なのだが、なんと、あのペルーのフジモリ元大統領も、ペルーとエクアドルの国境近くにあるシンベ湖のパワースポットで、シャーマンの儀式を受けていたという。フジモリ元大統領は、ペルーで暴れまわっていた凶悪なテロリスト集団の「センデロ・ルミノソ」を、宇宙パワーを借りて壊滅することができた。そこまでは良かったのだが、残念ながらフジモリ氏は、だんだん権力におぼれて、心が汚れてきてしまった。結局、シャーマンたちが予言したとおり、失脚して日本にまで亡命旅行を重ねたあげく、強制送還されてペルーの刑務所に入る羽目になった・・・。

ホボット氏によれば、これからは、こうしたパワースポットだけでなく、全地球にトランスフォーミングが起きるという。人類の知覚の拡大をはじめとする、大きな変化が起きるのだが、どう変わるかは決まっていないらしい。
 
(つづく)
 

真実への完全ガイド ~ ペトル・ホボット × 浅川嘉富

2011年11月18日 | 注目のスピリチュアリスト
 
ペトル・ホボット氏は、いま最も注目される霊能者のひとりだろう。日本に対する思い入れが強く、日本での活動を強化していたが、残念ながらプロモーターと意見が合わなかったらしく、サイトが閉鎖されてしまった。

ホボット氏は、2010年に出版された浅川嘉富氏との対談本、「真実への完全ガイド」で有名になった。浅川嘉富氏は、船井会長やJ.C.ガブリエル氏(元エハン・デラヴィ)たちと並んで、早くから日本でアセンションを提唱してきた代表格の一人だ。ホボット氏も浅川氏も、世界中を飛び回って各地のパワースポットをフィールドワークする、並外れた行動力が羨ましい限り。
 
ペトル・ホボット氏は、チェコスロバキアに生まれ育ったチェコ人だ。この、かつての社会主義国がチェコとスロバキアに東西分裂してから、もうだいぶ経った。ホボット氏いわく、(精神世界の中心地である)米国カリフォルニア州に生まれるという選択肢もあったそうなのだが、今は「チェコに生まれて良かった」と思っているらしい。というのも、アメリカは、見た目は民主主義国なのだが、実はそうではなく、見えない影のグループによって強権支配されており、言いたいことを自由に言ったら殺される危険があるからだそうな。アメリカも、ずいぶん物騒な国になったものだ。いや、元からそうなのか・・・?
 
そんなチェコ人のホボット氏なのだが、若くしてソビエト連邦(今で言うロシア)に無理やり連れて行かれ、大学で生物学の研究者になった。チェコでは超能力者として有名になったので、ソ連政府に目を付けられたのだ。当時のソ連は、アメリカと並ぶ超大国として、世界で覇を競っていた時代。超能力者を軍事や諜報に活用すべく、真剣に研究していたソ連は、ホボット氏をお抱え超能力者のリストに加えた。そんな理由で始まったロシア暮らしとはいうものの、ここで生物学を学んだことが、後の科学的思考につながっていく。

ホボット氏と浅川氏には、共通点がある。中南米のペルーやメキシコが大好きだということだ。当然のことながら、マヤ文明も研究している。でも、それ以上に盛り上がっていたのは、「ナスカの地上絵」の話題だ。2人ともナスカの地上絵を何度も訪れて実体験しており、それが世界的なフィールドワークの中心をなしている。

さらには、浅川氏のコレクションである「カブレラ・ストーン」が話の焦点になっていた。カブレラ・ストーンというのは、有名なオーパーツ(先史文明が残した謎の遺物)のひとつ。硬い石に精密な彫刻で描かれた、神秘の絵だ。そこには、誰が見ても恐竜としか思えない絵が多数、含まれている。このため、浅川氏は「かつて、ここで人間と恐竜が共存していた時代があったのだ」と主張している。

もっとも、ここでは偽造問題にも言及されていた。実のところ、カブレラ・ストーンは、英国のクロップサークルと同様、少なくとも一部は偽造であることが判明している。カブレラ・ストーンには、古く見せかけるために靴墨を塗ったり、火であぶって細工した跡のあるものがある。クロップサークルの場合は、若手アーティスト集団(?)が、夜中にせっせと穀物畑で作業している姿が動画で流れたりしている(笑)。でも、あまりにも巨大だったり、精巧で芸術性が高く、インチキ発見者が偽造するにしては採算がとても合わないほど膨大な手間ヒマがかかっているものも数多く含まれているので、やはり全部を否定するのは難しい。おそらくは、最初にホンモノがあって、それに追随する形でニセモノが作られ、玉石混交になっていると見るのが自然だろう。ホボット氏は、石やサークルが発するエネルギーの大きさによって、本物と偽物を区別しているという。

それはともかく、恐竜に関して、浅川氏とホボット氏は意見が割れていた。ホボット氏いわく、「ナスカには、恐竜の化石がひとつも見つかっていない。そもそも、数百万年前まで、ここは海底だった。人類と恐竜が共存していたはずがない」と言う。これは、ホボット氏ひとりの考えではなく、地質学者や古生物学者の意見を聞いて調査した結果だという。

浅川氏には悪いが、ここはホボット氏の意見を採るべきだろう。古代人が恐竜の絵を描いていたからといって、恐竜がいたとは限らない。それを言ったら、数千年後の未来人が、「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999」の絵を見て、「20世紀の日本では、船や汽車を宇宙空間にまで飛ばしていたようだ」と結論することになりかねない(笑)。人間が描いた絵は、参考資料にはなるけど、証拠にはなり得ないのだ。
 
本当に物的証拠と言えるのは、やっぱり、化石や地層ということになる。世間の一般人ならともかく、「先史文明研究家」ともあろうお方が、化石や地層を無視して「地球の歴史」を語るのは、あまりにも無謀であり、残念なことだ。その点、ホボット氏はさすがに、ロシアの大学で生物学を研究していただけあって、基本をおさえたモノの見方をしている。この点は、生物学者出身のコルマン博士とも通じるものがあり、さすがと思わせる。

実際のところ、恐竜は6550万年前の、中生代の終焉とともに絶滅している。一方、人類はほんの10万年~20万年前に登場した、新しい生物だ。いくらなんでも時代がカケ離れすぎており、「共存」するのは無理がある(笑)。
 
でも、ホボット氏いわく、カブレラ・ストーンに描かれているのは、本物の恐竜だという。というのも、ナスカは、世界的にも屈指の強力なパワースポットだ。現代とは異なり、古代には、こうしたパワースポットが「パラレルワールド」の入口となっていた。現代でも、一部のハイレベルなシャーマンは、パラレルワールドに参入できるそうなのだが、古代においては、誰もが自由に出たり入ったりできたのだという。
 
こうしたパラレルワールドの中には、人間がいない、恐竜時代の地球もあったということだ。そんな恐竜の地球に、古代のナスカ人は入ることができた。入るだけでなく、この地球に連れて帰ってきて、乗り物や兵器としても使っていたらしい。カブレラ・ストーンは、その名残なのだという。

個人的に、筆者は恐竜が大好きだ。もともと、精神世界マニアであるのと同じくらい、歴史マニアでもある。それだけに、「地球の歴史」に対するコダワリは強い。化石も、機会あるごとにたくさん見ている。化石を見たことがない人には、上野の国立科学博物館がオススメだ。そのあと、上野の骨董品屋に行ってみれば、三葉虫やアンモナイトがヒトヤマいくらの価格で売られている。
 
ホボット氏が言うような、恐竜がたくさん住んでいるパラレルワールドがあるのなら、是非とも行ってみたいものだ(笑)。恐竜好きな人の多くは、「本物の恐竜が見れるなら、死んでもいい」と思っている人たち。映画「ジュラシック・パーク」に出てくる古生物学者も、そういう人だった。
 
この、「恐竜のパラレルワールド」の話には、妙に説得力がある。というのも、アステカ人たちが崇拝していた神様のケツァルコアトルは、「羽根の生えた巨大なヘビ」の姿をしているというのだが、これはプテラノドンやケツァルコアトルスを始めとする、中生代の翼竜そのもの。もちろん、「偶然に化石を発見した古代人が、翼竜は実在すると思い込んだ」というのが合理的な解釈なのかもしれないが、やっぱり、古代人はどこかで実物を目にしていたんじゃないか・・・?

またまた、話が脱線してしまった。でも、ホボット氏が言うには、アセンションすれば、パラレルワールドにも出入りできるようになるという。ここはやはり、アセンションするしかない?。
 
そんなこんなで、南米のシャーマンたちの驚くべき実態を、次々に語るホボット氏。これは、「ヒマラヤ聖者の生活探究」に出てくる、ヒマラヤ聖者にも匹敵するオドロキだ。(;゜Д゜)!
  
こんな人たちが実在するのなら、まさしく小説よりも奇なり珍なり、摩訶不思議なり・・・。

(つづく)
 
 ←カブレラストーン

スーフィズム3

2011年11月18日 | 東洋思想
    
精神世界関係者には、宗教を嫌っている人が少なくない。キリスト教社会のプレッシャーの中を生きてきた欧米人は、特に敏感。ぺトル・ホボット氏も、「人間を抑圧してきた」という理由で宗教を嫌っている。ただし、そんなホボット氏も、イスラム教は嫌いだけど、スーフィズムは大好きだ。「スーフィズムは、イスラムとは別モノだ」と言っている。

でも、日本人の場合は、通常、子供のころに無理やり聖書を読まされたというような経験がまずないのだから、大人になってからでも聖書を読んで学ぶべきと思われる。筆者も、学生時代には、高名な外人神父の勉強会でカトリック要理を学び、信者なみの素養を身につけたことがある。もっとも、神父に「輪廻転生」の話をしたときは、「謬説デス」(びゅうせつ)の一言で片付けられてしまったが・・・(泣)。
 
それにしても、旧約聖書の神が下す、恐るべき神罰。何かといえば、怒って人間を皆殺しにする。ヤハウェが通った後は、ペンペン草も生えない。これが地球人類の意識に、どれほどの恐怖を植え付けてきたか。神への底知れない恐怖は、本来なら一体であったはずの、神と人間との分離をひどく悪化させた。
 
そんな神への恐怖を乗り越え、神への純粋な愛に変える。そして、究極の神人合一を目指すのが、スーフィズムだ。
 
通常、「スーフィー」という言葉は、「羊毛」を意味するアラビア語の「スーフ」が語源だとされている。粗末な羊の毛皮を身にまとった、禁欲的な修道士のイメージ。いかにも・・・という感じがするけど、「禁欲的な修道生活」というのは、もともとキリスト教の発想とされている。

というのも、預言者マホメットや聖典コーランに、「禁欲的な修道生活」という考え方がないからだ。なにせ、「女は、なんじらの耕作地。自由に耕してよいぞ」とか、「天国には、おいしいヤシの実がなってるぞ」・・・というのが、アッラーのお告げ。イスラム教というと、「戒律に縛られる厳格な宗教」というイメージを持つ人が多いけど、それは欧米の文化に対する反発で過激になってるのであって、本来はそこまで厳しくない。むしろ、南国的なおおらかさが感じられる。

コーランは、「慈悲深く慈愛あまねきアッラーの御名において」で始まる。二言目には、「愚かな人間も悔い改めれば許してくださる、アッラーの寛大さ」が強調される。もちろん、怒ると厳しい神罰を下すけど、ユダヤ教やキリスト教の神様は、もっと強烈に厳しい。それに比べたら、ずいぶん優しい神様だ。

東ローマ帝国の長い治世のおかげで、昔は、今のシリアやエジプトあたりまでキリスト教が広がっていた。キリスト教の修道士たちは、神の裁きを恐れるあまり、囚人服みたいに羊毛を巻き付けただけの地味な姿で、おとなしく引きこもっていた。その影響で、スーフィーたちは羊毛を身にまとうようになった。

一方、スーフィーが数珠を持って勤行するのは、インドからの仏教の影響とされている。今でいうアフガニスタン・パキスタンにかけての地域には、仏教が広まっていた。三蔵法師が孫悟空を連れて向かった仏教の本場、「ガンダーラ地方」というのは、そのあたりを指している。
 
そんな具合に、東西の文化の十字路である中東には、世界のあらゆる思想が流れ込んでいる。昔の日本に例えれば、京都や大阪みたいなものだ。世界中から、あらゆるものが流れ込んで、またすべてが流れ出す。中東というのは、そういうところだった。

つまり、イスラム教が登場する以前は、キリスト教や仏教が、今よりもずっと広がっていた。イスラム勢力は、それをみんな押しのけて、イスラム一色に染め上げてしまった。なぜ、そうなったのか。神の意思は、被造物たる人間には計り知れない・・・。でも、コーランという神の啓示に、それだけの魅力があったのは確かだ。
  

スーフィズム 2

2011年11月18日 | 東洋思想
 
スーフィズムは、神と一体化して自我を無にする、信仰の最も純粋な形。10世紀イランのスーフィズムの聖者・ハッラージは、神と一体化するあまり、「われは神なり」と発言して、物議をかもすこととなった。
  
もっとも、物議をかもしたのは、この人だけではない。大勢のスーフィーが、異端思想を唱えたカドで宗教裁判にかけられ、刑場の露と消えていった・・・。

でも、死刑になっても、スーフィーはやっぱりスーフィーだ。中には、すでにアセンションしてしまった人もいるから、死刑になっても平気。「全身を切り刻まれる酷刑」で処刑されたにもかかわらず、まったく平然としていたスーフィーもいた。
 
この件に限らず、古来からスーフィーには、摩訶不思議なエピソードが多い。

スーフィズムの起源として、「エジプトの死者の書、ゾロアスター教、マニ教、ヒンドゥー教・・・といった神秘思想を、イスラム教に取り込んだ」と見る向きは多い。
 
でも、スーフィーたち自身は、そう思っていない。スーフィズムは、預言者マホメット自身に起源があると考えている。いわば、正統派とスーフィズムが、同じコインの裏表のように、預言者から流れ出してきたと考えているのだ。

というより、彼らとしては、そもそも「預言者マホメットから始まった」とさえ考えていない。それは、旧約聖書の創世記で活躍する、アブラハムから始まったのである。正確には、その起源は人類の始祖・アダムにまでさかのぼる。でも、直接にはアブラハムから始まった。そして、モーゼとイエス・キリストという2大預言者を経て、マホメットが最終預言者として登場したのだという。

もともと、キリスト教の新約聖書と違って、コーランには、これらの預言者たちの流れを語る歴史的な話が多い。読み物としては、コーランのほうが断然おもしろいのは確実だ。

とはいうものの、イスラム教にナジミがある人は、日本には少ない。でも、インターネットのおかげで、今は慣れ親しむのによい題材がある。それは、Youtubeでコーランの読誦を聞くことだ。子供がやってるのもある。やっぱり、イスラムといえば、これだ。筆者は耳から入るタイプなので、これがあるから、イスラム教がこんなに好きなのである。

というより、純粋に聖典・コーランが好きなのだ。まあ、読んでも、聞いても、これほど心が安らぐ宗教書は他にないだろう。

以前、霊感が強い人に「自分が地球に生まれたのは、これが初めてだ」という話をしたところ、「いや、さすがに初めてではない。前世はアラブかペルシャあたりにいた」と言われたことがあるので、実はそうなのかもしれない。
  
以前、船井会長は講演で「私は、精神世界については世界一くわしいんじゃないかと言われている」と豪語していた。一方では、「聖書や仏典は読んだことがない。読む必要がないからだ」ともよく言っている。たしかに、聖書や仏典を読まなくても、精神世界を探求するのに支障はないかもしれない。でも、精神世界に「世界一くわしく」なりたいのなら、せめて、コーランは読んでおくべきだろう(笑)。
 
抜群に教養が高かったわけではなく、詩人でもなかった預言者マホメットの口から、流れるように音楽的なコーランの詠唱が出てくるのを見て、当時の人々はその奇跡に驚き、皆が本物の神の啓示とただちに確信した。コーランは、詩であり、音楽でもある。「コーランは、アラビア語に限る。他の言語に翻訳したものは、本当のコーランではない」とされるのは、そのためだ。
 
ただし、日本には、巨匠・井筒俊彦による名訳(岩波文庫)がある。これは、世界的にも評価が高いらしい。巨匠の名著といえば、「マホメット」(講談社学術文庫)。最近は、預言者を「ムハンマド」、聖典を「クルアーン」と表記するのが流行なのだが、オールドファンの筆者には、どうもナジメない。やっぱり、「マホメット」に「コーラン」だ。これに限る(笑)。
  

スーフィズム

2011年11月18日 | 東洋思想
   
スーフィズム(イスラム神秘主義)は、あらゆる神秘思想の中の最高峰に位置している。

預言者マホメットが登場してイスラム教が始まったのは7世紀前半のこと。当時は、キリスト教がヨーロッパだけでなくシリアやエジプトにも勢力を広げ、世界の宗教界を統一しそうな勢いだった。なんといっても、それはローマ帝国のおかげ。キリスト教を国教としていた、この古代の超大国のおかげで、キリスト教はすっかり世界の宗教界のデファクト・スタンダードになっていた。

このままでは、本当に世界の宗教は、キリスト教一色に染め上げられてしまいそうだった。そんな中にイスラムが登場して、広大な文明世界を一気に制覇し、世界最大・最強の宗教の座についた。世界宗教になり損ねたキリスト教は、ヨーロッパという一地域だけの宗教になってしまった。

どうしてそうなったのかは、被造物である人間には、うかがい知れない。、どういうわけか、創造主は、キリスト教が世界の宗教界を統一することを望まず、代わりにイスラム教を地上に下されたのだ。

イスラム教というのは、とても単純なのが特徴だ。唯一の神アッラーを信仰した者は、天国で安楽に暮らせる。信仰しなかった者は、火炎地獄に投げ込まれる。もちろん、戒律その他がいろいろあるけど、基本はそれに尽きる。

無数の民衆の心を一気にとらえたのは、単純なのが最大の要因だろう。でも、一般人はそれで満足かもしれないが、インテリは一筋縄でいかない。それが世の常というものだ。
 
当時の知識人の多くは、アリストテレスやプラトンを始めとする、ギリシャ哲学に引きつけられていた。コーランのお告げは、彼らにとっては単純すぎる上に、矛盾が目につくものだった。「イスラムを信じない者は地獄に堕ちるというが、イスラム登場以前に死んだ人は、みんな地獄に堕ちたのか?」、「コーランは、あるところでは、神が天地創造したときは何も無かったと書いてあるのに、別のところでは、天地創造前に神は玉座に座っていたとある。何もなかったのか、玉座はあったのか、どっちなのだ?」・・・とかなんとか、およそ考え得るあらゆるツッコミが、たちまち殺到した。
 
ついには、イスラム帝国の教皇までが、ギリシャ哲学にハマッた。首都バグダッドに「知恵の館」を建てて、ギリシャ語文献の翻訳を国家事業として推進し、せっせとギリシャの科学と哲学を広めたのだ。その後、アラビアやペルシャには大哲学者が次々に出て、哲学が大きく発展した。
   
でも、数千年の文明の歴史を持つ中東に脈々と流れていたのは、哲学だけではなかった。ここは、エジプトの死者の書、シュメール神話、ゾロアスター教、マニ教・・・と、神秘思想には事欠かない地域でもあったのだ。普通の宗教じゃ飽き足らない人たちは、この神秘思想にも流れ込んだ。
 
早い話が、イスラム世界では、宗教に加えて、哲学と神秘思想が3本柱を成し、お互いに影響し合い、絡み合いながら思想の歴史を作ってきたのである。偉大なるイスラム神秘思想家の多くは、哲学者でもあった。だから、底が深い。
  
例によって前置きが長くなり、どっちが前置きか本題なのか分からなくなってしまったが、「イスラム神秘思想」が本日のテーマ(笑)。
 
スーフィズム(イスラム神秘主義)こそは、神秘思想の最高峰。スーフィズムをやってる人を「スーフィー」と呼ぶのだが、おそらく現代のスピリチュアリストは、結構な割合で、前世は中東でスーフィーをやってた人たちなのではないかと筆者は推測している。たとえば、「神の使者」のゲイリー・レナード氏あたりは、考え方に、どうもスーフィズムと通じるものが感じられる。おそらく、前世はスーフィーだったのだろう。

日本人にとって、中東は「遠くて遠い地域」だ。イスラム教に対する関心は、日本では極めて低い。「古今東西の宗教の見本市」とされる日本だが、イスラム信者はほとんどいない。だから、スーフィズムの本も、日本には滅多にない。

もっとも、ジャラールッディーン・ルーミーを初めとするスーフィズムの聖人の名は、欧米ではかなり知られている。元エハン・デラヴィ氏も、ルーミーの神秘思想詩に傾倒する一人。エハン名で出した最後の本は「ルーミー」だったが、エハン引退記念講演で「この本は売れてません」とボヤいていた。こればっかりは仕方がない。いくら宗教好きな人でも、日本人にとってイスラム思想の話は、よほどのマニアでもない限り、まずピンと来ないのが普通だ。本ブログでも、この話題をなるべく持ち出さないようにしていたのは、そのせい(笑)。
 
でも、神秘思想の最高峰であるスーフィズムを知らないのは、本当はもったいない・・・。