☆ 60年間妻として絶えず意識したこと
そして今、私達の結婚60周年の記念日、私の誕生日の11月に先駆け
て、少し早い10月下旬に、夫と二人でハワイへ行くことにした。
7月初めにすべてその手続きは終わったが、夫は5回目、私は9回目の
ハワイ行きだが、個人旅行で二人だけで行くのは初めてだ。
何とも頼りない私が認知症の夫を同伴するのは、それなりの覚悟がいる
かも知れない。ホテルは10年前金婚式をやったオアフ島シーサイドにある
「シェラトン・ワイキキ」。ある旅行社の「クラス1」で依頼したので、オー
シャンフロントの部屋も、飛行機の座席の位置もすべて確保できた。
※1982年初めてフラダンスのレッスンに行ったハワイ
世界的にみても、金婚式をできるカップルは30%足らず、ましてダイア
モンド婚に至っては、そのデーターはないそうだ。
一番弟子のT子さんが、こんなステキなメールをくれた。
「そんな運命の人に出会え一生添い遂げるなんて、結婚したカップルの中
でもごくまれな選ばれた方だと思います。これからも末長くお幸せに!」
確かに私達は、とても幸せなカップルなのだ。
思い出せば知り合った当時二人とも、もしかしたら結婚するかもしれない
交際相手がいた。不思議なことに慎重な夫なのに、私と知りあった翌日に
その交際相手に別離を告げたそうだ。これから一体どんな展開になるか
まったく分からないのに…しかし私はそう簡単にはいかず、そのためその
頃恋人だった夫をさんざん悩ましたようだ。
いろいろあったが、結局結婚できたのは、もしかしたら私達は「赤い糸」
で結ばれていたのかも知れない。
その恵まれた「ダイアモンド婚」の二人で、10年後同じ場所で記念撮影
したかったが、思い出のバルコニーは、今ではチャペルになっていて、残念
ながらそこでは撮れない。いずれにしても、だんだん体力がなくなる私達が
二人だけで海外へ行けるのは、多分ラストチャンスだろう。
ややネガティブ=超ポジティブ。
プロデューサー思考=プレーヤー思考。
コンサーバティブ =プログレッシブ
まるで相反する私達だが、考え方や価値観はかなり似ているので、相性が
良いのか、今まで争ったことは全くと言ってよいほどない。
(私が素直という説もあるが)想定外に家庭的だった私に、もしかしたら
夫は嬉しかったのかも知れない。それなのにそんなホンネは、まったくおくび
にも出さなかった。でも、15年目の結婚記念日に「絶対に悪妻になると
思った、でもこんな良い女房になるとは思わなかったよ」と、初めて
言った。それはもしかしたら、長年の餌ずけ(ナイショ)が良かったの
ではないかと思っている。何時も保護者のような夫に、私は絶えず意識
したのは、たとえどんな場面でも「夫のプライドを満足させる妻でいたい」
と心がけたことも、きっと役立ったのだろう。
彼は決してやさしい方ではなく、感謝や労いの言葉はあまりなかったが
子ども達も呆れるほど、何故か私には限りなく甘かった。
私好みのインテリではなかった。でも、いつも穏やかで、家庭的、誠実
で心から尊敬できたので、子供達にバカにされていたほど、ヤンチャで我儘で
幼児性の強い私だったが、長年連れ添えたのだと思っている。
自由に行動している私を見て、友人達は夫を「ちょっと神様」と言って
からかったほどで、妻としてはとても感謝しきれないほどだ。
もしも夫のおおらかさと、サポートがなかったら、現在の小池能里子は
存在していない。最後のリッチなハワイ旅行は、決してカーテンコールは
ないが、10年間がんばった自分自身への、感謝の気持ちをこめた
「ラスト・ステージの幕引き」の、プレゼントの花束でもある。
そして今、私達の結婚60周年の記念日、私の誕生日の11月に先駆け
て、少し早い10月下旬に、夫と二人でハワイへ行くことにした。
7月初めにすべてその手続きは終わったが、夫は5回目、私は9回目の
ハワイ行きだが、個人旅行で二人だけで行くのは初めてだ。
何とも頼りない私が認知症の夫を同伴するのは、それなりの覚悟がいる
かも知れない。ホテルは10年前金婚式をやったオアフ島シーサイドにある
「シェラトン・ワイキキ」。ある旅行社の「クラス1」で依頼したので、オー
シャンフロントの部屋も、飛行機の座席の位置もすべて確保できた。
※1982年初めてフラダンスのレッスンに行ったハワイ
世界的にみても、金婚式をできるカップルは30%足らず、ましてダイア
モンド婚に至っては、そのデーターはないそうだ。
一番弟子のT子さんが、こんなステキなメールをくれた。
「そんな運命の人に出会え一生添い遂げるなんて、結婚したカップルの中
でもごくまれな選ばれた方だと思います。これからも末長くお幸せに!」
確かに私達は、とても幸せなカップルなのだ。
思い出せば知り合った当時二人とも、もしかしたら結婚するかもしれない
交際相手がいた。不思議なことに慎重な夫なのに、私と知りあった翌日に
その交際相手に別離を告げたそうだ。これから一体どんな展開になるか
まったく分からないのに…しかし私はそう簡単にはいかず、そのためその
頃恋人だった夫をさんざん悩ましたようだ。
いろいろあったが、結局結婚できたのは、もしかしたら私達は「赤い糸」
で結ばれていたのかも知れない。
その恵まれた「ダイアモンド婚」の二人で、10年後同じ場所で記念撮影
したかったが、思い出のバルコニーは、今ではチャペルになっていて、残念
ながらそこでは撮れない。いずれにしても、だんだん体力がなくなる私達が
二人だけで海外へ行けるのは、多分ラストチャンスだろう。
ややネガティブ=超ポジティブ。
プロデューサー思考=プレーヤー思考。
コンサーバティブ =プログレッシブ
まるで相反する私達だが、考え方や価値観はかなり似ているので、相性が
良いのか、今まで争ったことは全くと言ってよいほどない。
(私が素直という説もあるが)想定外に家庭的だった私に、もしかしたら
夫は嬉しかったのかも知れない。それなのにそんなホンネは、まったくおくび
にも出さなかった。でも、15年目の結婚記念日に「絶対に悪妻になると
思った、でもこんな良い女房になるとは思わなかったよ」と、初めて
言った。それはもしかしたら、長年の餌ずけ(ナイショ)が良かったの
ではないかと思っている。何時も保護者のような夫に、私は絶えず意識
したのは、たとえどんな場面でも「夫のプライドを満足させる妻でいたい」
と心がけたことも、きっと役立ったのだろう。
彼は決してやさしい方ではなく、感謝や労いの言葉はあまりなかったが
子ども達も呆れるほど、何故か私には限りなく甘かった。
私好みのインテリではなかった。でも、いつも穏やかで、家庭的、誠実
で心から尊敬できたので、子供達にバカにされていたほど、ヤンチャで我儘で
幼児性の強い私だったが、長年連れ添えたのだと思っている。
自由に行動している私を見て、友人達は夫を「ちょっと神様」と言って
からかったほどで、妻としてはとても感謝しきれないほどだ。
もしも夫のおおらかさと、サポートがなかったら、現在の小池能里子は
存在していない。最後のリッチなハワイ旅行は、決してカーテンコールは
ないが、10年間がんばった自分自身への、感謝の気持ちをこめた
「ラスト・ステージの幕引き」の、プレゼントの花束でもある。
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