ビビッド能里子トーク・サロン

心身両面の指導者として感じたこと

記憶の彼方から

2015年09月25日 | えっせー
 ☆大学生だった息子からのはがき
 私は何でもすぐ捨てる方だが、子供達の通信簿、絵、作文、子供達とやり
とりした手紙は捨てがたく、まだ随分取ってあった。
 幼稚園の時息子が父の日に「お父さんありがとう」と書いた絵は、実に
へたくそでいつも笑ってしまったが、昨日そろそろ処分しようと整理を
していたら、大学生だった息子が初めて海外から、出したはがきが出てきた。
 いつも乱暴な息子にしては大変キレイな字で驚いたが、確か大学3年の時
の夏休みに、アメリカ、ヨーロッパを巡る3週間のツアーがあり、息子が置い
てあった大学の新聞で私はそれを知った。
 それを見た私は息子に、「社会人になったらこんな長い旅行は絶対に行け
ないから、ママが費用を出して上げるからぜひ行きなさい」と勧めた。

 そのはがきはニューヨーク、サンフランシスコ、パリからだったが、家では
冷房があったのに、大学生が泊るようなホテルには「冷房がないのが常識で
それがちょっと苦しい」と書いてあった。
 都内の各大学から集まった30人位のツアーだったようだが、それはとても
楽しそうな様子が感じられ、また「パパや、ママが一所懸命働いていいるのに
こんな贅沢な旅行をさせてくれて有難う」、と短い文面から感じ取れる部分
がかなりあった。そのはがきと、幼稚園時代の父の日の絵は、4階に住む
息子の家族が見るように階段にそっと置いた。

 私は娘と息子を育てたが、ユニークな私が反面教師だったためか、二人
共まじめで、責任感のある常識的な社会人になってくれた。
 物凄く忙しかった時代、その頃まだ学生だった子供達も、すでに50代
になった。その後もニューヨークは親友と、その後娘や孫とレッスンに
行ったが、思い出が沢山あるし、もう一度行きたい街だ。
 また、サンフランシスコは親友と行ったが、とてもムードのあり思い出深い。
いろいろな国に行った幸せの一つは、ときどきテレビ番組で自分が行った
国の様子が垣間見られ、それらをを見ながら、色々な懐かしい思い出が、まる
で昨日のことのようにまざまざとありありと蘇ることだ。
 今現在の自分と比べてみると、全然我慢しないで、行きたい国のすべて
に行けたのは、夢のまた夢だったような気がしている。


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