【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

ジェームス三木脚本「太陽と月」(青年劇場101回公演)紀伊国屋ホール

2010-04-30 00:53:02 | 演劇/バレエ/ミュージカル

      
              
 時は1934年(昭和9年)3月。場所は南満州鉄道(満鉄)理事、山倉誠二郎(青木力弥)の邸宅(新京[長春])。山倉家の長女、早苗(中山万紀)は婚約者である満州国務院のエリート官僚、吉野日出夫(清原達之)と幸せいっぱいで談笑しています。
 同席しているのは母親(藤井美恵子)と早苗の兄で関東軍将校の房彦(北直樹)、それに早苗の妹千草(中山万紀:二役)。結婚式はヤマトホテル、満鉄の特急アジア号に乗って大連に行こうというわけです。

 ところが数字後、その早苗が土龍山での農民の武装蜂起にまきこまれ、拉致され、行方不明となります。早苗は協和会に勤務していましたが、宣撫活動の最中の出来事でした。心配する家族と吉野。懸命の捜査にもかかわらず、早苗は見つかりません。
 
 それから2年9ヶ月後。家族が半ばその生存をあきらめていたところ、早苗が家に戻ってきます。行き倒れの状態でした。回復を待ちますが、早苗はすっかり別人になっていました。

 早苗は満州国が日本の傀儡国であることを糾弾します。五族協和と言いながら、実態は日本の侵略に他なりません。土龍山事件の指導者、謝文東に洗脳されたに違いないと驚く家族をよそに、早苗はなぜ日本からきた移住者が満州の国籍もたないのか、教育がなぜ日本一辺倒であるのか・・・など、婚約者の吉野を質問攻めにします。最初は、好意的に応えていた吉野もしだいにしどろもどろに。

 警察が早苗の帰還をかぎつけ、出頭するように言います。家族は人が変わった早苗が逮捕されることを懸念し、彼女とそっくりの双子の妹、千草を内地から呼び寄せ、取り繕おうとします。

 事態は急展開。話は思わぬ方向に進んでいきます。

 満州で生まれ育ったジェームス三木さんが満をじして書きおろした作品。国家とはなにか? 満洲国はなんだったのか? そこに生きた人たちはどういう思いで生きていたのか? 虚構の国家のあり方を深く問う真摯な作品です。

 タイトルの「太陽と月」の「太陽」は日本、「月」は満州。しかし、それは立場によって反対にもなりえます。

 


わたしの韓国映画ベスト30

2010-04-28 00:16:12 | 映画
 
 
わたしの韓国映画ベスト30は、以下のとおりです。満足度は5点満点。主観的なものです。ご参考までに。
 
 映画タイトル      満足度      監督            上映年
1 八月のクリスマス      4.8      ホ・ジノ              1998年
2 オアシス               4.6      イ・チャンドン      2002年
3 誤発弾                4.5      ユ・ヒョンモク     1961年
4 マラソン                4.3      チョン・ユンチョル   2005年
5 子猫をお願い       4.2       チョン・シュウン    2001年
6 接続-ザ・コンタクト-  4.0       チャン・ユンヒョン   1997年
6 猟奇的な彼女       4.0       クァク・ジェヨン     2001年
6 ラブストーリー         4.0       クァク・ジェヨン    2003年
6 大統領の理髪師      4.0       イム・チャンサン   2004年
6 春夏秋冬そして春     4.0       キム・ギドク     2003年
12 誰にでも秘密がある 3.8       チョン・ヒョンス    2004年
13 Shuri (シュリ)       3.5       カン・ジェギュ    1999年
13 朴さん                3.5       カン・テジン      1960年
13 荷馬車                3.5       カン・テジン      1961年
13 長雨                 3.5       ユ・ヒョンモク     1979年
13 ノタジ                3.5       チョン・チャンファ   1961年
13 風の丘を超えて       3.5       イム・グォンテク   1993年
19 美術館の隣の動物園 3.4      イ・ジョンヒャン     1999年
19 連理の枝              3.4      キム・ソンジュン    2006年
21 ほえる犬は噛まない  3.2       ポン・ジュノ      2000年
22 Il Male (イルマーレ)  3.0      イ・ヒョウンスン    2000年
22 帰らざる海兵       3.0      イ・マニ             1963年
22 JSA                 3.0       パク・チャヌク    2000年
22 将軍の息子        3.0      イム・グォンテク   1990年
22 情 事                 3.0       イ・ジエヨン      1998年
22 ディナーの後に     3.0       イム・サンス     1998年
22 四月の雪              3.0       ホ・ジノ             2005年
29 おばーちゃんの家    2.5       イ・ジョンヒャン    2002年
29 魚と寝る女         2.5       キム・ギドク     2000年

韓国映画はすばらしい 「子猫をお願い」

2010-04-27 00:32:57 | 映画

いい韓国映画を紹介します

「子猫をお願い(고양이를 부탁해))」2001年)

監督,脚本:チョン・ジェウン,撮影: チェ・ヨンファン 

出演: ぺ・ドゥナ,イ・ヨウォン,オク・ジヨン,他。
       
 女子高校を卒業後,別々の世界に踏み出した仲良し5人組が,不安や悩みを抱えながら懸命に生きていく姿をみずみずしい感性で描いた佳作です。

 韓国では猫を飼う人は少ないとか。この映画で,子猫はある種、マイノリティーでありながら,行動は気ままな女性たちを象徴しているかのようです。夢を持ってはいるものの実力だけが評価される現実社会に直面して挫けそうな女性たち。人生は苛酷だが,若さの特権は,希望をまだ口にできるということです。

 ポイントは4つ。ひとつはテーマです。韓国の現代の若い女性の考え方,生活,夢・希望・悩み・心の葛藤が,誇張なく,自然に描かれ,それらを知るには得がたい作品になっています。

 第2はケレン見なく,表現の過剰さも誇張もないので,監督の計算は隅々まで効いていて,それだけにストーリー全体にも,映像にも無駄がなく,この映画が長編処女作という監督の力量に感心させられました。

 第3に,若い人の必須のコミュニケーション手段である携帯電話が効果的に使われています。またタイプライターを叩くとハングル文字が机の側面に打ち出されてくるシーンがあり,工夫が随所に見られます。

 最後に,登場する俳優の表情,演技のすばらしさです。監督の計算,工夫に見事に応え,映画全体に独特の緊張感を与えることに成功しています。

 舞台はインチョン。港の埠頭。満面の笑顔,はちきれるエネルギー,無邪気にはしゃぎながら5人の女子高生がカメラにおさまろうとしています。ヘジュ,テヒ,ジヨン,ピリュとオンジョの5人。彼女たちは,女子商業高校時代の本当に仲のいい友達でした。

 卒業してから,彼女たちはどう変わっていくのでしょうか? それは観てのお楽しみです。

サモセット・モーム原作「2人の夫とわたしの事情」渋谷BUNKAMURA

2010-04-26 00:52:07 | 演劇/バレエ/ミュージカル

                 
  渋谷のシアター・コクーンで、シス・カンパニーの「2人の夫とわたしの事情」の好演が行われています。原作はサモセット・モーム。1919年の作品("Home and Beauty")です。演出・上演台本はケラリーノ・サンドロヴィッチ(翻訳:徐賀世子)

  配役は、主演のヴィクトリアに松たか子さんです。彼女は妻役なのですが、夫のウィリアム・カーデュー少佐[愛称はビル]は戦死して未亡人。しかし、一年の喪をへて、ビルの友人、フレデリック・ラウンズ少佐[愛称はフレディ]と再婚しました。

 ところが戦死したとばかり思っていたビルが奇跡的に帰還したのです。ビルは家に戻ってくるなり、そこに居たヴィクトリア、フレディと感激の対面をします。ビルは最初、何も疑っていませんが、再婚を隠しおおせるものではありません。

 ふつうならここで元夫と現夫とはいがみあったり、嫉妬したりで、この三角関係は破局するのですが、この舞台ではそうならないで、なんとふたりはヴィクトリアを押し付け合うのです。予想外の方向にストーリーは進んでいきます。あの美貌と容姿端麗な松たか子さんから二人は逃げたくてしかたないというのですから、ここは目が離せません。

 そこから発展して、舞台は大騒ぎになります。他にもヴィクトリアに心を寄せているレスター・ペイトンという怪しげな男が出てきます。ビルともフレディとも離婚して、このレスターとの再度の再婚になりそうになり、そこに弁護士が出てくるのですが、この男の会話と演技が傑作で、後半の舞台をぎゅっとひき締めました。

  松たか子さんは、おちゃめで、わがままで、おきゃんな女性を魅力たっぷりに演じています。ますます舞台女優としてみがきがかかった演技です。

 ビルを演じたのは段田安則さん。中年の男の味をだしています。再婚相手のフレディには渡辺徹さん、とぼけた演技、ユーモアたっぷりの演技です。新橋耐子さんはシャトワール夫人役で、あいかわらずの渋く、諧謔的です。

 久々に仕事を忘れて、愉快ないい時間をもてました。


広田照幸・川西琢也編『こんなに役立つ数学入門-高校数学で解く社会問題』筑摩書房新書、2007年

2010-04-24 01:24:05 | 自然科学/数学

            こんなに役立つ数学入門(筑摩書房)



 高校数学の学習指導要領には、数学の授業の目的のひとつとして「事象を数学的に処理する能力を高める」ことも掲げられてます。しかし、高校の授業でそのようなこと場面に直面することはまずありません。

 この本は、「格差」「選挙」「松枯れ」「地震」「環境問題」の研究に高校数学が活用される事例を、わかりやすく説明し、数学の有効性と面白さをうまく伝えています。

 学歴による格差問題では、「賃金構造基本調査」のデータを使って生涯賃金の計算が「定積分」で解かれています(付録にExcelでの解法がある)。選挙の仕組みを解き明かしている章では、「得票率と議席率」との関係が三乗法則で説明されています。格差問題を解明している章では、対数、微分係数が使われています。

 また、松枯れの元凶であるマツノマダラカミキリ(マツノザイセンチュウを媒介する)を退治するために、カミキリの初発日の推定がなされるようですが、その際の有効積算温量の計算に使う数学は三角関数、積分だそうです。

 さらに、地震の性質、大きさ、頻度、発生周期には、常用対数、確率が、環境問題には二次方程式、微積分、数列、因数分解が活用されるとのこと。

 著者はみな大学の教員ですが、みながみな数学をそんなに得意としていたわけではなく、あるときから、あることを切っ掛けに開眼し、自分を磨いていった人たちです。

 高校レベルの数学が実際の社会問題の分析やその解決に積極的に使われ、有効であることが丁寧に、分かりやすくかかれていて、非常に参考になりました。



山田洋次監督「おとうと」松竹、126分

2010-04-23 00:33:10 | 映画

               おとうと <豪華版2枚組> [DVD] 

 過日、山田洋次監督「おとうと」を観映しました。「おとうと」という映画といえば、幸田文原作に忠実な市川昆監督の同名の映画があります。(山田監督自ら、市川昆に捧ぐと書いています)

 今回の「おとうと」はストーリーそのものは原作と異なりますが、アイデアとして幸田文の原作が使われています。

  東京の郊外で、夫と死別したあと小さな薬局の経営で生計をたて、一人娘の小春を育てあげた吟子。小春は若い医者と結婚式を控えています。

 吟子には風来坊の弟がいました。名前は鉄郎。大阪に住んでいるらしいのですが、音信普通です。小春の結婚式によぼうにも、連絡がとれません。

 結婚式当日、鉄郎は予告なく式場に現れます。鉄郎はかつても吟子の夫の十三回忌でも、酔っ払って大暴れした前科者でした。吟子は鉄郎に仕方なく急きょ席を設けます。今日は一滴もお酒を飲まないと約束させます。ところがテーブルのお酒を目にした鉄郎はアル中の症状がでたのか、我慢できず杯を重ねてしまいます。挙句の果ては酔っぱらって、またしても大騒ぎ。披露宴を台無しにしてしまいます。

 吟子の兄は激怒、披露宴のあと、絶縁を宣言します。鉄郎をかばうのは吟子だけでした。しかしその吟子も、後日、鉄郎と関係のあった女との借金のトラブルで鉄郎に絶縁を言い出してしまいます。肩を落として吟子の家を出ていく、鉄郎に彼女は不吉な予感を覚えるのでしたが・・・・。

 他方、小春は新婚生活がうまくいかず(鉄郎の披露宴での悪さも暗に影響しています)、結局、離婚ということになってしまいました。

 吟子の直観はあたりました。鉄郎が癌で倒れたのです。切っても切れない姉と弟の絆。吟子は病床の鉄郎に見舞いに大阪に駆けつけます。小春も彼女にほのかな愛情を注ぐ幼なじみで大工の亨の運転する車で鉄郎のもとにはしります。

  姉の吟子に扮するのは、吉永小百合さん。愚かな、しかし愛すべき(?)弟の鉄郎には、笑福亭鶴瓶さん。吟子の娘、小春には蒼井優さん。大工の亨役には、加瀬亮さん。また、絶妙な間合い好演した吟子の義母には加藤治子さん。、他に小日向文世さん、石田ゆり子さん、笹野高史さん、森本レオさん、キムラ緑子さんなどみなさん味を出していました。


橋本五郎・読売新聞新日本語取材班『新聞社も知りたい日本語の謎』2010年

2010-04-22 00:30:11 | 言語/日本語
            
            
 

読売新聞で2002年5月から連載された「新日本語の現場」から、「方言の今」「方言の戦い」「マニュアル」のサブタイトルをもった記事を抜き出してまとめた本です。

 日本語が変化しつつあるという認識のもとに、大手新聞社がもつ全国展開の支社の存在という強みをいかし、実施した総・支局調査の成果が開陳されています。

 マクドナルドが「マック」と省略される地域(東日本、中国、四国、九州のほとんど)もあれば、「マクド」という地域(近畿6県、徳島県)もあります。

 「今川焼き」が「大判焼き」になったり、「回転焼き」になったり。野菜は「煮る」のか、「炊く」のか? ご飯は「よそう」のか、「つぐ」のか? 整理整頓を「かたずける」と言うのか、「なおす」と言うのか? 一番最後のことを「ビリケツ」と言うのか、「ゲッパ」と言うのか?

 ウンウン納得、エーそんなふうに言うの、と合点したり、驚愕したりでページがめくられていきます。話題満載です。

 わたしの個人的な経験ですが、北海道では「紫蘇(シソ)」と呼んでいるものが、東京では専ら「大葉(オオバ)」といって売られています。かと思えば、ワイシャツがカッターシャツという地域もあるそうですが、これは「勝ったシャツ」の駄洒落に由来しているそうです。その理由がちゃんと説明してあります。得難いです。

 方言といえば、関西弁が今、テレビなどのお笑い番組の盛況ぶりで全国展開しています。本書はその分析も行っています。古くは「バカ」と「アホ」との語感の違いが有名ですが、ここでは若者の携帯電話に使われる関西弁についても細かな言及があります。

 「マニュアル」の個所では、日本語でわかりやすく伝えるにはどうしたらよいか、どんな日本語がわかりやすいと言えるのかについて、またPCや携帯電話の取り扱い説明書の難解さ、分りにくさ、それではどうしたら分りやすくなるのか、についての考察があります。

 まことに日本語というものは難しいものです。このような議論は、外国の言語にもあるのでしょうかか??

渡辺美佐子『ひとり旅 一人芝居』講談社、1987年

2010-04-21 00:24:11 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
             
             
 
NHKのラジオ深夜便で女優が代り番で自分の人生を語っていますが、つい最近、渡辺美佐子さんが登場していました。そこで紹介されたのがこの本です。

 著者の生の声によると、この本はお母さんのために書いたのですが、出版されたときお母さんは入院していて、病室にこの本をもっていったのだけれど、看護婦さんが面白そう、ともっていってしまいました、翌日、美佐子さんが本を読んであげようと再び病院にいったところ、母は他界してしまい、ついにこの本の内容を伝えそこなった、といようなことを語っていました。

 さらに本書で書きたかったことは、戦争の経験、とくに小学校の頃、心をよせていた男の子が広島に疎開して被爆したこと、人探しのあるTV番組で彼を探してもらったのだけれど、そこで男の子のご両親と対面し辛い思いをしたことだったとのことでした。

 早速、本書を取り寄せて読了しました。幼児の体験、姉と兄のこと、戦争体験、偶然に入ることができた俳優座のこと、好きな海外一人旅(ソ連、インド、スペインなど)、結婚と出産のことなど興味深く書かれています。とくに一人芝居、「化粧」がスタートし、600回ほどの公演、その過程での脚本家井上ひさしさん、演出家木村光一さんとのコミュニケーションが印象に残ります。

 最初は(1982年)6人の女優の6本の一人芝居のひとつで、一本45分。それが3本づつ、二日間にわたって演じられたらしいです。6本のうち「化粧」が独立し、2幕ものと長くなり、今では日本の一人芝居の代表的作品となりました。

 美佐子さんは、今年78歳。最後の「化粧」公演が4月末から5月上旬にかけて、「ザ・高円寺」で開催されます。

『週刊:20世紀シネマ館 1961年』講談社

2010-04-19 00:41:36 | 映画

                     

 本号では、1961年に日本で公開された下記の5作品がメインで紹介されています。「日曜はダメよ」のみ未見です。「ティファニーで朝食を」は、音楽から入りました。大学入学したころに、大学の書籍部でこの作品で有名になった音楽「ムーン・リバー」に出会い、その頃の解放された気分が手伝って、好きになりました。映画「ティファニーで朝食を」は、おしゃれな作品です。オドリーが輝いている作品です。

 「ウエスト・サイド物語」は音楽とともに、ダンスで一世を風靡しました。躍動感のある映像、大胆な振り付け、ミュージカル映画の金字塔です。ストーリーはかなり深刻ですが・・・。ニューヨークの下町、イタリア系不良少年グループとプエルトリコ系のグループとの対立。マリアとトニーの愛、シェークスピアの演劇的なところもあります。アカデミー賞10部門に輝いた名作です。

 「草原の輝き」も忘れられない作品のひとつです。タイトルはワーズワースの詩に由来しています。(草原の輝く/花の栄光/再びそれは還らずとも/なげくなかれ/その奥に秘めたる/力を見出すべし)。主人公が教室でワーズワースのこの詩を朗読します。愛と性のモラルに悩む青春の軌跡、ナタリー・ウッドとウォーレン・ビーティが好演です。

 「荒野の七人」は黒沢明監督の「七人の侍」の翻案です。7人のガンマンが悪と戦う西部劇です。
内容紹介

1.「ウエスト・サイド物語」(ロバート・ワイズ、ジェローム・ロビンス監督、ナタリー・ウッド、ジョージ・チャィリス主演)
2.「ティファニーで朝食を」(ブレイク・エドワーズ監督、オドリー・ヘップバーン主演)
3.「荒野の七人」(ウェイリアム・ロバーツ監督、ユル・ビリンナー、スティーヴ・マックウィーン主演)
4.「日曜はダメよ」(ジュールス・ダッシン監督、メリナ・メルクーリ主演)
5.「草原の輝き」(エリア・カザン監督、ナタリー・ウッド、ウォーレン・ビーティ主演)


◆ 銀幕の主人公たち ナタリー・ウッド この年の日本映画 『用心棒』

<読み物>
・ウエスト・サイド物語[監督物語]映画界に一大旋風を巻き起こした、2人の巨匠
・ティファニーで朝食を[映画音楽]時代を超えて親しまれる名曲「ムーン・リヴァー」
・荒野の七人[監督物語]名匠フォードの後継者として、西部劇を支えたスタージェス
・日曜はダメよ[映画音楽]ギリシアの民族楽器ブズーキを世界に知らしめたハジダキス
・草原の輝き[俳優物語]監督・製作の才能も光るウォーレン・ビーティ


鬼河童 (京都)

2010-04-17 00:27:09 | 居酒屋&BAR/お酒

京都市下京区小路町690-6-2 Tel.075-344-8006

               

  京都駅から徒歩で5分ほど、新阪急ホテルの裏側の一角にあります。このあたりは目立たないながら、いくつか面白そうなお店があり、京都から東京まで帰る間際に、軽く一杯というときに便利です。便利なだけでなく、並んでいるおばんさいに個性があり、すっかり腰をおちつけてしまうということにもなりかねません。

 3月末の京都・奈良小旅行の最終日、平等院から京都駅まできて、レンタカーを返して、ここに入りました。予定した「のぞみ」に乗車するまでの2時間ほどです。

 まず入口が変わっています。戸口から入るとずっと路地ではないけれど、そのように奥行きのある細い道を少々進み、そこからお店本体に入るというつくりになっています。一階はカウンターで8席ほど。照明をおとしているので雰囲気があります。二階もあるのですが、そこには入ったことはありません。宴会用なのでしょうか、ワイワイガヤガヤしています。

 メニューは豊富です。「もち豚とふともやしの蒸篭むし」「どらえもんのチーズ焼き」「九条ねぎのだし巻」「さけのはらすの塩焼き」「開き鯵の塩焼き」「さんまのみりんぼし」「海老のマヨネーズ炒め」、数えあげればきりがありません。

 ビール、日本酒、焼酎とひととおり味わって、新幹線に乗りつけました。東京着は午後10時半ごろでした。お疲れ様でした。


小川洋子『薬指の標本』新潮文庫、1998年

2010-04-16 00:34:48 | 小説
                                                      
                         
  「薬指の標本」「六角形の小部屋」の2作品がおさめられています。

 「薬指の標本」は、清涼飲料水を作る工場にかつて勤めていて、そこで事故で左手の薬指の先を失った主人公が標本をつくる仕事を行っている標本室に再就職。そこは楽譜に書かれた音、愛鳥の骨、火傷の傷跡など、人々が思い出の品々の標本化を依頼しにくるところです。

 不思議なことにここで勤めた過去の職員はいつのまにかいなくなってしまっているとの噂がたっていました。

 「わたし」は、ある日そこの室長であり、標本技術士である弟子丸氏に、足に見事にぴったり合う靴をプレゼントしてもらいます。室長と「わたし」は仄かな恋愛関係に陥ったのでした。愛鳥の骨の標本を依頼しにきた靴磨きの男は、「わたし」に靴を脱がないとくかいするよと忠告してくれたのでしたが、「わたし」はそれを脱ぐ気にはなれません。忠告は見事にあたったかのようで・・・。「わたし」は・・・。

 不思議なアンニュイな気だるさも漂う小説です。何とフランスで映画化されたとか。

 「六角形の小部屋」も奇妙な非現実感がたちこめた小説です。主人公はまたしても「わたし」。スポーツクラブのプールの更衣室で偶然に出会った老夫人とミドリという女性。「わたし」は医科大学の事務員で、そこの若い医師と恋愛関係にありましたが、今では破綻しています。

 背骨が痛むこのごろ。そんな時にこの二人の女性に出会ったのでした。最初の出会い以降も何度も偶然に合います。ある時、スーパーでまたふたりを見かけました。

 「わたし」は知らず知らずにふたりを尾行すると、「社宅管理事務所」にふたりは入っていきました。「わたし」もそこへ入っていくと、若い男の人、ユズルがいて、そこには六角形の小部屋があり、語るだけの小部屋と言われていました。

 「わたし」はそこに入ってみることに。問わず語りで「わたし」は過去のことを話し始めたのですが・・・。「わたし」は何度もこの小部屋に通いはじめます。

 しかし、語りの小部屋は解体され畳まれて別の場所に移動することを常とし、その日が近づいていました。

中野京子『怖い絵③』朝日出版社、200年

2010-04-14 00:35:55 | 美術(絵画)/写真
          
            

  テーマである恐怖について、著者が書いている部分があります。すなわち「『恐怖』は烈しい情動反応であって、基本的には『死』『未知』『喪失』『苦痛』『狂気』などに対し、誰もがひとしなみに感ずるものが、それとは別に、選れて個人的な恐怖も存在する。他人には理解不能な、その人だけの恐怖、稀には本人さえ理由のはっきりわからない、それだけに逃れようのない底なしの恐怖がー」と(p.164)。

 絵の見方がまるっきり変わってしまったのがミレーの「晩鐘」です。ミレーその人の理解も含めて、通説的理解のお粗末さを知りました。

 ダリの突飛にさえ思える解釈を援用しながら、敬虔で宗教的な「晩鐘」という絵の含意を暴きだし、清貧の画家ミレーの実像を日のもとにさらしています。

 同じようにブリューゲルの「ベツレヘムの嬰児虐殺」にまつわる事実にも驚かされました。ブリューゲルが描いた宗教的テーマをもつ絵が、何者かによって書き換えられ、それがブリューゲルその人の作品として出回っていたとは・・・。それは画家に対する冒瀆以外のなにものでもない、と著者は書いています。確かに書き換えによって凡庸な絵になりさがってしまっています。本当はそれを見抜けなければいけないのですが。

 その他、本書でとりあげられている作品は以下のとおりです。
・レンブラント「テュルブ博士の解剖学実習」
・ピカソ「泣く女」
・ルーベンス「パリスの審判」
・エッシャー「相対性」
・カレーニョ・デ・ミランダ「カルロス二世」
・ベラスケス「ラス・メニナス」
・ハント「シャロトの乙女」
・フォンテーヌブロー派の逸名画家「ガブリエル・デストレとその妹」
・ベックリン「死の島」
・ジェラール「レカミエ夫人の肖像」
・ボッティチェリ「ホロフェルネスの遺体発見」
・ブレイク「巨大なレッド・ドラゴンと日をまとう女」
・カルパッチョ「聖ゲううオルギウスと竜」
・ドラローシュ「レディ・ジェーン・グレイの処刑」
・ホガース「精神病院にて」
・ヴェッロッキオ「キリストの洗礼」
・ビアズリー「サロメ」
・ファン・エイク「アルノルフィニ夫妻の肖像」。

 あまり知らない画家の絵を、最高のキュレーターの解説で、たくさん観せてもらいました。著者に感謝。

中野京子「怖い絵3」朝日出版社、2009年

2010-04-13 00:35:28 | 美術(絵画)/写真
        
         


 著者による「怖い絵」シリーズの3冊目です。「怖い絵」の2と3とを注文していたのが3が先にきたので、こちらから読むことにしました。

 「怖い絵」1と同様、怖さにはいろいろな質がありますが、いずれにしても怖い絵がズラリと並んでいます。
・ボッティチェリ『ヴィーナスの誕生』
・レーピン『皇女ソフィア』
・伝レーニ『ベアトリーチェ・チェンチ』
・ヨルーダンス『豆の王様』
・ルーベンス『メドゥーサの首』
・シーレ『死と乙女』
・伝ブリューゲル『イカロスの墜落』
・ベラスケス『フェリペ・プロスペロ王子』
・ミケランジェロ『聖家族』
・ドラクロワ『怒れるメディア』
・ゴヤ『マドリッド、1808年5月3日』
・レッドグレイヴ『かわいそうな先生』
・レオナルド・ダ・ヴィンチ『聖アンナと聖母子』
・フーケ『ムーランン聖母子』
・ベックリン『ケンタウロスの闘い』
・ホーガス『ジン横町』
・ゲインズバラ『アンドリュース夫妻』
・アミゴーニ『ファリネッリと友人たち』
・アンソール『仮面にかこまれた自画像』
・フュースリ『夢魔』。

 つくづく感じたのは著者の絵を観る目の確かさ、詳細さ加減です。ケンタウロスの闘いの様の記述などは、この奇怪な動物の闘争の凄まじさが伝わってくる描写です。どの絵についても、絵そのものを観て、わたしの気がつかなかったものが、著者の記述で振り返ってみると、実はしっかり書かれている、ことに気づかされることばかりでした。

 一例をあげれば、皇女ソフィアが監禁された部屋の右手にある開閉できない窓の外に見えるのはソフィアの味方だった銃兵隊長の首つり死体だったとは・・・(p.25)。確かに見えます。

 ホガースのジン横町に描かれている人間についての著者の指摘も微に入り細に入りで勉強になります。解説も面白いです。

 アミゴーニ『ファリネッリと友人たち』では去勢歌手であるカストラータの役割と背景に関する考察があり、得がたい情報でした。

鬼無里(きなさ) 奈良

2010-04-12 00:38:56 | グルメ

 奈良県奈良市角振新屋町10 パーキング奈良 2F

               

 奈良で夕食をとったお店です。奈良駅の前の三条通りを小西さくら通りまでまっすぐ進み右に折れると左手にあります。ややわかりにくいですが、捜しだそうという強い気持で捜すと見つかります。駐車場の2階です。

 お店の名前は長野県にある鬼無里村からとったとか。この村の大きなポスターがお店のなかにはってありました。マスターがこの村の出身ということではないようで、出身は奈良で浄瑠璃寺のあたりと言っていました。

 実は奈良での二泊とも夕食はここに行きました。リピーターになりたくなる条件がいくつかありました。まず、メニューはカウンター前に大皿、器がずらりと並んでいて、野菜、魚を中心にした料理がまばゆいばかりに(?)あります。いわゆる「おばんさい」です。注文すると、それらから小皿にとって出してくれます。そして、マスターは器やお皿の多くも自作とのことでした。

 他に小さな黒板にメニューが書かれていて、そこにはアサリ蒸しとか、クジラのカツとかが書かれています。

 料理は味が薄めですが、要するに食材のもとの味が生かされているのです。

 このお店の魅力はマスターの人柄にあります。サラリーマンをやめて、このお店を始め19年とのこと。ちょっとぶっきらぼうで、「瓶ビールがありますか」と注文すると「ない」と応えるような調子ですが、つめたいのではなく、普段着なのです。関西弁で、それはここちよく聞けました。         

  初日は、居あわせた人は、広島からなどの観光客でした。

斎藤明美『高峰秀子の流儀』新潮社、2010年

2010-04-10 00:10:04 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
              
            

 

  昭和9年に5歳でデビューして以来、50歳で銀幕を去るまでに300本を超える映画にほとんど主役として出演した世紀の大女優・高峰秀子さんを、その側近的存在であった著者が、普段着の彼女の生き方を綴った本です。

 生き方をいくつかの「流儀」としているところが、特徴です。すなわち「動じない」「求めない」「期待しない」「迷わない」「甘えない」「変わらない」「怠らない」「「媚びない」「こだわらない」。「ないないずくし」を肯定的に生きるのが秀子さんの流儀というわけです。

 日本映画界が誇る大女優は、実は「女優」という仕事が嫌いでした。今ではもうかなり有名な話ですが、子役としてスタートした彼女は母の死とともに叔母にひきとられ、養女として育てられましたが、この叔母がひどい人で、秀子さんの高額の収入をあてにし、呼び寄せた縁者とともに寄生虫のように彼女にたかったのです。

 彼女は女優をやめるわけにいかず、叔母に精神的に苛まれながら、小学校以来ろくに学校へも通わず、子どもらしい楽しみを知らず女優としての人生をひたすら歩みました。

 脚本家の松山善三さんと結婚し、女優をやめて秀子はようやく人間らしい生活を取り戻します。自然体で虚飾なく、簡素に生きること、これが彼女の姿勢です。女優、映画の世界から、綺麗さっぱりと足をあらったのです。

 人生の帰結が、今の「流儀」というわけです。

 いくつかの話に印象が残りました。ひとつは市川昆監督の「東京オリンピック」が酷評されたとき、多くの映画人が酷評に黙して語らなかったにもかかわらず、意志的にこの作品を擁護する文章を書き、行動したことの記述[pp.206-216](いまでは同監督のこの作品を悪く言う人はいないばかりか、映画史に残る記念碑的作品と評価が高い)。また、27歳のときに逃げるようにパリに渡り、そこで過ごした日々の記録(「二七歳のパリ その足跡を訪ねて」)と映画における女優の役割についての秀子さんの言、「映画が一軒のビルだとすれば、女優は、そのビルを建てるための一本のクギにしか過ぎません。他のスタッフと違って、たまたま画面に出る立場だというだけのことです」(p.284)

 そして、夫の善三さんとの逸話の数々。写真がたくさん挿入され、なかでもナイトのように寄り添う夫君・善三さんとのショットはいいですね。