新春歌舞伎として浅草で行われている「義賢最期(よしかたさいご)」と「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」を観てきました。
「義賢最期(よしかたさいご)」は、平家物語のなかの話です。平治の乱の直後。蜂起した源義朝が打たれ、源氏一族はひっそりと生きていますが、白河院の庇護のもとにあったのでおもてむきは「朝廷方」なので、全滅させられることだけはしのげています。木曽義仲が生まれる前で主人公は、父親の義賢です。出だしのところで、ふたりの女性がいます、ひとりは義賢の娘、待宵姫、もうひとりは妻の葵御前です。葵御前は、義賢の後妻で、懐妊しています。おなかの子が後の義仲です。
前段は源氏のシンボルである白旗と源氏の忠臣、多田行綱がメインです。
3人連れが登場。娘が小万、男の子の太郎吉、それに九郎助という初老の男。小万と太郎吉は親子です。実はこの娘、小万は源氏の武将の多田行綱です。いまは身を隠し、九郎助の家に潜伏していましたのですが、あるひ突然いなくなり、それで九郎吉が探しにきたのです。
行綱がそこに登場。折平という名で名前でそこで(義賢のところで)働いていたのです。義賢の使いで出ていた行綱が帰ってきたという設定です。義賢は折平に「多田行綱」という武将に手紙を届けてこい、と命じていたのです。義賢は折平が行綱ではないかと疑い、試していたのです。
それはともあれ、行綱にかけよる待宵姫(ふたりは恋人関係になっていました)。義賢は折平が行綱とわかり、二人で源氏の象徴である白旗を壁に飾って、それまでの苦しいときの流れを鳴きながら語り合います。
そこに清盛の使いの悪役侍がきます。清盛は平治の乱で奪った白旗をどこかになくしてしまい、それを探し出すために、侍を使わしたのです。義賢に問い詰め、源氏の一味でない証に、とりだした義朝の頭蓋骨を踏むようにいいます。苦悩する義賢、陰で見守る行綱。侍ふたりは義賢を捉えようとしますが、ひとりは義賢に踏み殺され、もうひとりは行綱に追い返されます。
しかし、すぐに平家側が攻めてきます。義賢は葵御前を九郎助に託し、白旗を小万にあずけ、自分は平家の一味と大立ち回りで、最後は後ろから組み付かれた敵を自分の体ごと刺して、果てます。この大立ち回りが見所です。愛之助、一世一代の演技です。
「義賢最期(よしかたさいご)、時代御物の空気が横溢した演目でした。
もうひとつの演目「上州土産百両首(じょうしゅうみやげひゃくりょうくび)」は浅草の待乳山聖天を舞台に、男の友情を皮肉な運命のなかに描いた傑作です。猿之助、巳之助が好演でした。猿翁(三代目)が演じた正太郎を、当代猿之助が本興行で初めて勤めていました。巳之助は、三枚目的な演技で、客席から拍手喝采でした。
TVーASAHIの朝番組に「ゆうゆう散歩」というのがある。歌手の加山雄三さんがあちこちに散歩に出かけ、そこの名所をおとずれたり、食べ物屋さんでつまんだり、町工場で職人さんと話をしたりする。主に東京の各地をを散歩するのだが、ときには新潟や京都にでかけたりする。もう78歳というのに、加山さんは背筋をぴんとさせて歩き、リズムもよい。話し方、コミュニケ―ションの取り方も若々しい。うらやましいくらいだ。
番組の終わりには、色紙にその土地への想いをつづり、また心に残った風景を水彩画にする。いつもはいい風景をまず写真にとって、その写真をみながら描いている。「自由に、気軽に、理屈じゃなく」がモットーである。
「関心・感動・感謝」の人生の三冠王をめざして、ひたすら歩いて、もう1年半ほどになる。その絵(40点)が一冊の本になった。この番組はだいたい見ているので(生で見られないときは、録画)、この本におさめられている絵はほとんど知っている。
「さくら伝説」というのは、古来、桜の樹の下には、桜鬼という魔性の女は棲んでいて、その鬼が人の心を狂わせ、多くの死体がその根元に埋まっているといものである。著者はそういう桜の樹を長年さがしていて、あるとき奈良仏隆寺でそれにでったという。その樹はおよそ900歳とのことであった。まことに大きな堂々たる不滅の命を生きる桜の樹である。それに酔うことは、輪廻転生への無意識のあこがれをもつこと。
著者はまたいつのころからか、男女の悲恋の物語を考えていた。念頭にあったのが、京の島原にいた揚巻という名の太夫と助六という色男。ふたりはこの世をはかなんで心中をとげた。心中したはずの助六と揚巻が後の世に、歌舞伎の演目「助六由縁江戸桜」となった。著者の想像力はとどまるところを知らず、仏隆寺の千年桜と助六、揚巻の悲恋の物語で、助六と揚巻の心中した場所としてこの桜の樹を選ぶという形で、つなぎあわせ、新しい話をつくりあげた。それが女主人公響子とその夫である帯刀杜夫の怪しい男女間の愛の物語である。
著者はそれを「桜の精気に惑わされ、官能の極点を求めて死に急ぐ男と女の物語」と書いている。小説の展開にそって、千年桜と松坂慶子が写真で登場する。美の化身は、妖しくも美しい。
作詞家で作家でもある、なかにし礼が『婦人画報』に連鎖した対談をまとめたもの。登場する相手は、黒柳徹子(「善意」のおしゃべり、「寛容」の大使)、宮沢りえ(ただ一瞬の喜びのために・・・)、黒川紀章(「弱さ」を認める精神が「共生」を育む)、小宮悦子(「恋」から始まったキャリアの第一歩)、五嶋みどり(天性の才能に身をまかせて進む「少女」)、柳家小三治(自己発現、自己確認、自己改善の日々)、コン・リー(中国が生んだ「映画の女神」)、黒鉄ヒロシ(遊びをせんとや生まれけむ)、松坂慶子(女優は、美しき鬼)、細川護熙・細川佳代子(生き続ける細川家の哲学)、錦織健(「言葉の魂」を歌うテノール)、北野武(暴力と死は、優しさと愛)。
小見出しが、対談の内容を凝縮しているので、紹介はほぼそれで十分。ただし、徹子さんがユニセフ大使になったのは、国連で「トットちゃん」が評価されたからとか、「共生」という言葉を作ったのが黒川紀章だとか、小三治が一時オートバイに凝っていたとか、松坂慶子の写真集「さくら伝説」の秘話とか、武が映画を撮り始めた経緯などは、読まなくてはわからない。対談で相手の魅力を引き出しているが、自らの人生も語っている。コン・リーとの対談では、なかにしさん自身が中国服を着ている(牡丹江生まれ)。
石原裕次郎との出会いも決定的だった。それぞれの対談の際に撮った写真が載っている。対談の後に撮ったのではなかろうか。対談の余韻が残っている。
沖縄への新型輸送機「オスプレイ」導入に反対する闘いを描いた映画です。
「オスプレイ」は、一昨年9月、多くの国民の懸念と反対をよそに、まず岩国へ、そこから沖縄に配備されたことは知られている。しかし、沖縄での反対運動、とくに9月29日の強行配備前夜、反対する人々はアメリカ軍普天間基地のいくつかあるゲートの前で身を挺して完全封鎖した。この闘いの全貌を、地元テレビ局の報道関係者が記録していた。強制排除にあたる警察官が非道な撤去を行うが、米軍統治下の苦しみを知る老人、東村・高江で日々米軍の演習で生活を脅かされている家族、彼らを支援する多くの人びとは連帯して腕を組み、断固たる抵抗を示した。
画面には次々と理不尽なシーンが映る。高江の周辺に、ヘリパッドを多数建設しようとする計画、それに抗議した人たちが逆に沖縄防衛局によって通行妨害で裁判に訴えられるという前代未聞の珍事(国策に反対する住民を訴える弾圧・恐喝裁判はSLAPP裁判と呼ばれ、アメリカの多くの州で禁じられている)、高江にはベトナム戦争が行われていたころ、「ベトナム村」が設けられ、そこで住民が南ベトナム人の役をさせられていた事実、「オスプレイ」配備計画が長い間、隠されていたこと、などなど。
非道なこと、権力の暴挙と横暴がまかりとおる沖縄。そこで何が行われているかは、ほとんど国民に知らされていない。この映画は、それらを白日のもとにさらし、沖縄の真実を強く訴えていた。日々生活している家族の傍で、それを脅かす軍事施設を設置することなど、それ自体が憲法違反でなくして何だろうか。権力が公然と執行する生活破壊は、犯罪でないとでもいうのだろうか。
この映画はキネマ旬報のドキュメンタリー部門で第一位になった。必見の映画です。
佐山和夫「箱根駅伝に賭けた夢-「消えたオリンピック走者」金栗四三がおこした奇跡-」講談社、2011年
日本の陸上競技のパイオニアであり、第5回オリンピック・ストックホルム大会(1912年)にマラソンランナーとして出場した金栗四三の物語。
金栗四三はこのオリンピックでマラソンに出場したが、26キロ地点で離脱。棄権、行方不明となった(ペトレ家の庭に迷い込んだ。その家は今はない)。クロスカントリー風の難コースで、灼熱の気候。そして、種々の悪条件。くわえて金栗四三がそれまでにフルマラソンを走ったのは、日本での予選でのただ一度。外国選手とは、もともと太刀打ちできなかった。
著者はその金栗四三が「消えた」場所、事後のことを取材しようと思い立ち、ストックホルムに飛ぶ。現地で、思いもよらない協力を得て、著者は金栗四三のその後を、追い続けた。
本書は、その記録である。金栗四三は、箱根駅伝の発案者である。アメリカ横断の計画(実現しなかったが)のなかで(途中にロッキー山脈という途方もない山岳地帯がある)、また長距離ランナーを日本で育てるとう目標をもって、箱根駅伝はスタートした。金栗四三は、この駅伝だけでなく、陸上競技全体の普及、とくに女性のスポーツ振興に、多大な貢献をした。
感動的なのは、スウェーデンのスポーツ関係者が金栗四三を忘れていないことだ。1967年、金栗四三はストックホルム大会55周年行事に招待され、同じマラソンコースでテープを切った(最後の数メートル)。スウェーデンのスポーツ関係者の、いきな計らいだった。
この本、標題に「箱根駅伝」の文字が大きかったので、そこに関心をもって読み始めたが、以上の内容のとおり、金栗四三の生涯をつづったもので、内容とギャップがありすぎた(確かに、金栗四三が構想した「箱根駅伝」に関する章立てはあるが)。それでも、金栗四三のことがよくわかって、望外の成果を得た。
銀座MATSUYAの催し物会場で、草乃しずかの世界が開催されています。刺繍の展示会です。というだけではよくわからないかもしれませんが、和服、羽織などにそれはあでやかな刺繍がほどこされたものがずらりと展示されていると書けば、少しはイメージができると思います。
草乃さんはいまは70歳ほど(若づくりで、そうはみえませんが)、この道一筋で人生を全うしてきました。生まれは石川県羽咋市。小さいころから母親の傍で手習し、結婚後フランス刺繍を学びます。1972年より、日本刺繍作家・丹羽正明の指導もあおいだようです。会場には、文学者の小説の主人公から題材をとった図柄、源氏物語から発想をふくらませた図柄、そのほか花鳥風月ありとあらゆるきれいなもの、かわいいものを折り込んだ作品が多数。刺繍をしあげていく様子が映像にありましたが、ひとはりひとはり気の遠くなるような細かい連続した作業がひとつのひとつの工芸作品に結実していくのです。積み重ねの連続の賜物です。
花歌留多、祝い尽くし、皇女和宮に、天璋院篤姫に、源氏物語・五十四帖「夢浮橋」、祈りより「天女の調べ」と「蓮と鳥」、12か月の着物物語、展示作品の例です。
遠くイギリスのエディンバラでも展示会をもち、好評をはくしました。向こうで、イギリスの女性たちを生徒に迎えての講習会の様子がビデオで放映されていました。
刺繍の世界は全く不案内ですが、いいものをみたとの印象をもって帰ってきました。
アラン・エイクボーンの原作「アーニーの超幻覚症状」から発想を得て脚色された「アーニーの不思議な世界」(第2回銀座・演劇フェスティバル参加 青年芸術家協会公演)が銀座みゆき館劇場で開かれていました。
この演劇の内容は、超幻覚症状をもつアーニーという少年が病院で診察を受け、その症状の説明が次々と舞台で演じられていく仕掛けのもの。それがアーニー自身の家でのことであったり、遊園地の出来事であったり、ボクシング場でのことであったり、図書館での事件であったり。場面が次々と変わっていきます。アーニーの奇想天外、摩訶不思議な妄想が、舞台という空間のなかで現実のように展開されます(ちょっとわかりにくいところもありました)。
途中、大江戸玉すだれの余興が入ります(日替わり)。演じるのは佃川燕也さん。カッポレを踊りながら、玉すだれの妙技です。江戸時代に流行ったものらしいです。
舞台は簡素そのもの。医師の机、患者が待合室で座っている椅子(それは図書館の場面でも使われる)など。ボクシングの場面では、ロープがヒモを利用しての手作りリング。その舞台で、俳優は一生懸命、演劇にとりくんでいました。演出にもう一工夫ほしいかったです。若い俳優を育てることも、演出家の仕事です。緊張感のある、創造性のある稽古のなかで、俳優はそだつのです。甘い稽古では、若者たちがかわいそうです。
著者はBS-TBSで「ぶらり散歩、いい酒いい肴」という番組で、日本の各地の居酒屋巡り(案内)をする旅人で出演している。その番組を見て、この人と、この本を知った。
居酒屋のうんちくを語って、ひとり悦に入っている。居酒屋は、お酒を飲んで、居心地のいいところである。会社のことも、家庭のことも、およそあらゆる雑念、雑事から解放されてひとり肴をつまみながら酒を飲むところである。そういうことができて、ようやく一人前の男だというわけである。
「基礎編」「実技編」「研究編」「実践編」からなり、居酒屋とは何か、どういう文化がそこにあるか、作法はどうすればよいか、おいしい酒はどこにあるか、その飲み方は、など、「タメになる」こと、居酒屋にかかわる奥義、流儀が満載。いい居酒屋の紹介もある。「シンスケ」「鍵屋」など。いい日本酒がたくさん書かれている。
わたしの自宅の傍に蔵元がある酒造「神亀」のお酒も何度となく出てくる。、酒を愛する御仁は、必携の本。
バレエ「眠れる森の美女」を見に行くために、このCDで予習をしました。
このCDに入っていた解説に小倉重夫さんが、この曲ができる経緯を書いています。バレエの作曲は、チャイコフスキーが単独でしたのではないことがよくわかりました。きっかけは、1881年にフランス大使館付外交官からペテルブルクの帝室マリインスキー劇場の監督官となったヴォロジェンスキーがチャイコフスキーに作曲を依頼したところから始まった。原作はペロー。プティバが台本を書いた。台本には相当に細かい指示が書かれている。たとえば「・・・突然オ^ロラ姫は、紡錘で調子をとっている老婆に気付く。これは4分の2拍子」といった具合。チャイコフスキーがこの指示にしたがって作曲したとおいうわけである。チャイコフスキーとプティバの間には、かなりの専門的なやりとりがあっただおうことは推察できる。そして、いまの形になるまでに、いくつかの変更があったことも。
そういことを想いながらこの曲を聴くと、またひときわ灌漑深い。
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ナショナル・フィルハーモニー管弦楽団/リチャード・ボニング指揮
ペーター・チャイコフスキー
バレエ≪眠れる森の美女≫作品66 全曲
*CD1
序奏
<プロローグ>
第1曲:行進曲
第2曲:踊りの情景
第3曲:パ・ド・シス
a)アダージョ
b)ヴァリアシオン1:美の精
c) ヴァリアシオン2:三色昼顔の精
d) ヴァリアシオン3:パンくずの精
e) ヴァリアシオン4:歌うカナリアの精
f) ヴァリアシオン5:激しさの精
g) ヴァリアシオン6:リラの精
h)コーダ
第4曲:終曲
<第1幕>
第5曲:情景(アレグロ・ヴィーヴォ)
第6曲:ワルツ(アレグロ)
第7曲:情景(アレグロ・ジュスト)
第8曲:パ・ダクシオン
a)アダージョ
b)侍女と小姓たちの踊り
c) オーロラ姫のヴァリアシオン
d) コーダ
第9曲:終曲
*CD2
<第2幕>
第1場
第10曲:間奏曲と情景
第11曲:鬼ごっこ
第12曲:情景と舞曲
a)情景
b)公爵夫人の踊り
c) 男爵夫人の踊り
d) 伯爵夫人の踊り
e) 侯爵夫人の踊り
第13曲:ファランドール
a)情景
b)貴族たちの踊り
第14曲:情景
第15曲:パ・ダクシオン
a)オーロラ姫とデジーレ王子の情景
b) オーロラ姫のヴァリアシオン
c)コーダ
第16曲:情景(アレグロ・アジタート)
第17曲:間奏曲
第2場
第19曲:交響詩間奏曲と情景
終曲
*CD3
<第3幕>
第20曲:行進曲
第21曲:ポロネーズ
第22曲:パ・ド・カタル
a)アレグロ・ノン・タント
b) ヴァリアシオン1:金の精
c) ヴァリアシオン2:銀の精
d) ヴァリアシオン3:サファイアの精
e) ヴァリアシオン4:ダイヤモンドの精
f) コーダ
第23曲:パ・ド・カラクテール
(長靴をはいた猫と白い猫)
第24曲:パ・ド・カトル
a) アダージョ
b) ヴァリアシオン1:シンデレラ姫とフォーチュン王子
c) ヴァリアシオン2:青い鳥とフロリーネ姫
d) コーダ
第25曲:パ・ド・カラクテール
第26曲:パ・ペリシオン
(親指小僧、その兄弟と人喰鬼)
第27曲:パ・ド・ドゥ
a) 序奏
b) アダージョ
c) ヴァリアシオン1:デジーレ王子
d) ヴァリアシオン2:オーロラ姫
e) コーダ
第28曲:サラバンド
第29曲:終曲とアポテオーズ
今年の観劇は「キエフ・バレエ」で始まりました(昨年は宝塚歌劇)。
演目は「眠りの森の美女-全3幕-」(東京文化会館大ホール)。ペローの童話を素材に、プティバが台本を書き、チャイコフスキーが作曲した、チャイコフスキーの3大バレエの一つです。バレエは久しぶりでしたが、豪華な舞台、踊り手による鍛えられた身体表現、生の管弦楽で、まさに総合芸術の粋を満喫しました。
ストーリーは次のようなものです。王と王妃主催の式典が開かれています。貴族や貴婦人がにぎやかにつどっています。乳母と養育係が式典の主人公であるオーロラ姫が眠る揺り籠を運んできます。オーロラ姫の代母となる妖精たちが騎士をしたがえて入場します。6人の妖精はそれぞれ姫にいろいろな才能を与えます。リラの精も姫に知恵を授けようと揺り籠に近づきます。そこにネズミにひかれた車に乗って妖精カルボスがあらわれます。カルボスは「なぜ、自分を招待しなかたっかのか」と式典長に問い詰めます。カルボスは居丈高にふるまい、「姫は紡錘で指をさして死ぬだろう」とつげます。しかし、そこにリラの精があらわれ、「姫は死のかわりに百年の眠りにつき、一人の王子によって目覚めるだろう」と予言し、一同の不安を取り除きます。
オーロラ姫はすくすくと育ちます。美しい娘に成長した娘に、4人の王子が結婚の申し込みにきます。そこで王は、姫の誕生日に盛大な宴を催すことにします。宴は華やかに、楽しく進みます。そんななか、式典長が、紡錘を手にした娘たちに気づきます。~ボスの呪いがあってから、この城の内外では、先のとがったものをもってはならないとのお触れが出ていたのです。そこに4人の王子をともなって、王と王妃が登場しますが、王は琴の次第をしって激怒します。しかし、周囲の者たちがとりなし、王は怒りをしずめます。姫は王子たちに支えられ、優雅におどり、彼らから花束を受け取ります。
侍女や王子たちが踊っている間に、いつのまにかひとりの老婆が忍び込んでいました。姫は老婆から紡錘を受け取り、陽気に踊ります。オーロラ姫は独楽のように踊りますが、突然踊りは途切れ、姫が自分の指をみると、血がにじんでいました。紡錘が刺さったのです。姫は激痛と恐怖で、そこに昏倒します。王をはじめみなが大騒ぎになるなか、老婆は正体をあらわします。老婆はカラボスだったのです。
4人の王子たちは剣をぬいてカラボスにきりかかりますが、彼女は嘲笑をのこして消えてしまいます。一同が悲嘆にくれていると、リラの精が現れ、姫は死んだのではなく、永い眠りについたことを知らせます。そして、姫を場内に運ばせ、城とともに魔法をかけて眠らせてしまいます。
2幕に入ると、狩人たちの角笛を合図に、デジーレ王子が登場します。リラの精も再び現れ、王子に眠り姫のことを伝えます。しかし王子がそのことを信じないので、リラの精は姫の幻影を呼び出します。王子は彼女をひとめみて激しい恋心をいだき、彼女にあわせてくれるよう懇願します。リラの精の導きによってオーロラ姫と出会うことができ、めでたく結ばれます。
オーロラ姫 ナタリア・マツァーク
デジレ王子 デニス・ニェダク
リラの精 カテリーナ・カザチェンコ
カラボス (ロマン・ザヴゴロドニー)
カタルビュット[式典長] ヴィタリー・ネトルネンコ
妖精たち/
優しさの精 アナスタシヤ・シェフチェンコ
元気の精 アンナ・ムロムツェワ
鷹揚の精 ユリヤ・モスカレンコ
呑気の精 オクサーナ・シーラ
勇気の精 アリガ・キフィアク
宝石たち/
ダイヤモンド オリガ・ゴリッツァ
サファイア アンナ・アンナ・ムロムツェワ
ゴールド ユリヤ・モスカレンコ
シルバー アナスタシヤ・シェフチェンコ
フロリナ王女 エレーナ・フィリピエワ
青い鳥 ヤン・ヴァーニャ
白い猫 カテリーナ・タラソワ
長靴をはいた猫 マクシム・コフトゥン
シンデレラ オクサーナ・シーラ
フォーチュン王子 ヘンナージィ・ペトロフスキー
指揮:ミコラ・ジャジューラ
管弦楽:ウクライナ国立歌劇場管弦楽団
題名のなかの「春」というのは、孫娘の名前です。
主人公はかつて北の海で猟師をしていた忠雄(仲代達矢)とその孫娘(徳永えり)。春は地元の小学校の給食婦として働いていたが、学校の廃校で職を失います。切羽詰って東京に出て働こうと考えますが、一緒に暮らしてきた、足の不自由な忠雄をほうっておくわけにもいきません。そこで、春は忠雄に、兄弟のところに身をよせるように勧めます。しかし、その兄弟たちは本州にいて、疎遠で、いまさら忠雄の面倒をみてうれるかどうかもわかりません。そこでふたりは、忠雄が身を寄せる場所をもとめて、いまでは全く連絡がとだえていた姉兄弟を訪ねていくことにします。
北海道の増毛から、東北宮城に向かい、気仙沼、鳴子とそれぞれの地に住む姉兄弟をたずねていきます。しかし、それぞれみな、家族の事情をかかえていて、色よい返事はありません。このふたりの旅の道中の葛藤がひとつのテーマです。なけなしのお金しかなく、安い宿をさがし、カネのかからない食事をしますが、ふたりの間では葛藤の連続です。
また、忠雄は兄(大滝秀治)にはいまさら何を言うかとケンもほろろに追い出され、旅館を経営している姉(淡島千景)に甘えようとしますがここでも受け入れられません。その姉は、春のことを気に入り、旅館に残ってくれるようにたのみますが、春は忠雄のこともあるので、この申し出を断ります。
どこに行っても断られ、ふたりは再び故郷に戻ります。春は忠雄の兄弟の冷たい仕打ちにあきれながらも、そこでの人間的な葛藤に接して、長く離別していた静内の父親(香川照之)にあいたくなり、忠雄ともに静内に向かいます。春の父親はかつて忠男の娘と生活していて、春をもうけたのですが、ふとしたことでの妻の浮気が許せず、離婚し(春の母親は自殺)、そして再婚。そして、いまは、静内で暮らしていたのです。
映像が美しく、また仲代さんと徳永さんのふたりは本当の祖父と孫のように演じ、現実感がありました。また、名優が多数出演していましたが、みな迫力があり、それぞれの人間性が色濃く出ていて、いい映画でした。
・仲代達矢
・徳永えり
・大滝秀治
・菅井きん
・小林 薫
・田中裕子
・淡島千景
・柄本 明
・美保 純
・戸田菜穂
・香川照之
昨年、我が家の庭の柿の木には、柿がたわわに実りました。そんなに大きな木ではありませんが、100個以上はゆうにあったと思います。ただし、売っている柿ほどは甘くなく、やわらかくもなく、食べるのはちょっとつらかったのですが、思い切って干し柿にすることにしました。本やネットで調べると、干し柿づくりはそれほど大変でないことがわかりました。
枝から切り離す時に、へたのところからむしりとるのではなく、枝が少し残っている状態で切ります。皮をむいて、熱湯にぽちゃんとつけます。雑菌を殺すためです。それがおわると、あとはヒモで、残した小枝のあたりで結び、吊るし柿にして、あとは日中、外に干しておくだけです。雨にはあたらないように注意します。そのため、夜中に雨が降ると困るので、夕方には屋内にとりこみます。3日目ぐらいから、ドンドン縮んでいきます。形をととのえ、また柔らかくする意味で、軽く指で身をもんでやります。
一週間から10日もすると、食べられるようになります。その頃、カビがはえてくることもあるようで、そういうものをみつけたら焼酎をきりふきでかけて消毒します。さいわい、焼酎をかけなければならないような状態にはなりませんでした。案外、おいしくできました。種が大きく、いくつもも入っていて、実の部分はあまりなかったのですが、一度にそんなにたくさんは食べられませんから、ちょうどよかったのではなかったかと思っています。
そんなとき、図書館で偶然、この本をみつけました。家でつるしているすだれのような状態の柿とこの絵本の表紙の写真が同じで、本の表紙がすぐに目にとまりました。なかをめくってみると、干し柿ができるまでが写真にんあってつづられ、これもほとんど我が家で体験したことと同じでした。