【岩崎俊夫BLOG】社会統計学論文ARCHIVES

社会統計学分野の旧い論文の要約が日課です。

時々、読書、旅、散策、映画・音楽等の鑑賞、料理とお酒で一息つきます。

新田次郎『怒る富士(上)』文藝春秋、2007年

2008-04-30 01:27:29 | 歴史

新田次郎『怒る富士(上)』文藝春秋、2007年
            怒る富士 上 新装版 (1) (文春文庫 に 1-36)
 作家、新田次郎による、宝永年間の富士山の大爆発を扱った小説です。

 宝永4年(1707年)、富士山が大爆発しました。16日間にわたって砂と灰が降り、田畑は壊滅、近隣の農村に甚大な打撃を与えました。

 時の将軍は綱吉。農民たちは救済をもとめて小田原藩主、そして江戸幕府に陳情を試みます。その先頭にたったのが関東郡代伊奈半兵衛忠順です。

 しかし、幕府側では、大老の柳沢吉保、勘定奉行(勝手方)の萩原重秀、折井正辰の系列と老中の大久保忠増、勘定奉行(公事方)の中山時春、河野勘右衛門の系列が政争状態にあり、地元農民への救済に及び腰であるばかりか、被災農民を道具に醜い政権争いにあけくれていました。

 ついに伊奈半兵衛忠順がその責任者である駿東郡59ヶ村は亡所となり、飢餓に苦しむ農民は見捨てられます。

 半兵衛忠順への信頼だけが農民たちの生きる支えとなるものの、幕府の援助はほとんどなく、田畑の普及は進まず、酒匂川は氾濫し、飢餓で倒れ、故郷を棄てるものが相次ぐのでした。

 深沢村の喜右衛門と水呑百姓の娘、つるとの恋を織り込みながら、自然の恐怖、階級矛盾が人々を翻弄します・・。綱吉が死に、時代は家宣の政権に。

 下巻が楽しみです。


ヴィッキー・ヘンドリックス/池田真紀子訳『マイアミ・ピュリティ』青山出版社、1996年

2008-04-28 00:45:03 | 小説
ヴィッキー・ヘンドリックス/池田真紀子訳『マイアミ・ピュリティ』青山出版社、1996年
                                    サムネイル
 児玉清さんの『寝ても覚めても本の虫』で紹介されていたのでAmazonで購入して読みました。

 児玉さんによるとアメリカには現在「女性ハードボイルドの時代」が到来していて、この本も「読み出したら止まらなくなった」とのことです。

 「本当か?」と疑って読みはじめましたが、こういう本がアメリカでは受けているのかと再認識しました。

 ストーリーは、以下のとおり。

 酔っ払いの亭主をラジオで殴って殺してしまって、それから夜の仕事から足を洗った36歳の元ダンサーシェリー(主人公)がクリーニング屋の職を手に入れ、そこのオーナーの息子ペインをゲット。ところがこのペインが母親と性的関係があることを知って、シェリーは逆上。ペイント協力して母親のブレンダを殺してしまいます。

 完全犯罪は成功したかにみえ、彼女は極上の夫と同棲し、お店の経営も任されます。しかし、物事はうまく進まず、シェリーはペインが別の女の子とセックスしているところを目撃します。ついには、シエリーはペインをも洗濯機に放り込んで殺してしまいます。

 本の袖の惹句にあるように、彼女の未来は一時マイアミの太陽のように輝いていましたが、その輝きが彼女を奈落の底へと導きました・・・。

 「マイアミ・ピュリティ」とは、彼女が経営した店の名前。性描写が過激です。

 このような小説世界ってあるのですね。

 本書が著者の処女作です。

文藝春秋編『「御宿かわせみ」読本』文藝春秋社、2001年

2008-04-27 00:58:36 | 歴史

文藝春秋編『「御宿かわせみ」読本』文藝春秋社、2001年
               
 平岩弓枝『御宿かわせみ』は、1973年に「初春(はる)の客」が出てから今年で35年目、この間ずっと書き綴られてきた大作です。当初は、一話ごとに完結する「捕物帖」でしたが(現在も基本形はそうである)、これだけ長く続き、登場人物が話のなかで育ってくると「大河小説」の感が出てきています。

 単行本は文庫化され、TVドラマ化、舞台化され、広く読者のなかに定着しました。わたしは文庫2冊だけですが読みました。その魅力の根拠は、登場する人物の個性[東吾(講武所教授方、軍艦操錬所勤務、神道無念流の達人で神林通之助の弟で、後にその夫となった「るい」ちは幼ななじみ)、るい(鬼同心、庄司源右衛門の娘で旅籠「かわせみ」の女将)、畝源三郎(南町奉行所定廻り同心で東吾の親友)、神林通之助(東吾の兄で、南町奉行所吟味方与力)、香苗(麻生源右衛門の長女、通之助の妻)、七重(麻生源右衛門の次女)、嘉助(「かわせみ」の番頭)、お吉(「かわせみ」の女中頭)など]、小説に流れる家族愛、江戸情緒などにあります。

 ちなみにNHKドラマの旧作では「東吾」と「るい」は、小野寺昭さんと真野響子さん、新作では中村橋之助さんと高嶋礼子さんが扮しています。

 本書は、この「御宿かわせみ」の虎の巻です。著者との対談、歴史学者、国文学者、文藝評論家などの「かわせみ」論、読者の感想文からなっています。

 平岩さんによる裏話(グランドホテル形式で「旅館と奉行所」の組み合わせを考えた理由。「かわせみ」の命名の契機、作品に花を使うわけ、登場人物の年齢、著者のお気に入り作品[「息子」「春の寺」「牡丹屋敷の人々」「煙草屋小町」など]が面白いです。

 国文学者、島内景二氏がためになることを書いています、要約すると「平岩氏は古典に通暁しており、「源氏物語」「伊勢物語」からとった逸話がベースになっていたり、彼女の描く『江戸』には古典物語が下敷きにある。新しい『短編的長編』を予感させる部分があり、『東吾の隠し子問題』がその契機になるかもしれない」と。

 著者と重金敦之氏との「かわせみグルメ」にまつわる対談も、江戸の朝食、天ぷら、寿司、蕎麦、野菜、さくらもち、などが次々とでてきて楽しいです。

 この本のジャンルは「対談」あたりに属するのでしょうが、江戸の庶民の生活、土地関係、奉行所の役割、食文化などが、兎に角よくわかる「入門の書」なので、「江戸学」に入れました。


北原亞以子『その夜の雪』新潮文庫、1997年

2008-04-26 00:13:47 | 歴史

北原亞以子『その夜の雪』新潮文庫、1997年
 
             その夜の雪
 気になっていた作家のひとりでした。1997年に『恋忘れ草』で直木賞を受賞しています。

 北原さんの小説は呼吸があります。リズムがよいのです。「解説」で作家の佐藤愛子さんが、北原さんはゲラ刷が訂正で真っ赤になる、それだけ読み返してリズムが気になるのであろう、と書いていますが、そういうことで寸部の隙のない文体、テンポのよい文章が出来上がるのでしょう(p.271)。

 本書には7編の短編が収められています(「うさぎ」「その夜の雪」「吹きだまり」「橋を渡って」「夜鷹蕎麦十六文」「侘助」「束の間の話」)。

 「その夜の雪」は半月後に祝言を控えた娘が暴漢に襲われ、自害。定町廻り同心森口慶次郎が娘の遺書を懐に復讐に燃えます。必死の捜査の末、犯人を追い詰めた慶次郎が見た光景は…。怨念と人情が絡まる表題作他、江戸庶民の市井の生活を描いた傑作短編集です。


中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎、2007年

2008-04-25 00:47:33 | 音楽/CDの紹介
中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』幻冬舎、2007年
             カラヤンとフルトヴェングラー (幻冬舎新書 な 1-1)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の結成は、1882年です。126年前の話です。ベンヤミン・ビルゼという興行師が所有していたオーケストラのメンバー54人がビルゼの運営方針に反旗を翻して作ったのです。以来、このオーケストラの主席指揮者は歴代6人。

 本書はこのベルリン・フィルの3代目指揮者フルトヴェングラーと4代目指揮者カラヤンを中心とした1934年から54年までの20年間の物語です。興味深いのは何故、カラヤンが4代目になったかということです(カラヤンの後がクラウディオ・アバド、サイモン・ラトル)。

 別の有力候補がいました。セルジュ・チェリビダッケがその人です。彼は1945年から54年にかけて400回以上ベルリン・フィルを指揮していました。これに対し、カラヤンはフルトヴェングラーに嫌われていたこともあり、1938年に初めてベルリン・フィルを振ってから54年までに指揮をしたのはわずか10回でした。どうしてそんあ経歴の指揮者がベルリン・フィルの4代目首席指揮者になれたのでしょうか?

 この経緯を、著者はナチがドイツを支配していた頃の音楽状況を解き明かしながら、フルトヴェングラー、カラヤン、チェリビダッケのそれぞれの確執、三者のベルリン・フィルとの関係を浮き彫りにしています。とくに、カラヤンが商才にたけ、野心があり、権力志向が強く、かつてナチ党員であったにもかかわらず、巧妙に戦後のナチ批判の空気を読んで、頂上に上りつめていく過程は、「そういうことだった」のかと納得させられました(フルトヴェングラー自身はナチを嫌っていました。ナチスの政策を芸術家の立場から批判したヒンデミット事件が有名です[pp.20-34])。しかし、政治がわからず、空気を読めず、ヒトラーに完璧に利用されていました)。

 膨大な資料を読みこなして書かれていますが、筆者自身が書いているように「人々の内面、感情については、想像して書いた部分があることをお断りしておく。もとより、人間の内面などというのは、自分自身ですらはっきりしないものだ。・・・ここのあるのは、3人の音楽家たちの言動の背後にあったであろう、その時々の感情や心理の、一つの解釈」(p.307)ですので、その点は抑えて読まないと誤解が生じかねません。要注意。

 著者による3人の性格づけは、フルトヴェングラー(1886-1954)の音楽的才能は疑う余地がないが、性格的には優柔不断、猜疑心が強い、女性にはもてた、カラヤン(1908-1989)はレコードの売上枚数で市場最大、その音楽は表面的に美しいが、精神性に欠けるとの表もある、性格は気難しい、独善的、自分に忠誠を誓うものには面倒見はよかった、チェリビダッケ(1912-1996)の音楽的才能ついての評価は両極端。性格はよく言えば情熱的、悪く言えば感情の起伏の激しい激情家。異端の指揮者。(pp.9-10)

 面白く読めましたが、事実羅列的です。いつ、どこで、誰が、何を演奏したかということが、必要以上に細かく疲れました。

太田尚樹『満州裏史ー甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』講談社、2005年

2008-04-24 00:15:19 | 歴史
太田尚樹『満州裏史ー甘粕正彦と岸信介が背負ったもの』講談社、2005年
           満州裏史―甘粕正彦と岸信介が背負ったもの
 大杉事件(関東大震災[1923年9月1日]の直後の1923年9月16日、アナキストの大杉栄・伊藤野枝とその甥の3名が憲兵大尉・甘粕正彦らによって憲兵隊に強制連行され、殺害された)で、従来、事件の首謀者と目されていたのは甘粕正彦です。しかし、現在では、彼が本当に手を下したのかは確証がないということになっています。憲兵あるいは陸軍の上層部に犯人がいて、甘粕は罪をかぶったかのように、この本にはかれていました。事件の真相は迷宮入りということです。

 その甘粕は3年の服役後、ヨーロッパにわたり、満州事変の頃からそこで溥儀を皇帝にすえたり、満州国そのものの建国に貢献し(関東軍とは別の役割で)、暗躍しました。

 彼はリットン調査団に対して、日本側に調査結果が有利になるように画策し、またアヘンの売買で莫大な資金を稼ぎ、満映会社を主導して国策的な映画の普及に努めました。

 一方、長州人で秀才の誉れのたかかった岸信介は帝大を卒業後、政治家の道を歩み、独自の統制経済論で満州を産業国家にしたてるための貢献をしました。豊満ダム、水力発電、撫順炭鉱、鞍山製鉄所、昭和製鋼所、等々。

 この二人の人物象とその行動を描きながら、満州国の成立と消滅の歴史の舞台が展開されています。

阿川弘之『大人の見識』新潮社新書、2007年

2008-04-23 00:44:45 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
阿川弘之『大人の見識』新潮社新書、2007年
            大人の見識 (新潮新書 237)
 著者は右翼でも左翼でもないリベラリストを自称しているのかもしれませんが、「良心的保守」派というのが正確でしょうか。

 「大人の見識」とは何か? 本書全体にそれはちりばめられています。軽躁(日本人の特質として幕末の外国奉行、川路左衛門尉聖漠[かわじさえもんのじょうとしあきら]の言)でないこと、今昔物語でいわれる和魂(やまとだましい)をもっていること、ユーモアの精神といったイギリス流のノブレス・オブリ-ジェ(エドワード・グレイを想起)があること、「自分の生活の基準となる思想」(これもグレイ卿)を有し、日本海軍にあった伝統的精神(ネイビズム)であるフレクスィビリティを備えていること、これらが「大人の見識」の条件です。叡智の涵養も入ります。

 エピソードを積み重ね、そのなかで国を滅ぼした思想と行為(東条英機など)、国を滅亡の渕から救い出したそれを紹介しながら、失われつつ日本人の美徳、価値、倫理の問い直しを「語りおろし」(P.190)ています。

 興味深い本の紹介があります、①滝沢冽『暗黒日記』岩波文庫、②石光真人『ある明治人の幻想』中公新書、③池田清『自由と規律』岩波新書、④福原燐太郎『叡智の文学』研究社、⑤藤原正彦『遥かなるケンブリッジ』新潮社。

 英文学の精華は随筆にあり、随筆とは「叡智を人情の乳に溶かしてしたたらせること」である(p.80)、という読者を唸らせる言葉が随所にあって好ましく思いました。

 著者は広島県生まれの作家、1999年文化勲章受賞。作品に『雲の墓標』『山本五十六』『井上成美』など多数。

児玉清『寝ても覚めても本の虫』新潮社、2001年

2008-04-22 17:06:59 | 読書/大学/教育
児玉清『寝ても覚めても本の虫』新潮社、2001年

               寝ても覚めても本の虫
 TVの長寿番組の「アタック25」の司会で、また俳優でもある児玉清氏は大変な読書家として知られています。その読書体験の一部が本になりました。

 タイトルはまさにぴったりの『寝ても覚めても本の虫』です。この本を読んでわかったことですが、わたしとは読書の範囲が全く異なります。紹介されている本は一冊を除いて、読んだことのないものばかりでした。また、あげられている著者(作家)も知らない人がほとんどです。例えば、フランシス、グリシャム、デミル、クランシー、コーンウェル、クライトン等々。わずかに、児玉氏が高校時代に遭遇した運命の作家、ツヴァイクは読んだことがあり、溜飲をさげました。

 ジャンルは、リーガル・サスペンス、サイコ・スリラーなど。本書は多くのこの系統の本の筋の要約で、エチケットをまもって(ネタバレを避けて)肝心な結末には触れていないので、通読しても本書の内容はあまり頭に残りません。自分で紹介されている本を読み、この本を読み返して、内容を追認するような読み方をすれば価値があるかもしれませんが・・・・。

 トマス・H・クックの「夜の記憶」はこの本で紹介されているわたしが読んだことのある唯一の本でしたが、本書をそのように使いました。また。V・ヘンドリックス『マイアミ・ピュリティ』は女性ハードボイルドの呼び声が高くお薦めと紹介されていましたので、Amazonで取り寄せて読んでみました。

 「本のある日々ーあとがきにかえて」は、67年の人生を振り返った読書体験で面白く読めます。児玉氏が結婚直後に買った「グレート・ブック」という高価なシリーズ本、妻との本を「棄てる棄てない」の口論、古い岩波文庫を棄てたことの後悔(その後絶版に)、旅行でボストンバックに詰め込んだハードカバーの本の重みによる失敗談、原書で読むことの快感、NHKBSⅡの「週刊ブックレビュー」の思い出、等々。

「冬ソナ」のテーーマ

2008-04-21 00:24:31 | 音楽/CDの紹介

          冬の恋歌(ソナタ) オリジナルサウンドトラック ~国内盤~

 韓流ビームの火付け役を担った「冬のソナタ」。わたしはハナから無視していましたが、ビデオを観て、多くの人がそうであったように嵌ってしまいました。ストーリーは単純。ドラマの小道具、大道具は、見栄えがしません。ロケもそれだけを評価すればあまりさえません。ところが毎回、毎回、惹き付けられたのです。


 ドラマの中では人と人との純粋なぶつかり合い、相手をはぐらかすことなど絶対になく、みな真面目に向かいあっていました。そこが断然、いいのです。そうでありたい自分がそこに居たということなのでしょうか。心が洗われました。浄化され、救済される自分を発見しました。

 チュンサンもユジンも本当に好かった。そして、わたしはこの
CDを買い、ついには韓国のロケ地にまで出かけてしまいました。つくづく自分をミーハーだなと思いながら、しかし何故かその時の自らのミーハーぶりを許しました。


 いまではもう数年前のドラマなのですが、今でも「冬ソナ」のテーマが流れているのをふと聞くことがあります。そうすると、そのときを思い出して、涙が滲んできます。
             
「冬の恋歌(ソナタ) オリジナルサウンドトラック ~国内盤~
1.
最初から今まで 

2. My Memory 

3. 初めて 

4. あなただけが

5. My Memory (Piano&Violin)

6. 離せない恋 

7. 始まり 

8. あなただけが (Piano&Violin) 

9. My Memory (Piano) 

10. 忘れないで 

11. 記憶の中へ (Ins.) 

12. 恋人 (Chinese Ver.) 

13. スミレ 

14. あなただけが (Piano) 

15. 初めて (Piano) 

16. スミレ (Ins.) 

17. 最初から今まで (Japanese Ver.)

<JKCA-1004> 


前橋汀子ヴァイオリン・リサイタル

2008-04-20 01:06:02 | 音楽/CDの紹介
 前橋汀子さんは情熱的な演奏をするヴァイオリニストです。かつてTVか何かで演奏を聴き、ファンになり、いつか実際の演奏を観たいと思っていました。それが実現しました。この日の演奏曲は以下の12曲です(於:北トピア・さくらホール)。ピアノは、イーゴリ・ウリヤシュさんです。期待に違わない圧倒的迫力の演奏、高度な技術はもちろん、音楽の魂が伝わってきました。使用楽器は、グァルネリ・デルジェスです。曲の説明は、前橋さん自身が書いたレジュメを一部を省略し、要約したものです。
             
①クライスラー(1875-1962):美しきロスマリン
 *クライスラーはウィーン生まれのヴァイオリニストで、作曲家。中間部の典雅なワ
 ルツが美しい。
②ヴィターリ(1663-1745):シャコンヌ ト長調
 *ヴィターリはバロック後期のイタリアの作曲家。この作品は南欧イベリア半島に
 伝わる古い「ラ・フォリア」の旋律による主題と変奏曲。20の変 奏が繰り返され、
 当時のヴァイオリンの技巧が駆使され、情熱を湛えた詠 嘆調で、多彩な曲想が
 展開される。
③フランク(1822-1890):ヴァイオリン・ソナタ イ長調
 *フランクのヴァイオリン・ソナタはこの一曲のみ。人間の奥深い精神性を秘めた
 この曲はあらゆるソナタのなかでも最高のものに数えられている。
④ベートーヴェン(1770-1827):ロマンス第2番 ヘ長調 Op.60
 *ベートーヴェン28歳の作品。アダージョ・カンタービレの指定をもつ優美でロマン
 ティックな作品。
 ⑤ヴィエニャフスキ(1835-1880):モスクワの思い出 Op.6
 *ポーランド出身の作曲家。近代ヴァイオリン演奏法の基礎を築いた作曲家の彼
 が、演奏旅行でロシアに滞在したおりに作曲。その時18歳。ロシア民謡の「赤いサ
 ラファン」の旋律にり、ピアノが主題を演奏し、ヴァイオ リンが技巧を駆使して変奏
 していく。
⑥チャイコフスキー(1840-1893):メランコリックなセレナーデ Op.26
 *1875年の作品。G線上で使われる楚々とした寂しさ漂わせた美しい主題が次第
 に胸に迫り、染みとおるような楽想に変わる。
⑦プロコフィエフ(1891-1953):「3つのオレンジへの恋」より(行進曲)ハイフェッツ編 
 *1919年にアメリカに亡命中に書き上げた4幕の童話オペラの第2幕の場面転換
 のさいに演奏される行進曲。
⑧ショパン(1810-1849):ノクターン 嬰ハ短調 サラサーテ編
 *ショパンは21曲のノクターンを作曲。そのうちのひとつ。高い音とG線上で歌う中
 音とのコントラストが見事な効果を見せる優雅で気品のある作品。
⑨ドヴォルザーク(1841-1904):わが母の教え給いし歌
 *ボヘミアの詩人アドルフ・ヘイドゥーの詩を歌曲にした作品。「老いた母が私に歌
 を教えたとき、目に涙を浮かべていた。私がその歌を子どもに 教えるとき、日焼
 けした頬に同じように涙が流れる」と歌われる。
⑩ドヴォルザーク:スラブ舞曲 Op.72-2 クライスラー編
 *オーストリアの政府国家奨学金の作品募集に受かり、その審査にあたったブラ
 ームスの紹介で作品を出版することができた。ブラームスへの尊敬と感謝の想い 
 を込めハンガリー舞曲集」に相当するボヘミアの踊りの曲の旋律を駆使したピア
 ノ連弾の舞曲集を作った。憂愁漂う甘美な旋律で、クライスラーがヴァイオリン用に
 編曲した。
⑪ブラームス(1833-1897):ハンガリー舞曲第1番 ヨアヒム編
 *原曲はピアノ連弾用として作曲された。ブラームスの親友、ヨアヒムがヴァイオ 
 リン用に編曲。第一番はチェルダッシュ舞曲の、哀愁をおびた旋律がひたひたと押
 し寄せるように歌われ、中間部で再び最初の旋律に戻 り、吹き抜けるように終わ
 る。
⑫ブラームス:ハンガリー舞曲第5番 ヨアヒム編
 *情熱的で流麗な旋律の静と動が交差するリズムが刻まれるジプシー音楽の特
 徴が際立つ作品。

「格差社会」に関する問題の平易な解説

2008-04-19 00:29:25 | 政治/社会

橘木俊詔『格差社会ー何が問題なのか』岩波新書、2006年
            格差社会―何が問題なのか (岩波新書)  
 格差の現状把握、要因分析、今後の展望、処方箋を非常に平易に解説しています。

 現状把握ではジニ係数で「所得再分配調査」(厚生労働省)で絶対的貧困率の高さ、生活保護需給人数の増加、ホームレスの人数の拡大などから格差の存在と拡大を確認しています。

 要因分析では長期不況、非正規雇用、規制緩和、賃金決定方式の変化(成果主義など)、構造改革という政策とその背景にあるもの(市場原理主義+新自由主義)を列挙しています。

 くわえて格差が進行するなかで、若年層、女性、高齢者が低賃金層に滞留し始めていることを指摘する一方で、富裕層(政治家、医者など)の固定化が顕著になっていると述べています。

 それでは何が格差是正に必要なのか? 著者は効率性と公平性とを二律背反でとらえず両方実現すべきと主張しています。具体的処方箋として挙げられているのは、職務給制度の導入、最低賃金制の改善、地方での企業誘致、生活保護制度の見直し、「基礎年金全学税方式」のための消費税のUP、所得税の最高税率のUP(現在37%なのを50%くらいにする)などです。

 「格差は見かけにすぎない」「格差社会の何が悪いのか」「格差が拡大してもいいではないか」といった論調に疑義を示し、この問題の全貌を明快に解明しています。


藤原正彦『遥かなるケンブリッジ』新潮社、1991年

2008-04-18 00:21:00 | エッセイ/手記/日記/手紙/対談
藤原正彦『遥かなるケンブリッジ』新潮社、1991年
            遥かなるケンブリッジ―一数学者のイギリス (新潮文庫)
 著者(専門は数学基礎論、数論)は、1987年8月から1年間、文部省(当時)の長期在外研究員としてイギリスのケンブリッジ大学へ、家族(妻と3人の子)とともに留学しました。そこで得た経験、知見をまとめたものがこの本です。

 この国は、イギリス帝国、産業革命などで知られていますが、著者にしてみればまず科学の国です。古くはエラスムス、ミルトン、ニュートン、ダーウィン、ハーヴェイを生んだ国、留学先のケンブリッジは数々の著名人(バイロン[詩人]、ラッセル、ヴィトゲンシュタイン[以上哲学]、ニュートン、ラザフォード[以上物理学]、ハーディ、リトルウッド、モーデル、ダヴェンポート、キャッセルズ[以上数学])などを輩出しました。

 著者は意気揚々とここに乗り込みます。有名な数学者を前にしてのオックスフォードでの講演(第5章参照)、ケンブリッジでのスーパーヴィジョンでの学生指導(第10章参照)などについては、興味深く読みました。

 また、次男が小学校で校内暴力に遭遇し、この件での著者と妻とのやりとり、夫婦が学校に乗り込んでの交渉のシーンはリアルそのものです。

 著者はいたるところでイギリスそのもの、イギリス人、イギリスの歴史と文化を論じています。その国民性にある自虐的とも言える謙虚さ、捨てがたく存在するレイシズムと階級性、等々。

 著者によれば、イギリスは「特殊な島国」(p.123ー)であり、歴史的に見ると大陸諸国が陸軍に重きをおいたのに対し海軍に戦略的位置づけをおかざるを得なかったのがイギリスであり、そのことによって「特有の外交を展開することが可能であった」(p.124)と説いています。そして、イギリス人を特徴付けるものはユーモアであり(pp.210-211)、イギリス文化は「土着のケルト文化を包含したアングロサクソン文化と、ノルマン・コンクェストの頃から入り始め、ルネッサンス期には頂点に達したラテン文化との結合である」(p.209)というのが著者の見立てです。

 数学の分野ではアメリカ的業績主義がはびこりはじめ、伝統的な基礎科学が窮地に追い詰められつつあるものの、「俗悪な勝者より優雅な敗者」に価値をみる空気がまだ残っていないわけではないようです(p.212)。イギリスを見つめつつ、著者は最後の部分で日本を振り返り好い事を言っています、長いが引用します(引用に値するので)。

 「古くからの誇るべき文化や美しく繊細な情緒を有し、伝統と現代を巧く調和させ、豊かで犯罪の少ない社会を作った日本は、混迷の世界を救う、いくつかの鍵を持っている。そのうえ、平和や軍縮を語る時には平和憲法が強みになろうし、人権を語る時には白人でないことが有利となろう。地球環境の保護については、得意技の高技術が役立つだろう。軍事力なきリーダーとなる資格を充分に具えている。そろそろ経済至上主義から脱却し、世界のリーダーを目指すべきと思う」と(p.217)。

 本書は文庫化されています(上記、画像は文庫)。わたしは、文庫化される前の書籍で読みました。このブログ文中のページは、そのハードカバーのものです。

ショパンのスケルツォ

2008-04-17 07:20:41 | 音楽/CDの紹介
IRINA MEJOUEBA: CHOPIN 4 SCHERZI

■ ショパン

     スケルツォ 第2番 変ロ短調 作品31

     スケルツォ 第3番 嬰ハ短調 作品39

     即興曲 第1番 変イ長調 作品29

     スケルツォ 第1番 ロ短調 作品20

     スケルツォ 第4番 ホ長調 作品54

     夜想曲(第20番) 嬰ハ短調(遺作)

演奏:イリーナ・メジューエワ(ピアノ)


               

 ショパンは4曲のスケルツォを残しています。「スケルツォ」とはイタリア語で「冗談」とか「気まぐれ」「諧謔」といった意味です。3拍子であるところや曲の形式でメヌエットと類似していますが、テンポがより速いところが特徴です。強拍と弱拍の位置を変たり、同じ音型を執拗に繰り返して激しい感情を表し,緩徐の差を示すところにも特徴があります。

 古典派の時代までは「スケルツォ」は生き生きとし、変化に富んだ作品に対する呼称でした。ベートーヴェンはそれを交響曲やソナタの第Ⅲ楽章でメヌエットの代わりに使いました。ショパンはその延長上で、絶望から狂喜までを表現する単独の楽曲に仕立て上げました。
 ショパンの最初のスケルツォはワルシャワで民衆が蜂起し、激動するポーランド情勢のなかで書き始められました。ショパンが熱烈な愛国者であったことはよく知られています。異国にいても彼の心は常に故国にありました。分裂する自己を調停するかのような激しい諧謔が彼のスケルツォから聞こえてくるかのようです。


 このアルバムは、スケルツォの音楽としてのスケールの大きさを示しています。イリーナさんは、鮮やかな音色と大胆なアゴーギグ(速度変化による表情)でリズムやフレーズを屹立させ、作品の凄さを際立たせようとしています。


 
「スケルツォ第2番」は曲想がめまぐるしく変わり、トリオ=インテルメッツォをはさむソナタ形式のような構成をもっています。

 「スケルツォ第3番」は不安をかきたてるようなコーダ形式からなり、両手のオクターブによる第一主題が力強く感じます。対照的な第二主題はコラール風の旋律です。明確な造形をもった作品です。


「スケルツォ第1番」は曲冒頭のつんざくような轟音と主部の激しいうねりが特徴です。中間部にはポーランドのクリスマス・キャロル《眠れよ、幼子イエス》の旋律が使われているそうです。夢をたちきるように主部が戻って、壮絶なコーダ(楽曲の終結部分)の結末となっています。

「スケルツォ第4番」は、スケルツォのなかで唯一の長調です。三部形式のなかで楽想が自由に発展し、雄大さが感じられます。


「即興曲第
1番」。即興曲とは19世紀前半に愛された性格小品です。ショパンは4曲の即興曲を作っています。この1番は三部形式の簡潔な構成で、流れるような首尾一貫性があります。


百花繚乱のロシア・アヴァンギャルド

2008-04-16 00:20:00 | 評論/評伝/自伝
亀山郁夫『ロシア・アヴァンギャルド』岩波新書、1996年

              ロシア・アヴァンギャルド (岩波新書)
 マヤコフスキー、プロコフィエフ、ストラヴィンスキー、メイエルホリド、カンディンスキー、ショスタコーヴィッチなど知っている名前がたくさん出てきました。

 それにしても、ロシア・アヴァンギャルドがロシア10月革命をはさむ約30年間にこれほどまでに詩、絵画、演劇、音楽、映画などの芸術ジャンルで百花繚乱であったとは・・・。「目から鱗が落ちる」とはこのことか。

 著者は「あとがき」で「本書での私の試みは、ロシア・アヴァンギャルド運動の軌跡をできるだけ幅広く概観することにあった。運動そのものの歴史は充分に書きこめたという自信がある」[p.245]と言っていますが、相当のボリュームと緻密さでロシア・アヴァンギャルドが解説されています。

 象徴主義、未来主義、スプレマティズム、構成主義など認識の乏しかった情報をたくさん得ました。

 フレーブニコフ([1885-1922]、詩人で未来派の創始者で生涯にわたり「時間の法則」を探求したとのこと)、マレーヴィチ([1878-1935]スプレマティズムの創始者。キュビスムと原始主義を脱した後、無対象画の道を歩み、革命後は空想建築にかかわったとのこと)は、おさえておくべき重要人物であるようです。 「ザーウミ(言語解体の実験)」の運動もユニークです。

 ロシア革命前夜、革命、戦時共産主義、ネップ、スターリン下の激動のロシア・ソ連のプロセスといった、
踏まえなければならない政治的背景へ目配りしながら、芸術家たちの夢と挫折、確執と対立とがしっかり描かれています。

 終章の末尾、「ソビエトの崩壊、冷戦の終結によってもたらされた事態とは、決して『歴史の終わり』ではなかった。共産主義の実験は、資本主義という『堕罪』の文化が必然的に背負わなければならなかった試練であり、資本主義文化の『もうひとつの自己』であった。その意味で、ロシア・アヴァンギャルドの運命を考えることは、まさに人類が失った鏡をもう一度取りもどし、もう一つの自己を見つめ直すことに他ならないのだ」(p.227)という著者のメッセージは、重く受けとめました。

サブプライム問題とは何か?

2008-04-15 00:09:23 | 経済/経営

春山昇華『サブプライム問題とは何かーアメリカ帝国の終焉』宝島新書、2007年
             サブプライム問題とは何か アメリカ帝国の終焉 / 春山昇華/著
 2007年6月から8月にかけアメリカでサブプライムローンの焦げ付きに端を発して株価の暴落、アメリカドルの対円レートの急落が発生し、国際的金融不安に火がつきました。金融市場は今なおくすぶりつづけ、いつ何時そこに激震が走るかわからない状態です。

 本書はこのサブプライム問題を平易に解説した本です。「プロローグ」に始まって、「第1章:住宅バブルを生んだ社会的な背景、時代的理由」「第2章:サブプライムが略奪的貸付に変質した理由」「第3章:サブプライム問題の露呈」「第4章:サブプライム問題への対策と現実」「第5章:サブプライム問題の今後」「第6章:終わりの始まり」「あとがき」からなっています。

 そもそも「サブプライム」とは「プライム」が「優良顧客」であるのに対し、アメリカで下層のマイノリティへの貸付を予定した住宅ローンのことです。日本にはこれに類似のローンはありません。

 アメリカでは普通の国民にとってはもちろん移民などのマイノリティにとっても「住宅」の保有は夢です。下層移民のこの夢を実現させるための制度的保証がサブプライムローンです。この住宅ローンの金利は通常のローンより3%ほど高いのですが、最初の2-3年のローンを低く設定し、その後金利を上乗せするという制度があります(変形タイプのローン)。

 典型的なのが2005年に始まったNINJYA(No Income, No Job & Asset) ローンというものです。これは「住宅ローンを借りるさいに必要な収入、職業、資産状況という条件を無視してお金を貸します」というものです。

 問題はこのローンの貸手がもともと銀行であるにもかかわらず、その斡旋をブローカーが行っていることにあります。ブローカーは契約数をこなすことで斡旋手数料などで莫大な利益を獲得し、さらに悪質になものになると略奪的貸付という前倒し返済、一括返済を認めないという
方法をとってローンの借り手を意図的に窮地に追い込むこともあります(モラルハザード)。

 サブプライム・ローン問題は、さらに①国内的、国際的背景から生じた余剰資金(遊休貨幣資本)、②住宅価格の急上昇と雇用リストラを生む景気の動向、③金融技術の進化による債権の「証券化」(仕組み債などを含む)の進展、④「資産担保債権」流動化の進行、⑤金融機関・年金基金・ファンドの格付け、⑥銀行からファンドへの流動性供給の主役交替など、いろいろな要因を視野にいれて考察しなければなりません。本書ではそれが試みられています。

 いまアメリカ帝国は、この問題で土俵際まで追い詰められています。国際的金融恐慌がいつ起こるかわからない状態です。事態は対岸の火事ではないことを痛感しました。